悠久の歴史のなかで長く「ペルシャ」と呼ばれてきたイラン。テレビでOAされたイランの様子です。マルコポーロも立ち寄った イル=ハン国のタブリーズや、シルクロードで行き来したオアシス都市、バラの街 シーラーズ、高地で遊牧を続けるカシュガルの人達
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NHK BSP 激走!シルクロード 104日の旅
NHK BSP 激走!シルクロード 104日の旅 (2012年)
改装した軍用トラックに世界各国の旅人が乗り 1万7000kmをキャンプや自炊しながらの旅。途中で降りることも 途中から加わることも自由です。トルコ イスタンブールを出発、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギスを回り中国の西安に向かう。
イラン
始めに 注意を受ける。イランは厳格なイスラムの国なので、女性は人前で顔や手以外の肌を見せていけない。髪も隠す。髪を隠さないと外国人も厳しく注意を受けそうです。
女性達は入国前 バザールの婦人服の店で黒いチャドルを購入。チャドルは長いスカートと頭を覆うマントが1つになったもの。
最初に訪れた ザンジャーンは紀元3世紀に町の基礎が出来 オアシス都市として栄えてきた。
名残は500年前の姿の残るバザール。
婦人用品店に行ってみると 黒いチャドルはなくおしゃれな服が並ぶ。色鮮やかな服や美しいスカーフをまとう女性がたくさんいます。肌を極端に見せることや 髪の毛を覆わないことは許されませんがそれさえ守れば大丈夫のようです。
■トルコ国境から東に向かうルートにはシルクロードを今に伝える場所が数多く残っています。
ソルターニーイェには14世紀初めに建てられた レンガ製のドーム。当時の君主の墓 オルジェイトゥ廟は世界遺産に。ブルーのタイルが美しい建物は のちのイスラム建築に多くの影響を与えた。14世紀に東から勢力拡大し イランを支配したモンゴル帝国から伝わった草模様の文様です。
■さらにイランの西北部を走ります。昔ながらの日干しレンガの家が続く道沿い。砂ぼこりと乾いた空気が窓から入ってきます。トルコ国境から1300キロ シルクロードの要衝だったイスファハンへ。
16世紀「世界の半分はイスファハンにある」と讃えられた町。中心にあるイマーム広場は「イランの真珠」と讃えられた 世界遺産です。イマーム・モスクは26年の歳月をかけて建てられた傑作です。中央礼拝堂の天井には7色の彩色タイルをつかいイラン伝統の文様が描かれている。イランでは外国人が団体で行動するときガイドが案内します。ドームの高さは40m、建物は2重構造でドームの下に12mの空洞があるので コーランを唱えるとよく響く。
路地裏の 伝統工芸 ガラム・カール(ペルシャ更紗)のアトリエに。ガラム・カールは 木綿の布に木片で模様をスタンプし、テーブルクロスやベットカバーにします。花や鳥をあしらった多彩な模様とカラフルな色使いが特徴です。200年使い込んだ手作りのスタンプを手作業で押します。染料は自然の素材を用い 黒はくるみ、赤はザクロ、青はラピスラズリという石を使っています。
ガラム・ザニーは銀細工 、エジプトからもたされた技術でといわれ 今は手先の器用な女性も行っています。フェニックス 不死鳥の図柄が目を引きます。
■進路を北に変え 首都テヘランに向かいます。車の数ぐっと増えてきました。ペルシャ建国2500年を記念して建てられた アザディ・タワーが玄関口になっています。人口1100万を抱える大都市です。かつては潤沢なオイルマネーでアメリカ寄りの政策をとっていたが、1979年 シーア派宗教指導者ホメイニに率いられたイスラーム原理主義勢力にがイラン革命を起こして以来 欧米との距離が遠ざかった。
