TBS 世界遺産 ローマ帝国の辺境地帯 〜 イギリス横断!古代ローマの長城(2022.2.20)
ハドリアヌスの長城 兵士のために要塞があった。その要塞から多くの発掘品から兵士の生活がわかった。
NHKBP 空からクルージング 「知られざるヨーロッパの遺跡」・ 「ヨーロッパの城と宮殿」
「スコットランド・ハイランド横断紀行」・「イギリス保存鉄道の旅」 「世界ふれあい街歩き」などの備忘メモです。
Googleマップにマーキングして 登録されている写真を 楽しんでます。
- Googleマップ
- 全長120キロ ローマ帝国北限の防壁 ハドリアヌスの長城
- 空からクルージング 知られざるヨーロッパの遺跡
- 空からクルージング ヨーロッパの城と宮殿
- 空からクルージング スコットランド・ハイランド横断紀行
- NHKBS 一本の道「イギリス コーンウォール“地の果て”をゆく」
- 一本の道mini ウイスキーの道をゆく スコットランド・スペイ川に沿って
- 一本の道mini 歩く“原点”をゆく イギリス・ピークディストリクト国立公園
- 世界ふれあい街歩き
- イギリス保存鉄道の旅
- 桃源紀行
- その他 世界遺産
- プレミアムカフェ 選 ヨーロッパ 魅惑の島紀行
- イギリスの小さな旅〜イーストアングリア紀行「伝統を守る中世の街〜ノリッチ」
- TBS 世界遺産 「ドーセット及び東デヴォン海岸」
- TBS 世界遺産 ウェールズ北西部のスレートの景観 〜 山の形を変えた ウェールズの鉱山
- キュー王立植物園
- エリザベス英女王 葬儀
- 世界ふれあい街歩き★選 ジブラルタル (イギリス領)
- オークニー諸島の新石器時代遺跡の中心地 〜 スコットランドの北の海 巨石文化の島
- 世界遺産 時を刻む 選「トルコ 天才が創り出した神秘 匠」
Googleマップ

見たい場所のマーカーを選ぶと Googleマップからの写真左側が表示されます。
Google マップで見る をクリックすると 新しいタブで Googleマップが開きます。
写真をクリックすると 右側に大きな写真が表示されます。< > で前の・次の写真へ
Googleマップに登録されている写真が楽しめます。実際に行けたらなと思います。
全長120キロ ローマ帝国北限の防壁 ハドリアヌスの長城
イギリス北部を東西に横断する全長120キロの石の壁。地形に沿うように築かれた壁はまるで万里の長城のよう。
1900年前、ローマ帝国北限の防壁として皇帝ハドリアヌスにより作られたハドリアヌスの長城。
東海岸 東のタイン川のウォールセンド ~ 西海岸 ボウネス=オン=ソルウェイ まで作られた石の壁は 当時は高さ5m 厚さ3mという巨大なものだった。
約1.5kmの間隔で監視所も設置されていた。また、6km間隔で要塞も建築され、要塞には500人から1000人のローマ兵が配備されたと推定されている。

ハドリアヌスの長城を作ったのは兵士達
巨大な壁を作ったのは、帝国中の イタリア・スペイン・フランス・ドイツ・アフリカなどから集められた兵士たち。
兵士が暮らしたのは17個の要塞。
・ハウステッズ要塞(ハウシズテッズ・ローマン・フォート – バーコービシアム – イングリッシュ・ヘリテイジ・サイト)
・チューダーズ要塞
兵士の墓が見つかり 出身地が書かれていた。
ローマ帝国 最盛期の皇帝ハドリアヌスは(117~138)は広大な領土を旅した。
・ヴィンドランダ要塞(ビンドーランダ)
広さ 2.8ha 高い壁の中には多くの建物。司令部、軍旗、馬具、剣、金庫が見つかる。金庫の中には多くの貨幣 兵士の給与。
1900年前の大量の革の靴(数千足)、生活用品が当時の状態のまま見つかった。
酸素を含まない土なので腐っていなかった。中でも大発見はラテン語の文章が書かれた木の板。軍の報告や記録で塩や肉やビールを買っていた。個人的な 女性から女性への手紙もあった。
要塞の外に街があり 兵士の家族が住んでいて 肉屋や居酒屋や浴場があった。
最果ての辺境でさえも ローマと同じような施設があったのだ。
ローマ帝国が支配した所に残る遺産
・ローマ歴史地区(フォロ・ロマーノ) (世界遺産)
征服した土地に 都と同じような構造物をつくり、当時の最先端の娯楽や生活を拡げた。
・ヒエラポリス-パムッカレ(世界遺産 トルコ) ローマ帝国の東の端
白い棚田の奇観は、古くから綿の名産地だったことからパムッカレ(綿の城)と呼ばれます。
パムッカレの石灰華段丘の一番上にある遺跡。ローマ帝国の温泉保養地として栄えた。
・エルジェムの円形闘技場 (世界遺産 チュニジア) ローマ帝国の南の端 アフリカ
・ヘラクレスの塔(世界遺産 スペイン) 築2000年の世界最古の現存する灯台
