GoogleマップでWeb旅行!シルクロード 中国~中央アジア~トルコ

シルクロードは 大陸衝突の大地殻変動で生まれた場所を通る。そのため 石油・天然ガス・金・宝石などが産出する。その豊かな鉱山資源がるりなど色とりどり壁画に使われた。ウズベキスタン・タジキスタン・トルクメニスタン・イラン・トルコのシルクロードの世界遺産。

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体感!グレートネイチャーSP「シルクロード絶景地帯をゆく」

NHK BSP 2021年2月 初回放送
シルクロード大陸衝突の大地殻変動で生まれた地形上にあり、そのため自然資源の石油・天然ガス・金・宝石などが産出する。るりなどの鉱山資源が豊かな色彩の壁画に使われた。カッパドキア 火山灰の凝灰岩がキリスト教徒の隠れ家になった。

北山山脈~祁連山脈は河西回廊 多くの石窟に極彩色の壁画

莫高窟は735もの石窟が2kmに渡り 仏教徒の祈りの場所として造られてきた。
中は豊かな色彩で彩られ 荘厳な美しさがある。緑・金・青(ラピスラズリ)・赤 どれも シルクロードの地中から産出された。
敦煌から東へ600kmの 張掖(現 120万人)というオアシスの近郊 七彩丘陵(丹霞国家地質公園售票処)の鮮やかな赤土が使われた。七彩丘陵は黄色・白・グレー・オレンジ・赤 筆で書いたようなグラデーションが見られる。色が赤いのは地中に含まれる鉄が酸化したもの。ここは昔海の近くだった。

インド亜大陸が北上してユーラシア亜大陸と衝突したヒマラヤ造山運動で 大陸内部が隆起し 青蔵高原(チベット高原)北山山脈祁連(きれん)山脈ができた。祁連山脈には大きな氷河があり 溶け出した水が 点在するオアシスを潤している。
蘭州から敦煌にかけて 北側の北山山脈、南側の祁連山脈の谷間が 河西回廊(黄河の西側にある)と呼ばれ シルクロードになっています。
石窟 楡林窟麦積山炳霊寺石窟 にも鮮やかな色彩の壁画がある。

天山山脈と崑崙山脈を通る3ルート 天山北路・天山南道・西域南道

天山南道敦煌の先 西遊記に出てくる鉄をも溶かす炎の山 火炎山、草も木も生えていない荒涼とした赤い砂岩質の山が98kmにも渡って拡がる。トルファンで分岐 天山山脈の北側ルート天山北路ウルムチイリアルマトゥイ への草原の道につながる。
天山山脈の南側ルート 天山南道トルファン~クチャ~カシュガル と続く。
敦煌~ホータン~カシュガル と続く タリム盆地(タクラマカン砂漠)の南・崑崙山脈の北のルート 西域南道 がある。

イランも大地殻変動が造ったルート

シーラーズ:シルクロードの絹織物 ガラスなどの工芸品が集まる交易拠点で 近くに 紀元前6世紀に栄えた アケメネス朝の王宮 ペルセポリスがある。パサルガダエ(Pasargadae World Heritage Site):ペルシア帝国アケメネス朝の都だった古代都市の遺跡

イラン南西部の 全長1500kmのザクロス山脈 、 絶景のバラザルト山のシレツ渓谷(探せない)では 断崖にテラス状の地層が幾重にも重なっている。
大地殻変動で海底が隆起 雨や風が長い年月をかけ大地を削ってできた。
さらに奥の 4000m級の峰々、地層が大きく逆くの字と くの字に ぐじゃぐじゃに曲がっています。

最高峰デナ(ディナール)山 はアフリカプレートから アラビアプレートが分裂し ユーラシアプレートに衝突し ザクロス山脈が誕生、その力は内陸部まで及び 北のアルボイズ山脈や 中央部のイラン高原も隆起させた。
シルクロードは この2つの山脈と イラン高原を縫うようにして伸びていった。

