GoogleマップでWeb旅行!ライン川・マイン川・ドナウ川を豪華なクルーズ船の旅

NHK BSP で「ヨーロッパ大横断 川の旅」を再放送していました。
豪華なクルーズ船でライン川、マイン川、ドナウ川、運河を行く。ヨーロッパ大陸を横断する壮大な川の旅。2つのクルーズ船を乗り継ぎ 3週間をかけて9つの国をめぐる。昔から あると聞いていたので 実際にどんなものか楽しみにしていました。
Googleマップにマーキングして 登録されている写真を 楽しんでます。

Googleマップ

見たい場所のマーカーを選ぶと Googleマップからの写真左側が表示されます。
Google マップで見る をクリックすると 新しいタブで Googleマップが開きます。
写真をクリックすると 右側に大きな写真が表示されます。  で前の・次の写真へ
Googleマップに登録されている写真が楽しめます。実際に行けたらなと思います。

ヨーロッパ大横断 川の旅 (1)アムステルダム出航

アムステルダム (オランダ) から プタベスト(ハンガリー)まで3週間の旅
アマビオラ号 全長:135m 全幅:11.6m 船室数:78室 乗客数:156名 乗組員数:51名
ライン運河 68のロックがある。
※船を水門(=ロック)と水門で区切ったスペース、チャンパーの中に閉じ込めて、スペース内の水の量を増やしたり、減らしたりすることで 進行方向の水位と同じにする。
ワール川

(2)国境を越えケルンへ

オランダ/ドイツ国境を越え ライン川
デュッセルドルフ(ドイツ)金融と商業の町、12世紀に要塞が作られた。日本人が8000人以上住む。

ケルン(ドイツ) 世界遺産ケルン大聖堂:1248年神聖ローマ皇帝の命令で建築が始まり完成まで600年かかった。157mの塔があり 世界最大級のゴシック建築です。
ケルンの旧市庁舎 14世紀に建てられケルンゆかりの人130人の像がある。

港では 自転車ツアー、街歩きツアーなど準備されている。

(3)世界遺産ライン渓谷をゆく

世界遺産ライン渓谷中流上部 (ヴェルターベ・クルトゥルラントシャフト・オーベレス・ミッテルルハインタール) がある。多くは11~14世紀中世の時代に地方の貴族や豪族が建てた。
コブレンツビンゲン・アム・ライン間 60kmの間に25の城がある。
・コルテインスブルック城:多くは川を行き来する船から通行税を取るため築かれた。
・シャープ城
・ポッパルトの大湾曲(ヘアピンカーブ)
ネズミ城とネコ城(2つの塔が耳) 敵対する豪族の城
・ローレライの岩
シェーンブルク城…美しい7人の娘が次々と男達をたぶらかしていた。干ばつで娘達が川の渦にこみ込まれた。ホテルになっている。
・グーテンフェルス城 …城主の娘、恋した若者が消え悲観していると多くの家来を連れ皇帝になり戻ってきた。
プファルツ城 …ライン川の中州に通行税徴収のために築かれた城
シュターレック城 …現在はユースホステル
カトリックとプロテスタントの30年戦争が起こり廃墟になった ヘイムブルク城
ラインシュタイン城…現在はホテル
・エーレンフェルス城…廃墟に ぶどう畑の絶景
・ネズミの塔…飢えた民衆を焼き殺させた大司教が異常発生したネズミに食い殺される ここで終わり

リューデスハイム(ドイツ) ラインの真珠と称され ノスタルジックな「つぐみ横丁」名産の絶品白ワイン。

マインツ:マイン川と・ライン川に分岐。マイン川に進み フランクフルトに向かう
※マイン川…南ドイツのバイエルン地方を水深とする524kmの川

(4)中世の街をめぐって

森の中のマイン川抜ける。クリンゲンベルグ水門 4m水位上げる
ミルテンベルグ(ドイツ):中世からの赤い砂岩が使われた木骨組の建物が美しい。
マルクト広場に面したドイツ一古いホテルがある。
 
ヴェルトハイム:タウバー川とマイン川を見下ろす高台の上に建つヴェルトハイム城
赤い石の教会はマルティン・ルターによって始められた宗教改革でプロテスタントの教会になる。 
4階5階建て木骨組の建物があり、たびたび川の氾濫があり 建物に印されている。

