GoogleマップでWeb旅行!イタリア★ローマ ベネチア フィレンツェ ナポリ

テレビ番組で見た イタリアのローマ、ベネチア、ボローニャ、フィレンツェ、トスカーナ地方、ナポリなどの世界遺産やローマ帝国の支配した海外の遺産や現在の貴族の様子、イタリアにある サンマリノ・バチカンの備忘メモを作りました。

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ローマ帝国の遺跡

NHKBS 「最強の帝国 ローマ」
NHKBS 「古代ローマ・ポンペイ遺跡が日本にやってきた!」

NHKBS 世界遺産 時を刻む「土木~コンクリートが巨大帝国を生んだ~」

・ローマの祖 アエネアスはトロイアから イタリアのテヴェレ河口に着いた。

・約400年後 アエネアスの子孫ヌミトルはアルバ・ロンガ王国を治めていた。王の弟 アムリウスが王座を狙い 王の娘シルウィアを巫女にした。しかし シルウィアはローマの戦の神マルスと交わし 双子のロムルスレムスを産んだ。
アムリウスに母子の殺害を命じられた召使いは哀れに思い 双子をゆりかごに入れテヴェレ川に流した。七つの丘近くに流れ着き 雌オオカミが双子に乳を与えた(カンピドーリョ広場に像がある)。双子は羊飼いの夫婦に発見されて育てられ、やがて成長して父母を助け出す。
新しい都を作ることになり どの丘にするかロムルスとレムスが争い 弟を殺してしまう。
兄のロムルスが ローマを建国し初代国王となった。ロムルスは、パラティーノの丘に作った国に 自分の名前を付け、後に”ローマ(Roma)”となりました。

・ローマ歴史地区(フォロ・ロマーノ) (世界遺産) ローマ帝国の中心地

・トレヴィの泉:古代ローマ時代に皇帝アウグストゥスが作らせたもので、ヴィルゴ水道の末端に泉を造って市民を楽しませた。ヴィルゴ水道は1km進むごとに34cm傾斜をつけ水を流すという高度な技術で作られ 20km 地下部分2kmある。2世紀まで11本 コンクリートで作られ 今も使われている。

ローマ帝国の栄光を支えたのは優れた土木技術、それを支えた コンクリートは 石灰と水と火山灰を混ぜて作った。砂や石と混ぜ強固に エトルリア人が考え出した。

・黄金宮殿暴君ネロが築いた。ネロは母を殺害し、キリスト教徒を迫害し、芸術に心を奪われた末に自ら命を絶ったといわれるが 実は帝国繁栄の基礎を築いた「名君」だった。

・コロッセ:剣闘士の試合に使用された 円形闘技場ウェスパシアヌス帝暴君ネロの悪政の跡 市民を楽しませるために ネロの造った人工池を埋め立て 巨大な娯楽施設をコンクリートで造った。工事したのは 捕虜・奴隷達。石工はほとんどいらなかった。

13代皇帝トラヤヌス トラヤヌスの記念柱ダキア(現ルーマニア)のドナウ川に コンクリートの橋を架け戦争での勝利を記念して建設された円柱。表面にはダキア戦争をモチーフにしたらせん状の浮き彫りが施されている。ローマ帝国 最大版図となった。

パンテオン神殿14代皇帝ハドリアヌスが設計したとされ、円形の聖堂は直径・高さ共 43メートルの球体で 鉄筋や釘を使用せず コンクリートだけで作られた大きなドーム。

・ハドリアヌス帝は 別荘として ティヴォリに 広大な ヴィッラ・アドリアーナを築いた。
帝国防衛をはかり、各地に防衛の拠点に 共同浴場・劇場・円形闘技場・公会堂・公共広場・神殿を造って、各地を視察して廻った。
ローマ軍に入隊し 25年兵役を務めれば 代々施設が仕え 人々は進んで入隊した。

コロッセ

ローマ帝国が支配した所

ハドリアヌスの長城(世界遺産 イギリス)はローマ帝国の北限に120kmにも及ぶ長城を築いた。

・ヒエラポリス-パムッカレ(世界遺産 トルコ) ローマ帝国の東の端
白い棚田の奇観は、古くから綿の名産地だったことからパムッカレ(綿の城)と呼ばれます。
パムッカレの石灰華段丘の一番上にある遺跡。ローマ帝国の温泉保養地として栄えた。

