GoogleマップでWeb旅行!クロアチア・モンテネグロ(かつての ユーゴスラビア)

関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅で豊かな自然と文化の国、クロアチアを知りました。
体感!グレートネイチャーで モンテネグロの 壮大な絶景をみました。今まで関心のなかった地域ですが いいところですね。
世界ふれあい街歩き 古代遺跡に住むスプリト & ヨーロッパ空撮紀行 クロアチア

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関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅 クロアチア

NHK BSP 2016.10 初回放送
豊かな自然と文化の国、クロアチア全土を鉄道で巡る10日間、1600キロの旅。
アドリア海沿岸のスプリトからリエカ、緑豊かな大地をめぐり 首都、国際電車でコプリヴニツァへ、 ハンガリーに近い穀倉地帯を抜け 紛争地帯だったヴコヴァルで戦いの傷跡を見て首都に戻った。

アドリア海沿岸のダルマニア地方は 乾燥した台地

・スプリット:赤い屋根の連なるクロアチア 第2の都市。海洋交易の十字路として発展。
ローマ時代の宮殿が残る。世界ふれあい街歩き(後で紹介)。

(アドリア海を北上、アドリア海に面したダルマニア地方は乾燥した石灰岩のカルスト台地が拡がる)

・ドルニッシュ:白い石灰岩の大地 、ヤギ、ヤギ皮のパイプオルガンで歓迎を受ける。
カルスト台地を掘った 命の井戸で牧畜を行う。踊りでもてなす。
(1両編成のディーゼル 機関車)

・クニン:25年前に 戦乱で爆撃受け 生々しい傷跡が残る。待っていた列車はなぜか運休、代行バスでザダルへ

かつて ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一員だったクロアチアは 1991年独立を宣言。
それを阻止しようとするセルビア人勢力と戦争になった。
かつて 同じ国民として仲良く暮らしてた民族が敵と味方に分かれ4年間に渡って戦った。
その後 ユーゴスラビアは解体され クロアチアをはじめ7つの共和国と1つの自治州に分かれる。

・ザダル:この町もクロアチア紛争で爆撃を受けた。復興し 今海外からの観光客を迎え入れるまでになった。栄養豊富な泥を体に塗る「癒やしの泥」、海岸にある階段は 波と風の力で奏でる「シーオルガン

近くのパグ島:海風を受けミネラル分の豊富な 多くの種類の牧草を食べた羊のミルクからできるチーズ、島の女性達が編み込んだレース
(代行バスでクニン まで戻り、代行バス)

・ゴスピッチ:最新式の高速列車でカルロヴァツ
(車窓は 緑豊かな大地が拡がる)

緑豊かな大地

・カルロヴァツ
近くの森と泉のプリトヴィツェ湖群国立公園(世界遺産)。
16の湖と92ヶ所の滝,ヴェリニキ滝 落差78m。湖の底に石灰華が見られる。

Photo by Mike Swigunski on Unsplash

・カルロヴァツからオグリンを経て 客室はガラスで区切られたコンパートメント

・リエカ:イストリア半島の港町、クロアチアで3番目に大きい。遠くに見えるイタリアの ベネチアとの交易もあり中世から貿易港として栄えた。伝統の祭り「ベル鳴らしうの男達」
オリーブやぶどうが採れる。名産品 黒いダイヤ トリュフを産出

折り返し オグリンで乗り換え カルロヴァツを経て

・ザグレブ:首都、古い建物の残る 美しい街。政治・経済・文化の中心地
階段を上った丘の上に旧市街 が拡がる。中世に作られた面影を残す。風変わりな「壊れた関係博物館」、マクシミル公園俳句の句会が開かれていた。

(国際列車 ハンガリーのブダペスト行き、穀倉地帯を抜ける)
・コプリヴニツァ:農民たちが描く世界でも珍しい絵画”ナイーブアート“の素朴な美しさ

ハンガリーに近い穀倉地帯 紛争地帯だったスラヴォニア地方

トウモロコシや小麦、様々な果樹が栽培されている、アナ売りに行く81才の女性

・ナシツェ:かつて クロアチア有数の穀倉地帯として農業が盛んでしたが 今若者が都会や海外に出て過疎化が進む。ジュースを作り 村の雇用が増えた農家

ハンガリー、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナの3つの国と国境を接してるので、古くから争いが絶えなかった。