(5)ロマンチック街道とビールの街

●ヴュルツブルグ(ドイツ):ロマンチック街道の起点でもあり、ブドウ園で覆われた美しい
 斜面に囲まれています。
マリエンベルク要塞はカトリック司教が住み ここで農民と対決した。
・ヴュルツブルクのレジデンツ ドイツで最大かつ最も華やかなバロック様式の宮殿で ユネスコの世界遺産にも登録されている。宮殿の階段の間、世界最大の18世紀のフレスコ画
旧マイン橋(アルテマイン橋) 古い歩行者専用の石橋。聖人や偉人の像が設置されている。
第2次世界大戦で9割破壊されたが がれきの女達がきれいにした。

バンベルグ(ドイツ)世界遺産の中世の面影が強く残す旧市街地。反対側にある司教の住む地区、川の中州にある旧市庁舎。黒いラオホビール発祥の地。
ホテルのようにシーツは毎日替えられ アマビオラ号新聞(今日の見所・天気・スケジュール)とチョコレートが配られる。乗客が下船している間に水や食糧を補給。橋をくぐるために 2m船を沈める水も積む。
マイン・ドナウ運河 橋をいくつもくぐり抜ける。

(6) ニュルンベルク 幸せの金の輪

ニュルンベルク(ドイツ)ドイツ北部とイタリアを結ぶ拠点として領主や司教の支配を受けない 自由都市の特権を得た街。
ニュルンベルク城から 街が一望できる。赤い屋根と黒い屋根が混在。
ニュルンベルクで ヒットラーがナチスの党大会(ニュルンベルク党大会)を開催し、ユダヤ人の公民権を剥奪したとして悪名高いニュルンベルク法などが制定された。また ナチス政権要人を裁く ニュルンベルク裁判が行われた。
ニュルンベルク城には たくさんの塔がある。ヒーゼン塔は見張りの塔。ペンタゴン塔も見張り塔。街は第2次世界大戦で 激しい爆撃を受けましたが この塔は生き残りました。
ニュルンベルクの町並みには 様々な歴史を重ねてきました。
広場に出ると、木組みの家が多い街で ドイツ絵画の父と呼ばれるアルブレヒトデューラーが半生を過ごした家がある。広場一帯は 第2次世界大戦の戦火を免れた場所です。
聖セバルドゥス教会は第2次世界大戦でほとんど破壊されたが街の人の努力で復興された。
14世紀に作られた黄金に輝く塔「美しの泉」と呼ばれる噴水があります。皇帝や英雄などの像が40体飾られている。塔を囲む柵に 金色の環がついています。悲しい伝説がありますが この輪を回しながら願い事をするとかなうそうです。
ニュルンベルクを出航、マイン・ドナウ運河を進みます。このマイン・ドナウ運河はマイン川とドナウ川を結ぶ 全長は約171km。1921年に工事が始まり1192年に完成しました。ヨーロッパを川で横断できるようになったのも この運河のおかげです。

運河の流れをスムーズにするため 運河の橋が架けられた。
いくつものロックを通って一気に標高を上げていきます。レールステッテン・ロックではおよそ25m船を上昇させ、これから先の運河と同じ水位になり 門が開きます。

(7) 世界遺産の街 レーゲンスブルク

マイン・ドナウ運河を進みます。
ヨーロッパで最も高いところ標高406m、分水嶺にあたるヒルポルト. シュタイン ロック(Schleuse Hilpoltstein (Main-Donau-Kanal))。
高い壁、この空間を水で満たします。この上にあるのが管制塔。チャンバーの水を抜くと そばの 3段の水槽に移動し 循環して使っています。水位は25m上昇し かかった期間は32分。ここからは運河を下っていきます。
今日も美しい夕暮れ、船は夜のうちにドナウ川に入りました。
8日目の朝は 世界遺産(レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ)になっている レーゲンスブルクの美しい街です。
12世紀からある 炭火で焼く 熱々のソーセージのレストランが賑わっていました。
レーゲンスブルク大聖堂 塔が105もあるゴシック建築の傑作です。13世紀後半から600年かけ完成 13~14世紀のステンドグラスが残っている。
神聖ローマ帝国の議会。皇帝選挙はここで行われた。塩を計る天秤が残されている。レーゲンスブルクはアルプスで採れた岩塩で栄えた街で、ドナウ川沿いに塩の倉庫が残る。その先に 船からも見えた ドイツ最古の石橋 シュタイナーネ橋。長さ310m、16のアーチが角い石柱によって支えられています。

古い時代 ドナウ川は上流は川幅が狭く 急流で登るときは大変で、馬で船をひっぱていた。

ヴァルハラ神殿は、南ドイツにあったバイエルン王国の王様が19世紀にギリシャのパルテノン神殿を模して建てた。

(8)パッサウ 皇妃エリザベートゆかりの街

19世紀 ハプスブルク帝国の皇妃エリザベートは W50、身長172cmの絶世の美女でヨーロッパ中の憧れの的でした。エリザベートはバイエル地方の貴族の娘でした。パッサウにはエリザベートが宿泊でしたホテルが残されている。