・エルジェムの円形闘技場 (世界遺産 チュニジア) ローマ帝国の南の端 アフリカ

・ヘラクレスの塔(世界遺産 スペイン) 築2000年の世界最古の現存する灯台

ティムゴード(アルジェリア) は「アフリカのポンペイ」と言われる ミニローマで上下水道・共同浴場・劇場がある。

テーベのネクロポリス(エジプト) 古代都市テーベ のメムメンの巨像に随行員の落書きがある。

・レプティス・マグナ(リビア) 古代ローマ時代 地中海の重要な交易地。アフリカ初のローマ皇帝セプティミウス・セウェルスを輩出した都市。

ディオクレティアヌス帝が 現在のクロアチア南部 スプリトディオクレティアヌス宮殿が建てられた。

・ローマ時代の国境であったドナウ川中流に、駐屯したウィンドボナ、オーストリアの首都ウィーンの古名

・古代ローマ人が イギリス ロンドン テムズ川に橋と船着き場 ロンディニウム(ロンドン・ウォール)を建設した。

・カルタゴ(チュニジア) ローマ帝国が ポエニ戦争で 最終的に勝利し 属州とした。交易の要衝で、漁業が盛んで ローマの食料庫と言われた。海底に古代都市跡が確認された。

シルクロード

NHK特集 シルクロード第2部 最終回 「すべての道はローマに通ず」1984年放送
(海の道)
・ ブリンディシ港:ギリシャから 船で

・ アッピア旧街道:ローマに向かう道 500km 「すべての道はローマへ通じる」

(別の海の道 ローマへ30km)
・オスティア・アンティカ

・ コロッセオ:終点

エトルリア人 死後の生に思いを託す

NHKBS 世界遺産 時を刻む「来世~死後の生に思いを託す~」
イタリア中部ラツィオに位置する世界遺産「チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア古代都市群」は別名エトルリア墓地遺跡群

・チェルヴェーテリ バンディタッチャのネクロポリ:ローマの北約50キロに紀元前9世紀 イタリアの先住民 エトルリア人が残した共同墓地は 凝灰岩を削り 地下に造っていた。
ある墓は広さ50㎡ 高さ2.6m 漆喰の装飾がなされ 貴族が代々眠れるよう56個のベットがあった。
斧・刀・バケツなどの日用品やゲーム盤 サイコロまで 死後の世界で役立つように 柱に彫刻されていた。
墓を来世への準備室と思っていた。

ギリシャ製の素焼きの陶器が出土している。 エジプト 北アフリカとも交易。エトルリア人は鉄を鋳造して輸出していた。
ある墓は 同じ部屋に夫婦のベットがあり 客人を迎えた。夫婦仲良く肩を寄せ合う像のついた棺。エトルリア人は当時としては珍しく男女平等、現世の幸せを来世にも持って行こうと考えた。

・タルクイーニア Tomb of the Whipping:モンテロッツィ遺跡 エトルリア人の墓が6000も 民族の将来と同じく 死後を暗いものと考え青いデーモンの壁画が残っている。

世界遺産には死後の世界を思い描いてきた人類の足跡が数多く残されている
・北朝鮮 高句麗古墳群 :死後も生前と同じよう願っていた。墓に竈が描かれていた。

始皇帝の陵:来世も権力者 8000の兵馬俑

・カナダの先住民族:スカン・グアイ(アンソニー島)は、太平洋岸のグアイ・ハアナス国立公園の最南端にあります。現在 無人島、先住民ハイダ族が暮らしていました。集落跡やトーテムポールに先祖の姿刻む

バチカン市国にある システィーナ礼拝堂:ミケランジェロが描いた「最後の審判」のデーモン。エトルリア人の墓の壁画の影響

ブルガリアの先住民、トラキア人王族の墓 「スヴェシュタリのトラキア人の墳墓」
現世より来世がよいように 馬や馬車を共に壁画に

エジプトのピラミット:来世に体を残した。

世界ふれあい街歩き「イタリア ローマ 水きらめく永遠の都」

ローマの街はテベレ川の両側に広がっています。まずはサンタンジェロ橋を渡って西のサンタンジェロ城(もともと、古代ローマ時代に皇帝のお墓として建てられた)の先には バチカン市国 ローマ教皇が暮らすサン・ピエトロ寺院が見えてきた。国境沿いに歩くと 古代ローマの水道の水を飲んでいる人がいた。
ヴィットリオ エマヌエーレ 2 世橋を渡り東側に、石畳の通りで出会ったのは、壁に絵を貼るユニークな現代アーティスト。トッレ・アルジェンティーナ広場の古代遺跡の中にある猫コロニー、今も手で氷を削る老舗かき氷屋さんや客足が絶えない老舗自転車屋さんとふれあいます。
絶景広がるアベンティーノの丘から ローマの下町 テスタッチョ 陽気で 熱狂的サッカーファンの”真のローマ人“が住むと地元の人たちが自負するエリアです。
テベレ川のほとりにローマが誕生したのは紀元前8世紀ころ。ローマ人たちは川から海へ進出し、ヨーロッパ全域に勢力を拡大していきます。1世紀ころローマの人口は100万を超えます。周辺の山や川から水を引く水道を次々と建設。その数は11本にも上りました。古代ローマが築いた水道や水源は今も使われ、街には噴水が2000か所 水飲み場が5000か所以上あると言われています。

