GoogleマップでWeb旅行!パリ セーヌ川岸の世界遺産 街角★運河の旅

ヨーロッパ街角中継 4Kで旅する パリ きらめく花の都へ
NHK BSP 2023年6月17日
1年後に開催されるパリ五輪を前に パリの街角が映りました。世界遺産や著名な絵画などが展示される美術館。建物自体もフランス革命前の瀟洒なもので、天井の高いアーケードなどどれも行ってみたいものばかりです。
運河の旅 パリからロッテルダム★飛行船で巡る世界遺産 ゴシックとヨーロッパ
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2024年 パリ五輪

2024年夏のパリ五輪の開会式は パリ中心部を流れるセーヌ川で行われ、入場行進の代わりに 選手達が 約160隻の船に分乗して およそ6キロを水上パレード。ノートルダム大聖堂やルーブル美術館の近くを西方向に下り、エッフェル塔 近くに至る。誰でも歩道から見ることができ 最大規模の開会式になる見込み。
新種目 パルクール は、トレーサー(競技者)がスタートからゴール地点までに設置されたさまざまな障害物を越え パリの街中を駆け抜ける。

現在 お色直し中
マドレーヌ寺院… 外壁の修復中
コンコルド広場…ルイ16世やマリー・アントワネットら約1,300人処刑され フランス革命の舞台となった。凱旋門やエッフェル塔などを見渡せる。
エトワール凱旋門シャルル・ド・ゴール広場ナポレオン率いるフランス軍の勝利を讃えるために建てられた。シャルル・ド・ゴール広場を中心にシャンデリゼ通りなど12本の道路が、星(エトワール)の光のように伸びている
アンヴァリッド廃兵院…ナポレオンの墓所 もともとは傷病兵の療養所。建物そっくりのシートをかけ修復

歴史的名所が競技会場に
・アンヴァリッド では アーチェリ
・ヴェルサイユ宮殿 では馬術競技
・エッフェル塔の足元に広がる シャン・ド・マルス広場にはビーチバレーの特設コートが作られる
・コンコルド広場では スケートボード・バスケットボール・3×3・ブレーキング など公園や路地で遊びとして始まったアーバンスポーツが行われる。

近代オリンピックの提唱者 ピエール・ド・クーベルタン男爵はパリに生まれた。

UnsplashAnthony DELANOIXが撮影した写真

世界遺産 「パリのセーヌ河岸」

2000年以上前からセーヌ川を中心に発達してきて、およそ8キロの川岸に歴史的建造物が建ち並び、世界遺産 「パリのセーヌ河岸」に指定されている。

◎セーヌ河
エッフェル塔 近くから セーヌ川を上流に。

パリでは 夏至の日 音楽が街にあふれる 音楽の日(フェット・ド・ラ・ミュージック)で フランスの 街中で 明け方まで 開かれている。
20世紀最大のシャンソン歌手 エディット・ピアフ はパリの下町で生まれ「バラ色の人生」「愛の賛歌」を歌った。

●リュクサンブール公園…王妃の住んだ リュクサンブール宮殿の庭園部だったところで パリ最大の大きさがある。

●アレクサンドル3世橋…右岸のプティ・パレグラン・パレと共に、1900年のパリ万国博覧会に際し建設されたセーヌ川に架かる橋。
●コンコルド広場

■オランジュリー美術館…もともとオレンジ温室だった。モネの『睡蓮』の連作を収めるために美術館として整備された。
■ルーヴル美術館… もともとフランス国王が暮らしていた王宮で「モナリザ」「ミロのビーナス」など38万点以上所有してる。
■オルセー美術館…1900年のパリ万国博覧会の鉄道駅舎でしたが、生まれ変わり 19世紀の美術品が展示される。ドガ・マネ・ゴッホ・ルノワール などの名作がそろう。時計やホームなど駅の名残がある。

マレ地区 …16世紀から17世紀にかけて王侯貴族の豪華な館が建てられた地区。LGBTQムーブメントの中心地 レインボーカラーがいっぱい。2013年の同性婚の合法化から10年目を迎える今年。6月に行われるLGBTプライドウィークまっただ中、今年3月フランスで結婚したばかりの 同性婚カップルにお話しを伺う。
グルメストリート ロジェ通り ひよこ豆揚げたもの。ユダヤ人のコミュニティが強く 編み込んだパン・チーズケーキが売られている。
ストリートアートが多く飾られている。
ゴブラン地区の書店から始まった 大きなクマのぬいぐるみ プロジェクト。パリのあちこちに クマさんがコロナ禍、どんどん増えていきました。ディスタンスをとるため椅子に座らせられたり、苦しいコロナ禍で人々を微笑えませたすてきなムーブメント。