ガイドの案内で同世代の姉妹とおしゃれなカフェで会う。妹はテヘラン大学を出て資産運用のアドバイザーをしており、姉も金融関係のしており、母も同席しました。みんな家族との生活を大事にしていて に中はしっかり働いて 仕事が終わったら家族や友人と過ごす。
夕食前は公園に行ったり、映画を見たり、エアロビに行ったりしてるそうです。ジムは女性専用でスカーフを付けなくても良く、女性同士の場所なら好きな格好で良く、公共の場 家族以外の男性のいるところではスカーフは必要だそうです。
姉妹が利用するショッピングモールには 世界的に名の知られるブランドショップが軒を連ねていた。アメリカの若者に人気のブランドも発見。パーティー用のハイヒールも売られていた。
■600キロ離れた イラン第2の都市 マシュハドはイスラムの聖地で、第8代イマーム・レザーが9世紀に殉教した場所として、国内ばかりでなく他のイスラム国からも熱心な信者達がやってきます。
■隣国 トルクメニスタンに
時を刻む 選「イラン じゅうたんに描く遊牧民の夢 文様」
NHK BSP 2013.2 初回放送
イラン南部の山岳地帯に生きる 遊牧民 カシュガイ の女性達が 暮らしの中で作る「羊毛のじゅうたん 」は2010年に無形文化遺産「ファールス州のじゅうたん織り伝統技術」になっている。
イランの首都 テヘランから 南に700キロ ファールス州の古都 シーラーズ。
・世界遺産「エラム庭園」18世紀に作られた 水と緑のあふれる 美しいペルシャ庭園。
・「ハーフェズ廟」イランの最も有名な詩人ハーフェズの霊廟。美しいパビリオンとメモリアル ホールがある。シーラーズは多くの文人・詩人を輩出している。
シーラーズから山道を3時間ほど走り 標高2500mほどの山あいにある 遊牧民の夏の宿営地 サルタング村に着いた。冬の間ペルシャ湾近くの海岸線で暮らし 夏になると 涼しさと牧草を求め 山岳地帯に200キロ以上移動してくる。
標高が高いため日差しは強く ほとんど雨は降りません。草や灌木が点在するだけの過酷な大地です。
ここで暮らす 6人家族のデフガニーさん一家です。夕食を作っているのが14歳の4女 ズィーナットさん。4月下旬 50頭の羊と共に移動してきました。
カシュガイの女性にとって最も大事な仕事は じゅうたん織りです。遊牧民にとって じゅうたんは生活の必需品です。羊の毛を手で紡ぎ、糸を草木で染めて、手作業で織り上げます。
カシュガイのじゅうたんは「ギャッベ 」と呼ばれ 洗練されたペルシャじゅうたんと違い 長い毛足と柔らかな手触りが特徴で、のどかな遊牧生活が素朴な文様として描かれています。
カシュガイの暮らしは 衣食住すべて羊と共にあります。羊の毛でじゅうたんを織り 乳を搾りミルクやヨーグルトに加工します。そして肉も食べる。
住まいは風通しの良いワンルームで じゅうたんの上が居間で 夜は寝室にもなる。家の奥にかけてある装飾用の手作りじゅうたん、下に来客用の布団や家財道具があり、じゅうたんで作った収納ケースや、ロバやラクダ用の鞍袋もあります。
カシュガイの女性は小さいころから じゅうたんを織りはじめ、ズィーナットさんはこの夏から本格的に19歳の姉の手ほどきで始めました。2人は明るい屋外で 地面に水平に置いた織機に縦糸を張り そこに様々な色糸を織り込みます。トルコ織りといわれる折り方で 縦糸2本に糸を絡めるので丈夫なじゅうたんになります。2人が織ろうとしているのは 幅1m 長さ1.5mのギャッベ、1日数センチ織り進むのがやっとという根気のいる仕事で横に1列織ったら交互にした縦糸に横糸を通しますが、とても力のいる仕事で そのあと織り目をたたき締めます。櫛で毛並みをそろえ長めに切りそろえます。織り糸の色を変え文様を描きます。色やデザインは決まっていず 自由な文様にしていきます。
台所でも 朝食用のナンをこねるのも ラクダの毛を混ぜたじゅうたんの上です。