すろー
すろー

大地殻変動、案内の先生が驚いていましたが、私もびっくりしました。これなら日本沈没もあり得るかもしれません。天地異変 恐ろしいです。

中央アジア 天然ガスや石油が豊富

地殻変動はあまり及ばず ゆったりしたシワの谷の部分を シルクロードが走っている。
山脈には氷河があり 水を ふもとに供給でき オアシスが点在したので 旅ができた。
シルクロードを運ばれる物は 大地に関わっていた。

トルクメニスタン メルブ はシルクロードで数千年前から栄えていた。モンゴル人に壊される前まで 数十万人が暮らす 中央アジア最大の交易の拠点でした。

ここで 金 めのう トルコ石など 地中から産出された。
今も 大絶景の中に隠された恵みがあります。
トルクメニスタン の首都 アシガバート(是非 グーグルの写真ご覧ください)
深夜の夜景 SFに出てくる未来都市のようで、街を歩く女性 コイネックという民族衣装に身を包んでいる。ギネスにも登録された 世界で最も白い町で、しかもすべて大理石。

この国には大地が生んだ自然の恵みがあり 膨大な資金源になっています。
ラクダのいるカラクム砂漠を行くと 直径50mほどのクレーターがあり 泥火山で天然ガス が噴出しています。
500km離れた ダルヴァザ・ガス・クレータ(地獄の門)は採掘しようとしたら事故で大量のガスが発生 危険なので火をつけたら50年以上燃えているそうです。
しかし トルクメニスタン大統領が「地獄の門」の閉鎖を指示するニュースがあった。(2022.1)
ヤンギ・カラ FRAME CANYON(炎の渓谷/炎の城塞)かつては海の底だったこの台地は、石灰岩の台地の隆起と風雨の浸食作用によって、壮大な渓谷を形成した。赤いのは鉄分を含むため。
トルクメニスタンは 天然ガス 世界第4位の埋蔵量で、イランは2位、 14位の北のカザフスタンにも拡がっています。

現在のシルクロードに張り巡らせたパイプライン。
カザフスタンはモンゴルから続くシルクロードの北のルート 草原の道が走っています。
北方からの毛皮 めのうなどが運ばれました。
真っ白な塩の大地が拡がっています。その先はミラーレークになっています。
トゥズバイル湖(探せない)はテチス海の名残です。(テチス海は豊かな海で 1億年以上かけ天然ガスがたまるようになり大陸隆起により現れた)。[近くの オゼロ・バルサケルムスも塩湖]
石油も同じく トルクメニスタンやカザフスタンに 多く眠っている。

すろー
すろー

トルクメニスタン の首都 アシガバート 発展して すごいことになっていますね。
今までと イメージが変わってしまいます。今大混乱のウクライナ近いです。
パイプライン も話題になっていますけど ここなんですね。

高価だったラプトラズリ 世界に

シルクロードの時代 鉱石のラピスラズリ るり が取れていた。
テチス海の生き物が石灰岩になって 岩石が 大陸衝突で 活発になったマグマの熱で変性してできた。
特殊な条件でしかできないので生産が限られ 金貨の2倍で取り引きされていた。

ラピスラズリはエジプトの黄金のマスクの青い縞模様に使われていた。
トルコ石も同様に造られた。日本の正倉院の宝物にもちりばめられていた。

トルコ カッパドキア 火山が造った奇岩と隠れ家

ボスポラス海峡:トルコのヨーロッパ部分とアジア部分を隔てる海峡
イスタンブール
コンスタンティノープル:ローマ帝国、ビザンティン帝国、オスマン帝国の都として1700年栄華を誇ってきた。ここに集積する莫大な富について争ってきた。