「ローマ帝国の国境線」として 3つが世界遺産に登録されている。
ハドリアヌスの長城
北にあるアントニヌスの長城 約60km。
リーメス ドイツのライン川とドナウ川の間に残る長城跡。約550km。
空からクルージング 知られざるヨーロッパの遺跡
・ハドリアヌスの長城:こちらにも出てきました。
・スコットランドのオークニー諸島に残る5000年前 新石器時代の集落遺跡
リング・オブ・ブロッガー(世界遺産):近くにあるストーンサークル環状列石
ブロッホ・オブ・バーゼイ:干潮時にしか渡れない先住民が住んだ跡
空からクルージング ヨーロッパの城と宮殿
・エディンバラ城:スコットランドがイングランドからの独立戦争や宗教戦争などの抗争の舞台となり、破壊と再建が繰り返されました。岩山の断崖絶壁にあり 現在は廃城になっている。
・アーカート城:ネス湖の畔に13世紀に創設され、14世紀にはスコットランド独立戦争の舞台となった。 現在は廃城になっている。
・スクーン宮殿:16世紀に建てられ 現在貴族が住んでいる。歴代スコットランド王が「スクーンの石」の上で戴冠式を挙げた
・リンリスゴー宮殿:優雅な中世の宮殿の遺跡。スコットランド女王メアリーの生誕地。湖畔の公園内にある。
・ダノター城:切り立った崖の上にある。イギリスとスコットランドの戦いで廃城になった。
・アイリーン・ドナン城:ドゥイッヒ湖の小さな島にひっそりとたたずむ。13世紀初頭ごろに築城されましたが、18世紀に政府軍によって破壊され、200年近く廃墟に 20世紀になって再建
・コーダー城(カウダー・キャッスル・アンド・ガーデンズ):14世紀に建てられ コーダー伯爵の所有でシェイクスピアの「マクベス」の舞台となった。跳ね橋や庭園にミノタウロス(牛頭人身の怪物)の彫像が飾られている。
空からクルージング スコットランド・ハイランド横断紀行
・コーダー城(カウダー・キャッスル・アンド・ガーデンズ)
・インヴァネス城:1835 年代に建てられた、崖を見下ろす赤い砂岩の城。現在は裁判所になっている。フローラ・マクドナルド(スコットランド独立のために戦ったチャールズを助けた女性)の像がある。
・リバー・スペイ(スペイ川):イングランドを流れ北海に注ぐ。流域にスコッチウィスキーの醸造所が密集。サーモンフィッシングでも有名。
ウィスキーの醸造のカスをエサにした牛
・Broomhill(ストラスペイ鉄道)の蒸気機関車、廃線になった路線を地元の住民が復活させた
・ネス湖:「ネッシー」で有名な湖、長さが約35キロメートル、幅約2キロメートルの、非常に細長い湖。水深は最大で約230メートル
・アーカート城:ネス湖の畔に13世紀に創設され、14世紀にはスコットランド独立戦争の舞台となった。 現在は廃城になっている。
・フォート・オーガスタス:6つの水門で水位を調節しながら 運河とネス湖を結ぶ
・グレンコー:スコットランドで最も美しい渓谷と言われる。ハリーポッターの「アズカバンの囚人」や「炎のゴブレット」の撮影も行われた場所
・グレンフィナン高架橋:ウェスト・ハイランド線の鉄道で蒸気機関車が通る
・グレンフィナンモニュメント Glenfinnan Monument – National Trust for Scotland:18世紀 スコットランド独立のため反乱を起こした人たちの記念碑
・アイリーン・ドナン城:ドゥイッヒ湖に浮かぶ島の美しい島。湖畔と橋で結ばれている
・スカイ島:起伏に富んだ地形で、海にそびえ立つ「キルトロック」と呼ばれる60メートルの断崖絶壁から海へと降り注ぐ「キルト岩の滝」がある。
反乱を率いたチャールズを助けた フローラ・マクドナルドの墓がある。
フローラ・マクドナルドは、スリートのマクドナルド氏族の一員であり、1746年4月のカロデンの戦いに敗れたチャールズ若僭王(名誉革命でイギリスを追われた国王ジェームズ2世の孫にあたる)が追っ手を巻く時に援助したことで知られる。フローラの家族は1745年ジャコバイト蜂起でイギリス政府を支持しており、フローラは後に若僭王の境遇への同情から手を貸したと主張した。
フローラは若僭王に援助した廉で逮捕され、ロンドン塔に投獄されたが、1747年6月に恩赦され、1750年にアラン・マクドナルドと結婚した後1774年にノースカロライナ植民地に移住した。しかし、アメリカ独立戦争でイギリス政府を支持したためアメリカでの領地を失い、2人はスコットランドに戻った。
出典:Wikipedia
NHKBS 一本の道「イギリス コーンウォール“地の果て”をゆく」
イギリスの南西部に突き出たコーンウォール地方は、断崖絶壁と、日の光によって色を変える美しい海で知られる。古くはケルト系の人々が住んでいたといわれ、独自の文化を受け継いできた。
・セント・アイヴス:出発 海沿いの道を70キロ歩く 、風の強い 荒々しい海。