エリザベートは15歳の時、姉ヘレーネとオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの見合いの場に同席したことから、皇帝のプロポーズを受けてオーストリア帝国・ハプスブルグ家の皇妃となった。続きはウイーンで。

パッサウは、オーストリアとの国境沿いにあり、17世紀大きな火事に遭い 街の大部分が焼失。イタリアの建築家が手がけたので ドイツのイタリアと言われる。空が細い 狭い路地もイタリア風。かわいいパウロ教会、修復されたシュテファン大聖堂。イン川沿いに 塩の貯蔵庫。パッサウは「白い黄金」といわれた 塩の交易で栄えた街。
司教が運ばれて来た 塩に関税をかけ 大聖堂が作られた。
古代ローマ帝国にとってドナウ川は ゲルマン民族が侵入するのを防ぐ 防衛ラインだった。

出航するとドナウ川は、バイエル地方森から流れてくる イルツ川と合流、続いて エメラルドグリーンのイン川と 深い青のドナウ川と合流します。エリザベートも ウイーンに嫁ぐ時 通ったルートです

川が蛇行し 山あいに入る。岩の上に小さいチャペル。船の守護聖人ヨハネが立っていて 船乗りは旅の安全を祈った。

ドイツが終わり 国境を越え オーストリアに入った。船の国旗が変えられる。
シュレーゲンのくねり 川が蛇行し 紅葉が始まっていた。

オーストリアの第3位の都市リンツに到着して補給。待ちきれずに 皇帝が エリザベートを迎えにここまで来た。

(9)世界遺産 バッハウ渓谷へ

メルクに近い水門が開くと 目の前に メルク修道院があります。11世紀に建てられたメルク修道院はハプスブルグ家が18世紀に改修、修道院はまるで宮殿のようで 今も30人の修道士が暮らしている。中は ハプスブルク家にとって金色とピンクは富の象徴とされ 天井には双頭の鷲の紋章。大理石の間は 帝国に仕える貴族達の食堂になっています。天井にギリシャ神話が描かれている。図書館には9世紀からの10万冊の蔵書 金箔をあしらわれた本は 富の象徴。バルコニーから見えるメルクの街、今は人口5000人あまりのこぢんまりした街。修道院に面して 金の装飾の教会。
ハプスブルク家は元々 スイスの小さな領主でしたが 偶然神聖ローマ帝国の皇帝になり オーストリアに進出しました。
世界遺産「ヴァッハウ渓谷の文化的景観」のひとつとなっています。
メルク〜クレムス間約35kmの両岸にはぶどう畑が広がり、河岸に建つ修道院や古城、そして中世からの町々が織り成す景観が世界文化遺産に登録されています。
シェーンピュール城 エリザベートが ウイーンに嫁ぐ時立ち寄った。
右岸の山頂に堅固な姿を現わすのは盗賊騎士の アックシュタイン城
そして左岸には、ぶどう畑に囲まれた中世の町デュルンシュタインが見えてきます。
ミハエル教会 16世紀 オスマン帝国が攻めてきて 市民が逃げ込んだ。。

(10) 美しき青きドナウ ウィーンとブラチスラバ

音楽の都 ウィーン(オーストリア)は ハプスブルク家が帝国の都に定め600年続きました。
世界遺産 ウィーン歴史地区に指定されている。
17世紀 ペストで10万人以上亡くなり 終息記念に建てられた 三位一体像。
シュテファン大聖堂はハプスブルク家 歴代君主の墓となったバロック様式の教会、地下にはペストでなくなった人の遺骨が納められている。屋根はハンガリー製の23万個の瓦、オーストリアとウィーンの紋章が描かれている。モーツァルトも ここで結婚式を挙げた。
ウィーン名物の馬車で 王宮ホーフブルクへ。ハプスブルク家は政略結婚を重ね 一時スペイン、オランダも支配。2500以上の部屋があり 一部が エリザベートのシシー博物館になっている。
エリザベートの夫 フランツ・ヨーゼフは1848年に18才で即位68年間皇帝の座にいた。エリザベートは美を追求するためにダイエット 部屋にはトレーニブラチスラバングの吊り輪。4人出産 厳しい姑のため自分で育てられず 2人の子供をなくし 塞ぎ込む日々 旅を重ねる。その頃 フランツ・ヨーゼフにも不穏な空気が…。