カッパドキア(世界遺産 ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群)は小アジアとも呼ばれるアナトリア半島の中央部にある。
巨大なキノコのような岩がぎっしり。52000平方キロメートル 凡そ四国と九州を合わせた面積。
シルクロード交易の覇権、宗教を争う激しい攻防の舞台だった。
7世紀 ビザンティン帝国のキリスト教徒が暮らしてきたこの土地にイスラム教徒が侵攻し キリスト教徒は地下施設に身を潜めた。火山灰の凝灰岩を掘って長い間 多くの人は隠れ住んだ。
ネヴシェヒルの地下都市

ハッサン山に火山の証があった。
かつてカッパドキアに巨大な火山があって消滅した。 場所によって100mの火山灰を降らした。

11世紀セルジューク朝が進出 キリスト教徒との対決。
岩をくりぬいて隠れ蓑とした教会 暗闇教会にこもり 祈った。壁面のフレスコ画にキリストの生涯が描かれている。教会は放棄されていた。

フレスコ画も莫高窟の壁画も シルクロードの大地に刻まれたアートでした。
タリバンに破壊されたアフガニスタンの バーミヤンの仏教遺跡も崖に刻まれていた。

シルクロードは命がけだった。
中国の 魔鬼城:常に強風が吹き 異様な風音が鳴り響いていた。

すろー
すろー

シルクロード 驚きの連続でした。ノスタルジックを感じて 見始めたんですが …
トルコの 宗教対立 本当にすさまじい。あのような地下都市に 何年も潜んで生きた。
初めて知りました。

シルクロード 謎の民 大峡谷に生きる

NHK BSP 2019年1月初回放送
中央アジア タジキスタン。首都 ドゥシャンベから 北に向かい、雪解け水で荒れた道路を進み、ロバに荷物を積み替えようやくたどり着いた ヤグノブスカヤ・ステナの最も奥の村 クル 6家族 37人が暮らす。3000m級の山々に囲まれた大峡谷で、少数民族ヤグノブ人が貨幣すら使わない伝統の暮らしを続けている。冷たい雪解け水で遊ぶ子供達、大人は冬の間埋まった水路を掘り起こす。牛にスキを引かせ 芋とソバを栽培。フジャポイさん 7人の子供,家畜の糞と土を混ぜ乾燥 燃料に、自家発電で照明をまかなう。羊とヤギを100頭飼っていて 乳を発酵させ塩をいれ 丸め乾燥、そのまま食べたり 煮たりする。
上の2人をドゥシャンベの学校に通わせている。その費用など 育てた羊を 一昼夜かけ ドゥシャンベまで連れて行って 家畜市場で売り賄う。

現在の中央アジア ウズベキスタンの都市サマルカンドを中心としたソグディアナ地方を原住地とするイラン系民族で、古くから内陸のシルクロードでの交易に従事していたソグド人。8世紀アラブ人の王朝が攻めてきて東の山に逃げ延びたと考えられる。
このソグド人とヤグノブ人の言葉 ほとんど同じ単語を使い 同じような楽器 ゾロアスター教の拝火壇に残る三方向に伸びる冠の形であり ソグド人の末裔だったと考えられる。
日本の法隆寺の白檀の香木にソグド商人の使っていた ニーム(1/2) スイール(重さの単位)の焼き印がある。