・ヴィンコヴツィリュリュの祭り…かつてオスマン帝国の兵士がこの村から男達を連れ去り 残された女達は敵地に乗り込み命がけで男達を救った。

列車はディーゼルの1両編成
・ヴコヴァル:セルビアとの国境の街 、1991年~1995年 セルビアと戦った激戦地。
かつて 同じ国民として仲良く暮らしてた民族が敵と味方に分かれ4年間に渡って戦った。
国境のドナウ川に橋はない。距離が近いため 戦いは昼夜を問わず行われた。
戦争の記憶をとどめようと 病院の一部が博物館になっています。
負傷者が廊下にまであふれた。多くの亡くなった人や不明者のプレート。
爆弾が落ちたままの廊下。

ほとんどの主立った建物が被弾 今も銃創や砲弾の跡が残る。
戦争の傷跡の残る学校がまだ使われています。
現在 クロアチア系とセルビア系 同じ小学校で学び クラスは別で授業受けている。

スラヴォンスキ・ブロド:この町もクロアチア紛争が激しかった。
従軍カメラマン だった人に会い 紛争の写真を見せてもらい、亡くなった男の子の兄と父に会う。

・ザグレブに戻り 旅は終わった。

世界ふれあい街歩き「古代ローマの宮殿が街に スプリト〜クロアチア」

・スプリット:世界遺産「ディオクレティアヌス宮殿のあるスプリトの歴史的建造物群ヨーロッパ鉄道の旅の出発駅でした。
ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスの隠居用として宮殿が作られた。
その後宮殿は廃墟となり、後に戦乱を逃れた人々が住みはじめて、遺跡の上に次々と建物を増築していきました。そのため、古代と中世の建物が混ざり合う独特の街並みとなりました。
200m四方の高い城壁をお店の壁にしたり、天井に丸い穴 その先の列柱広場 皇帝の住まいの真向かいに 先祖代々住む女性、かつての広い道路は石造りの家々に埋め尽くされ まるで迷路のよう。
神殿の屋根の端が500年前の民家の中に食い込む。家の隣に古代の浴場の遺跡があり 補修もいろいろ規制があるという。
皇帝ディオクレティアヌスはキリスト教徒を大弾圧、しかし彼の霊廟跡に7世紀にキリスト教の大聖堂が建てられ その後鐘楼が追加される。
宮殿の地下は当時のまま残されており 1万本の花で飾ろうとしていた。
人が暮らすからこそ遺跡が生き残る。

郊外のマルヤン森林公園から 宮殿 アドリア海が一望できる。

Photo by Nathanael Lim on Unsplash

・オミシュ:12~14世紀海賊の砦があった。ベネチアも海賊を恐れていた。今も「海賊フェステバル」がある。海賊はベネチアの支配と戦い 街を救った。現在も岩山に海賊の砦跡が残っており 若者がジップラインを楽しむ。

そのほか

・ドゥブロブニク:中世には海洋交易によって都市国家として繁栄した。高さ25メートルもの強固な城壁に守られ ドゥブロブニク旧市街世界文化遺産として登録されます。
1991年の内戦で壊滅的な被害を受け一時は危機遺産リストに登録されますが、市民の手で復元され「アドリア海の真珠」と謳われた、中世建築の粋を集めた美しい街が甦えりました。
ドゥブロブニク大聖堂 聖母マリアが肉体と魂を保ったまま天国へ召されたという「聖母の被昇天」を記念した大聖堂です。

すろー
すろー

私が学生の時習った ユーゴスラビアしか 浮かびません。イタリアとギリシャの間なら きっと景色のいいところだろうなと テレビ見ていたんですが 砲弾跡が各地にありました。なぜ クロアチアとセルビア こんな近いところで 4年以上に渡ってた戦ったのか よくわかりません。勉強しなければ!

ヨーロッパ空撮紀行 クロアチア アドリア海岸

クロアチアは九州の約1.5倍の面積があり 人口は406.8万人、地中海の一部アドリア海に面し 海岸線は1800Kmに及び1200もの島々がある。その多くは無人島です。クロアチアには入り江が無数にあり、観光事業に力を入れている。以前は多くの観光客が訪れていましたが 内戦の影響で客足が島のいてしまった。

テラシュチカ湾:ラテン語の名前が付けられているのは かつてこのあたりがローマ帝国の属州だったためです。この美しく静かな入り江は ヨットなどマリンスポーツを楽しむには最適の場所です。

クロアチアは戦乱に満ちた複雑な歴史をたどってきた。10世紀前半に始めて独立国家形成、12世紀初頭ハンガリーに征服され 以降入れ替わり立ち替わり大国の支配を受けた。その後オスマントルコが支配、続いてオーストリア・ハンガリー帝国、一時はナポレオンの支配下に入ったこともある。第一次世界大戦後はユーゴスラビア王国の一部となるが、第二次世界大戦中にナチスドイツの傀儡国家として独立、戦後はユーゴスラビ共和国の1つとなる。1991年に独立したものの 国内のクロアチア人とセルビア人の間で大規模な内乱が起きた。