・ゼノア:牛の行列、3000年以上前から 家畜を飼うための石垣を築いていた。
・ナインメイデンズダウンズ Nine Maidens Stone Circle:数千年前のストーンサークル。伝説では9人の乙女が踊って罰として石に変えられた。近くに石を積み上げたような山カーンガルバ
・コーンウォールと西デヴォンの鉱山景観 (世界遺産):牛や馬が草を食む草原には、当時使われた煙突や、レンガ造りの動力施設の廃墟が、無数に点在しており、その景観が世界遺産になっています。
・ランズ・エンド:難破した船、地の果て、イングランドの最も西、ニューヨークまで3147マイルの看板
・ミナック シアター The Minack Theatre: 演劇を愛する女性が数十年かけ完成させた野外劇場
・セント・マイケルズ・マウント:海の中に1000年前の修道院があり 潮が引くと道が現れる。今は貴族の館
一本の道mini ウイスキーの道をゆく スコットランド・スペイ川に沿って
2016年12月 放送した5分版。
バリンダロックからスペイ川に沿って北海に向かう。スコットランドでは、ウイスキーが「命の水」と呼ばれている。泥炭で茶色くなったスペイ川。この泥炭がスコッチウイスキーの香りの理由。蒸留所を訪ねてテイスティングをさせてもらい、たわわに実った大麦畑。スペイ川はサーモンフィッシングでも有名。スペイ川とともにゴールの北海へ到着。
一本の道mini 歩く“原点”をゆく イギリス・ピークディストリクト国立公園
2016年10月 放送した5分版。
イギリスで最も古い国立公園であるピーク・ディストリクト、東京23区の2倍の広さがある。イギリスではフットパスという自然道が張り巡らされ、私有地でも自由に歩くことができる。地元出身の案内人と 羊の放牧地を抜け、6kmも続く砂岩のがけ スタネッジエッジに登り、広大な国立公園を歩く。
1932年 貴族が所有する土地に労働者たちが侵入し キンダースカウトの丘を目指した。その事件がきっかけで イギリスでは歩く権利が確立した。
世界ふれあい街歩き
炭鉱で栄えた陽気な街 イギリス・ニューカッスル
・ニューカッスル(ニューカッスル・アポン・タイン):産業革命の時代から炭鉱で栄え、イギリスのものづくりを支えてきた工業の街
・ニューカッスル城:タイン川沿のローマ帝国の要塞跡に建てられた。
グレー伯爵の住んだ ニューカッスルに 紅茶のアールグレイの会社 リントンズ本社がある。
・ビーミッシュ, 北部の生きる博物館:石炭炭鉱の跡地に建った。
水と緑の街 ロンドン・イズリントン/イギリス
イズリントンはロンドンから地下鉄で1時間 150年前英国で初めてつくられた地下鉄駅におり 中心街を目指します。緑あふれる街です。
ロンドンの北 カウ クロス ストリート(牛が交差する通り)
200年前 スミスフィールド 食肉市場があった。
ハーブを育てている修道院の庭
年代物のいいコーヒーカップなど食器が並んでいる骨とう店
ロンドンの北隣に位置することから 川を作り 水路を作り ロンドン市民の保養地になり、高級住宅地 ショッピング街としての開発された。劇場や娯楽施設も建設された。しかし20世紀半ばになると経済不況で人口が減少していった。1960年代から見直され 自然と調和された街になった。
運河沿いでは「ロック」と呼ばれる水門があり 水位を変え船を運航する。
停泊している船を 自宅兼パン工房にしている 若いカップル。
イズリントンから東へおよそ7km。2012年ロンドンオリンピックのために建てられた オリンピックパーク
未来を切り開く イギリス ベルファスト
2022.11.29
イギリス 北アイルランド地方の中心都市、ベルファスト。イギリス本土と海を挟んだアイルランド島にある 丘に囲まれた緑豊かな港町です。
19世紀に大英帝国に併合されたアイルランド島。プロテスタントを信仰するイギリスからの移住者と、カトリックを信仰する先住民ケルト人との間で争いが絶えませんでした。1922年、カトリック系が多い島の南部が独立。ベルファスト一帯はプロテスタント系が多く、北アイルランドとしてイギリスに留まりました。すると、両宗派の住民間で、アイルランドかイギリス、どちらの国に属するかをめぐって北アイルランド紛争が勃発。鎮圧するため イギリス軍が投入され 爆弾テロが1万6000件以上起きた。居住区を分けるため 100以上の分離壁が造られた。平和の壁と呼ばれ 長いもので 5kmもある。毎日検問所を通り出勤していた。 1998年、和平合意が締結され、3000人以上が犠牲になった紛争は終えた。今は多くの観光客が訪れる。
街の入り口、ラガン川沿いのバス停からスタート。街の中心は 19世紀ビクトリア時代の建物と新しい建物が混在する。石造りの重厚な建物、アルバート記念時計塔が歴史を感じる。
