GoogleマップでWeb旅行!風車と堤防のオランダ&ベルギー

NHKBP 世界遺産 時を刻む「堤~水を包み水と生きる」
オランダの風車守の話、北海との仕切りの堤防、住まいに スレスレの水位管理のこと などの備忘メモです。関口知宏の鉄道の旅 追いかけてみました。
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世界遺産 時を刻む「堤~水を包み水と生きる」オランダ アムステルダム

向井理さんが今も現役で働く風車や運河の街 オランダ アムステルダムの「人と水」を旅する。(2012/3放送)

海より低いところにある 牧草地。オランダの正式名称はネールランド 低い土地という意味です。
国土は九州くらいの広さ その1/4が海面より低い。凡そ 1,800キロの海岸線に対し 堤防の総延長 17,500キロにも及ぶ。オランダは堤防によって国土を作り 国土を守ってきた。

堤防によって新たに作られた 干拓地です。水面より低い暮らしを水車が支えてきた。
オランダ南西部 アーランドフェーン風車に行ってみると 200年以上前から 代々続いている風車守がいた。可動式で 羽を風の向きに合わせる、13.5mある風車の羽に帆を張るため登る。
風車は早いときで1分間に20回転以上、250馬力にもなる。風車守はここに寝泊まりし 酪農も行っている。
風車の力で スクリューを回し 水をくみ上げ 水路の水深 -5.5mから -4.5mに引き上げる。
風車 4個で 段階的に引き上げ 海に流す。
住民には自分の土地を流れる水路の清掃が義務づけられている

世界遺産に登録されている ロッテルダム「キンデルダイク=エルスハウトの風車網」18世紀半ばに完成した。1キロ四方に19の水車が並ぶ。

「D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場」 18世紀末登場した 産業革命で生まれた蒸気ポンプ、オランダ全土に拡がった。

首都アムステルダム は水路と橋がたくさん 自転車で移動します。
「アムステルダム、シンゲル運河の17世紀環状運河地域」へ。
アムステルダムには、17世紀、世界一の港湾都市に発展した原動力になったのが「東インド会社」その本拠地がここにあった。商人は香辛料や貴金属の交易で莫大な財をなした。
王侯貴族に支配されない 市民社会の先駆けとなった。
通りがかった340年前の家には フック 滑車の付いていて ソファーを2階に持ち上げるのを手伝った。

アムステル川にダムを築き住み着いた(町の名の由来)。立地の良さから町は発展 港を背に半円形に拡がり17世紀に世界最大の開運都市になり 人口は20万超えた。3つの大運河が輪を描き、それらをつなぐ小運河が網の目のように作られた。

船で町の入り口の水門へ、17世紀と変わらない風景 町並みです。当時はここで川から町に流れ込む水の量を調節しています。
プリンセン運河 高さ85mの西教会が際立つ、18世紀前半の絵と比べて変わらず 荷を積んだ帆船がぎっ知り停泊しています。
ヘーレン運河 黄金のカーブといわれた地区 最も裕福な人が住んでいて その時に築かれた運河や町並みが健在。
アムステルダムの運河の長さ 100キロ以上、橋は1200にも。当時の倉庫が改装されモダンな集合住宅に。
橋が跳ね橋になっている箇所64ヶ所もある。無線で連携をとり合うが昔は走っていたそうだ。ここを通り奥に北欧の木材や 金など奥まで運んだ。
アイセル湖と北海を仕切るため作られた 30Kmの締め切り大堤防 5年がかりで1932年完成、以来内側は海の影響を受けない。展望台のカフェは昔 工事資材の倉庫だった。

船に乗ってみると 運河の水の高さと 住まいとの差はごくわずか、現在はコンピュータ制御で ウオーターフロント センチ単位で制御しているという。

オマーン 世界遺産 「アフラージュ-オマーンの灌漑システム
40キロ先の岩山の地下水を、生活用水や農業用水の供給のために引いた

・中国 都江堰 世界遺産「青城山と都江堰」
岷江の水を2つに分け 一方を成都平原に流し 肥沃で広大な豊かな土地になった。

Photo by Stefan K on Unsplash

世界ふれあい街歩き ちょっとお散歩「緑と運河の安らぎの街 ハーレム(オランダ)」

NHK BSP 初回放送 2017年8月
アムステルダムから電車で約20分のハーレム駅を出ると 地下道で そこには 実にたくさんの自転車がおいてあった。
スパールネ川と運河が発展、交易で栄えた。
跳ね橋があり、女性の 管理者が電話で依頼を受け移動し 橋を上げ下げさせていた。