◆グルメ
【1位】マリタミス…古代ローマ生まれの人気スイーツ・マリトッツォとあのティラミスが合体。
【2位】カーチョ・エ・ペペ…具は古代ローマ発祥のペコリーノチーズと黒コショウのみの超シンプルなパスタ。
【3位】トラピッツィーノ…逆三角形ピザ生地の中に切り込みを入れ ローマ伝統の煮込み料理を詰め込んだ。

ビテルボはローマから北へ車で約1時間。歴代ローマ教皇も通ったという露天風呂を探す。古代ローマ兵やミケランジェロも入ったという温泉浴場の遺跡や2000平方メートルもある広大な温泉プール、天然の洞窟サウナ温泉、露天風呂へ。

世界ふれあい街歩き ちょっとお散歩 ローマ(2)〜スペイン広場からトラステベレへ〜

スペイン広場映画「ローマの休日」の出会いの場所です。広場から続くスペイン階段300年ほど前に作られた。以前は断崖絶壁でした。
階段を上ったら 西へ廻ると ピンチョの丘に。眼下にローマの景色が楽しめる。丘の下の路地 このあたりは ルネサンスの時代から 芸術家や職人達の工房が軒を連ねていた。石畳がすり減り レンガの壁にはめ込まれた店が並ぶ。多くの人で賑わっている トレビの泉に着いた。
テベレ川の向こう トラステベレ に ここはローマ帝国時代 川の船着き場の労働者が住んでいたと言われる。以来庶民の街になっている。夜食堂に集まり カンツォーネを楽しむ人達。

イタリア 北部

ミラノコルティナダンペッツォ 2026年の冬期オリンピックが開催される。

TBS 世界遺産 ポルトヴェーネレとチンクエ・テッレ 〜絶景の地中海イタリア断崖の街

北イタリアの地中海を見下ろす断崖の海岸に、1000年前に生まれたチンクエ・テッレと呼ばれる5つの町がある。19世紀に鉄道が敷かれるまでは、船でしかたどり着けない陸の孤島だった。
やせた土壌だが、急斜面の畑は水はけが良くブドウを育てるには最適で、ワインを作るブドウを育ててきた。石垣の総延長は6700キロ。

世界遺産「チンクエテッレ国立公園」は5つの村
北から
・モンテロッソ・アルマーレ:防波堤が船着き場
・ヴェルナッツァ:見張り塔
・コルニリア
:100mの崖の上 天空の町
・マナローラ

・リオマッジョーレ
:斜面にカラフルな建物が立ち並ぶ

ポルトヴェーネレ:海洋都市ジェノヴァの砦の町だった。

NHK ベネチアの秘密 街を歩けば

ベネチア本島には車は一切入れない。公共交通機関は水上バスのみ
ベネチアは干潟に杭を打って作られた街で 100を超える運河が張り巡らされ 橋の数は約400。
ハートの橋:19世紀イタリア統一後の初代国王を讃えてかけた橋
欄干のない橋 キオード橋、口づけ橋、入り江の橋、奇跡の橋などある。
両側の建物をまたぐロープに洗濯物がぶら下がっている。
ベネチアの通りは建物の中も通る「ソットポルテゴ」中には聖母マリアの絵が飾られた祭壇がある。ペストが地面に吸い込まれて消えて 痕は赤い石になっている。
島北部のカナレージョ地区には、ラクダの彫刻が飾られた建物がある。昔、東の国に住む商人が愛する女性に ベネチアに来てラクダの家を探して欲しい伝えていたが来なかった。

TBS 世界遺産 16〜17世紀のヴェネツィアの防衛施設群 〜 ヴェネツィアが築いた6つの城塞都市

アドリア海に浮かぶ水の都ヴェネツィア。かつて交易により巨万の富を築き、海の共和国として1000年の栄華を誇った。そんなヴェネツィアが各地に築いた6つの城塞都市が 3か国にまたがる 世界遺産。

青い海と赤い屋根の城塞都市 クロアチア シベニク

ヴェネツィアから南へ300km クロアチアの港町シベニクがあり 16世紀にヴェネツィアの領土になり海の交易ルートの重要な拠点。
狭い海峡の入口にヴェネツィアは 聖ニコラス要塞を築き 敵や海賊の船が入ってこないようににらみをきかせていた。海面すれすれの穴から大砲が撃てるようになっていた。
当時の最大の敵はオスマン帝国で、山脈が沈み島となって残った地形を利用。