シベニク:中世の初期に作られた 古い歴史を持つ街。世界遺産 聖ヤコブ大聖堂
多くがカルスト地形で雨水で石灰岩が溶け生まれた。

クラパニ島:とても小さな島で 海綿の産地として知られる。

トロギル:世界遺産で6つの教会がある。ヨットハーバーがある。

・スプリット(前記参照)
・ドゥブロブニク(前記参照)

ヨーロッパ空撮紀行「クロアチア〜首都ザグレブから海岸地帯」

・ザグレブ:首都(前記参照)
ローマが作った要塞都市でクロアチアの1/5の人が住む。市の中心には,ネオ・ゴシック様式の大聖堂がそびえ,中世の面影を残しています。市内には,350年の歴史をもつザグレブ大学をはじめ,音楽院など数多くの文化遺産を有しています。

・カルロヴァツ(前記参照)
・リエカ(前記参照)

・ノビグラード 材木商の街、現在は大リゾート地

・ロビニ:リゾート地、海産物の加工、タバコ製造工場、ロマネスク建築の教会がある。

ブリオニ諸島:かつて マラリアの流行地帯だったが、今はユーゴのチトー大統領のもと別荘がある高級リゾート地

・プーラ:ローマ人の軍事基地として作られた。コロッセウムが残っている。

・ザダル(前記参照)
・クニン (前記参照)

体感!グレートネイチャー 追跡!幻の大陸と白い大蛇〜モンテネグロ

NHK BSP 初回放送日: 2022年8月6日
モンテネグロは 旧ユーゴスラビアから分かれた国で、アドリア海を隔ててイタリアと向かい合うバルカン半島西部の国 福島県ほどの広さに 人口62万人が暮らす。ヨーロッパ最後の秘境とも呼ばれ 素晴らしい大自然が残されている。国土の大半が山岳地帯。
コトル世界文化遺産に登録された赤い屋根に埋め尽くされた港町で 三方を険しい山々に囲まれた湾の奥にあり 要害の地・天然の良港だった。 旧市街の城壁の中には ベネチア風の建物とオスマン帝国の面影がある ブレック(肉のパイ)があった。海岸にある 青の洞窟は岩とターコイズブルー

ドゥルミトル国立公園:世界自然遺産
タラ渓谷:タラ橋(延長365m 150m)高さヨーロッパ1 深い渓谷(80km・元も深いところ1300mの高低差)
その中を流れる エメラルドグリーンのタラ川。ボートで激流を下る。途中 いたるところで 石灰岩の岩の割れ目から雪解け水が流れ込んでいた。海の生物などで出来た石灰岩はもろく割れやすい性質を持っているので、石灰岩の台地には無数の水の通り道が出来ている。石灰岩に含まれる 炭酸カルシュームの結晶は緑の光を散乱させエメラルドグリーンにきらめく(通常水の中に入った光は吸収される)。
2億4000万年前に誕生した 巨大な石灰岩の塊がタラ渓谷、モンテネグロ全体に広がっている。
山奥の岩壁に2週間だけ姿を現す50mの幻の巨大滝、標高2000mを超える山頂付近に刻まれた“巨大波”の痕跡。
オランダ ユトレヒト大学ファン・ヒンズベルゲン教授は、1億2000万年前ころ アフリカから グリーンランドくらいの大きさの大アドリアがプレートの力によってヨーロッパ南部の下にゆっくりと押し込まれ 地球のマントルへ向かって押し込められるうちに 一番上の層がまくれて上部へ突き出した。
このまくれた層が、ヨーロッパアルプス南部から トルコのアナトリア半島まで連なっている。
地震波を使い マントルを調査 他の地区に較べ温度が低い部分があった。
教授らは10年がかりでヨーロッパ、北アフリカ、西アジアの岩石を収集し調査た。 2億4000万年におよぶプレートの動きを知る手がかりは 地球の磁場。岩石は固まり始めるときに当時の地球の磁場を記憶。地球は内部に液体金属が流れる巨大な磁石 10万年から100万年単位で磁石の向きが変わるので、同じ年代に生まれた岩石は同じ方向を向いている。
ヨーロッパ最深のタラ渓谷、深いクロマツの森のを写し輝く湖“黒い真珠”、クロマツの森林の湿気がタラ渓谷を覆い 条件を満たしたときだけ 白い霧が谷を埋め、激流によってうごめいて 突如現れるダイナミックな怪現象“白い大蛇”が現れた。

クロアチア オミシュ:200km程北西に離れた港町で、高台からみるとしわしわの石灰岩に囲まれている。カルスト台地に’ダルマチアの瞳‘と呼ばれる湖があり、色の濃い部分は水深が100m程あり 火山岩でできた洞窟が崩れて 深い穴が出来た。