女性達は水くみも大事な役割でズィーナットさんは300m離れたリンゴ農家のため池から 何度も台車で水を運びます。男達は羊を放牧し 銃で狼から守ります。ライオンの文様は 強さと勇敢さ そして 深い知恵の象徴で男達の理想の姿が描かれている。
親戚の結婚式の招待状を少年が持ってきてくれた。親戚の住む サルタング村には 20世帯120人ほどが家を構えている。イランでは遊牧民の9割が定住して村で暮らす。結婚するバハラさんは19歳で、5才の時に村に定住し 家族とレンガ作りの家に暮らしています。家には水道が引かれ 電気もプロパンガスもあります。カシュガイでは家財道具は花嫁側が用意するのが慣わしです。まだ自由恋愛は一般的でなく 男性が花嫁の父に結婚を申し込みます。
花婿は昔から知っている人で ハンサムで、彼だったりいいなーと思っていたそうです。
家の裏にあるくるみ林でバハラさんは 昼の多くの時間 じゅうたんを織っています。ギャッベを織りそれを売って家計を補うことが 定住した女性達の役割です。今織っているのは嫁入り道具で これを夫のテントに持っていくのが伝統で、それはお嫁さんの能力を測る基準にもなるそうです。
実はバハラさんの結婚相手は 今も遊牧を続ける男性で、父は便利な定住生活しか知らない娘を心配しています。
ズィーナットさんは母と ピドム というミントの1種で 何でも効いて おいしく食べられる薬草を採っています。母達は 厳しい遊牧生活を生き抜く知恵を日々伝えていきます。じゅうたん織りも 暇があれば きて 共に仕事をして教えていきます。
テヘランでは ペルシャ手織り絨毯展示会が開かれていた。数百万円もする シルクの超高級じゅうたんもみられました。 あのギャッベの展示もあり 値段はペルシャじゅうたんの半分ほど、欧米や日本で需要が高まってきている。素朴さがストレスを癒やしてくれ人気だそうです。
じゅうたん商がギャッベを買い付けにきました。値段は大きさ デザイン 色合いで決まります。目が詰まっているほど丈夫で 高値で取り引きされます。
値段の相場は幅1m長さ2mで およそ6000円、月々の家計の半分が賄えるそうです。値段交渉する女性も。この買い付け人は約1万人の女性と契約し、手間のかかる糸の草木染を自社工場で行い 織ってもらい工賃を支払っています。
自然染料の材料は、ピスタチオの畑 ローナスという西洋アカネの根から 変色しない 赤色。ザクロ の赤い皮を乾燥させると 黄色が生まれる。ジャシールという岩場に生える草から艶のある緑になる。
バハラさんの結婚式 遊牧生活で緑が絶えないようと願いを込めた 世界で1枚だけのじゅうたんが完成。当日 緑のじゅうたんの上で父に感謝を表します。父はこれからの放牧生活を想い不安で泣き出してしまった。カシュガイのしきたりで コーランを頭の上に掲げ車に乗り 結婚式にしきたりで参加できない父親に別れを告げ 3キロ先の大地の結婚式の会場へ。500人が集まり結婚パーテーはカシュガイ伝統の歌や踊りが続きます。
9月末 遊牧民が山を降りる季節になりました。ズィーナットさんはじゅうたんを織り続けています。デフガニーさん一家は テントをたたみ トラックに積みました。
4Kプレミアムカフェ 鶴田真由のイランふしぎ体感紀行
NHK BSP 2023.10 OA
鶴田真由のイランふしぎ体感紀行 ~鉄道とバスでめぐる1200キロ~(2016年)
2千500年の歴史と文化を誇る不思議の国を、女優・鶴田真由が鉄道とバスで縦断する。
正式には イラン・イスラム共和国、日本の約4.4倍の土地 8,920万人が住む(世界人口白書2023)
■タブリーズ:13世紀には イル=ハン国の最初の首都でした。世界遺産のバザール 延長6キロもあって、店の数7000以上。マルコポーロもその活気に圧倒されたと記録に残っているそうです。金や宝石など貴金属を取引するアミル・バザールと絨毯を取引するモッザファリエ・バザールが有名です。