半島に築かれた クロアチア ザダル

ザダル 城壁はかつては街を一周していて、10mの分厚い壁が一部残る。城壁前に各国の交易船が停泊していた。
街への入り口は数箇所のみで 出入りは厳しく監視されていた。門の上にはヴェネツィアのシンボルである翼を持つライオンあり 街には3万人が暮らしていた。
建物の屋根は赤く、多くは交易商人の家。通りは細く入り組んでいる。商人達が肉などを補給できる場所だった。
プロヴェディトーレ・パレス ヴェネツィアから派遣された行政官の家で 城壁の外に税関があり 外国の商人は莫大な税をとられた。

海と断崖の天然要塞 モンテネグロ コトル

コトル交易ルートの拠点として16世紀にヴェネツィアが拠点とした 小さな三角形の街。背後にほぼ垂直の断崖がそびえ、幾重にも壁を巡らす。海側には高くて厚い城壁を築いた。(一本の道「アドリア海へ!“黒い山”を越えて〜モンテネグロ〜」「コトルのはしご」を下りていた)

星型の要塞都市 イタリア パルマノーヴァ

当時勢力を伸ばしていたのはオスマン帝国だけではなく、ハプスブルク帝国やフランスも勢力を伸ばし、ヴェネツィアは陸の領土を守る必要に迫られた。
パルマノーヴァ 街を9つの砦が星型に囲んだ。ヴェネツィアの生命線といえる穀倉地帯で守りの拠点として建てられた。突き出した三角形の砦で お堀と城壁が囲っている。
門は3か所のみで門 かつては前に砦があり 入り口は外から分かりくい場所にあった。
お堀に架けた橋は 夜になるとはねられ入れないようになっていた。
門を抜けた内側には四角い空間があり、兵士が待機し怪しい物へ即攻撃をしていたという。

イタリア ベルガモ アルプスを越えた玄関口

ベルガモがヴェネツィア共和国の西玄関口だった。街は岩山に築かれ全長5kmの城壁に守られている。城壁には小さな門がありアルプスを超えてきた商人がここから街に入った。

イタリア ペスキエーラ・デル・ガルダ 水運の要

アルプスを望むガルダ湖にも城塞都市 ペスキエーラ・デル・ガルダ を築いた。
湖が川に流れ出す場所だった。
ベネチアは水運の要として 運河が通っている。

世界ふれあい街歩き 「宝石の街 ベルガモ〜イタリア〜」

イタリア・ベルガモは、中世にベネチアが築いたアルプス越えの交易の要衝。千年続くという貴族が今も居を構える。作家スタンダールが「世界で最も美しい」と称賛した。

・ベルガモの城壁 かつてヴェネチア共和国の 要塞があった 旧市内 アルタは全長約5.2kmの 高い壁に囲まれている。世界遺産「16世紀から17世紀のヴェネツィアの防衛施設群:スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マール」の一部になっている。

サンタ・マリア・マッジョーレ教会:16.17世紀に造られたタペストリーが多く飾られている。

・コモ湖:“コモ湖の真珠”と呼ばれているのが ベッラージョ(ベラジオ)

サン・ヴィジリオ城:個人所有のお城、眺望がすばらしい。

世界ふれあい街歩き 選「ルネサンス薫る街 フェラーラ〜イタリア〜」

イタリア北部フェラーラはルネサンス文化がフィレンツェに先駆け開花した。
フェラーラは街自体が城壁で囲まれ 世界遺産「フェラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯」
中世の趣あふれる街を巡る。当時の町並みや建造物を守るため 自転車で移動する人々。
フェラーラ大聖堂(サン・ジョルジョ大聖堂) 下に アンティークのボタンを父と娘で売る店があった。
狭い石畳の路地の渡り廊下に住む人がいた。
14世紀にエステ家が掘りに囲まれた家 エステンセ城を気づいた。エステ家は街を2倍にして 建物の屋根の色 高さを統一した。
15世紀の貴族の館が集合住宅に改装され暮らす一家、家族それぞれの大切な思い出を永久保存する写真屋さん、数世紀にわたって街で歌い継がれてきた恋歌を練習する合唱団。