●オテル・ドゥ・ラ・マリーヌ Hôtel de la Marine (海軍の館)
元々は「王室の調度品保管所」としての役割を持ち、その後は「海軍省」として使われた。2017年からの工事を経て 2021年オープン お土産屋さん カフェがある。職人の伝統技法により、18世紀の姿がよみがえり 管理者の部屋・貴賓室も公開されている。舞踏会が開かれていたところで、今も月に1回開かれている。

●フュルスタンベール広場…個人経営のお店が並ぶ、スパイス専門店で各国産のこしょうを食べ比べる。チョコレートの上にこしょう。フランスの人は古美術や骨董品を愛し アンティークのお店マネキンに服を着せデッサンするため使用していた。

■和菓子…パリで大流行の大福や餅など お店も続々登場。和菓子作りのワークショップが開かれている。

●ギャラリー・ヴィヴィエンヌパッサージュ(天井の高いアーケードのある商店街)の1つで、Blase アート ギャラリー ではワークショップで絵を修復、200年前からある老舗書店では当時出版された本もある。

■カルナヴァレ美術館…マレ地区にある 2021年リニューアルされた博物館。もともと16世紀に作られた貴族の邸宅で、17~18世紀に作られた鉄の看板など 多数あり フランス革命のものが多く残されている。マリーアントワネットらが幽閉された時の王室家族が使った家具なども展示されている。
1901年に作られたフーケ宝飾店 ではブロンズの孔雀が残る。
ここは昔使われていた貴重な品が残る パリのタイムカプセル。

ボナパルト通り…古くから多くの文化人・芸術家が生まれた。画家エデュアール・マネも生まれた。多くの出版社・書店がある。
1年に1冊だけ古典の豪華本のみ出版。紫式部の「源氏物語」も世界中から挿絵を集めた。
国立高等美術学校 エコール・デ・ボサール …17世紀 設立され、クロード・モネ、シャルル・ガルニエなどの多くの画家や建築家も卒業した。
●ボサールにまつわる作品、肖像画を多く取り扱っているギャラリー。

◎シテ島 花のマルシェ(市場) にはエリザベス女王も訪れバラを差し上げた。鉢植えが多くパリ市民はベランダに飾る。今はラベンダー、ジャスミン、バラなど香料になる花が咲いていた。
●ヴォージュ広場…約400年前 アンリ4世が造ったという、王の広場と 取り囲む建物の 赤いレンガと石灰岩を組み合わせた 当時最新のデザインが印象的。ビクトル・ユゴーもここに住んでいた。
●ドフィーヌ広場…1607年に建設されたパリ最古の広場。当時のフランス国王アンリ4世が当時6歳だった王太子(のちのルイ13世)のために作りました。
●ポンヌフ…パリのセーヌ川にかかる橋のなかで現存最古を誇る。新しい橋という意味があり ポンヌフ橋をくぐり シテ島に。シテ島はパリ発祥の地。
■ノートルダム大聖堂 – 中世ゴシック建築の傑作。2019年4月火災発生 尖塔が崩落。今も再建工事を行っている。大聖堂前には展望台が作られ 市民が見守っている。
奇跡的に焼け残った聖母子像(レプリカ)の前でノートルダム大聖堂の司祭さん、火災当日かけつけ 歌った方々による聖母マリアへの祈りの歌。

ヴェルサイユ宮殿

世界遺産「ヴェルサイユの宮殿と庭園」
NHK BSP 2023.6.19 プレミアムカフェ 選 城王たちの物語 ベルサイユ ルイ14世(2004年)
ハリから西へ20km ベルサイユ“太陽王”と呼ばれたルイ14世ベルサイユ宮殿を1661年から50年かけ作り上げた。「朕は国家なり」はルイ14世の言葉で、17世紀フランスの絶対主義を象徴する。
ベルサイユ宮殿はバロック建築の傑作で、内部は建築と彫刻・絵画が一体化していた。「鏡の間」は幅10m 奥行き 73m 高さ 13mの広さで、庭に面した面はガラス戸、他方はアーチの間に鏡がはめ込まれていた。当時非常に貴重なガラスや鏡をふんだんに用いた回廊でさまざまな宴会や 国家的行事が行われた。奥に王の寝室があった。フランス国産のガラスは「ベネチアン・ガラス」を凌ぐことになりました。
800haの敷地に 幾何学的な「花壇」や「泉水」の配置、直線状に延びる「大運河」の広大な庭園。
自ら「庭園案内の手引き」を書くほど自慢した庭園で、絶対君主ルイ14世の力を世界に喧伝するものとなった。ルイ14世は芸術を司り ダンスやオペラ・アカデミーが創設され、後世のパリ・オペラ座が生まれる。

