GoogleマップでWeb旅行!南米 アンデスの絶景・マチュピチュ

南アメリカ大陸西部を縦断する アンデス山脈は 海のプレートが急に向きを変え南米大陸に衝突して造られた。その力はすさまじく 14色の地層・ウユニ塩湖・巨大な滝・垂直な崖に残る恐竜の足跡・石の森など思いがけないものがある。

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体感!グレートネイチャー SP「アンデス絶景回廊!7500kmをゆく」

NHK BSP 初回放送日: 2022年5月28日
南アメリカ大陸西部を縦断する 世界最長の山脈 アンデス、北のコロンビアから南のチリまで全長 7500キロ、標高6000mを超える 高峰が100以上もある。

ボリビア ラパスのイリマニ山 6000mを越える峰々

標高6000m級の山が 12もある 天空の国 ボリビアで高さを体感します。80万人が暮らす 首都 ラパス、標高4000mを超え 酸素が平地の2/3程。街を一望できる高台から ラパスの街を見下ろすと イリマニ山(標高6439m)が背後にそびえ立つ。
空から撮影すると 峻険な山並み、翼を拡げたような山稜 イリマニ山は「黄金のコンドル」と呼ばれています。衝立のような 山々が延々と続く 赤道直下なのに 山肌は1年中 雪と氷に覆われている。どうしてアンデスは高い山々が連なるようになったのか?

ウマワカ渓谷 カラフルな14色地層!プレートが衝突アンデスが隆起

ボリビアと国境を接する アルゼンチン フフイ州 ウマワカ渓谷 起伏に富んだ山々 しわを刻んだ無数の尾根が延々と続く。尾根の向こうに 標高 3777m ギザギザのいろんな色の丘が見えてきた。赤やピンクなど14色地層からなる オルノカル(標高4350m)。すべて堆積岩色の違いは堆積した時代の環境の違いによる。アンデスが高くなったのは 黄色い地層 浅い海の石灰岩、巻き貝があった。

7000万年前 アンデスは平坦な低地、温暖化で海水面が上昇し 浅い入り江になる。オルノカルは浅い海に サンゴや貝の遺骸が堆積 石灰岩のもとになりました。
4000万年前 海のプレート南アメリカプレートと激しく衝突し 海に沈み込みます。その衝撃でアンデス山脈が隆起。こうしてオルノカルは陸上に姿を現した。

Photo by Roi Dimor on Unsplash

ペルー ワスカラン国立公園 恐竜の足跡が垂直な壁に!激しい地殻変動のため

海底を数千mの高みまで 持ち上げた力 そのパワーをものがたる場所が ペルー中部 ワスカラン国立公園にあります。標高6000mの山頂は氷河で覆われている。その1画 標高4450mの断崖に 垂直の壁に 恐竜の足跡が残っています。

1億2000年前 砂浜に肉食恐竜が残した足跡 そこに砂や泥が積み重なります。さらに時が過ぎ地層が何層も積み重なります。そこに 4000万年前 アンデスを隆起させた地殻変動が起こり 大地は圧縮され 激しくうねり 波打つように褶曲、その力はすさまじく古い地層と新しい地層が上下逆転するほどでした。この結果 大地のあちこちに 亀裂が入って 雨や風によって浸食されていきます。やがて古い地層が剥がれ 恐竜の足跡が垂直の壁となって露出したのです。時に大地を90度も傾けてしまうほどのアンデスの造山運動、そのスピードは海のプレートが引き起こす隆起としては まれに見る早さだったといいます。

リマの国立地球物理研究所 所長によると 大陸に平行するように北に向かっていた海のプレートが 4000万年前 突如 進路を東に変えたため 太地を圧縮する力が強まり アンデスは急激に持ち上げられた。

南の海嶺が消滅 海のプレートが東に向きを変え アンデスが大規模に隆起

地質学者 東京経済大学 新正教授によると 2つの海嶺(高温のマントルが浅いところまで上昇し,マグマが発生し海底火山の活動が盛んな山脈)が関係
1億年前 南アメリカ大陸とアフリカ大陸は陸続き 、南の海嶺は東西に伸び 海のプレートは北寄りにうまく沈みこめなかった。8000万年前頃 拡大していた海嶺が消滅すると 東太平洋海嶺の拡大が影響し 海のプレートの方向が東向きに徐々に変わった。南アメリカ大陸は分裂し 西に移動 正対し 海のプレートは 南アメリカプレートに高速で沈み込むようになり アンデスが大規模に隆起し 大山脈が誕生した。