世界ふれあい街歩き シルクロード青の都 サマルカンド ウズベキスタン

NHK BSP 初回放送 2021年10月
ウズベキスタンサマルカンドは 紀元前6世紀頃からシルクロードの要衝として栄えていましたが、13世紀にチンギス・ハーン率いるモンゴル軍に破壊され廃墟となりました。
ウズベキスタンの英雄・ティムールによって美しいオアシス都市へと再建され 14世紀には街は見事に甦り、ティムール帝国の栄華を極めました。世界遺産「サマルカンド-文化交差路」に登録された建造物はその頃のものです。
緑の豊富な レギスタン広場を中心に街は広がり 幾何学模様の美しい青色のタイルを使い建てられた神学校 モスクがある。その美しさから、「青の都」と呼ばれる。
市場には スイカ・メロン・桃・リンゴ・イチジクなど果物が豊富。
日本語で「レギスタンタイル工房」と書かれたお店があり 精巧な青いタイルを作っていた。
シルクの豪華な花嫁衣装を飾る店があった。サマルカンドでは女性が結婚するとき15着位の民族衣装を作り、1年間着ているそうだ。路地で二人の孫と遊ぶ女性 子供達の家族と共に暮らし 敬われていた。「年寄りのいるところに天使がいる」と言われる。夫が亡くなり 彼女も嫁達も青い服で1年喪に服すという。
青いドームで門が立派な ティムール朝時代の聖人たちのお墓シャーヒジンダ廟 全国各地から多くの人が巡礼に訪れる聖地、美しく 荘厳な たたずまいは圧巻で「宝石箱通り」とも呼ばれる。両側に細か〜い青のモザイク模様がビッシリ。地元の人もよく来るそう。
夜のレギスタン広場 ライトアップされ黄金色に輝いていた。

TBS 世界遺産 「サマルカンド-文化交差路」呪いのひつぎ

TBS 2022年9月11日放送 世界遺産 七つの不思議
古都サマルカンド 美しい青色タイル、ティムール帝国の都で 英雄 アミール・ティムールの霊廟がある。鮮やかな青と精緻な模様外壁と金をふんだんに使った内部装飾で そこに 一族の棺が並んでいいる。しかしティムールの遺骸は閉ざされた地下にある。過去に1度調査のため 1941年 6月に開けた映像です。その翌日旧ソ連とドイツの戦争が始まった。棺は鉛で閉じられ 以降開けられていない。

世界遺産 時を刻む 選「ウズベキスタン シルクロードの商人たち 市場」

NHK BSP 初回放送 2012年11月
ウズベキスタンの古都 ブハラは シルクロードの時代から 交易の拠点として栄えてきた。世界遺産に「ブハラ歴史地区」として登録されている。
ウズベキスタン西部に果てしなく続く キジルクム砂漠。夏の気温は50度にもなる過酷な荒野で そこを通る 通称 アジアハイウエイ、昔はシルクロードと呼ばれていました。紀元前からラクダの隊商キャラバンが 行き交っていた。シルクロードの真ん中あたりで 中継基地として繁栄してきたブハラ
ブハラは2000年以上前から 人々が行き交ってきた商人の街とよばれます。現在の町並みは16世紀のころのもので、街を歩くとまるで中世にタイムスリップしたようです。
ブハラには近くの川から引いたため池 Lyabi Khauz があり、生活用水を確保すると共に人々の憩いの場でした。商人達はここでお茶を飲みながら 情報交換していた。
500年前から続く街のメインストリート、砂漠を歩いてきた商人が目指してきた タキ・ザルガロン(宝石商市場)。「タキ」は市場「ザルガロン」は宝石の意味があります。
タキ・ザルガロンは丸屋根で覆われた交差点につくられたバザールで、入り口は大きく高く どんなに高い荷物を積んだ隊商でも入れるようになっている。石造りで中はひんやりして 旅を続けてきた商人はどんなにほっとしたことでしょう。丸い屋根の1つ1つに宝石屋が入り 市場を形成していた。現在市場として使われずに 遺跡として保存され 土産屋が入っています。
街の交差点には 商品の種類ごとに「タキ」がつくられ 40もあった。現在シルクロード時代のものは タキ・ザルガロン(宝石商市場)の他に タキ・テルパクフルシャン(帽子市場)、タキ・サラフォン(両替屋)が残っています。
「タキ」は国に場所代として税金を払い 運営は商人に任されてきた。
「タキ」と「タキ」を結ぶ通り沿いに 「ティム」と呼ばれる市場もあり 商人のための町でした。
現在は 旧市街の昔の城壁を囲むように町がつくられています。
現在の食料の市場、商品も売り手もバラエティーに富んでいて、タジク人、タタール人、ウズベク人の美女達がいました。国が市場を管理していて 場所代だけ払えば誰でも商売できます。にんじんを切って売っている女性がいました。
蒜 にんにく、瓜 きゅうり、桃 くるみ、椒 こしょう 「胡」のつく 食材は中国を通り 日本に渡ってきました。西から来たという意味です。
東西交流は料理にも。プロフは肉とニンジンの炊き込みご飯で 、ヨーロッパに伝わり ピラフやパエリアになった。うどんに似たラグマンはシルクロードを通り中国から中央アジアに伝わった中国語の涼麺(リャングメン)が語源です。
ブハラには現在10カ所市場があり、中古車市場には白い車だけが並ぶ。朝早くから開いている家畜売り場には 息子の結婚費用に牛を売りに来ていた。牛一頭150万スム(約7万・およそ給料2ヶ月分)で肉屋や仲買人と取り引きしていた。
ブハラは交易の中継地として繁栄、タキの近くには出身地ごとに分かれていた キャラバンサライ(隊商宿)が残る。商人達は莫大な利益を手にし 、有力商人の館の壁は一面 細かな細工が施されている。
各地に部下を派遣し世界中商品を集め さらなる 富を築いた。

