GoogleマップでWeb旅行! メキシコ 銀の道 アステカとマヤ文明とカリブのパナマ・ドミニカ・キューバ

16世紀 スペインはメキシコにやってきて アステカ帝国を滅ぼし植民地化し 銀を産出した。
銀を鋳造銀貨を作った。銀貨は世界共通通貨で メキシコに銀は残らずスペイン王国を数百年支えた。
先住民にカトリック教会を作り 褐色の聖母を崇拝させ 鉱山で酷使した。
そのアステカの伝統が残る「死者の日」。
マヤ文明は メキシコからホンジュラスにかけ栄えた文明で四大王国 ティカル、コパン、パレンケ、カラクムルがあったが1000年前に滅び今はピラミットがジャングルから頭だけ出している。

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時を刻む ★ 銀~シルバーラッシュの光と影~

NHK BSP 世界遺産 時を刻む「銀~シルバーラッシュの光と影~」初回OA 2012.3

メキシコシティから延びる世界遺産 銀の道 エル・カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ
16世紀に築かれた道にはシルバーラッシュに伴う栄華と悲劇が刻まれている。

16世紀 スペインはメキシコにやってきて アステカ帝国を滅ぼし植民地化した。
ブッファの丘 のふもとにある サカテカス ここは世界遺産「サカテカス歴史地区」されている。
サカテカスで 銀の鉱脈を発見した スペインの下級貴族が 鉱山を開いた。
スペイン風の 多くの富を得た鉱山主の大邸宅、大聖堂が残っている。

スペインにある 壮大な 世界遺産 セビリア大聖堂 は銀から得た莫大な利益で建てられた。

2011年 銀の産出量 メキシコは世界第1位 サカテカスは世界の1割を産出している。

サカテカス エデン銀山 現在は一部観光用に公開されている。
かつては 数千 数万の先住民を働かせ、 8才で炭鉱に入り 手掘りで作業 20才まで生きられないほどだった。坑道も縦穴で500mもあったり ほぼ垂直の所もあり 1日に数人命を落とすこともあった。

今も ダイナマイトを爆破させ 1回で40トン 鉄鉱石を採掘、銀は1tにつき 150gとれる。
銀山で働く人々は 過酷な労働を強いられている。夫を鉱山事故で亡くした女性、その子供達も他に仕事がなく 安い給与で じん肺になりがら働いている。

銀は精錬所で延べ棒にして 30日かけ 馬車で送られた。途中から他の鉱山も加わりメキシコシティ の王宮まで延びる「銀の道」世界遺産「エル・カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ」
後に アメリカのテキサスまで伸び 延長2560キロになった。
今は国道などになったが 一部 昔のままの石畳の道が残っている。途中の壁画に 先住民と戦った絵が残っている。

その先住民は チチメカ族。スペイン人に敗れた チチメカ族は 送る銀をたびたに襲った。その対策にスペイン人は チチメカ村をつくり、カトリック教会を作った。
日曜日のミサは 大勢集まり オルガンの代わりにギターを使って賑やかに歌う。
宣教師は先住民の言葉で布教を勧めた。褐色の肌のグアダルーペの聖母 が先住民の前に現れ、メキシコの民衆が最も敬愛するようになる。
宣教師の役割は 洗礼を行いカトリックの信者にして、聖書を読み聞かせスペイン語を覚えさせ、農業を指導し 村を自給自足にっせる、銀鉱山の仕事に就かせること。結果的には 鉱山で酷使させることになった。
かつて鉱山で働いたことがある人がいた。鉱石現場から鉱石を運ぶことで 危険なことだった。
その鉱山は当時 5000人も働いており アシェンンダと呼ばれ 中に 学校や教会 病院もあった。銀を取り出す炉もあった。今は廃墟になっている。

メキシコシティ 今は2000万人を越える中南米最大級の都市。スペイン副王が治めていた。
王宮(国立宮殿)に運ばれた銀は鋳造され 銀貨を作った。銀貨は世界共通通貨だった。
メキシコに銀は残らず、スペイン王国を数百年支えた。

グアダルーペ寺院は 「褐色の聖母」として知られる「聖母グアダルーペ」に多く信者が祈る。ひざまずいて進む 不思議な礼拝する人もいる。

●日本の石見銀山 世界遺産:一時は世界の1/3を産出したことも。灰吹法で銀を抽出した。戦国武将が争い最後に徳川家康が制し 南蛮貿易に使われた。

●ボリビア ポトシ銀山 世界遺産:スペインの植民地で 銀の採掘に多くの先住民が強制的に集められ 黒人奴隷と合わせて約800万人が犠牲になったといわれています。コカの葉を抱え香に