「より道」はストラディバリウスの街クレモナ。バイオリンの工房が130もある。

世界ふれあい街歩き「自由と思いやりの街 イタリア パドバ」

NHK BSP 初回放送 2022年7月26日 撮影時期 2022年5月
パドバは北イタリアで最も古い街の一つで、ローマ時代から文化や経済の中心地でした。朝、13世紀に建てられたラジョーネ宮 当時裁判所でしたが 今は市場が開かれます。ポルティコ(柱廊)と呼ばれる
屋根付の通路が続きます。自転車が多く行き交います。時計塔は星座の文字盤ですが 天秤座がありません。
13世紀に設立されたパドバ大学は 今年で800年。世界最古の解剖教室や 医療に使われる植物を集めた世界遺産の植物園など、いくつも校舎があります。人口の3分の1は学生です。今まで集まった貴族達の紋章がずらり飾られています。天文学の父 ガリレオや「神曲」のダンテ、「地動説」のコペルニクスなど 著名な人物も多く集まりました。大学とともに発展してきた街には、自由を愛し、お互いの違いを尊重する精神が息づいています。
愛犬と散歩中の女性に出会い、建物の中にある 外から分からない シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)を案内してくれました。第2次世界大戦の時、ナチスの迫害を受けたユダヤ人を 多くのパドバの人が助けてくれた話をしてくれました。
川沿いで絵を描きつづける 27年前にルーマニアから移住してきた男性。夕暮れのラジョーネ宮の広場 お店のテーブルが出ていました。50年前からこのバーに通っているという男性は、いつもの仲間たちとお酒を片手に大合唱していました。

◆グルメ
1位…トルタ・パツィエンティーナ という名物ケーキ。味の決め手は、卵黄に砂糖やマルサラ酒を混ぜ合わせて作る「ザバイオーネクリーム」です。

2位…フォルポ・アッラ・パドバーナ パドバ名物の定番屋台料理 大ぶりなタコをトマトとオリーブオイルで煮込んだ。

3位…パスタ・エ・ファジョーリ 特産のインゲン豆が入ったパスタ

◆ちょっとより道
ポルベラーラはパドバから車で約30分、ポルベラーラ鶏が名物。15世紀、パドバ大学の教授がポーランドから持ち帰り、品種改良した鶏がで さまざまな色の種類があり、パンクロッカーのような髪型が特徴です。実はこの鶏は 成長するまでに9か月もかかるうえ、食べられる部分も少ないので絶滅の危機に。それでも、「地域固有の生き物を未来に伝えたい」という思いから 飼育を続けています。

桃源紀行 ボローニャ イタリア

NHK-BSP『桃源紀行』「ボローニャ~イタリア」 初回2017.3 OA
ボローニャは、歴史と活気を感じさせる街で、偉大な学者や芸術家などを輩出してきたヨーロッパ最古の大学、ボローニャ大学を中心に発展してきた。中世から大切にされてきた 赤い屋根の街としても知られる。近くで採れる 粘土で赤煉瓦を焼き用いてきた。
サンペトロニオ大聖堂にある マッジョーレ広場は市民の憩いの場になっている。
ポルティコは柱廊つまり上が屋根になったアーケードのことで 全長40キロにも。上は居住空間になっていて ボローニャ大学生も住んでいる。
2つの斜塔「アシネッリの塔」と「ガリセンダの塔」がある。

桃源紀行 ポッツオーリ イタリア

NHK-BSP『桃源紀行』「ポッツオーリ~イタリア」 初回2018.7 OA
ポッツオリはイタリア南部 ナポリの近くにある およそ8万人の港湾都市。
2500年前 ギリシャ人の作ったクーマエの遺跡がある
カンピ フレグレイ 郊外にあるカルデア 今も10kmに渡って 火山活動が続く。古くから野菜や果物が作られてきた。白ワインができる。新鮮な魚介類がおいしい

イタリアの中に国家(1) 山の上のサン・マリノ共和国

NHKBS 世界ふれあい街歩き選「サンマリノ〜サンマリノ共和国〜」
イタリア半島中部にある 人口3万3千人 広さは山手線内側くらい のサンマリノ共和国の首都サンマリノ
4世紀初め キリスト教徒迫害から ティターノ山に逃れた聖人マリノによって建国されて以来独立を貫いてきた。断崖絶壁の頂にそびえる城塞や中世の趣あふれる旧市街が世界遺産に登録されている。
元首は代表 2人 任期は6ヶ月。選挙は半年に1回行われる。現在は 弁護士と高校教諭 休職して当たる。
ロープウエーに乗って 739mの リベルタ広場へ正面に中世の建物 国会議事堂、坂を登るとサン・マリノ教会 サン・ピエトロ教会がある。
城壁を自宅の壁にして古くから住んでいる人、そびえ立つ3つの城塞、景観がすばらしく ロッククライミングしている人がいた。現在はローマ教皇の住居
サン・マリノへの玄関口は イタリア リミニ

イタリアの中に国家(2) カトリックの総本山 バチカン市国

世界で一番小さな国で大きさは皇居の半分 国自体が世界遺産に登録されている。
・サン・ピエトロ大聖堂:カトリックの総本山で キリスト教会の建築としては世界最大級

・バチカン宮殿:現在はローマ教皇の住居

システィーナ礼拝堂:ミケランジェロが描いた「最後の審判」がある

貴族からの招待状

NHKBS 貴族からの招待状 「ローマ・フィレンツェ編」
イタリアでは第2次世界大戦後 貴族制度がなくなった。先祖代々の宮殿や屋敷を守りながら暮らしている 華麗なる 現代を生きるイタリア貴族に迫る。