■キャンド・バーン(カンドヴァン):タブリーズから小さなバスに乗って向かう。日本のことを聞くと「おしん」と返ってきた。女学生がいてイランの女子の大学進学率は5割以上だそうだ。岩がにょきにょきと建っており、1つ1つに 小さな穴が開いている。この岩山は噴火で流れ出た火山泥流が固まってできたもので、13世紀にモンゴル軍からのがれた家族が 岩をくり抜いた洞窟住居に住み着いた。20代以上住み続けているそうだ。村の唯一の泉、冷たくておいしい。今は名水になっている。
タブリーズ駅から、4人用コンパートメントの夜行列車に乗り 12時間かけ、450キロ先の テヘランに
■ テヘラン:現在ホテルや巨大なショッピングモールを建設中です。女性達のファッションカラフルにに、スカーフを身につけ袖が長ければ大丈夫だそう。人気のデザイナーを訪ねると、女子4人で会社を立ち上、 伝統的模様を使って最新のデザインを発表している。
19世紀に建てられた世界遺産のゴレスターン宮殿、ゴレスターンとは「バラの園」という意味で、ヨーロッパとペルシャの建築様式が融合した、見事な造りで、壁や天井は伝統的模様で覆われ 精巧なタイルやモザイクアートが施された建物。壁画の模様や、唐草模様など 伝統模様と色使いをファッションに取り入れている。
テヘラン駅から400キロを8時間、優秀な女性が多く 医師も女性が7割占めるそうだ。乾燥地帯を走る。
1日3回、お祈りの時間 20分あって、列車は最寄りの駅に止まり、どの駅にもあるお祈りの部屋に向かう。
■イスファハーン:(⬆にもあり) 16世紀末にサファヴィー朝の首都として栄えた古都。
イマーム広場にある シャイフ・ルトゥフッラー・モスク、天井はドームで 神のいる天空につながる世界です。レモン型の模様は天からの恵み 雨のしずく、青い色は空と水を象徴している。集まった光は点に射しこみ、神への使い孔雀の尾が現れる。

イマームモスク(シャー・モスク)はモスクの装飾は全て細かなタイルが組み合わさってできている。
修復中で、モスクの屋根のタイルを剥がしそのままの形で並べていた。ドームは微妙なカーブをもっていて、タイルを50cmほどに切り分けて、型紙にとって、色別に型紙を切り分け、その1つ1つを新しいタイルに貼り、寸分違わず削り元に戻す。繊細な部分も修復。400年前 全て計算されて作られ神の仕事のようです。
■バスで400キロ 8時間で シーラーズに (⬆にもあり)。乾いた大地が続いてシーラーズは「バラの街」ともいわれ 詩人や哲学者が多数生まれている。紀元前から大きな街で、年中気候が穏やかで川も流れるオアシス都市です。
訪れたのは5月初め、バラが満開になる頃です。世界でここからバラの栽培がここから始まったといわれる。バラの花を煮て香りを抽出した、ローズウオーターは美肌効果や気分をリフレッシュする効果があり古代から愛用されてきた。聖地メッカの神殿を清めるのに使われたり ゾロアスター教などの宗教的な儀式で香水として使われている。ごく少量だけとれるローズオイルはクレオパトラも愛用した香水として知られる。
代々バラ農家が栽培していて、7人兄弟の一家が営むバラ園におじゃました。家族30人総出で 朝早くからバラの花を 1枚1枚丁寧に手摘みして、瑞々しい花弁を水とともに釜に入れ蓋を閉め30分ほど煮ます。
エキスの含む蒸気をパイプで流し 水で冷やして液体にすると、ローズウォーターと ごくわずかのローズオイルです。
バラのモスク ナシール・アルムルク・モスク は19世紀に作られ ピンク色が目立ち バラをモチーフされている。
ザクロス山脈に住む、カシュガルの遊牧民の元に。(⬆にも詳しくあり)
5月から10月まで 家畜の羊やヤギと暮らす。ミルクからバターを作り、毛でギャッベという敷物を織ります。