沈み込んだ海のプレートは地下深くで放出した水により 融点が下がったマントルが溶け 大量のマグマが発生したため 火山活動が活発になりました。
最長の沈み込みで 列状にマグマが発生し 他の場所では見られない 巨大火山地帯となった

大規模隆起が 巨大火山地帯になり 大地震の前触れ チリ

ボリビアに富士山に似た山 3つ連なる、 サハマ山(標高6542m) ポメラペ山(標高62822m) パリナコータ山(標高6542m)。数千万年前から続く火山活動で生じたマグマが地下深くにたまり 大地を持ち上げ さらに噴出物が積もり巨大な火山になりました。

ここ数年 不気味な連続噴火が起きている場所があります。アンデス山脈の南部チリ 2009年~2022年の間に10の火山が連続噴火を起こしている。その1つ 2015年に噴火したカルブコ火山(ボルカン・カルブコ)大量の火山灰が大都市を赤く染め 火山雷が走った。
同じ2015年 ビジャリカ火山(ボルカン・ビジャリカ)が噴火、この火山500年間休むことなく噴火を続けている。

今最も注目されているのは ラスフレ火山帯 1つ噴火すれば25の火山が一斉に噴火する可能性があるという。引き金と目される ラスタリア山(ボルカン・ラスタニア 標高5706m)
火山学者 フェリペ・アギレラ博士によると ラスタリア火山は大量のガスが発生し 危険な兆候を示している。
2009年に噴火した インドネシア クラカタウ火山に匹敵すると予想される。この火山は19世紀に噴火過去1000年で3番目の破壊力を持っていて 爆発音は4800m離れたインド洋まで届き空を覆った火山灰により 地球の気温が1度下がったといわれる。
現地に行ってみると 大量の火山ガスが発生しており 700m続く。火山ガスの温度は224度で 1日860トン逃すが放出している。
マグマだまりの下に超巨大マグマだまり(縦300km 横200km)があり膨張している。これは25の火山につながっている。博士は継続的にガスの量や 硫黄の濃度を測定 数値の変化から 予知につなげたいと考えている。

噴火で絶景誕生 パンパチリの石の森

ペルーで起きた400万年前の噴火では 大量の火山灰が30km先まで高速で流れる巨大火砕流が起きた。その痕跡の残る パンパチリ石の森、東京ドーム13個分の大地に1000以上のとがった石の塔が埋め尽くす。火山から流れ出た噴出物が固まり 硬い溶結凝灰岩になり、冷える過程でできた無数の亀裂が雨や風で浸食され 隙間ができ円錐形になった。
少し離れたところでは真っ赤な石の森、長い間 空気にさらされ 鉄分が酸化したと考えられる。朝日和の空に浮かびに上がる石の森のシルエット、日が昇ると ゆっくり顔を出した太陽に照らされ さらに陽が上がると赤い石ノ森は燎原の火のように燃え上がった。

フェリペ・アギレラ博士ラスタリア山はここ数千年噴火しておらず 超巨大マグマだまりがどんどん成長している。周期は2000年 いつ噴火してもおかしくない、観測を続けていきたい。

絶景の色彩豊かな湖・ウユニ塩湖・豊かな鉱物資源!火山のおかげ

やってきたのは からからに乾燥した 砂漠地帯の大平原 チリ アルティプラノ(カミナ) 周囲をアンデスの山に囲まれ締まった空気が遮られほとんど雨が降りません。標高4200m アルティプラノの西部のナマ村で聞いてみると 色彩の絶景は 昔から人が近づかない場所 近づいた人は帰ってこず 家畜が死んだり鳥が落ちたりする。
案内された場所は 血がに気味でているような不気味さ 川をたどると ラグナ・ロハ「真っ赤な湖」直径は150mほど、周囲には生き物は見えない。ヒ素を大量に含む赤い水でした。
緑と黄色い湖も並んでいた。黄色い湖は 暖かく 温泉が湧き出ていた。火山の噴出物は様々な鉱物を含み 赤は酸化鉄、黄は水酸化鉄、緑は銅など積もっているところを通ってきたと考えられる。

ボリビアで最も人気の観光地 ウユニ塩原 地平線の彼方まで純白の世界 広さは琵琶湖の15倍ほど。12月~3月の雨季には塩湖に雨水が溜まり、アンデスの紺碧の空を映す“自然の鏡”となった光景が広がります。満天の星空が水鏡に映える。
7000万年前まで浅い内海で アンデスの隆起によって 海水が陸に閉じ込められ 干上がって塩ができたといわれてきたが、博士達が行った 1999年のボーリング調査で 深さ220mまでしか進めなかった。
塩原に忽然と現れた島から 塩の源は火山だと考えるようになった。元々湖があり その脇の火山が一斉に噴火 火山の噴出物にナトリウムがあり ガスには塩素が含まれており 雨水に溶け湖に集まり 結びついて塩になり 干上がると莫大な量の塩になった。
ウユニにはリチームが含まれており リチーム電池として使われており 世界の埋蔵量の2割近くが眠っているといわれる。
アンデス各地には 様々な地下資源が眠っている。チリには銅鉱床、ペルーの金・銀など。