すごーく細い道 上には酒樽。爆弾テロのあったアーサー広場、ピンクの2階建てバス。
ベルファストは豪華客船タイタニックを生んだ造船の街で、ビクトリア女王の造った荘厳なたたずまいの市庁舎は 産業が栄えた19世紀の隆盛を感じさせます。
アッパー クイーン ストリート 女王が通りの名になっている。
ハーブがアイルランドのシンボルで 爆弾テロの被害にあい改装した楽器店がありました。
テロを防ぐために所持品検査が行われていた通り。
地元の人が集う歴史を感じるパブは 1720年から開いていて ゲール語の文字やアイリッシュダンスの衣装を飾っていた。紛争中も酒場は共に黒ビール楽しんでいた。
カテドラル クォーター 昔は治安の悪いところだったが 今は人気のエリアに生まれ変わった。
ミュージックセンター 、ベルファストは紛争地でライブをするバンドもなく、DIY精神で 若者達はパンク音楽を聞くことで宗教や戦争のこと忘れた。
混合チームで ハーリングを楽しむ 若者達。
対岸のタイタニックを生んだ造船の街には 再開発でタイタニック・ベルファストやホテルが出来ていた。
ちょっとより道
ベルファストからバスで30分ほどのネイ湖。天然ウナギの漁場として有名です。ネイ湖は水温が低いため、ウナギは長い時間をかけて成長します。ドイツやオランダなどヨーロッパの各国に輸出されます。200年前から 家族7代にわたり伝統の漁を守り続けてきた漁師さん。3時間かけ400個の釣り針にエサを付けた 長い縄を手繰り寄せ、一本釣りのようにウナギを釣り上げます。フライパンで塩焼きにしてパンと食べていた。
ジャージー島
イギリス海峡にあるチャンネル諸島のジャージー島はイギリス王室の直轄地 独自の政府がある。人口は約92,000人。タックスヘブンで有名で州都はセントヘリア。
イギリス本土よりもフランス本土のほうが近いためか街並みはとてもお洒落で 通りのサインもフランス語と英語とジャージー語で表示されています。
ジャージー牛の原産地。潮の干満が世界有数。
海に浮かぶエリザベス城。潮が引くと歩いて20分でいける。水陸両用のバス有り。
世界ふれあい街歩き 格式高きクールな街 ロンドン メイフェア&ソーホー
NHK BSP 2023年6月 初回放送
地下鉄ボンドストリート駅を降りて、世界中の高級ブランド店が立ち並ぶ通りへ。かつてメイフェアに暮らしていたチャーチル元首相とアメリカの元大統領ルーズベルトの銅像の横で、セレブを顧客に抱えるお花屋さん。200年以上の歴史をもつアーケード、日本語の背広の語源になったという、紳士服の仕立て屋が並ぶサビルロウ。150年以上の歴史をもつジェントルマンズクラブは男性のみが会員で 入会には6人の会員の推薦が必要。19世紀の建物が並ぶ通りや、女性オーナーが経営する人気のカフェ。メイフェアに暮らすアーティストの女性と出会い、招いてもらった自宅の屋上で 近所さんが集まってパーティーを開いていた。
17世紀にロンドン中心部で起きた火災をきっかけに 多くの人々がメイフェアに移り住みました、市場が毎年5月に開催されていて メイフェア(5月の定期市)が街の名に。17世紀にメイフェアの地主の娘と結婚した 名門貴族グロブナー家の当主が、富裕層向けの家を建て街作りを行った。亡きエリザベス女王が生まれた街としても有名です。
世界ふれあい街歩き 選★ロンドン ウェストミンスター
NHK BSP 2013年2月 初回放送
ロンドンのウェストミンスター地区。
地下鉄の駅から、ビッグベンは英国国会議事堂として使用されているウェストミンスター宮殿に建設されている 高さ96.3mの時計台で、ロンドンを象徴する建造物です。
バッキンガム宮殿はイギリス王室の公式の宮殿で 1837年から王または女王のロンドンの公邸として使用されています。バッキンガム宮殿のバルコニーは、王室ご一家が国民の前に姿をお見せになる場所となっています。外周護衛を担当する近衛兵の交代儀式を見物できる。
18世紀につくられた石造りの美しい街の路地裏を歩くと 目についた青いプレートは、昔住んでいた著名人の屋敷に張られていた。アラビアのローレンスの主人公の住まいだった。
ウェストミンスター寺院では 歴代国王の戴冠式など王室行事などが行われていた。
パブでビールを飲むのが日課の退役軍人がいた。退役した陸軍兵士のために建てられたチェルシーの王立保養院で暮らし「保養院から2マイル以内は青い制服、2マイル離れたら赤い制服を着るんだ」と教えてくれました。
1805年の トラファルガーの戦いで 勝利に導いたネルソン提督の像がそびえるトラファルガー広場。ここにあるライオンの像にタカが止まっています!実は タカ匠 がタカを操ってハトを追い払う仕事をしていた。