Photo by Alejandro Barba on Unsplash

世界遺産

メキシコ レビジャヒヘド諸島

メキシコ レビジャヒヘド諸島:カリフォルニア半島の先 390キロの太平洋上に浮かぶ 4つの島。
サンベネディクト島は火山島で 植物は見られない。
「メキシコのガラパゴス」とも呼ばれ ハンマーヘッドシャーク、ジンベイザメなど見られる。

ドミニカ島 「モルヌ・トロワ・ピトン国立公園」

・カリブ海の島 ドミニカ国 ドミニカ島 「モルヌ・トロワ・ピトン国立公園」
3つの嶺を持つ山、火山でできた湖 ボイリング レイク(沸騰湖)がある。

ココロの舞踊劇の伝統(ドミニカ)

無形文化遺産「ココロの舞踊劇の伝統」はイギリスのカリブ海の砂糖プランテーション奴隷の子孫の間で発展した伝統はココロと呼ばれている。

パナマ 「コイバ国立公園とその海洋特別保護地域」

パナマ コイバ島 「コイバ国立公園とその海洋特別保護地域」(パーク・ナシオナル・デ・アイラ・コイバ)
地殻変動で島が取り残された。コイバホエザル コイバアカオカマドドリなど、固有の亜種の宝庫になっています。

メキシコ 「古代都市テオティワカン」

メキシコの標高2000mを超える高原にある古代都市テオティワカン。広さ20㎢もあり 最盛期には10万人が暮らしたという大都市だ。紀元前1世紀から6世紀まで栄えた。
13世紀、廃墟と化していた遺跡をアステカ人が見つけ、テオティワカン(神々の集う場所)と命名。

太陽のピラミッドは 高さ65m 底辺223mもあり、月のピラミッドから 南へ伸びる 死者の大通りは 幅45m 長さ4kmあり 両脇に階段があり、階段の上に整然と建物が並ぶ。
南の端 城塞とよばれる広場にある 羽毛の生えた蛇神殿から 判ったのは建物の長さの基本単位 83cm、あらゆるものがその倍数でした。基準の単位を決めて作られた計画都市でした。

100年以上前から発掘も盛んに行われてきたが、「王の墓」が見つかっていない。しかし近年、王に迫る証拠が続けて発見されている。

壁じゅうに奇妙な顔の彫刻がある 羽毛の生えた蛇神殿がそびえていて その地下から137体もの生贄の遺体が見つかった。また近年、長さ103mもの地下トンネルが発見された。
地下トンネルからなんと13万点もの出土品があった。神に捧げていた 花束も残っていた。

海で採れる白い大きなマキ貝がいくつも。表面には絵が彫られていた。それは1000kmも離れたマヤの物だった。日本人考古学者の杉山三郎さんが発掘したのが、色鮮やかなマヤの絵柄の「壁画」でここで描かれたものでした。それは国と国との国際交流があった証しだった。

古代マヤ大発掘

NHK BSP 2022年5月3日
マヤ文明は メキシコからホンジュラスにかけ栄えた文明。
一番栄えたといわれる マヤ低地といわれる地域。ジャングルに覆われた 大きな神殿 四大王国の1つティカル。今から1000年以上前に突如文明は衰退、都市はジャングルへと埋もれていった。
鉄器を使わずに巨大な石造りの神殿を建造し、太陽の動きに合わせて建物を配置するなど高度な技術力を有していた。
歴代の王は増築しながら高く積み上げていった。
ティカルを一望できる 70mの神殿から眺めると ジャングルから突き出ている広場の神殿群。
神殿の周りには 多くの人が住み 12万人もの大都市。紀元前4世紀から9世紀 マヤ古典期といわれた時代 マヤには60~70カ国の国がひしめき 四大王国 ティカル、コパン、パレンケ、カラクムルが絶大な影響を与えていた。
ホンジュラス コパン遺跡に 金沢大 中村教授による大発掘調査が始まった。鍵は、王とともに埋葬された可能性があるヒスイのマスクにあるという。14代目の王墓が見つかれば コパン消滅の謎が分かると思われるが 調査は継続中である。