チリ 中部 世界で元も高所にある アカタマ砂漠、そこに長さ1.6Kmのタパト氷河 歩くこと5時間 氷河のふもとに 鋭く とがった氷の白いナイフが密集 剣山のようです。乾燥しているので 氷河の氷は溶けずに気化して蒸発。太陽の強い光が氷の中で乱反射を繰り返しこのような形になった。

体感!グレートネイチャー 新発見!七色の大地と沸騰する川 ペルー・アンデス山脈

NHK BSP 初回放送日: 2020年4月
先の「アンデス絶景回廊!7500kmをゆく」と重複する部分カットしました。
インカ文明を生んだアンデス山脈は 急激に隆起してできたため 人が立ち入れない場所が無数にあるため新発見が続くという。

レインボーマウンテン

インカ帝国の都 クスコ は標高3400mの高地に 40万人が住む。
マチュピチュ観光の玄関口で 世界遺産に登録されている古都です。インカ帝国時代やスペイン統治時代の建造物が残っています。
2016年に 地質学者のレネ・アルバロさんが衛星写真を眺めていると、大地の色が一箇所だけ違う場所があったので 友人と見に行って 発見された レインボーマウンテン
クスコから南東におよそ 100キロ 車を降り 大雨 雹の中 3時間の登山で向かいました。途中馬で登る人もいた。絶景ポイントは 標高4856mで 酸素も2/3ほどしかない。12月で夏なのに 到着したときは 真っ白でしたが、待つこと4時間 色鮮やかな縞模様の レインボーマウンテンが現れました。

なぜこれだけの絶景が人の目に触れなかったのか … 昔は一年中雪に覆われていたが 地球温暖化の影響で雪が溶け、山肌が見えるようになった。ドローンで見てみると遥か彼方までカラフルな大地が広がっています。まさに天空のキャンバスに描かれた水彩画!

堆積した環境の違いが色の異なる岩石を作った。6500万年前の南米大陸は、内陸深くまで海が入り込んでいた。レインボーマウンテンは海と陸の境目にあり度々変わった。寒冷化が進み海の水位が下がると川になり そこに堆積した粒子の粗い砂岩は、空気に触れ酸化が進み赤やオレンジに変色。
温暖化が進むと海になり サンゴが堆積し石灰岩となる。海が後退すると湖になる時代もあり粒子の細かい砂が堆積すると緑泥岩に。

2007年世界3位 落差895m コンビージャの滝発見!

ペルー北部の小さな村クイスペルで 「悪魔が棲んでいる!川でかぶれる!悪魔のすみか!」といわれる滝に現地の人に案内してもらう。
薄暗い山道を進むとジャングルの中に 水の音が聞こえてきた。滝の森といわれ 無数の滝がある!
コンビージャの滝が見えてきた。50mの落差で 凄まじい轟音 この音で悪魔の声だと 誰も近づかない!
ドローンで見ると上に50m、150mの滝があり、下にも更にもう一つ、見えるだけで5段の滝でまさに天に昇る龍のよう!
数年前アメリカの探検家がこの滝を見つけ 感動して世界に知らしめ、その後の調査で滝の全長はなんと895mで、世界第3位の大瀑布でした!
南アメリカの西を南北に貫く「アンデス」は太平洋から一気に立ち上っていて 海岸から6000m級の山々までわずか90km!深い谷がモザイク状に刻まれ 複雑怪奇な地形のため 未踏の空間が数多く存在しているのです。

ワスカラン国立公園 熱帯氷河・ターコイズブルーの湖・恐竜の足跡・固有の植物

カラスから100km 標高4000mを越える世界で最も高い国立公園ワスカラン国立公園」に、標高5004m 高さ30m幅200mの氷河があり まるで漆喰の塗り壁のようです。
これが「パストリル氷河」で熱帯氷河と呼ばれている。663もの氷河が国立公園内にあり 世界の熱帯氷河の9割がアンデス山脈に集中している。

氷河の先に姿を現したのはターコイズブルーの美しい湖!氷河湖ラグーナ。 氷河に削られた花崗岩の粒子が溶け込んでいて この粒子に青い光が散乱、青く輝いている。
花崗岩は地中深くあるもので 1億年前 地下10kmにあったマグマが花崗岩になり 地殻変動で5000mまで持ち上げられていた。この花崗岩こそアンデスの大隆起を物語る痕跡だ!