20世紀ソ連はぜいたくだった商人の家を破壊し 自由商売を禁止し 市場や店は すべて国が管理し 財さを没収した。1991年 ソ連が崩壊してウズベキスタン共和国が独立 するとソ連に変えられていた通りの名を元に戻した。
ブハラは職人の街でもあり世界中から届く材料を加工し 自分がつくったものを販売。木彫り細工で 何通りもの形に組みかえができる書見台や携帯置き。コウノトリがモチーフのはさみ などがある。職人は 免許制で 税金免除や支援がある。
夕方 観光客用にショーが開かれています。その後 斬新な洋服のファッションショー しかし 布地は伝統的なものです。この店主は コンピュータを駆使し 伝統的刺繍をつくっていました。別の職人はすべて天然素材に拘って染色 刺繍布(スザニ)をつくる。新しいデザインの刺繍を試みています。
キャラバンサライに ある ハマム(トルコ式サウナ)で今も情報交換を行っています。

世界遺産を通じて個性あふれる市場を見る

メキシコ 「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」

メキシコ・シティ中央広場(ソカロ)を中心にスペイン植民地時代の建築物が立ち並ぶ地域と、メキシコ・シティの南約20kmにある水郷ソチミルコを指します。16世紀初め、アステカ帝国を滅ぼしたスペイン人は、直ちに植民地の首都の建設を始めました。240m四方の中央広場には、250年もの歳月をかけて改築された大聖堂をはじめ、国立宮殿、アラメダ公園などの遺産が残っています。市場でサボテンが食材として売られ ステーキやスープに。乾燥させた蛇やスカンクは先住民のマヤ・アステカの時代からまじないに使われた。

中国「麗江」

麗江旧市街は雲南省麗江市にある 少数民族ナシ族が造った街です。風光明媚で、独特の瓦屋根の景観で知られ ここには城壁はありません。市場ではマツタケが日常的食材です。伝統料理 涼粉(リャンフェン)という豆のデンプンを煮て冷やして固めたもの。好きな形に切って酢醤油やごま油で食べる。春雨のようなところてんのようなもので 夏は冷やして 冬は温め1年中食べられる。

エジプト「カイロ歴史地区」

エジプトの首都カイロは、1979年に「イスラーム都市カイロ」として世界遺産に登録された後、2007年に名称が変更されました。イスラム地区である旧市街と、カイロ発祥の地であるオールド・カイロが含まれています。
14世紀に東西から人と物が集まる世界で最も繁栄した都市の1つでした。 中世から続く市場通りには 今もあらゆる物が売られています。カイロ名物の金銀細工から中国のシルク 地中海の魚介類まで。
アラジンと魔法のランプに出てくる 主人公のアラジンは実は中国人で、商人が旅先の中国で聞いた話といわれます。シンドバッドの冒険は香辛料を求めて大海原に船出した商人がモデルでした。空飛ぶじゅうたんのモチーフもそうした商人がモデルでした。こうした商人の物語の多くがカイロで書かれたといわれる。