12日目 オーストリアを終え、スロバキア に 見えてきたのは デヴィーン城 東のオスマントルコとの戦いでは ハプスブルク帝国の防衛の拠点になった。手前が国境のモラバ川 東西冷戦時代 この川には鉄のカーテンがあり国境を越えるのは容易でなかった。
スロバキア の首都ブラチスラバ、丘の上に立つ ブラチスラバ城、四角い テーブル城と呼ぶ人もいます。小さな国 スロバキア はオーストリアやハンガリー チェコなどに翻弄されてきた。ようやく独立を果たしたのは1993年です。ブラチスラバ城はハプスブルク家の支配を受けていた18世紀に改装されました。ハプスブルク家ゆかりの人達の肖像画が飾られている。中央にいるのは マリア・テレジア、この時代 様々な文化を取り入れて 芸術が花開き 華やいでいました。
ハプスブルク帝国ドナウ帝国とも呼ばれ ドナウは1つという響きがありました。20世紀鉄のカーテンがドナウ川を分断します。

アマビオラ号は ブダペストまで、1日早いお別れパーティーです。

(11)ドナウの真珠 ブダペスト

船は夜のうちにハンガリーに入りました。
13日目、マルギット橋 Margaret Bridge をくくり 街そのものが世界遺産になっている ハンガリーの首都 ブダペストにはいります。世界遺産「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」
ブダペストはドナウの真珠 と呼ばれてきました。その代表的な建物の1つ国会議事堂です。
オーストリア・ハンガリー帝国の一翼を担って ハンガリーが最盛期をむかえていた 20世紀初頭に建てられた。 
ブダペストはドナウ川を境に、2つの地区に分かれています。国会議事堂があるペスト地区 行政機関や繁華街があり、反対側 ブダ地区には ひときわ高い塔のマーチャーシュ教会 があり 一帯は王宮の丘と呼ばれ政治の中心だった。セーチェーニ鎖橋をくぐります。
寄港地のツアーも今日が最後です。
ハンガリーはアジア系のマジャール人が築いた国。モンゴル帝国やオスマン帝国の侵略を受けましたが独自の文化を守ってきた。ブダペストの歴史ある中央市場 名物のサラミパプリカが売られている。
エリザベートにちなんだ橋 Elisabeth Bridgeを渡り ブダ地区に エリザベートの像があり、ゆかりの マーチャーシュ教会、ここで 皇帝とエリザベートの戴冠式が行われた。
ハプスブルク家は崩壊の危機を迎え、エリザベートは旅を続け 1898年 スイスで無政府主義者の青年に襲われ60才で亡くなる。その後第1次世界大戦が勃発 敗戦と共に ハプスブルク帝国が崩壊した。

14日目 ブダペストの朝、ここで アマビオラ号から 乗客はチェックアウト 船を降ります。

ブダペストのドナウ川 Photo by Laszlo D. on Unsplash

(12) ハンガリー伝統の磁器の街 ペーチュ

隣に停泊している 同じ形のアマチェスト号に乗り換え。
ライトアップされた ドナウ川を 改めてクルーズ。

15日目 早朝ブダペストを出発し ハンガリー南西部のペーチュへ。大雨で浸水を避けるための高床式の小屋がある。
もやいの準備。ペーチュは15世紀から150年に渡ってオスマン帝国の支配を受けた。
噴水 水を出しているのは磁器。作っている工房 ウイーンの シュテファン大聖堂や ブダペストのマーチャーシュ教会の屋根も ここで作られた。壺や食器なども、絵付けはエナメルを混ぜた顔料を塗り重ねて 手書きで行い 柔らかな膨らみがあります。

(13) ノビサド(セルビア) 知られざる美しき街へ

ドナウ川で海水浴のように泳ぐ人。
クロアチアとセルビアの国境のドナウ川を下りノービサード(セルビア)に。セルビアはEU不加盟なので 船内で抜き打ち検査、残りはパスポート提示で入国手続き完了。
ノービサードの中心地 広い範囲で歩行者天国に。
セルビア正教の教会、偶像に寄りかかるといけないということで 宗教画 聖人の像 イコンが描かれる。
ハプスブルク家が20以上の民族から軍を編成して オスマン帝国からの攻撃を防いだ。やがて兵士は家族とともに ノービサードに住みつく。今も多くの民族が共存して暮らす。

