GoogleマップでWeb旅行!聖なる巡礼路 ~仏 ル・ピュイ~サンティアゴ

NHK BS 聖なる巡礼路を行く 〜カミーノ・デ・サンティアゴ 1500km〜(初回放送日: 2020.5)を見て 初めて ヨーロッパにも巡礼があること知りました。Googleマップにマーキングして 登録されている写真を 楽しんでます。

南フランスからスペインのキリスト教の 聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまで 徒歩で歩く旅「サンティアゴ巡礼」。ピレネー山脈を越え サンティアゴ巡礼を済ませ 地の果て フィニステレ岬の灯台までの旅。
途中 多くの海外の人と抜きつ抜かれつ ふれあいを楽しむ。

20代からマドリッドに住むグラフィックデザイナー 篠原勇治が歩いた。
世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」として部分的に 登録されています。

Googleマップ

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Googleマップに登録されている写真が楽しめます。実際に行けたらなと思います。

宗教の道 南フランス ル・ピュイ~スペイン国境

「クレアンシャル」と呼ばれる巡礼手帳を準備。宿屋や教会でスタンプを押してもらう。

・南フランスのル・ピュイ・アン・ヴレイ:町の至る所に太古の火山活動で生まれた岩山がそびえる。
フランス国内に4つある、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂への巡礼路のうちの一つの出発点として世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に登録されている。
ロワール川の古城・教会・遺跡の源流にあった地名でした。

・サン=ミシェル・デギュイユ礼拝堂:高さ82mのエギュイユ岩に立つ

ノートルダム大聖堂:朝 巡礼者のミサ 床の扉が開いて 地下の門から出発

Photo by Jon Tyson on Unsplash

キリストに仕えた十二使徒の1人であるヤコブ 布教に努めたスペインはでサンティアゴと呼ばれ広く知られた。しかし キリストの死後 ユダヤ王によって殺されます。その亡骸は弟子達により船で運び出されたが どこに埋葬されたのか わからなくなる。9世紀 星の光に導かれた羊飼いが スペイン北西部の原野の墓を発見した。「星の野原 コンポステーラ」と名がつけられたこの場所に やがて大聖堂が建てられた。
当時はイスラム教徒にエルサレムを奪われた時代 人々は歓喜して その大聖堂を目指す巡礼が始まり、12世紀には 年間50万人が巡礼に。その後激減、なぜか今世紀に入り巡礼者が増え 2018年には35万人にも。

・ロシュギュード

オーブラックの荒れ地:標高1200mの荒地

・エスタン
 エスタン城:15世紀このあたりの貴族によって造られ 現在は元フランス大統領 ジスカール・デスタンが所有

コンク:フランスの美しい村の1つ
 サント=フォワ修道院教会 入り口に「最後の審判」を描いた彫刻がある。
中世の巡礼者は信仰に基づいていた。現在の巡礼者は 心の平安や人々の交流を求めている。中世の巡礼者も人々のふれあいを楽しんだろう。(司教)
旅の途中で 人とふれあい 再会することも 楽しみ。
ある旅人は 遠ざかっていた 教会に入り 共に歌った。

16日目 ル・ピュイから350キロ
カオールヴァラントレ橋 ロット川に架かる 6つのアーチと3つの塔を持つ ヨーロッパ屈指の美しい石橋で 小さい悪魔が壁にしがみついていた。

ル・ピュイから420キロ
・モアサックサン ピエール修道院教会 の回廊を支える1歩足と2本足の柱のデザインが独特のリズムを生む。柱頭彫刻には聖書に書かれた エピソートが彫られている。回廊を1周すると8つの物語を読んだことになり 巡礼者が親しみを持ってキリストの教えに接するように工夫さている。

スペインとの国境まで 後320キロ 小さい教会で 巡礼の曲を歌う

ル・ピュイから480キロ さらに西に
・ラ・ロミュー:600人が暮らす村に立派な教会で大きな鐘楼が2つ
サン ピエール参事会教会(コレジアル)の聖具室のフラスコ画 は8角形の模様・天井に伸びる不思議な 幾何学模様・黒い顔の天使は謎

32日目 フランス側 最後のカフェ ここでもらった スタンプでクレアンシャルが一杯になった。
この先 始まるスペインの旅では 新しいクレアンシャルを使うことになる。
町外れ 深い森を抜けると 待ち焦がれた ピレネー山脈が見えてきた。

肉体の道 フランス・スペイン国境~メセタの大地

サン=ジャン=ピエ=ド=ポル(フランス)
巡礼事務所で情報を得る、荷運びサービスもある。
高低差1400mもあるフランス・スペイン国境のピレネー山脈越え
途中から でこぼこ道。国境を越え 下り坂 足がきつい

Photo by JOOSAM PARK on Unsplash

・ロンセスバージェス
スペインのではアルベルゲとよぶ巡礼宿。黄色い矢印が巡礼路の道標
バスク地方
ブルグエテ 道中で再会も楽しみの1つ

ナバラ州
パンプローナ pampelene:スペイン最初の大きな街、ナバラ王の都 城壁で囲まれている。
アーネスト・ヘミングウェイの小説『日はまた昇る』に登場するカフェ「イルーニャ」、牛追い祭り