はるかなる古代文明 マヤ 生命はめぐり神は降臨する

NHK BS 2024年3月16日放送
■パレンケ遺跡の神殿で発見された「赤の女王」ヒスイや孔雀石など 頭飾りや胸飾りで着飾った姿は石彫に描かれる王族の姿と似ている。「赤の女王」の夫であるパカル王の下で7世紀ごろに最盛期を迎えた。水洗トイレも作られ 用排水路も備えられていた。
■アグアダ・フェニックス遺跡:近年レーザー技術でマヤ文明発祥の地とされるマヤ低地にあって 最古かつ最大の構造物が発見された。米アリゾナ大学の猪俣さんによると 南北1400メートル、東西400メートルにわたって広がる土の基壇(上に建物を建てるための基礎部分)は 今から3000年前に造られたもの。おそらく共同の祭祀場で 多くの人々が集まった場所で ヒスイでできた人型・ワニなどを台地中央に祀った。太陽を観測 暦を作っていた。
■エル・パルマール遺跡から マヤ文字が刻まれた石碑が数多く見つかっている。マヤ文字とは碑や土器などに記された絵のようにも見える複雑な形をした文字で 4万~5万あると考えられているが解読されているのは全体の7割ほど。カリフォルニア大学の塚本さんはマヤ文字を解読するエキスパート。石灰岩で造られた巨大な石碑に 刻まれたマヤ文字は長い年月を経て浸食が進み解読困難でしたが、近年3次元測量の技術で文字の解読が飛躍的に進んだ。マヤの社会は王の絶対的権力によって支配されていたと考えられてきたが、外交官のような人がいて 神殿を持っていた。土器に描かれたマヤ文字で誰が誰に送ったなど分かってきた。いくつもの都市国家があったマヤ、文字によってで情報が共有され 複雑なものへと進化していった。
石碑には パレンケ王朝の歴史も記され、敵国の兵士(王族や貴族)を6人捕まえ 装飾品をはぎ 髪を切って 国を奪った様子があった。また南に60Kmのトニタに敗れたと記されていた。王国同士が国盗りを行っていてやがて衰退した。
■サン・クラウディオ遺跡(パレンケの東100km)の中にある湖の地層を立命館大学の研究者が採取 シマシマ(1年の内乾期と雨期)の年溝から 極端な天候不順が15年も続いたことや 窒素の含有量(人間の排泄物)が少なくなったことで 衰退していったことが判る。
■チチェン・イッツァ遺跡(世界遺産 ⬇にもあり)はパレンケから600kmのユカタン半島にある。ここにマヤ文明が移ってきたと考えられる。中央に聳えるカスティージョは高さ約24m、9層からなる壮大なピラミッドで 4面に配された各91の階段に最上部の神殿を加えると階段の総数は 365となり1年を表すマヤの暦となります。ククルカンとは羽を持つ蛇の姿をした農耕の神。「春分の日」と「秋分の日」の前後 太陽が沈むと、ピラミッドの階段上に蛇の胴体のようなジグザグとした影とピラミッドの下にあるククルカンの頭があわさり、ククルカンが姿を現す。
優れた天文学や数学の知識、暦の技術や芸術で繁栄したマヤ文明だったが、800年ごろからパレンケなどの主要都市が放棄され 衰退に向かっていった。だが 現在でも800万人といわれる マヤの人々が住んでいます。決して滅びた文明ではなく 現代にまで続いている。

「ベリーズのバリアリーフ保護区」〜 絶景!カリブ海の楽園 ベリーズ

TBS 世界遺産 2022年7月10日放送
カリブ海の小国ベリーズバリアリーフ保護区だ。およそ250kmに渡って様々な形のサンゴ礁が連なる。世界で2番目の大きさで、北半球では最大のサンゴ礁地帯で 光が降り注ぐ浅瀬の海は生き物の楽園だ。
ライトハウス・リーフには その中に真っ青な丸い 直径は300mもの ブルーホールがある 。穴の縁はサンゴ礁になっている。水が深い青色をしているのは 水深が深いからで 125mもある。海上にあるサンゴの死骸などでできた石灰岩層の陸地が地下水などに浸食されて陥没し、その後 海面上昇で陸地が海の中に沈んだことでできたとされる。
ベリーズのサンゴ礁地帯には大小さまざま、450に及ぶ島が浮かんでいる。どれもがサンゴの砂の美しいビーチ。

「シアンカアン」メキシコのユカタン半島

ベリーズの北、メキシコユカタン半島 「ブルーホール」と同じ成り立ちの「セノーテ」という泉が陸地にある。シアンカアンは東京都の2.5倍もの広さを誇る広大な自然保護区。カリブ海に面し、ビーチや浅瀬のラグーン、湿地などさまざまな表情を見せる。内陸にはセノーテが点在し その数3000ともいわれる。セノーテに潜ってみると 巨大な水中洞窟で 他のセノーテに繋がっていた。

世界遺産 メキシコ 「古代都市チチェン・イッツァ」

最も有名なのは町の中心にある「ククルカンのピラミッド El Castillo」。
古代マヤ文明は、星や太陽の動きを詳細に観測して 暦を読んでいた。太陽が真上を通過するの年に2日で、近くのセノーテの真上を太陽が通ると、垂直に立つ光の柱が内部に現れました。

世界ふしぎ発見★メキシコの源流 アステカ王国

TBS 2022年12月10日放送

「死者の日」始まりは かつての アステカ王国

メキシコの首都メキシコシティーで 死者を迎えるために 街がカラフルに彩られ 10月末から開催される「死者の日」、ド派手なドクロの仮面やメークで亡くなった人の魂を偲ぶ。コロナの影響で縮小されていたパレード 3年ぶりに 今年は完全復活し 40万人が集まった。
「死者の日」が一躍有名になったのは 2017年に公開された ディズニー映画「リメンバー・ミー」に
描かれた 祭りのシンボルはドクロ。その始まりは かつて この地で栄えた アステカ王国

