ウクライナのことが起きる前は 馴染みのない地域でした。NHK BSPのヨーロッパ空撮紀行 首都ワルシャワ・古都クラクフ &世界ふれあい街歩き 時を積み重ねる街 プラハ~チェコ を見て備忘メモを作りました。
ポーランドのこと 今まで気にはなっていたけど知らないでいました。
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ヨーロッパ空撮紀行 ポーランド 首都ワルシャワ
首都 ワルシャワは ヴィスワ川のほとりに広がる人口およそ200万人の都市です。政治・経済・文化の中心地で 現在資本主義経済の風が吹いています。かつての社会主義の衣を脱ぎ去ったこの街を世界中のビジネスマンが訪れています。
ポーランドは、東西ヨーロッパ諸国に囲まれ 歴史上度重なる領土の侵略と分割を受け 戦争の舞台となってきた。ワルシャワは激しい歴史の波に翻弄されながらも そのたび不死鳥のようによみがえった。
第2次世界大戦末期の1944年ナチスドイツの攻撃よって ワルシャワはがれきの山となりました。
中世の文化を伝える建物は跡形もなく破壊されたのです。ポーランドは依然と同じ街を復元するという困難な道を選んだ。残された 絵画 スケッチ 人々の記憶 あらゆるものを参考にしながら 1つ1つ 丹念に蘇えさせていきました。レンガのひびに至るまで丹念に修復、民家の壁や瓦も色あせた雰囲気を出すよう配慮されている。世界遺産 ワルシャワ歴史地区 になっています。
旧市街から南にいくと 近代的なワルシャワの摩天楼があります。
ひときわ目を引く文化科学宮殿 スターリンによってポーランドに贈与という形式で建設された。
文化科学宮殿は37階建ての高層ビルで 塔の高さは234m、総床面積12万3000㎡、総部屋数3288の巨大建築です。中には各種研究所、ポーランドTV、3000人収容できるコンベンションホール、コンサートホール、映画館、劇場などが入っています。調和のとれたワルシャワの街並みにはまるで似つかわしくない権威主義的な建物とも言えます。ワルシャワ市民には評判が悪く「ソビエトの建てたワルシャワの墓石」などと呼ぶ人もいるようです。
文化科学宮殿の周辺には近代的な町並みが広がっている。その前の広場は自由市場になっている。
最高裁判所・国立図書館 が立ち並ぶ。
ポーランドの教育の歴史は長く 今から600年以上前 世界で一番古い大学が かつての首都 クラクフに作られた。この国には コペルニクス、キュリー夫人など偉大な科学者が生まれている。
1989年初めて自由選挙が行われ およそ40年続いた社会主義体制は崩壊し、共和制の国となった。
NATO、EU加盟を果たした。
軍事博物館、国立博物館、無名戦士の墓
ワジェンキ公園は ワルシャワ市民の憩いの場です。
水に浮かぶワジェンキ宮殿は 18世紀後半最後のポーランド王が建てた夏の宮殿。
この時 隣接していたロシア、プロイセン、オーストリアの三国に分割され、1795年にポーランドは消滅。第一次世界大戦が終了する1918年に独立するまでの123年間、ポーランドは世界地図から姿を消すことになります。
公園には 柳の下に腰掛けるショパン像があります。夏にはここでコンサートが開かれる。
郊外のヴィラヌフ宮殿 バロック建築の傑作は ポーランド国王・ヤン3世ソビエスキの夏の離宮として建てたものです。王は17世紀後半にウイーンの近くでトルコ軍を破った英雄として知られている。
ヴィスワ川はポーランドで最も長い川で カルパティア山脈からポーランド国内を大きく蛇行しながら北へ流れ、バルト海へと注ぐ。近年は水質汚染のため水泳には適さなくなった。しかしカヤックには最適で1000キロにも及ぶ川下り楽しむことができます。
以前はヴィスワ川流域至る所に船が自由に行き来していました。ワルシャワ、クラクフ、グダニスク などすべてヴィスワ川流域に発展してきた。かつてはポーランド収穫された穀物が バルト海を越え輸出された。
ヴィスワ川には いくつもの中州があり 水鳥たちの繁殖地になっています。
ワルシャワからヴィスワ川を下ると プウォツクの街があり 川の畔の小高い丘の上に三本の塔をいただく大聖堂があり プウォツクのシンボルです。14世紀に作られた要塞も丘の上にある。
18世紀から19世紀に建てられた教会や住宅が数多く残され 古きポーランドのたたずまいを感じられる。
第2次世界大戦後ポーランドは農業国から 工業国に転換を図ってきた。

ヨーロッパ空撮紀行 ポーランド 古都クラクフ
ポーランド 南部のヴィスワ川ほとりの古都 クラクフは 16世紀末に首都がワルシャワに移るまで500年以上もの間 ポーランド王国の首都として繁栄してきた。第2次世界大戦で多くの都市が破壊されたが クラクフは奇跡的に戦災を免れました。そのため中世そのままの町並みが残されている。世界遺産 クラクフ歴史地区に指定されている。
ヴィスワ川の流れる丘に立つヴァヴェル城、ポーランド王国のかつての栄華を象徴しています。ここはポーランド人にとって生涯 一度も巡礼しないものは 本物のポーランド人ではないとさえ言われる。