湖から南へ90km 公園を歩くこと1時間 恐竜の足跡がある。(詳しくは前にあります)

ここはアンデス山脈固有の 世界最大の高山植物「プヤ・ライモンディ」は100年近くかけて高さ12mに成長。枯れる間際に花を咲かせる。花粉を媒介するのはハチドリ。
激しい環境の中で植物と動物が支え合って生きている姿がある。

アンデスの隆起はインカ文明も支えていた。谷間を純白に染める3800枚もの塩田(マラスの塩田)
かつて海底が3000mまで隆起し雨水によって地中の塩が流れ出す。

パンパチリの石の森

ペルー南部のパンパチリの石の森(詳しくは前にあります)

クンベマヨ 石の森

ペルーの北部 カハマルカ郊外にある クンベマヨ遺跡、苔むした太い柱のような石の森 東京ドームの27個分の広さがある。浸食されたU字の谷に インカ以前の 文化が築いた。
3000年以上前 つくられた クンベマヨという精巧な水路で長さは9km。今も麓の町まで続いている。
90度に水路を曲げ 勢いよく流れてくる水を一定の速度に落とす高度な土木技術が使われていた。天文学も優れており 夏至と冬至に さそり座とスバルが水路の延長方向に来ることがわかりました。

沸騰する ウカヤリ川

アマゾンの源流域 フカルバの支流のウカヤリ川
「この川に落ちたら命を奪われる・危険な蛇」といわれていたのは 煮えたぎる川のことだった!
川の上流のジャングルの中へは、船で ウカヤリ川を4時間かけて上流へいくと 川の色が茶色から濁った緑の川に変わった。ここは42度で上流はもっと熱くなる。川のいたるところから水蒸気が上がっている。水温は63度になっていた。
先ずはシャーマンに挨拶、祷師シャーマンの修行の場がここ「沸騰する川」です!
「本当に危ないところで気をつけないといけない。足を入れたら火傷をする。ここでは84度だが、96 97度になる。動物や蛇が落ちれば死ぬ。人間だって死ぬ」

熱水が勢いよく湧き上がって 穴があり下から熱いのが大量に湧き出ています。

東京大学で水の分析を依頼、ヘリウムの同位体比からマントルから来たヘリウムだと分かった。
この地域にはアンデス山脈の隆起によってできた亀裂がたくさん残っていて 地殻深部にある高温の水が上昇してくるのです。マントルで熱せられて500度に、それが地表では100度の熱水となって湧き出す驚異の水。この熱い川がズーッと流れているので凄いことです!

未だ未知の不思議が数多く眠っている アンデス山脈。それほどナスカプレートの回転や沈み込みが激しかった地殻変動でした。

世界不思議発見 インカ聖地巡礼アドベンチャー

TBS 2024.3.2 世界不思議発見 で マチュピチュに続いて
世界遺産 クスコ はインカ帝国の都でした。 最盛期北は現在のコロンビアから南はチリまでアンデス山脈一帯を支配していた。町にはインカの高度な石組みが残る。
インカ文明 発祥の地 マウカリャクタ。クスコから南へ60km 標高3500mの天空です。日本ではほとんど知られていない が [マウカ=古い、 リャクタ=町] という意味で インカ帝国で1番古い町とされ クスコと同じく 屋根は茅葺きでできています。勢力が拡がりクスコに首都が移されたという。上空からみると碁盤の目のように計画され、発掘されたのは東京ドーム 1つ分の広さだが 全体の規模は5倍はあるという。型で 焼き物を作っていた。1km離れた所にピューマの丘がある。ピューマはアンデス山脈最強を誇り インカでは地上の神とされたクスコの街の形はピューマの姿を模して造られたと言われる。

標高4100mの山頂にある ウアナカウレ 遺跡から クスコが見下ろせる。この場所でワラチクイ[ワラ=パンツを履かせる]と呼ばれる貴族クラスの成人式が行われていて 今でも毎年9月 再現した祭りが行われる。大人になった証の 様々な難関を乗り越え大人の男だと証明する、できなければ結婚も認められないという。クスコの神殿からここまで20km程若者達が競争していた。