アステカは14世紀前半にメキシコ中央部に現れ わずか100年で繁栄を極めた古代文明。
その後スペインに征服されるまで 独自の文明を育んだ。
「死者の日」とアステカの関係を示す 本物の頭蓋骨 800個でつくられた スカルタワーが発見された。
アステカ時代の古い伝統の残る村 ミスキックで死者の日を過ごします。
ダビさん一家におじゃましました。一家には8歳で亡くなった子供がいました。自宅はあらゆるものが飾ってあって 亡くなった人達に「楽しみに待っているよ」と伝えます。祭壇にはもてなすために故人の好きな物を並べます。欠かせない 骨の形が装飾されたパンを60個手に入れました。
10月31日は子どもの霊が、11月1日は大人の霊が帰ってくる日、11月2日には霊達があの世に戻るとされています。
大量のフルーツと白い花をを購入しました。白い花は飾らずに ちぎって 祭壇からまき始めます。道に迷わないよう 子どもの霊を家の中に導くためです。メキシコでは死者もあの世で生活していると考え 新鮮なフルーツやパン 菓子を供える。
大人の霊のために黄色いマリーゴールドを道標にまく。マリーゴールドはメキシコ原産でアステカ人が栽培化した。マリーゴールドは太陽白い花は月を意味している。アステカ人は太陽や月を大事にしていた。
祭壇にある気になった サトウキビにドーナツを刺したものは、アステカ人が本物の頭蓋骨をやりに刺して神に奉納していた名残。
11月2日には霊達があの世に戻るとされ、お墓は「リメンバー・ミー」の世界観に浸ろうという人がぎっしりで身動きとれません。お墓を花いっぱいに飾り ロウソクの火を絶やさないよう見守り 楽しく過ごします。

神殿の遺跡 テンプロ・マヨールに生け贄のドクロの塔

メキシコを含むメソアメリカでは 密林奥で繁栄したマヤや 巨大なピラミット群を築いたテオティワカンなどいくつもの古代文明が栄えてきた。
中でもアステカは最後に誕生した文明で 現在のメキシコに大きな影響を与えている。アステカを象徴するものが メキシコシティーにある メトロポリタン大聖堂。16世紀 アステカを滅亡に追い込んだスペイン人によって建てられた。その地下にドクロを愛するメキシコ人の秘密を知るカギがある。歴代の司教が眠る部屋 中央にはスペインから来た初代司教が横たわっている眠っている。棺の下にあるドクロは アステカ時代ここにあった神殿のレリーフだった。
アステカでは死の象徴として ドクロを象った彫刻がいくつも作られていた。
スペイン人はアステカ人を自分たちの文化と融合させるために 神殿などに使った神聖なドクロを取り付けた。
アステカ王国は 最盛期20万人が住む大都市で テノチティトランといっていた。スペイン人は町を破壊し その上にメキシコシティーを建設した。現在のメキシコシティーのど真ん中にアステカ時代の神殿の遺跡 テンプロ・マヨールがある。当時高さ45mもある大神殿が建っていて 最上部では神に生け贄を捧げる儀式が行われていたと伝えられる。近年その伝説が事実であったということを示す 本物の頭蓋骨 800個でつくられた スカルタワーが発掘された。まるでレンガのように 石灰のつなぎで頭蓋骨を積み上げていた。そばには柱があり頭蓋骨でできた 巨大な構造物があったと推定されて一る。
アステカ人は太陽月など自然のあらゆる物を神として崇め、その神々が衰え死滅し 世界が滅びるのを防ぐために人間の血を捧げ活性化させる必要があると信じていた。
その世界観はレリーフ太陽の石に示される。中央には神 活性化させる物として両手に心臓が握られている。彼らは日常的に生け贄の儀式を行っていたため 近隣の国と協定を結び 生け贄の獲得のみを目的とした戦争を行っていた。
アステカでは生け贄を決めるためにウラマというスポーツ、肘や腰を使ってボールをはじき 壁に取り付けた輪に通して得点を競い敗者が生け贄になることがあった。生け贄は敬意を持ってもてなされた。
その頭蓋骨は宝物として扱われ神殿の近くに祀られた。
メキシコの先住民とキリスト教の文化の融合を象徴するものとして、2008年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。
雨乞いの儀式の時 2つ以上のつむじを持つ人が生け贄に選ばれた。

アステカの始まりの地

かつて メキシコ中心部には巨大な湖があって テノチティトランはそこに浮かぶ水上都市だった。
アステカ人は元々ここに住んでいたわけでなく 神のお告げでたどり着いた。