アフリカ マリ「ジェンネ旧市街」

ジェンネ 町のシンボル 泥で出来たモスクの前で週に1度市場が開かれる。ここでは民族ごとに売る商品が決まっており シルクはフルベ人、川で捕れた魚を売るのはボゾ人、ピーナツを売るのはバンバラ人で 民族同士の争いを起こさせないためといわれる。

フランス「コルシカ島のポルト湾周辺」

ナポレオンの生まれ故郷「コルシカ島」は地中海に浮かぶ奇岩の島。ヤギの乳を使ったチーズ「ブロッチュ」。あっさりとした味で、料理にも使われる。

モロッコ「ジャマ・エル・フナ広場」

マラケシュはモロッコ中央部、サハラ砂漠西方に位置する都市で、マラケシュ自体は旧市街(メディナ)と新市街に分けられます。旧市街はイスラム支配下時代から続くもので、新市街はフランス人によって造られたものです。
市場は一切合切を詰め込んだるつぼのような場所。市場の入り口で大道芸人で賑わう。名物の「水売り」砂漠に向かう商人がお客だった。大道芸に引かれさらに人が集まり 文化の交流や情報交換が盛んに行われた。

プレミアム カフェ 秘境×鉄道 疾走!シルクロード(2018年)

初回放送日: 2023年5月29日 行くぞ!最果て!秘境×鉄道 疾走!シルクロード(2018年7月)
ウズベキスタンの 第2の都市「青の都」サマルカン(上にあり)からスタート、キルギスバルイクチまで シルクロードに沿って疾走する鉄道で 古原靖久さんが 1250キロ旅した。
●サマルカンド駅へ入るには治安のため厳重な警備されていた。10両編成の寝台列車に乗り込む。冷房は入っていない。
ステップ気候のため荒野や草原が広がる。現れたのは100mを超す巨大な岩山、岩山に沿って進む。サマルカンドから北に90キロ 車掌が教えてくれたのが、2つの岩山の間を抜ける タマラランズゲート(ザ・タマーレーンズ・ゲーツ) その昔 関所があって アレキサンダー大王やチンギスハンも通ったとか。
●ジザフに 小さな砦という意味があり 今も交通の要衝です。ピシャガール村はシルクロードの中継地で緑豊かでした。バザールで民族衣装を見つけ、 作っている場所に行ってみると ラクダ牧場が有りラクダの乳搾り飲んでみたら塩味だった。
民族衣装を縫っている人を訪ねると、嫁入り道具を近所の人が集まって作っていた。寝具・じゅうたん・洋服など 1人分 120点にもなる。イスラム教徒なので 結婚前はお付き合いを控える。プロフ という ニンジンと干しぶどうの炊き込みご飯に煮込んだ羊肉を盛り付けたモノを ごちそうに。
●タシケントに向かう 列車には お茶が準備されてあり 自分たちで入れて飲むことができた。標高455mにある ウズベキスタンの首都 タシケント。待ち合わせの間 墓所に。墓石に人物の顔が描いてある。 日本人がシベリア抑留され 2万3000人 亡くなった人79名 地元の人が埋葬していた。
乗り換え 国境を越え カザフスタンに向かう。遠くに見えたのが 375mのタシケント タワー。ソ連時代のマンションも残っていた。国境5km手前で厳重な出国審査。国境には 銃をもっている人が1人いたが 境界標がたっているだけだった。
●サリアガシュ(カザフスタン) は古くから交通の要衝でした。最近はウズベキスタンより物価が安いので買い物に来る人が多い。広大な牧草地やコムギ畑の中 北に向かう。