セントポール大聖堂はチャールズ皇太子と故ダイアナ妃が結婚式を挙げた場所で、数多くの写真や映画に登場する大聖堂です。
王室御用達の紳士服店で 17世紀から作り続けている 法廷弁護士用のかつらを見せてもらった。
ウェストエンド はロンドンの金融街シティから西側、美術館巡りやショッピングが楽しめるエリアのこと。世界トップクラスの俳優たちの演劇やミュージカルを鑑賞できる。
イギリス保存鉄道の旅
ペイントン・ダートマス鉄道
始点は ペイントン駅:古くからの海辺の保養地。
旧グレートウエスタン鉄道の支線です。
1910年製のタンク型機関車です。かつて ウェールズ地方で石炭運搬していた。
機関車はGOLIATH ゴリアテ 1963年解体されることになったが 保存協会に引き取られ復活。
水を補給したGOLIATH 先頭車両に 後ろ向きのまま連結して 走り出す。
タンク型なので 前向き 後ろ向きでも走れる。
11.2キロ 30分で、終点 キングスウエアに到着。ダートマスには5分ほどのフェリーで渡ります。
キングスウエアは港まで迫った山の斜面に街があります。
作家アガサ・クリスティはここに暮らし この地を舞台にした小説があります。
※保存鉄道:過去の鉄道路線を復活させもしくは継承して運行されている鉄道路線で、観光施設として運行される鉄道のことである。主に運営はボランティアで行われる。イギリス全土で100を超える保存鉄道がある。
フェスティニオグ鉄道
ウェールズ地方 北部の港町 ポースマドッグ(ポルスマドグ)に、1832年 石材を運ぶために開通。
一風変わった 赤い機関車は2つの煙突と前後に付けられたシリンダー まるで機関車を背中合わせしたようなデザインで、名はデービット・ロイド・ジョージ。
前後のシリンダーは独立して動かせ、前にも後ろにもスムーズに走れ 片方に多少のトラブルがあっても走り続けることができる。
この機関車1台で 12台の客車を牽引できる。
実は 1886年製のオリジナルを 1992年この機関車を忠実に再現した。ただ石炭燃料から石油燃料に変えた。(ポー 煙がもうもう吐き出される。 ゴトゴトの音もいいですね)
列車は国立公園の森へと入っていきます。機関車の燃料を変えたのは 煙突から火花が飛び出し 火事になるのを防ぐため。(ポー) 列車はかつて石材を採掘した山に向かいます。
21.7キロ走り おおよそ1時間で 終点のブライナイ・フェスティニオグに到着。
機関車は転車台で向きを変えることなしで ポースマドッグに戻る。
ウェルシュ・ハイランド鉄道
この鉄道も ウェールズ地方 北部の港町 ポースマドッグ(ポルスマドグ)に、1872年に開通。
1934年 廃線になり 線路も完全に撤去された。
地元の人が支える 小さな保存鉄道です。現在使われている機関車は ゲラートの愛称を持つサイドワーク型機関車 1953年に製造され アフリカの鉱山で使われていた。4つある車輪は 熱い鉄板の裏に着けられ 外側から見えない。
いったん撤去された鉄道を再建するのは難しく、必要な資金を集め 土地を買い戻していかなければなりません。まだ1.2キロしかできていません。
走り出して 2分ほど列車は停止し、博物館に案内された。
この鉄道は 1863年に 馬車鉄道として引かれた。運んでいたのは 屋根や天井 壁に使う ストレート。
再び走り出し ペニーマウント駅まで 5分足らずで 終わった。
その後 カーナーヴォン側から修復作業が開始され、フェスティニオグ鉄道と接続された。
カーナーヴォンは メナイ海峡の東岸にあり、対岸はアングルシー島で 巨大な中世の要塞に守られ、ゆったりと流れる水路に囲まれた古い町。カーナーヴォン城がある。
レーブングラス&エクスデール鉄道
アイリッシュ海に面した河口に古くから栄えた港町 レーブングラスから11.2キロの鉄道。
遊園地にあるようなかわいい鉄道で、レール幅は通常の1/3程度の38.1cm。
小さな機関車に使う 石炭や水は牽引する 炭水車に積み込みます。
始発駅と終着駅では転車台を使い 向きを変える。
今走っている機関車は3台で レーブングラス・アンド・エスクデール鉄道が跨ぐ 川の名がついている。
赤い機関車は RIVER MITE マイト、緑の機関車は RIVER IRT アート、黒い機関車は RIVER ESK エスク。
レーブングラス・アンド・エスクデール鉄道は1872年に鉄鉱石を運ぶ貨物用の路線として開業、当時は 90cmのレール幅でした。それが撤去され 観光用に現在のレール幅となった。1960年競売にかけられたのを保存協会が落札され復活。
1年中運行され 夏の最盛期15本走る。スピードは時速25キロで、走る客車は 天井も窓もないもの、 天井がないものもある。
出発して 凡そ40分でデールガース駅 Dalegarth に到着。目の前は牧場でした。