伝説の地は 湖の中のメスカルティタンという水上都市 現在800人が暮らす小さな島。実は1週間前 巨大ハリーケーンが発生し大損害を受けていた。
アステカのゆりかごとも呼ばれ 始まりの地だった。漁業が盛んで 10月の満月には 網で一夜に1トンもエビが捕れるそうだ。古代のレリーフにもエビが刻まれている。
島には 方角ぴったりに東西南北に延びる道があり テノチティトランも同じ構造でした。
道を基準に 太陽の昇る位置を計測、天体の動きを基に暦を作り農耕や神事のスケジュールを決めていた。
「サボテンの上に蛇をくわえた鷲がいる場所」と神からお告げを受け 200年間流浪の旅を続け たどり着いた場所こそ現在のメキシコシティー。この予言を図案にしたのが現在のメキシコ国旗である。

世界遺産 時を刻む ★選 メキシコ 神の恵み7000年の味 料理

NHK BSP 初回OA 2013.1
「メキシコの伝統食文化」は マヤ・アステカ文明に始まる歴史と独自の調理法が評価され 2010年 世界無形文化遺産に選ばれた。
メキシコは野菜の原産国で 唐辛子は30種以上、サボテン、トウモロコシ、トマトなどが市場に並ぶ。
世界の料理の無形文化遺産、他に「フランスの美食文化」 ベルサイユ宮殿の豪華な宮廷料理、「地中海の食文化」オリーブ・ワイン・チーズ・豊かな野菜 栄養バランスが評価された。日本の「和食」も登録されたようです。

ミチョアカン州 サン・アンドレス村で先住民族の暮らしを見せてもらった。
朝と夜は軽く 昼食をメインとしている。お母さんが 水につけたトウモロコシ火山岩でできたメタテ(石臼)を使い 3期間かけ すりつぶし トルティーヤを毎日焼く。お嫁さんも教わりながら トマトとすりつぶしたトウガラシで作ったサルサソースを使って 小魚をトウモロコシの葉で包み蒸したものや 辛みの効いた牛肉スープで農作業から戻った男達と昼食2時間かけ楽しむ。
7000年前の遺跡から出土したメタテにトウモロコシが付着していた。アステカ文明のころの農業の女神像 手にトウモロコシを持っている。
中南米が原産とされるトウモロコシは 500以上の品種がある。トウモロコシはインゲン豆と植えるとバクテリアが窒素を取り込んでくれ 肥料いらずの作物です。
ヨーロッパに渡って主食として食べられたが ビタミン不足でペラグラ病が多く発生した。
先住民族は下ごしらえに石灰を入れ ナイアシンが吸収されやすくしていた。
製粉は重労働で 残された女性の骨からもわかる。

ミチョアカン州 ツルムタロムラ村 伝統料理のレストラン 都会からわざわざやってくるほどの人気店。厨房で働くのは村のお母さん達。手の込んだ家庭料理の 唐辛子のチーズ詰め、豚肉の唐辛子ソース煮など。先住民が多いこの地区では末娘が結婚せずに親の面倒を見るしきたりがあった。その中の一人は両親が離婚し祖父母に育てられ 皆勉強して結婚する中 孤独で悲しかったが おばあさんから多くのレシピを教わったと言います。 祖父母を看取ってから結婚し娘も授かり 料理に楽しみを見いだした。小さなレストランを作るのが夢だそうです。
メキシコにはスペイン人が牛や豚を持ち込む前は イナゴ、アリの卵などの昆虫料理を食べていた。
アステカ帝国の時代皇帝は昆虫や魚など 毎日150種も美食を楽しんだ。
「死者の日」メキシコシティーから 南に 40km サン・ペドロ・アトクパン およそ9000人が暮らす。
高台にある教会
スペインとメキシコの文化が合わ去り生まれたモーレ料理。モーレ料理を出すレストランでは 24種類の材料を使い 4割は唐辛子 粘り、赤い色味、辛み、深みなど役割がある。スペインのシナモンなど香辛料とメキシコの唐辛子 ピーナツ カカオを混ぜで作ったソース。主品はなんであれ ソースをかければモーレ料理です。
世界遺産「プエプラ歴史地区」 植民地になったメキシコでは 元植民都市プエプラにある サンタ・ロサ修道院で修道女がスペインから来た大司教をもてなすために 初めてモーレ料理がつくられたと言います。

世界遺産 時を刻む ★ 選 キューバ よみがえる魂の街 再生

NHK BSP 初回OA 2013.2
カリブの真珠 と呼ばれるキューバの首都 ハバナ およそ210万人が暮らす。世界遺産「ハバナ旧市街とその要塞群」の旧市街には スペイン植民地時代の優雅な建物が建ち並んでいるが 激しい老朽化が問題になっている。1950年代の車が現役で走っている。キューバ革命後 経済制裁で 新車の輸入がストップ、エンジンを取り替えたりして大事に乗った。それが観光にも一役買っている。あちこちで目にする看板やポスター 大国からの支配からの解放を成し遂げた 社会主義革命の精神が謳われている。
一方経済的な自立と外貨獲得を目指すキューバは観光にも力を入れ、ハバナを代表する観光名所 トロピカーナでは、ショーを彩る選りすぐりのダンサー達 みんな国家公務員で800人が入れる野外劇場には連日海外からの観光客が押し寄せる。