コロンナ家

コロンナ宮殿(美術館):法王や枢機卿を多く出したローマの名門 コロンナ家が所有、大広間にすばらしい天井のフレスコ画。映画「ローマの休日」が撮影された。
ローマ教皇になることが 富や権力を手に入れる近道で、政治・経済・文化を握った。

イザベッラ王女が英国女王エリザベス2世をお迎えした間が当時そのままに。
同じ名を持つイザベッラは 貴族であることから 抜けだし 母と共に タラーノで 牧場・レストラン経営。

オデスカルキ家

ブラッチャーノ湖 の畔 中世からそのままの姿で残るオデスカルキ城 Orsini-Odescalchi Castle には今もオデスカルキ家の当主 公女マリアが居住中で、半分が一般公開されています。

15世紀にオルシーニ家が建てた城を買い取り 17世紀にオデスカルキ家所有となった。
その後修復が行われ オルシーニ家 とオデスカルキ家の至宝の城と美術品を公開、インターネットでも見ることができるそうです。
この古城で俳優トム・クルーズが挙式を上げました。

フィレンツェ ゴンディ家

フィレンツェ メディチ家と並ぶ 銀行家の ゴンディ家 の所有するゴンディ宮殿(パラッツォ・ゴンディ) 。15世紀に購入して改装した。
公爵夫妻が案内してくれた 応接室の暖炉の応接室の彫刻がすばらしい。ここで 権力を見せつけ商談をまとめた。
800年代から フィレンツェに ゴンディ家はあり 14世紀にダンテの「新曲」に出てくる。
宮殿とトスカーナにある屋敷と交互に暮らす。ここはレオナルド・ダ・ヴィンチの生家含む周辺の土地取得 立て直した。金を加工 金糸や刺繍で莫大な富をあげた。二人の息子が ワイン事業・オリーブ事業を継いでいる。

トスカーナのペッショリーニ家

トスカーナのペッショリーニ家 伯爵夫人が一人屋敷に住む。
三姉妹 長女は中世の絵画の修復、次女が 屋敷近くに住み 広大な農園でオリーブ ぶどうを育てワイナリー経営、3女がその庭を整備し公開している。

TBS 世界遺産 オルチャ渓谷 〜 絵のような美しさ!トスカーナの渓谷

オルチャ渓谷トスカーナ州の南部にあり 石造りの街を頂く丘がいくつもあり 周りに美しい田園が広がる。植樹されたイトスギは農道の補強や 傾斜地の土留めや境界線を示す目印でもある。
もともと農業には適さない粘土質の白い土壌で 中世の頃より 土に家畜の糞を混ぜるなどして 豊かな農作地に作り変えた。アグリツーリズモと呼ばれる農家に宿泊・体験する旅行ができる。
オルチャ渓谷の畑の中に サンタンティモ修道院 が建っている。8~10世紀 こうした修道院の支配下にあった。イギリスとローマを結んだフランチジェナ街道が縦断している。現在はサイクリングなどが楽しめる道だが、かつては商人や巡礼者が利用していた。道沿いにいくつも都市が生まれ、その一つがラディコーファニで丘の上に砦がある。こうした要塞都市が土地を支配するようになった。サン・クイリコ・ドルチャは戦に備え城塞化した街です。カスティリオーネ・ドルチャロッカ・ドルチアは2つの要塞都市が向き合っている。
オルチャ渓谷にそびえるアミアータ山は火山活動で出来た山で そのふもとに渓流の温泉があります。
オルチャ渓谷はワインの名産地でもあり ブドウ畑も絶景の一端をになっている。

中世 トスカーナで絶大な力を持っていたシエナ共和国、ヨーロッパの金融の中心地として13~14世紀にかけ黄金時代を迎え シエナ大聖堂カンポ広場ができたのもこの頃。次々に 傘下に収め 荒れ地の開墾を推し進め シエナ市庁舎に 14世紀の開墾の様子が描かれた壁画が残されていた。

世界遺産 サン・ジミニャーノ歴史地区

オルチャ渓谷にある「サン・ジミニャーノ歴史地区」。商業都市として発展し財力の象徴として塔を建て始め 最盛期70本もあり 高いもので50mを超した。街が衰退していくと塔も減っていき現在は14本が残る。

