NHK BSP で黄河関係の番組 いくつか見ました。すぐ忘れてしまうので 備忘メモです。
黄河源流 チベット高原の雪解け水の集まる 星宿海 オーリン湖 黄河に迫る砂漠。
冬の黄河 凍って侵入者が来たり 崖のヤオトンに住む民族 緩やかな流れが一転急流になり 壷口瀑布 また 平らになり 海へ向きを変える。黄河を眺める 絶景ポイント 函谷関。
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空旅中国 「冬の黄河」
黄河はおよそ全長5500km 世界第7位。黄土高原の土が溶け黄色く濁る。
たびたび洪水を起こす大河を、制御した者が政治の覇者となり古代中国の王朝が誕生した。
・黄河の源:チベット高原のオーリン湖(青い長い湖)。 くねくねしておりクジャク川と呼ばれる川が遊牧民 チベットの人の暮らす丘から湖に注がれる。羊、ヤク(牛の仲間)を遊牧 移動して暮らす。野生のキャン シカ オオカミ など 野生動物の楽園。
この草原に1本の道 長安とチベットの都 ラサを結び、その先はインドへ続く貿易の道だ。この道を美しい姫が湖に向かった。見知らぬ国 チベットに 和睦のため 嫁ぐ唐王朝の姫。見知らぬ国の国王がここまで迎えに来ていた。
チベットの雪と氷河を集めた水 これが黄河になり流れていく。
・黄色い川へ変わるのは 黄土高原の 木がなく 崩れやすい 黄色い土が流れ込み 黄色い川に。この泥が肥沃な土地を作り 古代文明が生まれた。泥はたまり すぐ氾濫 いかにコントロールするか簡単ではない。
岸に 権力者が現れ 戦いが起きた。
・真冬は 水が減り 流れがよどみ 泥が底に沈み 清らかに 濁っていない。
・烏梁素海(ウランスハイ湖):内モンゴルの草原にあり 面積280k㎡
チベットから北へ3000km内モンゴル自治区で川は直角に曲がる。曲がりきれず度々 流れが動き 後に湖や沼ができる。このおかげで 黄河の水量がある程度調節されるらしい。
白鳥は夏ここで繁殖し 冬南に帰る。
・12月の黄河凍結。北からの侵入者が歴代王朝の命運を握る。
・南に流れる黄河 急カーブまで900km。川の東側が漢民族の世界。西側が遊牧民の世界。深い谷は敵から守るいわば龍。でも冬は凍る。
・老牛湾:明王朝が築いた のろし台、北京まで 何個も。支流には 万里の長城も
・標高 1350m 冬は平均気温でも氷点下11度。国境を守る駐屯兵の子孫達
・石径禅院:20世紀初頭 30年かけ築いた 禅寺
黄河の両岸は絶壁 20カ所くらい川を渡るところがあった。
・西口古渡:男が遊牧民の国に出稼ぎに出るとき 小さな劇場 二人台で「走西口」を歌った。
黄河には1000年前まで橋がなかった。
蘭州 の 中山橋 黄河第一橋 1909年完成。ドイツで作られ 船と ラクダで運こばれ 現地で組み立てられた鉄の橋。かつて川は軍事的要塞で橋を架けていなかった。
・香炉寺:明の時代に建てられた 断崖絶壁の上の寺院
日本が進軍したとき この絶壁が行方を阻んだらしい。
泥の川で度々氾濫
夏王朝 開いた禹が皇帝になる前 黄河の治水を命じられ(父も命じられ失敗して処刑されていた)13年工事に専念した。(禹の像)
1887年の大洪水 死者90万とも200万ともいわれている。
・赤牛坬村:家が崖に張り付いている。崖の高層アパートのよう。800年前に作られたヤオトン 窯洞 という伝統の建築 斜面に300ある。
今も1000万人がヤオトンに住んでいるという。冬は寒く夏は暑い黄土高原ですが、ヤオトンの中だと冬は暖かく、夏は涼しい。今 観光客に公開されている。
・標高 650mまで下り 氷が割れ 川面を流れる“満開の氷の花” ゆっくり流れ 泥が沈み川の色が黒々している 冬の黄河。