キューバは東西の長さが1200キロほどキューバ島を主な国土とした島国。面積は約11万平方キロなので本州の半分程度。アメリカのフロリダ半島とは150キロほどしか離れていない。
2021年時点の人口は約1126万人。公用語はスペイン語で、全住民の約60%がスペイン系白人と黒人が混血した「ムラトー」と言われている。
1492年にクリストファー・コロンブスが「発見」して以降、スペインの植民地となった。苛酷な強制労働とスペイン人が持ち込んだ病気のために 先住民は急激に人口を減らし 労働力としてアフリカから黒人奴隷が導入された。
キューバは1902年にスペインから悲願の独立を達成したが、それはアメリカの保護国としてだった。キューバ南東部にあるグアンタナモは、現在に至るまでアメリカ海軍の基地として租借されている。
莫大なアメリカ資本の投下によって鉄道と道路が建設され、キューバ経済の中心であったサトウキビの生産が拡大し、砂糖モノカルチャー(単一栽培)でアメリカ市場に依存し 貧富の格差の大きい社会となっていた。
第二次大戦後も親米政策をとり、アメリカからの援助をうけつつ独裁体制の強化を図っていた。これに対してフィデル・カストロらが中心になって 1959年キューバ革命を起こした。当初はアメリカと友好的な関係を求めていたが、農地改革の過程でキューバの大半を占めていたアメリカ系企業の土地を接収したため激しく対立。アメリカはキューバの主要産業である砂糖の輸入を停止した。
当時は米ソ冷戦のさなかでソ連は砂糖の買い付けなど経済協力を申し出た。キューバが急速にソ連に接近したため 1961年にアメリカは国交断絶を通告 経済制裁を行った。フィデル・カストロは社会主義革命を宣言し キューバは共産党による一党独裁体制となった。こうした緊張関係の中で起きた事件が「キューバ危機」だ。アメリカとソ連の両国が対決寸前にまでいき、核戦争の瀬戸際となった。ソ連のフルシチョフ首相からの申入れで交渉が行われ アメリカがキューバへ侵攻しないことを条件に、ソ連がミサイルを撤去することに同意し この危機は回避された。
キューバの砂糖は国際価格より高い値段でソ連が買い入れ 同時に原油をソ連が国際価格より安くキューバに売り渡すなど ソ連の事実上の衛星国だったが 1991年のソ連崩壊でバックを失った。
社会主義体制を保持しながらも 経済の自由化政策によって経済活動の一部に外国資本を導入し、私有企業を認めるなど改革を進めている。2015年7月、54年ぶりにアメリカと国交を回復。

革命博物館(旧スペイン総督官邸・旧大統領官邸・旧市役所)スペイン統治時代の面影あるコロニアル調の建物で レンガがスペイン、大理石がイタリアから運ばれたと言われ、 中庭で飼われた孔雀が栄華を象徴しています。

●カテドラル広場 バロック様式の18世紀につくられたカトリックの大聖堂があり スペイン支配の象徴だった。

ハバナ歴史館事務所では調査し 専門のプロジェクトを作って建物を修復し街の再生をはかってきた。
経済制裁が続いて 荒れ果てた世界遺産の旧市街、ビエハ広場には修復した建物が並んでいます。その1つは6年をかけ修復し レストランになっている。
修復の職業訓練校をつくり 多くの若者が2年間学び基礎的なことを学び 卒業生は 建物の再生に役立っている。
貴族の屋敷を再生し ホテルに、18世紀と同じ材料や 技法が用いられている。

訓練学校に通う若者を追いかけてみると、配給所でパンを家に持ち帰る。砂糖や卵も配給される。
修道院の馬車の倉庫を改修したアパートに住んでいた。内部は天井が高いので 1階2階に分け バルバコアというつくりになっている。外側は景観を維持している。 まだまだ食料も 都市ガスも 資材も乏しい。
ハバナの男性は散髪を週に1度するほど オシャレ好きです。

いくつかの建物を修復 観光客を呼び 外貨を稼ぎ それを建物を修復に廻す。
個人の経済活動が許され 若者の就職活動を支援する動きが出てきた。

●ハバナはアメリカのノーベル賞作家 アーネスト・ヘミングウェイ が愛したといわれる町。彼も通い詰めたというバーがある。
●サンフランシスコ・デ・アシス修道院 修復しコンサートホールに生まれ変わった。
●アルマス広場 オールド・ハバナの中心となる石畳の広場。スペイン人により街が作られ セイバの木の下で 最初に儀式が行われ 今も続いている。