TBS 世界遺産 プロセッコの丘

2023.3.5 コネリアーノとヴァルドッビアーデネのプロセッコの丘 〜 アルプスが育む ブドウ畑の絶景
イタリア北部、アルプス山脈の麓、コネリアーノヴァルドッビアーデネの間に広がる「プロセッコの丘」Colline del Prosecco di Valdobbiadene e Conegliano。全長30kmに渡って複雑に入り組んだ丘陵地帯に、ブドウの木が等高線のように並んで栽培されている。高低差500m、最大斜度は72度、断崖絶壁のような所もある。水はけがよく、ミネラルが豊富な礫岩の土地で、ブドウ栽培に適している。400年ほど前に、チリオーニと呼ばれる、幅80cmほどの道を作り ブドウ畑に変えてきた。斜面の多くは南向きで日当たりがよく、北側のアルプスから冷たい風が吹き下ろし、昼夜の寒暖差が生まれ、ブドウの栽培に適していた。中世大地主が農民に土地を貸し付けていたため、ほとんどが家族経営の小規模なワイナリーで、周囲には森が広がり モザイクのような風景が広がる。第2次世界大戦の激戦地であった。ヴァルドッビアーデネの町にある 友愛会のワインセラー、その年で一番のワインを決め みんなで品質を競い、ブランド力を高めた。イタリアを代表するスパークリングワイン、プロセッコの産地でした。

世界遺産 ピサのドゥオモ広場

ピサはトスカーナ州の地方都市でかつてはピサ共和国として地中海交易で繁栄した都市国家でした。世界的に有名なピサの斜塔は大聖堂(ドゥオモ)の 鐘楼で 高さは56mありますが およそ650年前 建設途中から 地盤軟弱で4度傾いています。塔も大聖堂も白大理石で建てられている。聖堂内部は68本の柱があり建物を支えていて、北アフリカやシチリアから運んだ。

世界遺産 サヴォイア王家の王宮群

北イタリア トリノ。19世紀半ばにイタリアが初めて統一され、その最初の国王となった名門貴族・サヴォイア家が建てたものです。トリノ王宮には代々集めた武器や甲冑が残されている。ヴェナリア宮殿はフランスのベルサイユ宮殿をモデルに建設された。

北イタリア・ポー川流域 米栽培

NHK BSP プレミアムカフェ コメ食う人々★リゾットの美味を極める~北イタリア・ポー川流域~(2009年)
イタリアは欧州一のコメ生産国です。アルプスを源流にイタリアを横断するポー川の流域で栽培される。リゾットに最適な品種カルナローリはアルデンテの食感で人気だが、栽培が難しく収穫量も少ない。カルナローリの大規模有機栽培している コロンバーナ農場へ 高見恭子さんと、山形の稲作農家4代目の皆川直之さんが旅した。そこは代々米農家で以前は多くの季節労働者に頼っていたが、現在は大型機械と水管理でわずかの人で行っていた。

イタリア南部

18世紀に建てられた ナポリ カゼルタ宮殿

NHKBS 時を刻む「庭~楽園のつくり方~」
カゼルタ宮殿ヴァンヴィテッリの水道橋サン・レウチョの邸宅群と共に世界遺産に登録された。
フランス ルイ14世のひ孫 ナポリ王カルロ7世が、18世紀にベルサイユ宮殿をベルサイユ宮殿を模して作ったといわれている。
劇場 礼拝堂 大学まで備えた部屋数1200の王宮と、彫刻や噴水が素晴らしい広い庭園は 幅400m 長さは3Km 120ヘクタールもある。
映画「スターウォーズ」や「ミッション インポッシブル3」の撮影場所としても使われました。
イギリス式庭園 世界中の珍しい植物 日本の椿も 集められています。

世界ふれあい街歩き「助け合いの下町」ナポリ/イタリア

NHK BSP 初回放送 2020年3月31日 撮影時期 2020年1月
ナポリはイタリア第三の都市の都市で人口密度も高い。ケーブルカーが4路線ある。旧市街地は「ナポリ歴史地区」として世界遺産に登録されている。
ナポリ旧市街の西の端から歩き出します。広場にあるカフェには大きなブリキのポットがあり レシートを置いていきます。オーナーが「2杯分のコーヒーを買い、2杯目は誰かのためにごちそうするカフェ・ソスペーゾ(保留)の目印です」と教えてくれた。
通りと階段を抜け住宅街に。かつてシチリア王国の首都だったので仕立屋が多い。王族・貴族・庶民も年1回ズボンを仕立てていたそうで 全て手作りで、服地を残して作ってあるので 仕立て直して代々着ることができる。
プレビシート広場にある サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂はローマのパンテオンをモデルに建てられた。かつてのブルボン家の宮殿である王宮もある。
その昔 女王マルゲリータが「目隠しをしたまま正面にある二つの騎馬像の間を通ることができたら、解放する」という約束をしたという話があり、2体の騎馬像の間は離れているが 子供達、観光客が挑戦し大きく反れていた。
旧市街の地下に広がる地下空間が 2000カ所もあるといわれる。紀元前9世紀 古代ギリシャ人によって地下40mの火山灰の凝灰岩を切り出し 街が築かれました。ギリシャ語で「新しい街」を示す「ネアポリス」、これが変化し「ナポリ」と呼ばれるようになります。やがて石の採掘でできた地下空間はローマ帝国が支配した時代には「貯水池」、その後は「倉庫」として使用されます。第2次大戦のときには「防空ごう」としてつかわれた。
さらに北へ進み、背の高いアパートがひしめくスペイン地区へ。アパートのベランダから大きな声で注文してバケツで買い物をする女性たち。ナポリコーヒーを屋台で売り歩く青年。
美容室から出てきた女性 なんとお代はタダでヘア・ソスペーゾでした。
階段を上り ヴォメロの丘に築かれた星形の要塞 サンテルモ城、屋上からナポリの街が一望できて、まさに絶景が広がります。
地域のみんなで料理を楽しむ八百屋さんに出会った。