・磧口古鎮:2.300年前の全盛期 300の商社が立ち並んだ。黄河のほとりで採れた 穀物やごま油を北京や天津に運んだ。鏢局(ひょうきょく) 運送業と用心棒 保険 セット 船付き場についた 1日150艘の船の荷物を運んだ。ゆったりとした黄河はここまでで この先は激流で船が通れない。
・乾坤湾:険しい渓谷になりクネクネ S字の形に 乾坤は天と地の意味がある。
氷がなくなった。
・壷口瀑布:河の水が瓶の首に入っていくように 50メートルの滝になり落ちていく激流。目の前まで 観光客が来ています。
・黄河が 平らになり 海へ向きを変える急カーブの所、黄河と汾河が交わるところ 長安や洛陽が近く古代政治の中心でした。
・汾河 (后土祠風景区)に 漢の武帝は秋風楼・后土(土地神)を祭り、群臣とともに汾河に船を浮かべて行楽し 「秋風辞」(秋風起って白雲飛び 草木黄落して 雁南に歸る…)を詠んだ。洪水で何度も立て直ししている。
・函谷関:長安と洛陽間で必ず通らなければ行けなかった関所、箱のような谷、絶壁に囲まれ逃げ場のない谷
・関所の役人が引き留め「道徳経」を書いた人がいた。 後に老子がここで書いたと言われる。
春秋戦国時代 函谷関は 西の秦が押さえる。紀元前241年5が国連合軍に攻められた秦は函谷関を主戦場とした戦いに勝ち 始皇帝が中国を統一する礎となった。
六世紀に中州に建てられた 風流な 鸛雀楼(かんじゃくろう、コウノトリ)
川の氾濫で 黄河が動いた。黄河を眺める 絶景ポイントとして詩人や芸術家に人気。
中国 黄河源流への旅 1「銀川から天空の畑へ」&星の生まれる海へ 中国黄河源流への旅 前編 (2014/12)
銀川から源流地帯にある湿地帯、星宿海までをめざす約2300キロの旅。
・銀川:寧夏回族自治区の首都で 人口 133 万人。高い塔 街の中には水路 その源は黄河。この水路が乾いた大地に水の恵みを与えてきた。
銀川には回族の人々が多く暮らしている。かつて西方からやってきたイスラム教徒の人々。
・銀川南関清真大学
・回族の結婚式を再現したショー
・中山公園
・豊かな田園地帯 コンバインで稲刈り
11世紀にタングート族がこの豊かな地に西夏王国が築かれ 2世紀にわたって栄えた。
・西夏王陵 かつてはみごとな彩色が施させていた。
西夏王国は13世紀 チンギズ ハンのモンゴル軍によって滅ぼされた。
・賀蘭山:はるか昔に書かれた岩絵がある。西夏王国時代の文字も残っている。太陽神、狩猟の様子を描いた絵
・テンゲル砂漠: 黄河沿のそばまで砂漠がある。ロープウエイ
・五佛:黄河を渡る船がある。流域に住む人にとって生活の足となっている。
悠久の昔 長安から河西回廊へのシルクロードの渡しの一つだった。渡し船の待合室の遺跡がある。
・万里の長城の遺跡もある。
・黄河石林:黄河のほとロープウエイり 数百万年かけ隆起・侵食が作り上げた奇岩群。ロープウエイ
・黄河を下る筏:羊やヤギの皮で作られた浮き袋で できている。古くから黄河流域で使われてきた。
・蘭州(甘粛省 かんしゅくしょう):人口360万 シルクロードの要衝として栄えた。
・劉家峡(ダム湖):この奥に石窟群がある。
・炳霊寺石窟(へいれいじせっくつ):石窟の数は183。4世紀以降 シルクロードの交易で行き交った人により作られた。
・ラプラン寺:黄河の支流 大夏河上流にある。チベット仏教ゲルク派の6大寺院の一つ。寺の中に学院があり全国から集まった僧侶が学ぶ。大勢の巡礼者が訪れる。
・趙木川村(青海省):少数民族 トゥー族の村。収穫を感謝する祭りには隣の村からも楽隊が来る。祭りは村から村へリレー形式で続く。