●世界自然遺産「グランマ号上陸記念国立公園」
1956年にフィデル・カストロらが「グランマ号」でやってきて キューバに上陸した地であることを記念して、国立公園に指定されました。世界最大級の石灰岩の海岸段丘が全長40km、海抜約360mから水深約180mにわたって広がっていることや動植物の固有種が多くみられる。

人々の愛着が刻まれた街

●世界遺産「ワルシャワ歴史地区」 ポーランド
ナチス ドイツに徹底的に破壊されたが 市民の記憶やスケッチから 忠実に蘇らせた。

●世界遺産「平遥古城」 中国
歴史的な価値を残す家が数多く残っている。文化大革命の時代 伝統的なものは 革命思想に反すると破壊される中 人々は貴重な木彫りの装飾を薪の置き場に隠し 後世に残した。

●世界遺産「ジェンネ旧市街」 西アフリカのマリ 年に一度 泥で出来た モスクの壁を塗り直す。

鶴田真由のキューバふしぎ体感紀行★船でめぐる カリブの大自然

NHK BSP 初回OA 2015.9
キューバの東端 バラコア から船を乗り継ぎ首都ハバナまで 海岸線を巡る800キロの旅

バラコア…1492年にたどり着いたクリストファー・コロンブスが建てた十字架が残されているバラコア教会。キューバで最初の首都で ここからスペインの植民地になっていった。

●フンボルト国立公園…710㎢にわたって広がる広大な国立公園です。一帯は複雑な地形に加えて高低さもあり、氷河期に多くの生物が入り込んできたところと言われています。多種多様な生物が生息する。広大な熱帯雨林には世界最小のハチドリやカラフルなカタツムリ、ポリミタスなど、他のカリブ諸地域には見られない固有種や絶滅危惧種が多く存在する。
近辺には 絶滅されたと言われている キューバの先住民族タイノの末裔が農耕を営む。
薬草のドリンク、ごくたまにしか食べない 椰子の木を倒し 先端の新芽のようなパルミータのカニソース和えをご馳走になる。
●カヨ・ギジェルモ(ギジェルモ島)…8kmにわたるさらさらの白砂ビーチにすばらしいグリーンの海。 10kmを超える珊瑚礁では、スノーケリングやダイビングが存分に楽しめます。人気スポットになりつつあるそう。

●ブルーホール…30万年前の石灰岩でできた洞窟や鍾乳洞が何らかの理由により海中へ水没した穴で 直径45m 深さ63m あり周囲より蒼く見える。潜ると洞窟につながっていた。

●コヒマルヘミングウェイ『老人と海』の舞台となった。キューバに住む一人の老漁師が84日間もの不漁の後 巨大なカジキを3日間にわたる死闘の末に捕獲するが その後にサメに襲われ 獲物を食い尽くされてしまうという話。
ヘミングウェイがコヒマルに来る度に通ったというレストラン「ラ・テラサ」は実際に老人と海の本の中にも出てくる。今でもヘミングウェイのために空けてある席があります。

●ハバナモロ要塞を海から見る。

オアハカ歴史地区とモンテ・アルバン古代遺跡 〜 中央アメリカ最古 謎の天空都市

TBS 「世界遺産」2023年2月5日放送 世界遺産「オアハカ歴史地区とモンテ・アルバン古代遺跡

メキシコ南部、標高1500メートルに位置するオアハカの街。16世紀にスペイン人に征服される前には先住民サポテカ人の街だった。
彼らが残した遺跡が町から10キロの山の上にある天空都市、モンテ・アルバン。中央アメリカで最も古く 2500年以上前、最盛期には25000人が暮らしていたと言われる。山頂を平らにならした中央広場を中心に20以上の宮殿やピラミッドが建ち並ぶ。「踊る人々」と呼ばれるのピラミッドの周りには300もの巨石のレリーフが並んでいて、踊っているように見えるが 内臓があらわで、拷問された捕虜の姿?とか 医学の教科書と考える人もいる。のレリーフにマヤ文明へと繋がる 象形文字が残る。広場に一つだけ斜めに建てられた建物が有り太陽や月を観測していた天文台と考えられる。太陽光を内部に採り込み農作業の時期を知るためのピラミッドの穴、豊穣を願って球技大会が行われていたとされる球戯場がみられる。
もうひとつの天空都市 アツォンパはモンテ・アルバンの最高権力者たちが移住して築いた。ピラミッド内部の埋葬室からは 球戯場を描いた彩色壁画や、王族の副葬品 男神・女神像が見つかった。男神の頭部にはワニの頭部のような被り物をし十字架のようなものを下げている。地震の神でワニが地震を起しているとされた。
8世紀になるとミステカ人と呼ばれる人達がこの地を征服。先住民たちは姿を消した。モンテ・アルバンはミステカ人の墓地となり 第7墳墓王では 独特な副葬品としてトルコ石の装飾がある頭蓋骨や金細工の王の胸飾りシペ・トテックの黄金のマスクなどが見つかっている。