ちょっと寄り道:イスキア島 ローマ皇帝が愛した温泉

ナポリ湾で一番大きな島 イスキア島へはナポリからフェリーで1時間半。温泉が湧き出るイタリア有数の保養地で、ローマ皇帝も自らが所有するほどお気に入りだったそう。島には約70カ所の温泉施設があります。海岸にある 海中温泉へ。ラジウム泉で 動脈硬化や皮膚病 関節痛やリウマチなどに効果がある。温泉で卵やジャガイモをゆで食べることができる。
紀元前5世紀に作られた 海に浮かぶ要塞 アラゴン城。海抜200mのお城のテラスからはナポリ湾を一望できます!

ポンペイ遺跡

NHKBS「古代ローマ・ポンペイ遺跡が日本にやってきた!」
ポンペイはイタリア・ナポリ近郊 にあった古代都市で ベスビオ山が 79年の大噴火で発生した火砕流によって地中に埋もれた。それは軽石が数m 降り積もり、人間がそのままの形で残っていた。
遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」世界遺産に登録されている。

エオリエ諸島(世界遺産)

地中海に並ぶ7つの火山島です。

ヴルカーノ島:火山を意味するその名の通り、泥温泉が有名です。
リパリ島:エオリエ諸島 最大の島。

マルタ島(マルタ共和国)

イタリアのシチリア島の真下に位置する小さなマルタ島にマルタ共和国があります。
東京23区の半分ほどの島で首都はヴァレッタです。

ヴァレッタ シティゲート世界遺産「バレッタ市街」入り口の門で オスマン帝国の攻撃に備えるため、聖ヨハネ騎士団によって築かれた城塞都市

世界遺産「ハル・サフリエニの地下墳墓」紀元前2500年頃の地下構造物で 本来は宗教上の聖域として作られたと考えられているが、共同地下納骨堂に転用された。

世界遺産「アルベ ロベッロのトゥルッリ」

オリーブ畑が広がる南イタリアの農村地帯、約450m四方の土地に1500軒ものとんがり屋根と白い壁の家が密集するアルベロベッロトゥルッリと呼ばれる 平たくした石灰岩を積み上げ 壁に石灰を塗った住居群。移住してきた貧しい農民により16世紀半ば頃建てられた。

世界ふれあい街歩き★街が元気で 人が元気!イタリア・サレルノ

2023.3.7 NHK BSP
アマルフィ海岸を訪れる観光の拠点 サレルノ。古い歴史を持つ港湾都市で 中世にはヨーロッパ最古のの医学校が置かれ サレルノのドゥオーモ などの教会や修道院で学んだ。9世紀に作られた水道橋があって石造りのアーチを自動車がくぐり抜ける。路地奥の古い書店に中世のベストセラー『サレルノ養生訓』があった。この教えは現代に通じる健康法が多く書かれていた。
より道は『幻の調味料』と言われる 魚醤 コラトゥーラを探してチェターラ
毎年11月~1月頃まで光のイベント「ルーチ・ダルティスタ」が開催され 教会や広場・大通りなどにイルミネーションが飾られる。

世界ふれあい街歩き★中世薫る世界遺産の街 フィレンツェ&シエナ〜イタリア〜

NHK BSP 2023.5.30
「屋根のない美術館」と言われるフィレンツェ。旧市街は世界遺産に登録されている。初期のルネサンス建築を代表する サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。一部ミケランジェロが設計したと言われるメディチ家礼拝堂 、貴族の邸 ストロッツィ宮など、芸術作品のような建築物が立ち並ぶ。
サンタ・クローチェ聖堂、アルノ川に架かるグラツィエ橋 橋の上に建物がある。

フィレンツェから電車に乗って1時間半、丘の上に作られた街シエナ(こちらにも)。700年前の建物に今も暮らし、石畳の路地が続く旧市街はまるで中世で世界遺産に登録されている。