GoogleマップでWeb旅行!もうひとつのシルクロード ☆西域南道・天山南路・天山北路

今より道路が整備されなかった時の シルクロードで いにしえの苦労が偲ばれます。
NHK BSP もうひとつのシルクロード (1980年放送の 「シルクロード」のテーマ編 鮮明なデジタル映像でよみがえらせました) 語り:石坂浩二 音楽:喜多郎 (42年前ですが 聞き覚えがあります)
オアシス点描 SL爆走 2500キロ
・オアシス点描・風と砂と人と〜現代西域南道〜
・オアシス点描・草原の道 〜現代天山北路〜
・オアシス点描・熱砂の道 〜現代天山南路〜
NHK特集 シルクロード第2部 最終回 「すべての道はローマに通ず」1984年放送

足りないところは
新潮新書 「シルクロード 流沙に消えた西域36カ国」中村清次( NHKのシルクロード取材班団長)著
角川ソフィア文庫 「東方見聞録 マルコ・ポーロ」長沢和俊 訳・解説 を参考にさせていただきました。

すぐ忘れてしまうので 備忘メモです。
私の頭の中の中国はこの時代で 近代化された中国はなかなか イメージできません。
Googleマップ 中国語で目的地を探しずらいので マーキングを保存して 登録されている写真を 楽しんでます。

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オアシス点描 SL爆走 2500キロ

古代のシルクロードに沿って中国西安から新疆ウイグル自治区の省都ウルムチまで2500kmにわたり蒸気機関車が走っている。SLは北京発でここまで1200km走ってきた。

●西安(かつては長安):シルクロードの出発点
・開遠門
・大雁塔
・渭水を渡る

●蘭州:シルクロードから 少し離れていて 石油工業が発達している
・黄河を渡る。

●武威:河西回廊最初のオアシス 祁連山脈 から流れる水 用水路が整備され ゴビ砂漠で畑作が行われている

●張掖:第2のオアシス、マルコ・ポーロが旅の途中の1年間滞在した。
・張掖大仏寺:西夏時代に作られた 巨大な涅槃仏(寝仏像)が安置されている。

●酒泉:第3のオアシス、前漢武帝の時代 名将軍の霍去病(かくきょへい)が 匈奴を破った。その知らせを喜んだ武帝から褒美の美酒が届くが 全軍に分けるには酒が足らないので 霍去病は酒を泉に注ぐと 泉の水が酒へと変わり尽きることがなかったそうだ。
・嘉峪関:山海関から5000km 万里の長城の最西端の砦

●敦煌:第4のオアシス シルクロードの分岐点。 鉄道は 通らず はるか向こうにある。

●ウルムチ:新疆ウイグル自治区の省都で 明らかに西安とは異郷の地だった。

オアシス点描・風と砂と人と 現代西域南道

崑崙山脈タクラマカン砂漠に沿って伸びる西域南道は、もっとも古くから開けたシルクロード。

●敦煌:東西文化の中継地で4~14世紀、仏教の聖地として栄えました。
・莫高窟:735もの石窟が2kmに渡ってある
・楡林窟
・月牙泉
・沙州古城遺址
・河倉城遺址
・鳴沙山

●チャルクリク
:天山南道 コルラへつながる
・米蘭(ミーラン)

●チェルチェン:崑崙の雪解け水 チェルチェン川の水で潤う バザール

●ニヤ(民豊):砂でまったく視界のきかない「砂暴」と呼ばれる日や、砂の微粒子が大気をおおう「浮遊塵日」が年に200日間以上という乾燥のオアシス:

●ホータン:西域南道最大のオアシス:于闐(うてん)国の時代 仏教国で 莫高窟を作った。現在はイスラム教徒の街で 絹織物 精巧な絨毯が作られる。

・油田

●ヤルカンド(広大な土地という意味): パキスタン タシュクルガン・タジク 分岐 する
ヤルカンド川沿いに農業が発展

●カシュガル:中国 最西端の町で西域南道と天山南路の合流点。古くからシルクロードの貿易地であり 中央アジアと中国を結ぶ要衝

⇒ キルギス ビシュケク
⇒ ウズベキスタン サマルカンド
⇒ アフガニスタン ワフジール峠 ⇒ 「ワハーン回廊」

オアシス点描・草原の道 現代天山北路

天山山脈の北ろくに沿って 西はカスピ海沿岸まで広がる大草原に開けたシルクロード。
●敦煌
●哈密(ハミ):新疆ウイグル自治区の東端。1900年前匈奴を追って 漢の大軍が来て屯田した。独特の味の良さで歴代の皇帝に献上されたハミ瓜の産地

●天山南北分岐点

●ウルムチ:天山北路 最大のオアシス。新疆ウイグル自治区の省都で、空港があり 北京、パリ、フランクフルトへ飛んでいる(1980年)。現代の西域各地への玄関口となっている。ウルムチは美しい牧場の意味がある。
紅山公園から眺めると ポプラ並木が縦横に走ってる。様々な少数民族が住んでいて 西域の薫りを感じる。