●ジルガは無人駅でした。駅から ヒッチハイクで50キロ先のジャイダク・クドゥク村の温泉に。1200mの高原で、温泉はプールのシャワーのようでした。ソ連から独立したとき水道が止まり、財政難なので井戸を掘ったら温泉がでた。村で水が出るのはここだけで貴重な水。700頭の羊を放牧していた。
⇒大草原の彼方に地平線。何もない駅は沿線の住民の大切な足。
●シムケントで乗り換え。全長2500キロある 天山山脈の西の端。高原で遊牧民族が暮らす土地。
●チュリクバスは標高800mあって初夏は快適。遊牧民のジョバグエ村に。かつて 馬に乗って女性を追いかけキスすると結婚できる風習があって、今はお祭りなどで披露している。馬乳酒 クムス をごちそうになり 羊の角の刺繍が入った民族衣装プレゼントされた。20人が過ごせるテント キーズウーを建てて見せてくれた。これは 夏だけ 暮らす。馬肉のビシュパルマックをごちそうに。
近くの アクス=ザバグリ自然保護区 には ユキヒョウ・アイベックスも生息している。
⇒ビシュケクまで400キロあって 天山山脈を右手にみて進み 次第に山から離れていく。コムギやリンゴなど栽培され シルクロードで有数の豊かな土地。国境を越えるころ美しい夕焼け。
●ビシュケクはキルギスの首都で人口98万人。古くから栄えてきた。シルダックといわれる敷物を売っていた。
⇒ハチミツをとるためのクローバー畑拡がる。
●トクマク 敷物を作るドゥナルク村の作業場に集まっていたお母さん達は 皆 誘拐婚(かつて誘拐や略奪によって女性が結婚させられる)。付き合っていたが反対されていた。
⇒山岳地帯に入り 深い渓谷を超え進む。およそ100キロ。
●バルイクチは標高1600m、すぐそこに 幻の湖 イシク=クル湖に。琵琶湖の9倍の広さで 4000mの山々に囲まれ ソ連時代軍の施設があり 立ち入り禁止されていた。昔 湖の底に街がありシルクロードの中継地として栄え 4万人暮らしていた。 1000年前 地震などで地盤沈下していた。ダイバーが湖に潜ると人骨が出てきた。

世界ふれあい街歩き 思いやりの街 シルクロード

シルクロードの要衝として栄えた3つの街、いずれも 緑豊かで 果物があふれ シルクロードの旅人を歓待する伝統の街人達だった。
■中国 敦煌
■ウズベキスタン サマルカンド
■コーカサス山脈の南麓、黒海の東岸にある ジョージア(旧グルジア)の首都のトビリシ:市街の中央を流れるクラ川に突き出た小丘に建つメテヒ教会、5世紀に建てられたとされる大変古い教会です。
旧市街はヨーロッパぽい雰囲気の街並。
絨毯店には ジョージア、イラン、アフガニスタン、アルメニア など各国の特徴あふれる模様の絨毯が並ぶ。この店は200年以上前に建ったもとホテル、2階から見ると 中庭に面した隊商宿があった。「旅人は神様からの使い」とい言われてきた。
自由広場の中央に立つ 光り輝く、ソ連の時代レーニン像が建っていたが、現在は国の守護聖人 聖ゲオルギオスが据えられた。
ジョージアの伝統舞踊を宮殿のようなゴージャスな大広間で、男女が稽古中。力強く華麗な群舞は、やがて剣と盾の闘いへ。その激しさは、ぶつかり合う剣から火花が飛び散るほど。女性をめぐる男たちの戦いだった。千年以上の歴史がある伝統舞踊で、歌や旋律はキリスト以前からのものだとか。
とてもオシャレなカフェがあって 世界各国のミックス文化だそうだ。
路地裏でオジさん達が宴会をしていてワインをごちそうしてくれた。