レインボーマウンテン(⬆前にあり) 標高約5,000mにたどり着かなくては見られない 虹色の山。 地層に含まれるミネラル成分が太陽光線に当たり反射する為カラフルに映ります。
マラスの塩田(⬆前にあり) 谷間を純白に染める3800枚もの段々塩田。
ミルプ渓谷 Aguas Turquesas Millpu 標高3000mにあって 段々状の28個の天然プール 長さ500m 透き通ったエメラルドグリーンの水は炭酸カルシウムなどを多く含み長い年月をかけ 石灰棚が作られた。

ハイビジョン特集 古代アンデス“第五の文明” ペルー カラル遺跡

カラル遺跡 石でつくったピタミットの神殿

NHK BSP 2011年01月 初回放送
世界四大文明と同じ時期、南米ペルーで栄えた古代アンデス文明
1000万都市 リマから北に200キロ にあるカラル遺跡は 2009年に世界遺産に登録された。
カラル遺跡紀元前3000年から前1800年のもので、66haの広さに10のピラミッドが建ち、3千人が暮らしていたと見られる。

カラル遺跡は砂漠の中に 石を階段状に積み上げ スーペ川のほとりに ビラミットを建てた。
下の角の部分は大きな石を用い他には小さい石がが使われている。隙間に植物のアシのようなものが見えます。これは「シクラ」と呼ばれる袋状のもので これに小石を入れブロックにして積んだ。
ビラミットの上には 窓のような装飾がある部屋があり 外壁には水をもたらしてくれるの形になるように丸い石を置いた。
この部屋は雨乞いの祈りを捧げるのに使われた部屋で 焦げた跡がある部屋もあり 神々への供え物を燃やし 祈りを捧げる神聖な場所でした。
大ピラミッドからはさらに驚くべきものが見つかりました。20代後半の男性の人骨で 腕が背中の裏で交差された状態で おそらく生贄して捧げたのです。

2010年10月29日から行われている 遺跡発掘記念日、お祭りが行われ ペルー全土からたくさんの人が集まります。宗教儀式が再現され 儀式を執り行うのは 祈祷師シャーマンで 供え物を燃やし祈りを捧げます。
カラルの人々は どんな 宗教を信じ 何に祈りを捧げていたのか 手がかりとなる出土品があります。
2本の木の棒を十字に組み合わせ 綿で作られた糸を巻きつけて菱形にしたものです。
ペルーのアマゾン源流域に住む シピボ族の学校の壁に謎の文様がありました。ここではシャーマンがタバコや幻覚性の植物を使い 自然界の精霊や神々からメッセージを受け取って病気を治したり様々な相談に乗ったりします。
菱形の物体があり 神の眼 で悪魔除けのため シャーマンの頭につけたり 儀礼の前に壁に立て掛けたりします。大いなる自然に宿る神神や精霊の存在を信じています。太地 水 空の神 父なる太陽など すべての神々の眼を象徴している。カラルの人達も同じものを信じていたのでしょう。

神殿の正面に アンフィシアターと呼ばれ大きな円形の広場があります。
いくつもの横笛が見つかりました。13cm位で ユーモラスな コンドルやサル 人の顔が描かれており 動物の骨で作られています。
今もペルーで笛は儀式や祭りの主役です。人は神々への祈りを音楽に託してきたのです。た

ベンタロン遺跡 泥を積んだビラミットの神殿 チャカーナがある

カラルから 北に550 km 海沿いの砂漠地帯にある ベンタロン遺跡です。
2007年 巨大遺跡が発見され 遺跡の大きさはおよそ12ha 全貌は分かってませんが複数の神殿と住居があるとみられています。ベンタロン遺跡は 粘土に強度を持たせるため 草を練り込みブロックを作って積み上げています。カラル遺跡と同時期に栄えたと考えられます。