●石河子市:不毛の沼地を開拓した土地。一日の温度差の激しいが 最も成功した近代農業が行われている。

●伊寧(イリ、イーニン):イリ川は西へと流れ カザフスタンのバルハシ湖へ注ぐ。国境 緩衝地帯で取材できなかった。
イーニン市はハザック族など様々な人種のるつぼ。紡績工場・革加工

⇒カザフスタン ホルゴス ⇒ アルマトゥイ ⇒ キルギス ビシュケク
キルギス ビシュケク ⇒ カザフスタン タラズ⇒ シムケント

シムケンド ⇒ カスピ海 北 ⇒ 黒海 ⇒ トルコ コンスタンティノープル
シムケンド ⇒ ウズベキスタン タシケント ⇒ サマルカンドブハラ ⇒ カスピ海 北

ブハラ ⇒ トルクメニスタン マリ メルブ遺跡 ⇒ イラン テヘラン

オアシス点描・熱砂の道 現代天山南路

タクラマカン砂漠と天山山脈の境を東西に伸びる幹線

●火焔山:西遊記に800里 火の海と書かれている。

●トルファン海抜マイナス154mの 中東の死海についで世界で2番目に低いトルファン盆地で行われる葡萄栽培。天山山脈の雪解け水が 灼熱の地を潤す。
・ベゼクリク千仏洞
・高昌故城
・交河故城
・アスターナ古墓群

●南疆鉄道:トルファン~カシュガルを 天山山脈を貫いて 人民合作でつくられ 全長2000kmを超える。天山南路に沿って走る。

●コルラ
・ボストン湖:天山山脈の雪解け水が流れ込む 砂漠にある湖。

●クチャ(亀茲国):古代、亀茲(きじ)国と呼ばれ、音楽の都として知られる。バザールと踊り。
・キジル石窟

●アクス

●カシュガル:西域最大のモスクがある。

⇒ キルギス ビシュケク

すろー
すろー

シルクロード 古代よくあんなにも 熱い砂埃の中 遙かな道 よくいきましたね。
42年前の中国 現代の中国とは 違うんでしょう。

NHK特集 シルクロード第2部 最終回 「すべての道はローマに通ず」

1984年放送でした
ボスポラス海峡:アジア大陸と ヨーロッパをわける海峡で 南北に30km 幅の狭いところが800mしかない。1973年に2つの端を結ぶ橋を作成した。
ギリシャ神話で、ゼウスが恋人のイオを牝牛の姿へ変え逢瀬を楽しんでいるのを 妻ヘラが知り 恐ろしいアブを放ち イオは雌牛の姿のままこの海峡を泳いで渡ったとされています。ボスポラス海峡は「雌牛の泳ぎ渡った所」と名付けられた。

●イスタンブール:アジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市です。
北に登れば黒海から草原のシルクロードにつながり、南に下れば海上の道へ
古代 ビザンティオン と呼ばれたが ローマ帝国の東の首都となりコンスタンティノープルと呼ばれ、その後 ビザンティン帝国、オスマン帝国の都として 1700年栄華を誇ってきた。

海に突き出たような形の都市は城壁を立て強固な護りだった。
オスマン軍 メフメト2世は、ビサンティン帝国を攻め 金閣湾が鎖で封鎖されている事を知り 70隻の艦隊を山越えさせ金角湾に運び 攻撃し 滅ぼした。

グランドバザール:古い歴史を持つ屋根付きの広大な市場。迷路のように走る通路に 革製品 宝石 じゅうたん 土産物などの店が並ぶ。
・金閣湾にかかる ガラタ橋
アヤソフィア
・イスラム教徒は金曜日に礼拝する。イスタンブールには1000のモスクがあるという。
・スルタンアフメト・ジャミイ(ブルー モスク

●マケドニア
●アテネ
●ギリシャ スーニオン岬ポセイドン神殿
(海の道)
●イタリア・ブリンディシ港
● アッピア旧街道 500km
●(別の海の道 ローマへ30km) オスティア・アンティカ
● パリ コロセウム:終点

新潮新書「シルクロード 流沙に消えた西域36カ国」追加事項

河西回廊を 匈奴から奪った 武帝 万里の長城築く

・紀元前111年 河西回廊を 匈奴から奪った 武帝は 黄河の西から 敦煌まで 武威・張掖・酒泉・敦煌 の4つの軍事拠点を設けた。敦煌の西北100キロ地点に玉門関、その南60キロに陽関をもうけた。そして万里の長城を築いた。

「楼蘭の美女」3800年前のミイラで 楼蘭王国が栄えた ロプ・ノール孔雀河近くの遺跡から見つかった。

ロプ・ノールさまよえる湖 として話題になった。ダムができて 干上がったが 水車を回すため水を引いたら ロプ・ノール の水位が戻ったらしい。

中央アジアのソグド人がオアシスに居住、キャラバンを組んで リレー形式で 物資を運ぶ

「胡人」ソグド人で 中央アジア ソグディアナの中心的オアシス サマルカンド(ウズベキスタン)一帯に居住していた。ソグド人の植民地 あるいは 居留地が クチャ、トルファン、敦煌など30カ所もあった。キャラバンを組んで リレー形式で 物資を運びリスクを分散した。情報ネットワークにもなっていた。ササン朝ペルシアはここにあった。