桃源紀行
桃源紀行 ウィットビー(イギリス)
NHK BSP 再放送
イングランド北東部に位置し、北海に面した美しい港町ウィットビー、最近はリゾート地として知られている。ウィットビーはヨークシャーにあり 現在人口は1万3千名ほど。
ここは、探検家「キャプテン・クック」が航海に船出した港としても知られいる。
生き血を飲む吸血鬼・ドラキュラの物語は、19世紀、ウィットビーで誕生しました。
199段の階段を登り 高台から ウィットビーを見下ろせる。
スイングブリッジは 扉が閉まれば 通行止めに、大きな船を通すため橋が廻る。
ライフボードのボランテイア(船の救急車)をする人達。
657年築かれ 今は廃墟になっている ウィットビー修道院 北海を行く船の羅針盤代わりになっていた。
桃源紀行 ロンドン・ソーホー(イギリス)
NHK BSP 2018.3 OA
まばゆいネオンが光るロンドンの中心にある ソーホー、劇場や 映画館が建ち並ぶ エンターテインメントの街で世界中から 多くの観光客が訪れる。
もう1つの顔、かつては富裕層の街だったが やがて移民を受け入れる街へと変貌した。
イギリス南部生まれの ソーホーに20年暮らす ラジオ局のDJ クレアさん地元を紹介。
大きな街頭ディスプレイ・ネオンサインが有名な ピカデリー・サーカス (Piccadilly Circus) は、ロンドンのウェストミンスター区、ウエスト・エンドにある広場(「サーカス」は通りの合流点における円形の空き地の意味)で 、チューダー様式の美しい老舗百貨店など 名所がたくさん。
ソーホーはロンドンの流行の発信源と言われる。
ソーホーはおよそ2.5平方キロ の小さなエリアに 3千人以上暮らす。暮らしを支えるお店があちらこちらにある。イタリア料理食材店があり イタリア系移民が暮らす。この食材店をルーマニア系の人が後を継いで 店の食材でサンドイッチを作ってくれる。
野外市場では 最近 各国の料理を出す屋台、花屋がある。
ビルの谷間の180人が通う小学校、6割近くが母国語が英語以外、20以上もの人種の子供達が楽しく学んでいる。
ソーホー・スクエア は人々の憩いの場 広場の周辺には多くの貴族や富裕層が暮らしていた。 その1つ セント・バーナス邸は 名残を残すが フランスで宗教弾圧が進むと ソーホーにフランス人が移住してきた。その後様々な国の人が移住 富裕層は立ち去り 貧しい移民街に変わった。
その象徴の セント・アンヌズ教会にある絵画には ローマカトリック教会・インクランド国教会・ユダヤ教の 3人の司祭で運営していた様子があった。
桃源紀行 ケズィック (イギリス湖水地方)
NHK BSP 2017.11 OA
なだらかな山々と湖に抱かれた 美しい田園風景、ここはイギリス湖水地方のケズィック。古くから多くの作家や詩人達を惹きつけてきた。イギリス人憧れの地だ。雨が多く 時に自然は厳しい。
この土地に魅せられて25年前に移り住んだボブ・ブライデンさん(80)を案内役に、観光地だけではない湖水地方の魅力と、その土地に根付いた人々の暮らしを紹介する。
人口5000ほどの小さな町 多くの観光客で賑わっている。1日の中で四季があるといわれるほど天気がめまぐるしく変わる。雄大な自然を満喫できる。
町の中心からすぐの所にある ダーウェント湖、湖水地方の女王と呼ばれ 優美さがたたえられてきた。
スレートと呼ばれる緑色の石がよく採れるので、落ち着いた緑色の壁の町並み。
フットパスと呼ばれる散歩用小道が整備されていて 仲間とウオーキングを楽しむ。
その他 世界遺産
セブン・シスターズ
サウスダウンズ国立公園にある、イギリス海峡に面して白い石灰岩の崖が 7 つ連なった壁。チョーク層の断崖が7人の姉妹が立っているように見えることからこの名がついた
ジャイアンツ・コーズウェー
豊かな自然が広がるアイルランド島の北端、約8kmにわたって続く切り立つ海岸線を、六角形の玄武岩の石柱群が覆い尽くすジャイアンツ・コーズウェイ(巨人の石道)
アイルランド スケリッグ・マイケル島
大西洋の孤島 スケリッグ・マイケル島は無人島 ここに行けるのは5~9月だけ。650段の急勾配を登ると1400年前 築かれた礼拝堂 ケルト十字架 住居の跡があり 修道士が暮らしたと思われ 雨水を利用した貯水槽がある。
プレミアムカフェ 選 ヨーロッパ 魅惑の島紀行
NHK BSP 2021.7初回放送(2018)
イギリス サーク島
イギリス海峡のフランス寄りにあるチャネル諸島の サーク島 人口 500人くらい。イギリスの王室属領で 最近の2008年まで封建制度が続いていたが 民主制に変わった。
現在のサーク領主 第23代目のクリストファー・ボーモント さんが案内。