ペルドン峠 Mirador Alto de El Perdón 下り坂が厳しい 風力発電が見える

プエンテ・ラ・レイナ:1000年前 ナバラ王の妃が造らせた 王妃の橋を渡る

・シラウキ:小高い丘にある 坂を上る。出口は 急な下り坂。ローマ時代に整備された石畳 ゴツゴツで 足を痛める人が多い

エステーリア(星) : 知的障害者が運営するアルベルゲ

(ずーっと ぶどう畑)
ログローニョ:リオハ州の州都、噴水がワイン色 サン・マテオ祭(音楽に合わせ 古式にぶどうを踏み ワインを作り 1週間祝う)

残り580km 国境から10日目
乾いた 数百キロに及ぶ メセタの大地麦の収穫を終え砂漠のよう見える高原地帯

・カストロヘルス:14日目
サンアントン 修道院 Convento de San Antón:完全寄付で運営 廃墟と化した修道院を 電気もなく シャワーは水という質素なアルベルゲに 。

モストラレス山 :12°の勾配の急な坂を 1キロ以上登る
山を越えると地平線が彼方まで拡がる。残り430km

魂の道 平坦すぎるメセタの大地~聖地サンティアゴ

メセタの大地の北 ボアディージャ・デル・カミーノの町外れ 標高700m ここから 150キロに渡って真っ平らな道が続く。目的がはるか彼方に見えるだけに その距離がなかなか縮まらないので いらだちを思える。景色も変わらず 気分転換もできず 自分自身の内面と向き合わなければならない。
日本から 一人旅の女性と出会う。

フロミスタ
中世 巡礼が盛んだった時期のロマネスク様式のサン・マルティン教会 San Martín de Frómistaがある。当時ヨーロッパで暮らす人は キリスト誕生から 1000年を期して 世界は滅び 良き人は天国に、悪事を働いた人は地獄に落ちると恐れられていた。いわゆる世紀末思想です。空想的な装飾が見られる ロマネスク様式はその時代を反映しています。しかし 世界は滅ぶことなく安堵の胸をなで下ろした人々は 神に対して 感謝の意を捧げるために サンティアゴ巡礼に向かったとされる。

レオン:大きな都会。
8世紀初頭 イベリア半島にイスラム勢力が侵入 現在のスペインの大部分が彼らに支配された。 敗走し 北部に逃れた キリスト教徒が アストゥリアス王国を築き 反撃のチャンスを窺った。
国土回復運動 いわゆる レコンキスタの起爆剤となったのが サンティアゴの墓の発見。人々を奮い立たせ レオンに残されたレリーフには イスラム教徒との 戦いの場に 馬に乗ったサンティアゴが 現れ 敵を蹴散らしていったという伝説が描かれている。
やがて 少しずつ国力を回復した キリスト教徒が レオンに都を移し 国名を「レオン王国」としました。13世紀 壮大な レオン大聖堂を建設。今も見事なステンドグラスが巡礼者を歓迎します。
薔薇窓と呼ばれる丸い ステンドグラス 。中世17軒もの巡礼宿が軒を並べ 多くの巡礼者が行き来した。ステンドグラスの1枚には サンティアゴ大聖堂で喜ぶ巡礼者の姿がある。

すろー
すろー

日本で のほほーんと暮らしている私は、キリスト教徒とイスラム教徒と壮絶な戦いの連続 で生きるため必死で大変だったろうな改めて思いました。それで皆 寄進もすごく立派な教会ができたのか と勝手に思ってます。しかし知らないことばかりです。

残り300キロを切った。十字架の向こうに アストルガの街が見えてきた。
ここにある アストルガ司教館 Palace of Gaudì Astorga ちょっと風変わりの建物を設計したのは サグラダ・ファミリアを建築した アントニ・ガウディです。

イラゴ峠 (見当たらず Cruz de Fierro では? フォンセバドンとマンハリン モリナセカ 間にある 「鉄の十字架」)
キリスト教徒フランスからの巡礼路の中では 最も標高の高い 1500mの峠は巡礼者を苦しめてきた 難所の1つ。

(四国遍路道が町内を通る愛媛県愛南町香川県宇多津町が、モリナセカ村との交流を開始 記念碑をモリナセカに建てたそうです)

峠を降りると 石造りの家並みに。スペイン北西部は紀元前まで 石造りに茅を葺いた家で暮らしたケルト人が暮らしていた。

・ビシャフランカ・デル・ビエルソ
アベ フェニックスというアルベルゲは、不死鳥という名前で、火事で焼けた時世界中からの寄付で再建されたそうです。料金は夕食付きで13ユーロ。夕食は宿泊者全員でとるのが習わしで その時主人の ヘスス・ハトさんが ケルト由来のケイマーダという魔よけの儀式を行われます。