赤と白の神殿 と呼ばれる建物の奥にが作られ 両側の壁に色鮮やかな壁画が描かれているのが発見されました。壁画の網の中には鹿が描かれています。壁画の右横には炉が設けられ 神々へのささげものを燃やす場所でした。
鹿の壁画の下にさらに古い時代の遺跡が眠っていて が2匹壁に浮き彫りにされています。
おそらく鹿の壁面と同様に豊かな自然を表したかったのでしょう。
文明が始まった頃は 自然の大きな恵みや自然からの贈り物を描くのは 重要なことで 釣りや狩りは彼らにとってとても大切な営みでした。儀式で使われる捧げものは 豊かな自然の恵みへの感謝の気持ちを表すものでした。
大きな巻き貝の貝殻に穴が開けられていて 音を出すための楽器です。
それは数千年後のインカの時代にまで受け継がれていったと考えられています
ベンタロンでは狩猟だけでなく 簡単な農耕も始まっていて それを示す 岩にいくつもの穴が人工的に開けられ 降ってくる雨水を受け止める儀式に使われたものです。
このあたりは雨は1年を通じ僅かしか降りません。貴重な恵みの水でベンタロンの人達は綿や芋類を育てていた。
2009年に見つかった 神殿の横に風変わりな部屋がつくられていた。非常に丁寧な作りで泥が3mも積み上げられ 壁の裏側には青 赤 黄色などの彩色が施されています。この部屋のデザインには重要な意味が込められていました。左右対称な階段状につくられた壁 この形はアンデスの十字架 「チャカーナ」と呼ばれ アンデスのジャーマニズムの宇宙観を表すとされている。チャカーナの4つの方向は 太陽と月 水と太地を意味しました。
またそれらは春夏秋冬を表し 農作をする際のカレンダーの役目を果たしたといわれています。特にインカでは生命のサイクル 死と再生のシンボルでした。そのチャカーナが数千年前の遺跡からも見つかったんです。
アンデスではチャカーナの形は 神々と交信するための世界の中心を表しています。そして 祖先や過去の世界と交信する場でもありました。そのために供え物がささげられた。
チャカーナの太陽を指す北の角 そこでささげ物を燃やし 神々にお願いしたんでしょう。
チャカーナの文様は後の時代の ティワナク遺跡でも見ることができる。

巨大ビラミットは神殿更新が行われていた

カラルの東側にあるギャラリーピラミッド この神殿の階段は ピラミッドが どのように作られたかを知る手がかりを与えてくれます。
上がってみると 階段が隠れているのが分かります。
神殿は、何度も建て替えられていたのです。神殿はある程度 時がすぎると放棄されます。そして石や砂で埋められます。その上にかぶせるようにして一回り 大きな神殿がつくられまでした。
全てのピラミッドで繰り返し行われていました。これは神殿更新と呼ばれています。
宗教儀式を行う神殿を建て替えることで 社会の新たな周期が始まることを示した。
王の墓は 今のところ見つかっていません。
ベンタロン遺跡でも 3回にわたる神殿更新を見ることができます。

戦争の跡はなく 砦や 見張り塔なども見つかっていません。
千年以上にわたって大規模な文明を築き 音楽や祈りに満ちた平和な社会だったようです。
大量のイワシの骨が見つかっています。カラルから25キロほど離れたところに 良好な漁場として知られており ここに 同時代のアスペロ遺跡があり 釣り針や 釣りのために使った道具が見つかっています。

カラルは綿をつくっており アストロの人々と物々交換されていました。アストロでは、綿を使って、網を作りイワシなどの魚をとっていました。カラルの人々は、綿と交換に魚や貝を手に入れていました。
スーペ川沿いには、カラルを はじめ全部で20もの遺跡が見つかっています。そして盛んに交易が行われていたことが分かってきました。

地面に穴を掘り温度変化などの少ない地下に塩漬けにしたイワシなどを保存していました。
鍋を持たず 独特の方法で煮炊きをしていました。遺跡発掘の仕事をしていた人が 今もパチャマンカと呼んでいる食べ物をつくってくれました。穴を掘り 火を焚いて石を温め、石を一度だして、
チンチョと呼ばれる青野菜で味付けした 肉をバナナの皮で包み 穴に入れます。トウモロコシや芋も入れ石を戻し 蓋をして蒸し焼きにします。
およそ一時間半 バナナの葉を開くと、美味しく味付けされた お肉熱々のお肉 パチャマンカ料理出来上がりです。

当時の面影をしのばせるのが、たくさんの土偶で 焼かれていない粘土で作られていました。
新品更新をする際の捧げものとして埋められたものです。

大きな異常気候が続きカラルもベンタロンも砂に埋もれてしまった

天空の謎 マチュピチュ ~21のミステリーを徹底究明!

NHK BSP 2016年12月 初回放送
天空の世界遺産マチュピチュ21の謎を徹底究明。
マチュピチュは15世紀から16世紀にかけて 栄えた インカ帝国の遺跡で、標高2400メートルの断崖絶壁にある。 マチュピチュ山ワイナピチュ山の尾根に作られ まるで天空にあるようで「天空都市」呼ばれるゆえんである。その昔200余りの石造りの建物があり 500人余りが暮らしていた。
マチュピチュは1911年に発見されたばかりで 文字がなかったので 語り継がれてこなかった。