一本の道 15ミニッツ「黒い山からアドリア海へ モンテネグロ」

バルカン半島の小さな国、モンテネグロの山からアドリア海へ通じる40キロの道を安部みちこアナウンサーが歩く。かつて商人たちが行き交った道。美しい港街コトルがゴール

モンテネグロはベネチアの古い言葉で「黒い山」という意味。オスマン帝国やベネチア共和国が侵出してきても、かろうじて独立を守ってきたモンテネグロ。

リエカ・ツルノエビッチャ の眼鏡橋から出発 、一面 白い石灰岩がむき出しになった山道、ぶどう畑、ワイン
かつてのオスマン帝国だった スカダル湖が見える。

かつてモンテネグロの都だったツェティニェを過ぎる、人々が心のよりどころとしているロブチェン山が見えてくる。

70以上のジグザグを繰り返して山を下りていく「コトルのはしご」の先が ゴールのコトル
三方を険しい山々に囲まれた港町 コトルは古来、多くの交易船が行き交い栄えた。ここに届いた荷物が商人達により オスマン帝国に運ばれた。
コトルは かつてベネチア共和国の領土で 世界遺産 「コトルの自然と文化歴史地域」に登録されている。狭い道の市街、正教会・カトリックの教会がある。

世界遺産 時を刻む「クロアチア おもちゃがつなぐ絆 親と子」

NHK BSP 2012年10月 初回放送
2009年に無形文化遺産に登録された”ザゴリェ地方の木製玩具の伝統的な製造
ザゴリェ地方首都ザグレブの北 山の向こう、豊かな森林に囲まれています。
ザゴリェ地方の中心地 マリヤ・ビストリッツァ村 Marija Bistrica は「おもちゃの村」と知られる。
元々農地が少なく収入が厳しかった ザゴリェ地方のためにウィーンから木工職人が呼ばれ、豊富な木材を利用したおもちゃ作りを住民に教えたのが始まりで、ザゴリェのおもちゃは19世紀半ばから有名になり、今となってはクロアチアの子育てに欠かせないものになっています。
有名なのはカラフルで素朴なデザインの””や””、””、”ままごとの家具“など。
音の出るもの、動きのあるものが子供に喜ばれます。素朴だからこそ子供の想像力を育てていくといわれてます。
村にある教会には聖母子が祀られ 「クロアチアで最も有名な聖地のひとつ」で多くの巡礼者が訪れ お土産に 木の聖母子像おもちゃが売られています。

世界ふしぎ発見!美ゥーティーの宝庫!憧れのアドリア海・クロアチア大縦断

TBS 2022年10月29日
■首都ザグレブ(前記参照)
・聖マルコ教会
・世界一短いロープウエー
・サンフレッチェ広島で活躍されていたミキッチさんのケーキ屋さんを訪れる。
■ニン クイーンズ ビーチは10世紀 初代クロアチア王妃が愛した絶景ビーチ。マッド・スパと呼ばれる肌にいい泥パックを体験。
■ザダルシーオルガンを聞きながら 世界一美しい夕焼けをみる。(前記参照)
■プリトヴィツェ湖群国立公園(前記参照) 公園に自生するラン・プラム・苔などを基本としたした香水がある

■スプリット(前記参照)
ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスの隠居用として宮殿が廃墟になり そこに人が住んで街が出来た。かつて 宮殿の地下の食料庫だった広い空間、後から住んだ住民が穴から がれきや ゴミを投げ捨ててていて 結果 きれいに残っている。キャロブ(イナゴ豆)のチョコレート

■フヴァル島…歌姫 ビヨンセもやってくる アドリア海 屈指のリゾート。内陸の世界遺産 スタリー・グラード平原 をスカイダイビングで見ると 古代ギリシャ人により築かれた農作地 90m×180m にきれいに区画され 現在も活用されている。そこには 古代から ぶどうが栽培され ワインが作られる。ワイン祭りで 海の上にぶら下げられた生ハムを目指してロープを上るタイムレースが行われていた。

今年7月 大陸部とペリェシャツ半島を結ぶペリェシャツ大橋が開通。今まで 隣国 ボスニア・ヘルツェゴビナの領土を通過するので パスパートが必要でした。ドゥブロブニクに直接行けるようになった。
■ドゥブロブニク(前記参照)
今年5月にジップラインがオープン ドゥブロブニクは 中世貿易により巨大の富を蓄え ベネチアと並ぶ海洋王国として栄えた。街を取り囲む城壁、フランシスコ会修道院、そこのハーブを使い1317年開業した薬局がある。フィリグランという銀のアクセサリー。かつてクロアチア紛争の激戦地だった。

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