ガリシア州に入る。残り60km 、雨の多い地で霧も発生します。
オレオという高床式の穀物倉庫は、ケルト文化の名残 だそうです。

メリデ:海に近くタコ料理が名物で、巡礼者は最後のエネルギー補給します。

聖地を目前にして巡礼者は 特別な感情がわいてくるようです。
巡礼が終るのがさびしいとか、寝付けなかったけどいびきのコンサートがなつかしいとか。

サンティアゴまで 残り20キロ。
立ち寄った 小さな礼拝堂
篠原勇治は これまで 旅で出会った人を思い出していた。

中世期に始まった サンティアゴ巡礼。今もその道のりに 多くの困難が待ち受けている。時を経た今も奇跡が満ちあふれている。

・聖地 サンティアゴ・デ・コンポステーラ 巡礼の目的地 大聖堂が見えてきた。
旅のゴール 大聖堂前広場に到着です。
巡礼事務所で巡礼修了証歩いた距離の証明書が発行されます。
国境の サン=ジャン=ピエ=ド=ポル から779 キロありました。

到着の夜は大聖堂前広場で 巡礼者の大合唱です。
みんな口々に「また巡礼に戻ってくる」といいます。

Photo by Juan Gomez on Unsplash

地の果て フィニステレ岬の灯台

翌朝 篠原は再び旅の人となった。90キロ先の「地の果て」を意味する フィニステレを目指した。

フィニステレ:海辺の村でサンティアゴ巡礼を終えた証として 巡礼者はここまで来て 貝を拾い持ち帰ったと言われている。
現代の巡礼者が荷物にホタテ貝をつけているのは その名残。(道しるべも ホタテのマークでした。)
いつの日にか 再び 巡礼の旅に出ようと考える者は 自分だけの貝を拾いにフィニステレまで 出かける。

フィニステレ岬の灯台:大西洋に面する ヨーロッパ最西端にある灯台。
篠原は 最後にここまでやって来て 僕だけの旅の証を見つけた。

すろー
すろー

サンティアゴ巡礼 初めて知りました。あの山頂の長い道 歩いてみたいです。
トータル 何日かかったんでしょうか?2ヶ月? 部分的に歩くことも可能でしょうね。
現実は 体力、経済力もなく、英語もしゃべれず 気力もなく、テレビやネットで楽しませてもらいます。

街道を行く 「南蛮の道」バスク地方(フランス・スペイン)

NHK BSP 1998年 初回放送
1549年鹿児島に到着した 宣教師 フランシスコ・ザビエルは2年間キリスト教を布教して、世界に日本を紹介した。スペイン生まれのバスク人で、イエズス会の宣教師はその後も日本に絶え間なく来ている。今も30人以上のバスク人の宣教師がいます。50年以上日本で過ごしている 修道士 アギレゴメスコルタさん(91)。ザビエル以来長い交流を持ったバスクでした。

司馬遼太郎が 1982年、パリのザビエルが学んで 現在も続いている カルチェラタン聖バルブ学院を訪ねた。ザビエルはここで学び 神の道に生きるため イエズス会を仲間と設立 日本にやってきた。

フランスとスペインにまたがり ピレネー山脈のふもと バスク地方に住む バスク人はヨーロッパ最古の民族で バスク語を話す。
フランス側 バスクの中心都市 バイヨンヌから司馬さんは旅を始めた。十数キロいったあたりから バスクにしかない民家だった。窓の外扉が濃い紅殻色に塗られている。白い外壁はいさぎよいばかりの素の平面である。バスクは常世の本質的な国であるような感じがする。
バスクは地域の8割が放牧地や森林など緑の大地です。

サン=ジャン=ピエ=ド=ポール 中世以来の サンティアゴ巡礼の宿場町。
宣教師として来日したソーヴール・カンドウ神父は 流暢な日本語を駆使し、講演、新聞・雑誌の寄稿を通じて日本の知識人に感銘を与えた。著書がを通じ司馬とつながりがあった。彼の生家を訪ね 姪と会います。
フランスの アルネギー村とスペインの国境線は10m程の川。国境ができたことを知らずに暮らしていた。
スペイン側に入りアリバ村で聖ミカエルの祭りに遭遇。丸太割り競争を見て 体を張って働く バスク人。限られた土地の中で共同体を維持し慎ましく生きてきたバスクの人々。その連帯意識は遙か昔から伝えられてきたものです。
紀元前1世紀 進出してきたローマ人は ここをバスコニアと呼びました。牧畜民として暮らしてきたので牧草地を人々の共有のものとしてきた。
ザビエルの生まれたハビエルの村の生家ザビエル城を目にした。
貴族の子として生まれた ザビエルが19才まで過ごした場所です。6才の時に 家は没落 父を亡くし 苦難に耐えた。
バスク自治州の首都 ビトリア を訪ね 大統領に会う。 一番はバスク語を使うようにすること。

国家とは山川草木のことである。さらには山川草木に依存して暮らす人々とそれらの暮らしの総和のことである」

太平洋のビスケー湾に面した海のバスク へ。大西洋の荒波を乗り越えていった勇壮な船乗り。
ゲタリアは大航海時代マゼランと共に世界1周の旅に出て マゼランの死後成し遂げた フアン・セバスティアン・エルカーノ。彼もバスク人でした。


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