時速8キロ 運河の旅 パリからロッテルダム(2001年)

NHK BSP プレミアムカフェ 初回放送日: 2023年7月14日
パリからロッテルダムまで 800キロを1か月かけ、造船所勤めをリタイアしたフランス人夫婦が、家を売り払い、自分たちで作った小型船を住みかに旅に出た。運河が重要な輸送路として発達してきたヨーロッパでは、のんびり気ままな船旅を楽しむ人が増えている。
パリ にはサン・マルタン運河など運河があり 運河網がつながっていて パリから 北海、地中海に出ることが出来る。
1日目 セーヌ川を下る。オアーズ川との合流点でオアーズ川を上流に進む。
内陸の川や運河は貨物船優先です。
4日目に コンピエーニュ城があるコンピエーニュに。歴代のフランス国王は、ここで狩猟を楽しみました。1751年以降は、この地に魅せられたルイ15世の宮殿が置かれ、オーストリア皇女、マリー=アントワネット と未来の国王ルイ16世との初めての対面の場ともなりました。その後ナポレオン1世にの住居となった城は大きく改装され、その後美術館として改築された。 
オワーズ川から 右に折れ エーヌ川に入る。パリから200キロ余り、エーヌ川の本流はこの先水深が浅く通りにくいため 平行して造られた エーヌ川側設運河を東に進む。
アルデンヌ運河のある地方 は北フランス、ベルギーにかける丘陵地帯です。旅の最大の難所 モンテゴンの27連続のロックがある。前後をロックで仕切られた水路の水位を上下させ、次の水路の水位と一致したところで水門を開け船を前進させる。 78m の標高差を上り 分水嶺に到達しました。そこには高原と青空と澄んだ空気で取り入れの済んだ麦畑が拡がっていた。ここからベルギーに入るまで下りがつづく。
アルデンヌ運河の終点 ポン・タ・バルの街で、船の部品交換
進路を東から北に変え 東運河に入る。渓谷を縫うように走り 蛇行を繰り返す。
大きく湾曲した運河に囲まれた モンテルメは孤島のよう。
12日目 ルヴァン は大きなヨットハーバーが整備されている街で運河を旅するひとが必ず立ち寄る。 同日スタートした親子連れと初めて隣り合わせで停泊 夕食に招く。
国境の街 ジヴェ 16世紀に カール5世の築いた城壁が残る。17世紀フランス領になり ビクトワール塔
13日目 パリから350キロ ベルギーに入る。ムーズ(マース)川と名が変わる。
14日目 ムーズ川が造った 高さ100メートルの断崖絶壁の麓にある ディナンに到着 。12世紀に創建されたノートルダム教会 Collegiale Notre-Dameがある。軍事的要所に位置するため、古くからディナンは戦闘と略奪にさらされてきた。親子連れは 4週間の休暇のため ここからパリに引き返す。

ムーズ川からベルギーの中心部を東西に流れるサンブル川に入ります。
サンブル川一帯はベルギーの重工業の中心地です。行き交う船も巨大で 原料や燃料を運んでいる。
高い塔のある インクラインの設備です。 Elevator Bateux 高低差68mを 船を入れた91mの水槽をケーブルで1.4kmの斜面を運びます。
大型船とすれ違い 波にあおられ接触 小型ボートが壊れてしまったが これがクッションになって船は守られた。
22日目 ベルギー 第2の都市 アントワープ(アントウェルペン) は外洋まで100キロ 内陸にある貿易港。15世紀から金融・商業の中心地として栄えてきた。
日曜日なので ベルギー最大の塔が目を引くゴシック様式の聖母大聖堂のミサに。ルーベンスによるタペストリーが残る。
27日目 オランダに入国、やってきた黄色い船はスーパーマーケットでした。
キンデルダイクは1740年頃灌漑設備用としてつくられた風車群が残っています。
北海に面したオランダのロッテルダムに到着