車は農業用トラクターなど除いて 使用禁止で、観光客は徒歩で移動。どこまでも広がる空・のどかな自然・石造りの家並みを満喫できる。
世界でも最も美しい星空が見られる、世界一小さな刑務所がある。
デンマーク王国フェロー諸島
デンマーク北部の ヒァツハルス(Hirtshals)港 から30時間、一時領土だったノルウェーを眺め 北緯62度の極北の地 大小18の島からなるフェロー諸島 に到着。住民はノルウェーのバイキングの末裔。フェローは羊を意味し 人より多い7万頭が飼育されている。手つかずの自然が残り ペンギンに似たパフィンが生息し 芝生屋根の家が並ぶ。
デンマークの自治領で首都は最大の島ストレイモイ島にあるトルスハウンに暮らす少女が案内。
7月末に開かれる オラフ祭 ボートレースで競い合い、民族衣装で 唄い踊る。
ポルトガルのアゾレス諸島
ポルトガル本土から西へ約1,500km離れた大西洋に浮かぶ9つの島から形成される絶海の群島です。
空路 テルセイラ島に、バスコダガマの像がある。
気候は年間を通して温暖で、およそ3万5千人が暮らす アングラ・ド・エロイズモ は大聖堂をはじめ18世紀までに築かれた歴史的景観が残り、世界遺産「アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの中心地区」に登録されている。
6時間ほどで ピコ島へ、この島も世界遺産「ピコ島のブドウ園の景観」 に登録され、ぶどう畑の石垣が網の目のように拡がります。ワインは腐らないので 水の代用品として航海に重用された。ピコ島に隣の島から土を運び シチリアから苗を運びぶどうを育て ワインを作った。
イギリスの小さな旅〜イーストアングリア紀行「伝統を守る中世の街〜ノリッチ」
NHK BSP 1997.1 初回放送
織物産業が盛んな頃 最も繁栄した地方都市の一つであった ノリッチ、現在は12万人が暮らす 中世の街並みが残る美しく穏やかな街です。最も古い地区 エルム・ヒルに残る オープンマーケット。市場の中は雑貨屋さんや洋服屋さんなど様々なお店が並んで 食べ物屋さんもたくさん!昼食時 フィッシュ&ポテト に多くの人が並ぶ。
中世の教会が多く残り、ノリッジ大聖堂 は11世紀半ばから12世紀半ばにかけて建設され 15世紀に96mの高さを誇る尖塔が造られたと言われています。国内最大級の身廊を持ち、街のどこからでも大聖堂の姿を臨むことができ 内部もステンドグラスとアーチ形の天井が美しい。
TBS 世界遺産 「ドーセット及び東デヴォン海岸」
TBS 2022年9月11日放送 世界遺産 七つの不思議
ドーセット及び東デヴォン海岸はイングランド南部ドーセット州とデヴォン州に位置する海岸線(ジュラシック・コースト)、恐竜イクチオサウルスをはじめ多様な化石が発掘された。地質学上の貴重な地域として世界遺産に登録された。きれいに丸くなった湾 直径430mある。堅さの異なる地層のため偶然自然の力で出来た。
TBS 世界遺産 ウェールズ北西部のスレートの景観 〜 山の形を変えた ウェールズの鉱山
TBS 2022年11月6日放送
世界遺産「ウェールズ北西部のスレートの景観」は鉱山や鉄道などを含む。
ウェールズ北西部にあるスノードン山は海底火山で誕生 起源は5億年前に遡るという。その山地のなかで山肌の一部がむき出しになり まるで石の階段のようになっている場所(ヴィヴィアン採石場)が存在する。イギリスでは欠かせない 石材 スレートを採石した跡で山の形が変わるほど切り出していた。
スレートは採石場から塊が切り出され工場へ運搬される。ウェールズのスレートは世界最高級をほこっていて 泥岩に熱と圧力がかかり剥離しやすい特徴を持ち、薄く割れるだけではなく 成形しやすく、他より軽く耐久性があり 屋根材として使用された。
スレートはフランス ロワール渓谷にある シャンボール城の塔や、アルバニアのベラットのジロカストラの歴史地区の家の屋根、イギリスのバッキンガム宮殿、ウェールズ・ミレニアムセンター Wales Millennium Centre などに使用されている。
スレートの最盛期は19世紀後半で世界のスレートの1/3がウェールズ産だった。
階段状にして採石する方法はペンリン採石場 Penrhyn Quarryで開発された。採掘用につくられた段々をギャラリーと呼び、労働者はロープをくくりつけ作業。時には岩が崩れてくるなど危険もあったという。ギャラリーの右手にある灰色の山は廃棄された石が積み重なって出来た。
18世紀末、イギリスで起きた産業革命によりスレートを山から下ろすためにインクラインと呼ばれる当時の世界最先端のシステムが導入された。また、採石場は山間にあり 港まで 蒸気機関車で運び 現在は観光にも使用されている ポントカサステ水路橋と運河やタリスリン鉄道もスレートを運ぶために開発された。