・青海省に入ると各地に段々畑が連なる。畑は谷から天まで続く。
中国 黄河源流への旅 2「大草原から 花湖へ」&星の生まれる海へ 中国 黄河源流への旅 後編 (2014/12)
・支流 隆務河 2000年の歴史を持つ 城壁に囲まれた八角城。城郭は十字形で、中ではチベット族と漢民族が暮らしています。白石崖山の麓にチベット寺院のゲンジャダクカル寺院(白石崖寺院)があります。若い僧たちが修行を重ねています。17世紀創建で108人の僧が修行しています。
・丹霞地形 七彩溝と呼ばれる地形が見られます。紅色の砂岩や礫岩が雨風で浸食され堅い部分が残った。赤色は暑い時代・灰色は寒い時代・黄色は雨が少なく乾燥していた時代だそうです。
・橋 マン車 中に仏教の経典あり。
・黄河が大地を削った地形。 黄河は南へ・東へ大きく曲がる。支流沿いを歩く巡礼者 五体投地を行う。
アムネマチン(阿尼瑪卿山) 干支でいえば 午に当たる山で 午年にはチベット族のあらゆる神々が この山に集結するらしい。 ここは巡礼の入り口で 人々は山の周囲を回り祈りを重ねる。五体投地を重ねる その旅は1ヶ月にも及ぶ。
アムネマチンを訪れたヨーロッパの探検家がエペレストより高い山見つけたと報告したが その後アムネマチンを訪れたものは 戦死・事故死したと言い伝えられる。主峰マチェカンリ山 の実際の標高6282m、鋭く天をつく姿がパイロット達を惑わしたんだろうか。
アムネマチンから氷河が蛇行しながら足下まで押し寄せている。面積は150平方キロ、夏になれば氷河が解け 雪解け水は黄河に流れ込む。
黄河は拉加という町のあたりから真東に向きを変える。甘粛省に入ると大草原が広がります。標高およそ3700m。黄河沿いに競馬場があり 馬は河曲馬とよばれ 勝てば多額の賞金が得られ 多くの人々が集まっていた。
甘粛省と四川省の境目に沿って黄河は大きく蛇行して流れます。この地域は黄河九曲第一湾と言われ 緩やかな黄河の流れです。
黄河本流と白河が合流する地域が花湖で、美しい湿地帯です。野鳥が飛び 水鳥が泳ぎ バイカモの仲間もいます。
中国 黄河源流への旅 3「伝説の地 星宿海へ」
・紅原県 草原地帯
・白河(黄河の支流)
・支流を南にさがった所に、村があり 仏教よりも遙か前 1万8千年前から 信仰された ボン教の寺院 マッセル寺 がある。僧侶達の髪は 生まれてからずっと伸ばしていている。活仏は家族を持て世襲で 牧畜で暮らしている。
黄河をたどり九曲を過ぎると 再び西にUターン アワンツァン湿地になり 川は蛇行。
遠く山のふもとに見える黄河 その手前にまるでリボンを小刻みに振ったような河の断片 このあたりは降水量が多い
・標高3970mのダルラ(達日)山の麓 人口3万の街 チャラン寺(チベット仏教ニンマ派の寺院)
・黄河沿いに続く移動する砂漠。牛 羊が放牧されていて 子供達が乗馬大会をいていた。
・黄河 源流部
・天空の湖 オリン湖(標高4268m 水深平均20m 面積628K㎡) 青く澄み切っている。魚は捕っていけない。黄河沿いに近くに小学校があった。家は遠いので寮生活 1学年70人で1クラス。10人ずつの部屋に暮らす。
・ザリン湖(標高4294m 水深平均8m 面積526K㎡) コバルトブルーの澄み切った水面。
・星宿海 標高4350m 無数の沼がきらめく。
・さらに西へ黄河は続く。遠くにバインハル山脈が見える。
・真夏でも 氷点下まで下がる。天気は変わりやすく 1日の内に四季があると言われる。
・牛 羊 ヤクたちが放牧されていて 星宿海のほとりでテントで暮らす家族がいた。
・夜が訪れ 沼が星のように輝く、月が光を注ぎ、星宿海に星が降りてくる。太地と宇宙は一体になった。