1)いつ、誰が、森に作ったのか?
文字の記録があり 16世紀半ばの土地証明書によると インカ帝国の皇帝「パチャクティ」の命で築いた。昔から トウモロコシから作られた酒「チチャ」をよく飲み、大地の神のご加護があるように 地面に 少しだけ 捧げていた。植物の「コカ」も神への捧げもので、高地ににあるインカの都クスコに比べ マチュピチュの気候は温暖で2つの栽培に適していた。クスコより温暖でジャングルに近く、木材のインチンパなどの資源の宝庫だった。

2)なぜ断崖の地を選んだのか
歩いて1時間で 同じような小さな遺跡 ティカウェルタ があります。見晴らしが良く敵対するチャンカ族などを見張り国を守った。

3)すり鉢のような モライ遺跡があるがこれは何?
段々畑で、「アンデネス」と呼ぶ。マチュピチュの半分の敷地はアンデネスで豊かな作物が育てられていた。

4)水の確保は?
南側にそびえる山の湧き水を わずか3%の勾配で700mの 水路を作り飲み水にしていた。

5)耕作物の水は?
アンデネスに水路は引かれてなかった。高い山を濃く覆うが ジャガイモの葉を潤した。

6)険しい山々?
山を神と考える信仰で 山々に囲まれていることを「神」に囲まれていると考える。祈祷師と山に登り 甘いお菓子 コカを供え 大地の神 山の神へ 豊かな実りを祈願する。

7)なぜ盛んにミイラつくりが行われた?
アンデス地域を訪れたスペイン人は国中いたるところにミイラがあったと記録している。クスコの博物館で実際の様子が分かる。ミイラへ食糧がお供えられ 死者を導く黒犬のミイラもあった。これは死後もその人の人生が続くことを信じてミイラにしてした。現在もペリー最大級の祭り「インティライミ」 で皇帝や貴族のミイラにもしたものを担ぐ。
皇帝は死ぬとミイラにされ宮殿に祀られた。家来達は生前とと変わらず仕える。富や領土もミイラのもので 家来達の生活を続けることができた。新皇帝は自分の力で領地拡大することになり、そのためインカ帝国は短期間の間に爆発的に拡大した。死者と共に生きる。その考えは今も続き 先祖の頭蓋骨を飾るのは当たり前。

8)マチュピチュにどんな人が住んでいたのか?
174体の遺骨があって 人骨から判断して 傷がなく戦争をしてない。男女比2:3。栄養たっぷりのトウモロコシが主食。別の遺跡の人と較べると マチュピチュでは選ばれた人達で 肉体的な仕事を 外の人々に課していた。

9)マチュピチュでは なにが行われていたのか?
高い崖にある「墓」の人骨は東向きで 太陽が昇る方角を見ていた。太陽のように再生すると祈願した 太陽信仰。現在もペリー最大級の祭り「インティライミ」(太陽の祭り)は6月(冬至)に皇帝自身が深閑として太陽に祈る。
マチュピチュでは 冬至トレオンの窓から太陽の光が1直線に射し 床石に美しい4角の光が生まれる。太陽神殿と呼ばれ、この現象いたるところで同時に起こる、3角形の光、水鏡にも、インティワタナ(太陽を繋ぎ止める)にも。マチュピチュにある不思議な建造物の数々は太陽の観測のために作られた。それにより 種まきの時期を皇帝が告げた。

10)マチュピチュ裏の謎の遺跡?
ウルバンバ川をケーブルトロッコで対岸に渡り、厳しい急斜面を昇り 2時間半 インカラカイの石壁に5cmの穴を発見。やはり太陽の光が出ていて これも太陽の観測装置ではないか。

クスコを見下ろす 高台にある サクサイワカンは首都を護る砦だったと考えられる。人の背をしのぐ巨石を使いピッタリ組み合わされている

11)石材の調達はどこから?
マチュピチュはその場自体が 巨大な花崗岩の石切場だった。

12)どうやって石を運んだのか?
8kmも離れた所から砦に運んだ形跡がある。引きずったためにキズや摩耗のある石が放置されていた。4千人が切り出し6千人が歩いて運んだという記録が残っていた。奇妙な運搬方法として 2つの突起のある石を下にして交互に支点として半回転させて移動した。

13)どのようにして石を加工したのか?
隙のない石積み。ハンマーストーン(鉄鉱石などの堅い石)で柔らかな石をたたくだけで加工できる。大きな石・小さな石をつかい分ける。実際に製作してみると2週間以上かけ3個の石組みができた。

14)なぜマチュピチュは400年壊れなかったのか?
農業ゾーンでは雨期の豪雨の水捌けを良くするために 腐葉土・細かい砂・粗い砂・瓦礫の4層にした。瓦礫は石壁の削り滓を利用した。
住居ゾーンでは粘土を硬く固め浸透を抑え、地面にほんの少し傾斜させ 排水していた。