ゴシック様式で建てられた大聖堂 首都が移されるまで歴代国王の戴冠式が行われていた。地下のお墓には立派なひつぎに納められた王たちが永遠の眠りについています。
ヴァヴェル大聖堂で ひときわ目立つ ジグムント1世が建てた、金のドーム が輝くジグムント礼拝堂は、アルプス以北でもっとも美しいルネサンス建築と言われています。
ヨーロッパ最大級の広さを持つ中央市場広場には、織物会館がある。織物を取引する場として13世紀に建設され、その後14世紀にゴシック様式、16世紀にルネッサンス様式へと変貌を遂げたクラクフの観光名所となっています。
100mほど伸びた煉瓦造りの建物内には、琥珀などポーランドを代表するおみやげがたくさん。2階はクラクフ国立美術館があり、18世紀から19世紀にかけてのアート作品が展示されています。
街の中央広場にそびえる聖母マリア聖堂。クラクフはポーランド文化の中心地であるといわれています。
ヴァヴェル城の南東に、映画「シンドラーのリスト」のロケ地としても知られるユダヤ人街、カジミエシュ地区 があります。カジミエシュ大王は当時迫害されていたユダヤ人の保護に熱心に取り組んだため、多くのユダヤ人がクラクフに移り住むようになり、15世紀以降、第二次世界大戦まではユダヤ人が多数を占める地区として発展しました。
クラクフの数キロ南西に豊かな自然の中に カマルドリ修道会の教会と修道院があります。
国名のポーランドとは、「平野」を意味するポーラから来ています。その名の通り、南部に山岳地帯がある以外は、高い山はほとんどありません。
ポーランドはかつて農業国家として知られていました。ヨーロッパの穀倉地帯と言われ経済的に潤っていました。現在 広大な農地がありながら 農業は低迷しています。農業の近代化の立ち後れが1つで 今でも馬を使って 多くの農民がが 田畑を耕している。
クラクフの東にある タルヌフはポーランド貴族・タルヌフスキ家によってルネッ サンス様式を取り入れられた美しい街です。1300年代から街の 形が変わっていません。市庁舎を中心とした広場や大聖堂、最古の教区博物館など見どころもいっぱいです。
かつてタルヌフはユダヤ人が多く暮らしていた町で、第2次世界大戦前には 約25000人のユダヤ人が暮らしていました。しかし、第2次世界大戦時にナチス・ドイツに占領されると、タルヌフに暮らしていたユダヤ人は強制労働や殺害などの迫害され やがてゲットーに強制移住させられた後 アウシュヴィッツなどの絶滅収容所に送られ ユダヤ人コミュニティは消滅してしまいました。
世界ふれあい街歩き「時を積み重ねる街 プラハ~チェコ~」
NHK BSP 2022.6.14
チェコ共和国の首都プラハは人口120万人の都市であり、その真中を流れるモルダウ(ヴルタヴァ)川に架かる重厚感あふれる美しい石橋が、600年間も使われているカレル橋
1000年の歴史を誇る 世界遺産「プラハ歴史地区」に指定されている。時計台が多い。
・プラハ城 :かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在はチェコ共和国の大統領府がある。
・街角の肉屋:ソーセージもつくっていて 中で食事もできる。
・建物の入り口に 赤いライオン・白鳥・鹿・2つの太陽 などのマーク 18世紀頃 番地替わりに使われた。
・3つのトンネルのある古い建物、トラムを通すために トンネルをつくった。
・ステンドグラスの制作と修理をする職人さん。古ければ14世紀に作られたステンドグラスを修復する
・旧庁舎の天文時計
・シナゴーク:ユダヤ教の祈りの場 ヘブライ語の逆回転時計がある
・旧市街広場:戦災を逃れたので 周辺にさまざまな時代と形式の建物にあふれる「建築の博物館」と呼ばれている。ヨーロッパの中央にあり 交通や交易の要衝として栄え 時代時代の最先端の技術がもたらされた。
・外壁の中に 以前の建物の石組みがでてきた家
・ステンドグラス工房 古ければ14世紀に作られたものも修復する
・街の「人形劇場」
●スイーツ
・マッコビー・ザービン
特産のケシの実を使った チェコ伝統のお菓子。青いケシを煮込んだあんをパイ生地で包み 焼き上げた
・オボツネー・クネドリーキ
カッテージチーズを混ぜた皮でフルーツを包んだ団子をゆで、溶かしバターをかけて食べる。
・トルデルニーク
くるくると回しながら焼いた 細長いコップの形をしたパンのようなお菓子。専門店が数多くある。
フルーツのペーストを中に詰めたり、クリームをのせたりと食べ方もいろいろ。
・ヤブロネツ・ナド・ニソウ
プラハから高速バスで1時間15分。ボヘミアングラスの生産で有名なチェコ北西部の街。
宝飾品の材料の生産地として、19世紀から20世紀初頭にかけて栄え 今も世界中に“ガラス宝石”を輸出しています。
美術館 館長が「お宝中のお宝」という かつてのオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝のために作られた飾り絵。
一方で周囲の国々に支配される歴史も繰り返した。侵攻してきた戦車に無防備の市民が立ち向かった「プラハの春」地面に刻まれた記念碑。
・丘には かつて立っていたスターリンの記念碑は取り壊され、巨大な赤いメトロノームのモニュメントがあった。