スペイン人によって造られたオアハカに100年かけて完成したサント・ドミンゴ聖堂が建つ。先住民が持っていた優れた金細工の技術が聖堂内部の金箔で覆われた見事な祭壇に活かされている。すぐそばにオアハカ文化博物館 Museum of Cultures of Oaxaca, Santo Domingo があって副葬品が展示されている。

プレミアムカフェ 鈴木亮平 ミステリー遺産 カリブ海縦断(2016年)

NHK BSP 2023年5月17日
世界ミステリー遺産に挑む2!カリブ海縦断4800km!7日間の大冒険(2016年)
人間の想像を超える不思議な風景や奇っ怪な建造物、 世界遺産に登録されていないが番組では“ミステリー遺産”と名付けた。鈴木亮平の旅の第2弾。舞台は中南米・カリブ海の国々。

ラ・ピエドラ・デル・ペニョール|コロンビアの巨大な一枚岩

コロンビア第2の都市 メデジンの東に車で1時間の ペニョン デ グアタペ(El Peñón de Guatapé)」は、円盤が突き刺さったような巨大な一枚岩で 高さが220m、1周700m あります。ペニョール貯水池湖畔から 船で近くの船着き場へ、そこからモトチバと呼ばれるカワイイ三輪車で10分 岩の真下に大勢の観光客、靴紐のように見えた 740段ある階段を登り、頂上の展望台へ。
驚いたことに 岩周辺の土地を持つ ビジェガス氏一族の所有物で管理・運営を行っていた。
下りは 内側の階段で 5m位の岩が挟まった箇所があった。
近くに 宙に浮かぶ巨大な岩 ピエドラ デル マリアル(Piedra Del Marial)があり聖母マリア像が祀られ 多くの巡礼者が訪れる。実に数多くの小さな十字架が隙間に建てられていた。
ペニョール貯水池湖は40年前作られた人造湖 水力発電でコロンビア国内の30%の電力を供給する。
多くの村が湖に沈み 残った村は コロンビアで最も美しい村といわれる。グアタペ村はいたるところに ソカロという 砂とセメントを混ぜ 立体的な 絵を描き カラフルに着色していた。ペニョール湖の向こうに ペニョン デ グアタペを見下ろす 絶景ポイントがあった。

ベリーズ 密林の消失都市

ベリーズは30年ほど前 独立した若い国で、英語が公用語でイギリス連邦に属する国。
最大の都市 ベリーズシティから セスナで 珊瑚礁のカリブ海、ジャングルのロストシティ カラコル遺跡を眺め サン・イグナシオ村の空港に降り。空港から80kmのカラコル遺跡へ車で向かう。
ジャングルの中に築いたマヤ文明。カラコル遺跡は未発掘の所も多い。近づいてみるとかなり大きい。天空の神殿カーナは高さ43m、幅100m。6km先から石灰岩を運んで作った。王が死ぬと 新しい王がこれまでの神殿の上に新たな王の墓を作ることで巨大化していった。歴代王の墓だった。
王様は冠をかぶり ジャガーの毛皮を着て 神殿の階段を四つん這いで登った。
マヤの世界では 神々の住む天上世界は13層、死者の地下世界は9層あると信じられた。
ピラミットの最上階にに3つのピラミットがあった。ここに住まいや ヒスイがちりばめられていた王様の墓があった。この場所は周囲より標高が高く 神々の住む天上世界に近い場所だった。
周囲15kmに20万人のマヤ人が暮らす巨大都市国家を形成していた。王は神様のお告げを 神殿の最も高い位置から民に伝えていた。頂上からの声が建物で反響する構造でした。
太陽の昇る位置を計測、天体の動きを基に暦を作り農耕や神事のスケジュールを決めていた。
8~9世紀にかけ大干ばつが起こり カラコルは およそ1100年前 滅亡した。
死者の入り口 洞窟は忌み嫌われていた。リオフリオの洞窟は巨大で地下に多くの水が流れていた。干ばつで追い詰められた王は 雨乞いの儀式を行うためここに 入って雨の神に祈りを捧げた。
マヤの伝統を 薬草医として 伝えていた女性がいた。

メキシコでは湖に浮かぶ謎の水上都市 メスカルティタン

カンクンに移動 メキシコへ入り、空路 テピクに、バスで 湖に浮かぶ謎の水上都市 メスカルティタンに向かう。「サボテンの上に蛇をくわえた鷲がいる場所」と神からお告げを受け 200年間流浪の旅を続け たどり着いた場所こそ、現在のメキシコシティーで 滅びてしまった アステカ王国の テノチティトラン(詳しくは ↑に こちら)