セルビアの首都 ベオグラード まもなく日の出の時間です。
元々のセルビア公国は オスマン帝国とオーストリア=ハンガリーの支配を受けた後 20世紀にユーゴスラビア連邦を形成、セルビアは支配的地位にあった。第2次世界大戦後 ユーゴは社会主義体制を敷き カリスマ大統領 チトーが連邦をまとめた。しかし死後 解体に向かう。セルビア生まれのミロシュビッチ大統領は ユーゴ構成国家の独立を武力で制止しようとして忌み嫌われた。
ベオグラードは1990年代壊滅的な被害を受けた。ドナウ川支流 サバ川を挟んで戦った。
ベオグラード要塞の門はハンガリー、時計台はオスマン帝国、石積みはセルビア公国が築いた。

(14) ドナウの絶景 鉄門峡へ

セルビアとルーマニアの国境のドナウ川を下り、ジェルダップ国立公園の「鉄門峡」として知られるジェルダップ峡谷です。ドナウ川がカルパチア山脈の斜面をえぐるように流れる全長100kmにおよぶ峡谷で、水深80mを超える場所もあります。両岸は高さ300mもの断崖絶壁になっており、まさに圧巻の景色です。
すごい地層が露出している 最も古いのは5億年前のもの。むき出しの白い岩肌、鉄門峡クルーズ 楽しめるようになったのは 僅か半世紀前、それまでは細く激しい流れの難所で 何隻も沈没していた。
川辺の ムラコニア修道院 Mraconia Monastery かつては 船の衝突防止のために合図送っていた。
このあたりでは ドナウ川を挟んで激しい攻防があり、2世紀初頭まで この地を治めていた ダキア族の王 デケバルス の巨大な人面像 Rock Sculpture of Decebalus がある。ロシア帝国と戦ったルーマニアの英雄です。
デケバルスはドナウ川を自然な要塞として強固な守りを敷いていました。
しかしローマ帝国の トラヤヌス皇帝は 激流のドナウ川に幅18mの橋を築き大軍を送り攻め落とした。(トラヤヌスの橋梁完成記念碑)

長い 列車のように連なる貨物船、鉄門というダム ルーマニアとユーゴスラビアの共同で1972年に作られ、ドナウ川の水位が上がり クルージングが可能になった。

ドナウ川最大のロック 水位が20m下がりました。次のロックで 20m 合計 40m 1時間以上かけ下がりました。水力発電が行われ セルビアと ルーマニアに送られます。

ブルガリアとルーマニアの国境をドナウ川を下る。第2鉄門というロック 通過。
日が暮れダンスパーティー、ブルガリアの地元の高校生が民族舞踊を踊る。農業国なので 種をまいたり耕したり。

(15) いよいよゴール 黒海へ

 19日目 ヴィディン(ブルガリア) のオスマン帝国の作った ベログラトチク要塞 Belogradchik Fortress 付近の様々な色と形を持つ奇岩群

広い川幅 沿岸は自然の楽園になっている。

20日目 ルセ(ブルガリア) に到着
ブカレスト(ルーマニア)は ルーマニアの美しい首都で、商業の中心地として栄えています。国民の館(議事堂宮殿)と呼ばれる巨大な政府関連の建物は 1,100 の部屋数を誇るこの街の象徴的な建物です。
革命の広場、小さな東方正教会のスタブロポレオス教会 Stavropoleos Monastery Churchがあります。
船は対岸のジュルジュ(ルーマニア)に 川の旅が終わりゴールです。皆さん下船しました。

ドナウ川は 続きます。世界遺産ドナウデルタは ドナウ川河口の三角州は湿地でペリカンなど300種以上の鳥や多くの魚が生息、命のゆりかごと呼ばれる。波が高くなり 黒海に到達。遠くにウクライナが望める。

TBS 世界遺産 ドナウデルタ 〜 ドナウ川が生んだ 大デルタ地帯

2022.7.3 OA
空から見る大デルタ
ドイツの源流から10カ国を流れるドナウ川の河口に広がるドナウデルタは、東京都の2倍の広さのある三角州。北部は砂地の森が、続いて広大な葦原、南部は巨大な塩の湖
ドナウが変えた海岸線
2800kmのドナウ川は 大量の土砂を運びドナウデルタの陸地を広げてきた。河口の沖合には土砂が堆積してできた島が誕生。大型のタンカーが座礁するほどの浅瀬で、海岸線はどんどん変わっている。
二色の川の秘密
ドナウデルタに 濁った水と澄んだ水の流れがある。葦の働きで土砂を沈め 澄んでいた。葦は風が吹くと浮島となり移動していた。
渡り鳥100万羽
ドナウデルタには100万羽の渡り鳥が繁殖のためにやって来る。アフリカからやって来るモモイロペリカンは浮島に巣を作り繁殖をする。