飛行船で巡る世界遺産 ゴシックとヨーロッパ

イル・ド・フランス(王の直轄領)に建つ パリ ノートルダム大聖堂シャルトル大聖堂アミアン ノートルダム大聖堂。いずれも 高い塔を持つ ゴシック様式 で 広く中世のヨーロッパで受け入れられた。
実は「ノートルダム」と呼び名を持った大聖堂は各地にあります。「ノートルダム」というのは「私たちの貴婦人」という意味で 聖母マリアのことです。

・11世紀後半 パリから南西90kmほど離れた シャルトルに建てられた 世界遺産 シャルトル大聖堂。何度か火事に遭い デザインの異なった2種類の塔を擁し、巨大なステンドグラスに聖書の内容を絵で描きで、文字を読めない市民にも聖書の内容を伝えた。当時 光は神の化身と考えられ ステンドグラスから光が差し込むことで信仰心を高めていきました。尖頭アーチや飛び梁の工法で ゴシック建築は高い建物を造れるようになった。

・13世紀 パリの北130キロにある アミアン ノートルダム大聖堂は フランスでいちばん高い大聖堂です。身廊の高さは42.3mで、奥行きは145mあります。 サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(こちら) の一部としても世界遺産に登録されています。入り口の彫刻群石の百科全書ともいわれ 聖書の内容を表現しています。
12世紀の農業改革が進んだ農村地帯では 生産性が上がって労働力が余り、農民は仕事を求めて都市部に移り住みだしました。救いを求める 多くの人を収容できる大規模な教会が必要になり ゴシック建築が誕生しました。

ベルギーブルージュ は世界遺産 「ブリュージュ歴史地区」に登録されている。13世紀後半から羊毛の輸入で繁栄した貿易都市で、繊維会館の上に ヨーロッパで最も高いレンガ建造物の聖母大聖堂。商人パワーで築いた

ドイツのハンザ同盟都市 リューベック、バルト海への要地にあり 自治権を持ち レンガ造りの教会 聖マリア教会を築いた。
ドイツ ケルン大聖堂はゴシック様式の建築物として世界最大で 大きく突き出た2本の塔には圧倒されます。

デンマークのバルト海 バイキングの街にある ロスキレ大聖堂。国王が権威を高めるため キリスト教を受け入れた。

イギリスカンタベリー大聖堂 英国国教会の総本山の大聖堂。
国王の戴冠式やロイヤルウェディングの舞台ともなるウェストミンスター大聖堂は、11世紀に修道院として建てられ、幾度も改築を重ねて世界でも有数のゴシック建築の大伽藍になりました。

奇跡の宮殿 フォンテーヌブロー 王と王妃の“美の館” 

NHK BSP 2021年10月 初回放送
パリから南東60キロの所にフォンテーヌブロー宮殿はフランス1大きい宮殿で、12世紀後半に建てられた狩の館を、フランソワ1世が16世紀にほぼ現在の形に改修しました。「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」として世界遺産に登録されています。

フランソワ1世はイタリアの ルネサンスを目にし レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招いた。「王のギャラリー」に14面のフレスコ画があります。

ルイ16世がマリー・アントワネットにプレゼントした部屋「銀のブドワール」。螺旋階段を上がるとデュプレックス(天井が高いところの部屋)に造らせた中二階があり「王妃が愛した安らぎの部屋」でした。エキゾチックなトルコ風装飾で彩られ 豪華な鏡があった。マザー・オブ・パールと言って真鍮と、真珠貝がはめ込また蓋がある机がありました。
遊戯の間 があり、王妃に招かれた人のみが入れゲームをしたそうです。
トリニティ・チャペルがあり、マリー・アントワネットは毎日神に祈りを捧げたそうです。
その多くの家具はフランス革命時に略奪された。

フォンテーヌブロー城を、皇帝の住居にしようとした皇帝ナポレオンは、数々の改装工事を行い、新たな家具を取り揃えました。「ナポレオン美術館」として残っています。

 最後にナポレオン3世の妃、ウジェニーはスペインの貴族でした。ナポレオン3世が腎臓疾患を患い、政務ができなくなった時ウジェニーが夫の代わりに文章を書いたりしたそうです。フランスとプロイセンの間で戦争が起こり、マリー・アントワネット同じ様に「スペイン女を捕まえろ」と、追われスペインに亡命。夫が亡くなり、息子も不慮の死を遂げ ウジェニーは天涯孤独になって40年後、94歳で亡くなったそうです。