落ち着いた色あいの町で、聖バーフォ教会 500年前建てられ、ヘンデルスゾーン、ヘンデル、モーツアルトが弾いたと言われるパイプオルガンが残っている。
1778年に設立したオランダ最古の美術館「タイラース美術館
住宅外にも観光用の風車があって 風車守が守ってていた。

世界ふれあい街歩き「芸術と自由を愛して ヘント〜ベルギー〜」

NHK BSP 初回放送 2022年6月28日(撮影時期 2022年3月)

レイエ川スヘルデ川が合流する場所に築かれた街ヘントは、中世、水運交易で栄えた商人の街パリに次ぐ大都市でした。商人が築いた富が豊かな文化をもたらし、芸術の街としても知られています。

トラムの通りから 地元の人でにぎわう花市場や古本市。
レイエ川沿いのギルド(商人が築いた同業者の組合)が中世に築いた 美しい街並み。運河が多く遊覧船が浮かぶ。
ヘントの鐘楼へ。カリヨンの生演奏です。

聖バーフ大聖堂:ある商人の支援を受け制作されたのが、画家ファン・エイク兄弟による名画「神秘の子羊」です。フランドル絵画の傑作で、聖書の登場人物や神の子羊の信徒などが描かれている。祭壇画はちょうつがいで開閉できるようになっている12枚のパネルで構成され、これまでナポレオンを始め、街を侵略した権力者によって略奪と返還が繰り返されてきました。現在1枚不明です。

街の「お花屋さん」
街の「お菓子屋さん」中世の古い建物でお菓子屋さんを営む 5代目の兄と妹。代々受け継がれたレシピを今も大切にしています。

高齢者が集う 市営のカフェ。飾られているのは、ここでボランティアをするおばあさんが描いた絵。
聖ヤコブ教会
フランドル伯居城 内部は博物館になっていて、中世の拷問器具やギロチン台が置かれた拷問室や牢獄を見学することができる

◆グルメ
ワーテルゾーイ:中世から愛されたヘントの郷土料理。クリームシチューに似た料理で、街を流れるレイエ川などで取れる川魚を、煮込んで食べたのが始まりです。

チョコレート:ベルギーの名産。ヘントでは、17世紀にいち早くチョコレートが売られていたと言われています。

ベルギービール:ヘントでは木枠がついた細長いグラスで提供される。グラスを気に入って持ち帰るお客さんがいたため 靴を預けて まとめてつり上げていた。

メッヘレン:ヘントから電車で50分の街に カリヨンの演奏を学べる世界的に有名な学校があります。そこで講師をしているトム・ファン・ピアーさん。11歳で視力を失った盲目のカリヨン奏者です。聖ロンバウツ教会の鐘楼でカリヨンを演奏しているところにお邪魔しました.

関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅 オランダ編

NHK BSP 2015年8月 初回放送
旅のはじめ 有名なマウリッツハイス美術館(ハーグ)を訪ねた。ここにある フェルメールの「真珠の耳飾の少女」「デルフト眺望」を見に世界中から集まってきます。デルフトはフェルメールの生まれた街で、中世から繁栄し その趣が残る街です。ここを旅の出発点としました。
マルクト広場(デルフト) 色とりどりの小ぶりの建物 張りめぐらせた運河 自転車で移動する人達。
絵の中の景色 2つの塔と屋根が残っていました。

1日目 デルフト駅出発 スプリンターと呼ばれる各駅停車の電車に乗り込みます。車内は青い座席 広くて清潔 天井が高い。かつてオランダの植民地だった インドネシアからきた2世のご夫婦と話す。
ハーグ:2階建ての列車に乗る。インターシティと呼ばれる快速列車です。どこまでも平らで 少し走れば水に出会うのがオランダ
ライデン:大学街として知られる古都、幕末来日したシーボルトはこの街で研究をまとめ 世界に紹介した。オランダ最古のライデン大学があり 日本学科もあります。
日本学科の学生が待っていてくれた。全体で350人いるそうで 皆さん 日本語普通に話します。

2日目 ライデンを出発 風車が見える田園地帯を駆け抜けます。
ハウダ:英語読みで「ゴーダチーズ 」として知られる。直売する農家訪ねる。農家のチーズのコンテスト「オランダ・チャンピオン」の看板、若いチーズと古いチーズの味比べ
ロッテルダム:人口 およそ63万人のオランダ第2の都市。北海に通じる港町で 港には巨大な船が出入りする。水先案内人に港を案内してもらい 鉄橋のようなマエスラントの可動堰があり 高潮の時港を守るそうだ。