すろー
すろー

シルクロード 古代よくあんなにも 困難で長い道を…
リレー形式だったら 納得 効率的ですね。
現代の中国とは 違うんでしょう。

天山山脈北方の遊牧民の烏孫に漢から王女2人嫁いで 亀茲国と漢が友好深める

・古代シルクロード時代 西域36カ国 人口の多い順に
1位:イリ河流域に遊牧民の国 人口60万 烏孫(うそん)
2位:シル川上流の盆地 フェルガナ(大宛)(現 ウズベキスタン東部)にあった遊牧民の国 人口30万 。汗血馬と言われた良馬の産地として知られ 漢の武帝はBC104年に李広利を派遣して服従させた。
3位:亀茲(きじ)国 (クチャ) 人口8万
扜弥(うび)王国 人口2.4万
古代ホータン王国(于闐王国)
楼蘭国は小国。
ちなみに 漢王朝 人口6000万、匈奴 人口200万

奪われた王女言葉も通じない老人に嫁ぎ 孫に再嫁、2代目の王妃も2度結婚
漢の武帝張騫 (ちょうけん)を 匈奴を挟み撃ちしようと 烏孫に使わす。 使節団は300人 兵1人に 馬2頭、食糧用として 牛・羊は万をもって数える程でした。この情報はすぐに匈奴に伝わり、烏孫は匈奴を恐れ 漢に使者を立て 名馬を献じ 「漢の公主(皇女)を娶り兄弟分になりたい」と申し出ます。
烏孫は千匹の馬を結納として送り、漢は皇族の娘である江都公主を嫁がせた。烏孫の昆莫は自分が老齢だといい、江都公主を孫の岑陬に娶らせ 一女・少夫を生んだ。
江都公主が死ぬと、漢はふたたび楚王 戊の孫 解憂を公主とし岑陬に娶らせた。
岑陬が臨終の際に、王位を伯父 大禄の子 翁帰靡に与え 匈奴妻との子 泥靡が成長したら王位を譲るよう遺言した。
岑陬が死に、翁帰靡が即位すると肥王と号し 解憂を娶り 三男二女を生んだ。
長男、次男は 莎車国(ヤルカンド)の王に、三男は 左大将に。長女 弟史亀茲国王 絳賓 の妻になった。弟史は 烏孫から長安に琴を習いに来ており 帰り道 亀茲に立ち寄り、前から王女をめとりたいと申し込んでいた絳賓は 弟史を引き留め妻とし、共に漢に来て朝賀し 親漢外交を重ねた。
「解憂 ~西域に嫁いだ姫君」という映画になっていた。

・当時 烏孫の都は赤谷城と呼ばれ、イリ河沿いに上流にたどり 天山山中を越え 亀茲を通り 長安の都へ向かった。

・BC71年 亀茲に漢が攻めてきた。原因は同盟国である隣の 扜弥(うび)王国 の太子 頼丹を人質にしていた。その後 頼丹は害をなすと殺害し、漢と亀茲国は友好関係を築いた

・BC77年 匈奴寄りの 楼蘭国王が暗殺され 弟が新たな国王になり 鄯善(ぜんぜん)に改名させた。4世紀頃からロプノールが干上がるのと時を同じくして国力も衰え、やがて砂漠に呑み込まれたが、1900年に遺跡が発見された。

4世紀 五胡十六国時代

5つの遊牧民が北の辺境から侵入し 華北の地で覇権争う。
イランを中心として栄えたパルティア王国(安息国)ササン朝ペルシアに滅ばされる。
ローマ帝国と度々激闘を重ねペルシアは中国との貿易を独占。
匈奴に敗れてからは中央アジアに移動した大月氏。
大月市の支配を脱し 西北インドに侵入して クシャーナ朝を作り、東西貿易ルートを抑えていた。
しかし クシャーナ朝もササン朝ペルシアに滅ばされる

クシャーナ朝は 現パキスタンの古都 ペシャワールを都としており 西域への橋頭堡(きょうとうほ)はホータン王国(于闐国) で、扜弥王国⇒精絶王国(ニヤ遺跡)⇒且末( チャルチャン)⇒鄯善(旧 楼蘭)⇒敦煌 に至る 西域南道がさびれてしまった

替わって ササン朝ペルシア からの道、ソグディアナ⇒サマルカンド⇒パミール高原の北辺⇒疏勒国(現カシュガル)⇒亀茲国 (クチャ) ⇒焉耆(えんき・カラシャール)⇒高昌国(トルファン)⇒伊吾国(哈密)⇒敦煌 とつながる 天山南路が栄えた。

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