15世紀 インカ帝国の皇帝「パチャクティ」は勢力を拡大し エクアドルやシリア、アルゼンチンの北部に及ぶ巨大国家に成長しました。南北4千キロの国土を海沿い・山沿いのインカ道を軸に結び 張り巡らし、総延長4万キロになった。今観光客に インカ・トレッキングが人気。

15)インカ道を使った 国家運営の戦略とは?
物資輸送・軍隊移動用のインフラ整備。ローマの道より優れていたと言われる石畳。チャスキ(飛脚)が数キロおきに配置され 一日280キロ先まで情報をリレー。

16)文字がないのにどうやって情報伝達した?
「キープ」という綿や動物の毛で作った紐の、結び方と結ぶ位置で数字を表した。人口や税など伝えたと考えられる。キープを読み解く専門家 キープカマヨック がいた。多様化の世界で大事な「数」の情報を押さえていた。

17)変形頭蓋骨の秘密
縦に長い、横に長い頭蓋骨。成長過程において強引に頭蓋変形し 身分や地位の区別に用いられた。
南部高地のチチカカ湖 付近で ティワナク文化(6~12世紀)が栄え 長頭タイプで石造技術を得意とした。横長タイプの多い 北部海岸 チムー王国(10~15世紀)は 金属加工や商業を得意とした。マチュピチュは両方取り入れた。

18)インカは多用な民族をどうやってまとめたのか?
新たな地域を征服して拡げていったインカ帝国には様々な民族がいた。まとめるための1つが コルカ(倉庫)を高い場所においていた。 ここは3~4℃で貯蔵でき 庶民達が困窮の時には分け与え 飢えをしのいだ。征服するとき まずは交渉で多くの贈り物をする。宗教でも太陽神を受け入れられれば他の神を許した。インカ帝国は寛容な政策を用いた。冬至に行うことで 皇帝の権威で太陽の力が強まり恩恵を受けるように感じさせる巧みな人心掌握を用い 最盛時は人口1千万人にもなった。

19)なぜ滅亡したのか?
ヨーロッパは大航海時代になって、黄金郷の金を狙って スペインのフランシスコ・ピサロが15832年に170人の兵で征服。インカ皇帝は捕らえられ 処刑され インカ帝国が滅亡した。強力な銃や伝染病が原因とされたが。「ワカ」と呼ばれる背中の曲がったもの、指が6本のもの、斜視のもの などを 神聖視しており、西洋人を「ワカ」と思ったかもしれない。

20)マチュピチュはなぜ破壊されなかったのか?
征服されたインカ帝国では石造り建造物が破壊され、教会に次々と置き換えられ、キリスト教に改宗させられた。しかし、山にあるマチュピチュには及ばなかった。スペインに生産物を送る役割の征服者達は 海岸線に移動し 農業、製造業など行った。

21)新発見 マチュピチュのあらたな 可能性
多様性の素晴らしさ。その鏡。神聖な力を感じるところ。見方一つで代わる多様性。
マチュピチュ遺跡から100m離れた「パチャママ」地域であらたな岩絵を発見。「人間とリャマと幾何学模様」と考えられる。顔料から マチュピチュ以前のものと分かった。未知の遺跡がまだまだ残っており 謎が潜んでいる。

桐谷健太 ギアナ高地に挑む「謎の巨大洞窟編」南米 ベネズエラ

NHK BSP 2017.5 初回OA
南米 ベネズエラ ギアナ高地に 高さ1000mを越える数々のテーブルマウンテンが見えてきた。現れたのは 巨大の滝 エンジェルフォール 世界最大の落差979mある。ギアナとは先住民の言葉で「豊かな水」という意味。
内陸部にある 黄金の川、岩に石英が含まれ 硬くて浸食されにくい珪岩だが硫化鉄が混ざると黄金色に発色する。
カナイマの南部 チマンタ・マシフのテーブルマウンテン 亀裂が幾重にも入っている断崖の下に5キロにも及ぶ洞窟に調査団の人と入る。中は珪岩なのに何らかの理由で浸食された。
ゴロゴロした岩の上を中に 体育館のようなスペース 4mの滝があり その脇はミルフィーユのような地層。この中の浸食されやすい地層が空洞になったのでは。
壁にマッシュルームのようなものに 微生物が見つかった。微生物のバクテリアの排出物が酸性で 徐々に珪岩を破壊し天井が崩れていったのではないか。黄金色の大きな湖があり 大きすぎ進めず引き返した。