3日目 ドルドレヒト:近くの 風車の村 キンデルダイク(上に出ていた) には18基 さらに先の小さな村 アウト・アルブラスでは風車に住む夫婦がいた。2階建ての列車は半島を目指す。ローゼンダールを経て
ミデルブルフ:風力発電の風車がずらり並ぶ。東スヘルデ防潮水門 オランダの国土の25%が海水面下ですが、それをまもる堤防の一つです。堤防の上は道路になっている。

4日目 ローゼンダールまで戻り ティルブルフで降り バールレ=ナッサウという街へ、12世紀の貴族の領土争いがもとでベルギーの複雑な飛び地ができました。解決しないままで 地面に 白い×マーク。ベルギーのガソリンが安いと行列に。
アイントホーフェンで乗り換えると 列車が混んできた。南に進む。
ルールモント で降り 南の トルンという街がある。どの家も壁は真っ白で地中海沿岸のよう。かつてのフランスの統治下では、家の窓の大きさをもとに税金を課していました。税金を少しでも抑えるためにレンガで窓を埋めて カモフラージュのために白く塗ったそうで。裏は施されていません。

5日目 ルールモントを出発、ネイメーヘンアルンヘム で列車を2回乗り換えます。今日は33°で暑い。自転車ごと乗れる車両です。
ユトレヒト に、ここで乗り換え ナールデン=バッサム駅に ステンドグラスとシャンデリアが輝いています。
ナールデン:17世紀に作られた星型の要塞の中に作られた街です。要塞は堅固で ナポレオン以外奪えなかった。要塞の別のところに通じている通路があった。

6日目 ナールデン=バッサムから首都 アムステルダム目指す。
アムステルダム中央駅はヨーロッパ各地に繋がります。東京駅と似ていて 姉妹駅になっています。
アムステルダムは地盤が緩んでいて傾いている箇所が少なくない。無数の運河が走っている。
古い船を借りて住まいにしている夫婦。オランダは移民に寛容な国で アムステルダムには多くの国からきている。トルコから来た人が イスラム教のモスクにしました。

7日目 アムステルダムから スローテルデイクプルメルエントで乗り換えます。今日は17° 広大な干拓地が続く。オランダではチャージしたICカードで全国の鉄道に乗れ 国内線はすべて自由席です。
ホールンは港町、運河を伝いスイス バーゼル から来てる人も

8日目 ホールンから チューリップの畑の中 ヘールフゴヴァールト を経てアイリスの花の中を
デン・ヘルダーに ここからフェリーに乗り リゾート地 テッソー(テッセル)島に渡る。豪華な客室で20分
テッセル島は砂浜が広がっていた。堤防の上を羊を追っている牧場主に食事に招かれる。

9日目 テッセル島から デン・ヘルダーに戻り 路線バスで デン・ウフェルまできて昼ご飯。酒の燻製、ニシンの酢漬けを食べる。海を閉め切ったしめきり大堤防(上に出ていた)32kmを渡る高速バス。途中下車して Monument op de Afsluitdijk(モニュメント)で人造のアイセル湖を見る。
アフスライトダイク で路線バスに乗る。ハルリンゲン からは再び列車に
レーワルデンはオランダ語とは別の フリース人という民族が多く住む。左右違う地盤に建て傾いているオルデホーフェの斜塔 Oldehove 超傾いて 何度も修復しようとしたができなかった。フィーエルヤッペン(運河飛び)というスポーツを楽しむ人達

10日目 レーワルデン ラッシュアワーを過ぎると運賃が安くなることがある。
メッペル で乗り換えフローニンゲンへまた乗り換え 最後 24本目の列車で ローデスコール
ローデスコールはオランダ最北端の駅でした。

NHK BSP『世界遺産 空中散歩 飛行船で巡るヨーロッパ5か国』

最新鋭の飛行船で巡るヨーロッパ5か国の世界遺産の旅です。
地上300メートルから撮影された貴重な映像で紹介してくれます。
世界遺産 ベルギー ブリュージュ歴史地区
街中に運河が張りめぐらせたこの街は「水の都」「北のベネチア」「屋根のない美術館」など 数々の異名を誇るベルギーの古都ブルージュ。中世ヨーロッパのかわいらしい街並みで 実は、「ブルージュ歴史地区」の中にはさらにふたつの世界遺産「フランドル地方のベギン会修道院」と「ベルギーとフランスの鐘楼群」の一部がある。
街の中から カリヨン(組み鐘)の響きが聞こえてきます。最上部にカリヨンを持つ塔を鐘楼といい この地域には多く存在します。