スレートは国内はもちろん海外にも輸出されており、最盛期にはイギリスだけでも1300万軒の家の屋根でウェールズ産のスレートが使われた。ゴルセーダー採石場にもインクラインなどの最先端技術が使われていたがスレートの質は悪く数年で放置されたため 現在当時の姿が残されている。水力で動く アニスパンデ・スレート工場が建設されるなど水力も活用していた。
次々と鉱山が作られ フェスティニオグ採石場では採掘が始まると近くに労働者が住む街 ブライナイ・フェスティニオグがつくられた。当時世界一の生産量を誇ったペンリン採石場のオーナーの邸宅はまるで城のように豪華絢爛で「ペンリンキャッスル」と呼ばれる。寝室にあるベッドフレームはスレートが使われている。
ウェールズ北西部のスレートの景観は産業革命期の技術を伝えるを理由に世界遺産に登録された。
キュー王立植物園
TBS 世界不思議発見 イギリス ロイヤルファミリー 秘密の庭園!! 2022.12.4
世界遺産 キュー王立植物園(ロイヤル・ボタニック・ガーデンズ, キュー)
ロンドン南西部 リッチモンド地区の テムズ河畔に広がる約120haの広大な敷地内には、4万種以上の植物が育ち700万点以上の標本植物がある 世界最大の植物園です。
250年前から 世界中から植物を採取する プラントハンターが植物を集め、日本の植物も多くあります。
植物研究機関としても活動し 種子を収集し貯蔵するシード・バンクを行い。また品種改良を行い 移植するなどの実績も残しています。
エリザベス英女王 葬儀
2022年9月8日 イギリスのエリザベス女王が 滞在先のスコットランド バルモラル城で、家族に囲まれて96歳で亡くなった。
女王の棺は11日にエディンバラのホリールード・ハウス宮殿に運ばれた。
12日には同市内のセント・ジャイルズ大聖堂に安置され 大勢が並んで棺の前を通り弔問した。
13日女王の棺は エディンバラの空港に運ばれた。棺はアン王女に付き添われ ロンドン北西部ノースホルト空軍基地に到着し、バッキンガム宮殿に戻り 国王夫妻をはじめ王室関係者が 女王の「帰宅」を出迎えた。
14日棺はテムズ川沿いのウェストミンスター宮殿に運ばれた。
宮殿内の大広間、ウェストミンスター・ホールで女王の棺は4日間安置され一般に開放された。
ウェストミンスター宮殿の中には、イギリス議会の議事堂などもある。
19日には、女王の国葬がウェストミンスター寺院で行われ イギリス政界幹部や首相経験者 世界各国の元首や政府首脳が出席。エリザベス女王が支援したさまざまな慈善団体の代表も参列した。
寺院から市内のハイド・パーク・コーナーにあるウェリントン・アーチへ向かった。
チャールズ国王と王室の主要メンバーはウィンザー城内の中庭で葬列を出迎えた。
女王の棺は埋葬式のため 聖ジョージ聖堂へ運ばれ ジョージ6世記念礼拝堂の床に エリザベス女王が埋葬された。
世界ふれあい街歩き★選 ジブラルタル (イギリス領)
NHK BSP 初回放送 2015年12月
スペインの南側 アフリカを間近に望むジブラルタルは地中海と大西洋を結ぶ交通の要衝。
ジブラルタルはイギリス領なので スペインから入るには Gibraltar Passport Control Stationで入国審査が必要。 パスポート提示だけで通過できたが、すぐに長い赤信号、ジブラルタル国際空港があって 滑走路が交差し飛行機が飛び立つのを待っていた。
岩山につながる 城壁があって 長い城門 Landport Tunnel をくぐるとメインストリートに 出た。
ジブラルタルの東側にある標高426mの岩山 ザ・ロック は18世紀にイギリスが築いた軍事拠点で スペインの攻撃を阻んだ。第2次世界大戦では いくつもの大砲が据えられ 50Kmに及ぶトンネル網に食料など貯蔵、病院も完備し 兵士6000人が常駐していた。今もジブラルタルにイギリス軍が常駐している。
階段を上り すてきな家を眺めながら 要塞にもなっている巨大な岩山の頂上を目指す。海峡を渡る鳥たちの研究者に会う。ジブラルタル海峡は狭いので 多くの鳥たちが渡っていた。
さらに上には ヘラクレスが山を真っ二つに断ち割って地中海と大西洋をつなげたという ヘラクレスの柱 神話の北の柱 Pillars of Herculesから アフリカ大陸が眺望できる。
頂上には展望台があり 大砲がにらみをきかせていた。地中海・アフリカ大陸・大西洋が見渡せた。
オークニー諸島の新石器時代遺跡の中心地 〜 スコットランドの北の海 巨石文化の島
TBS 世界遺産 2023.1.15
スコットランドの北の海に70もの島々が浮かぶオークニー諸島。
最大の島メインランドにある4つの遺跡が世界遺産「オークニー諸島の新石器時代遺跡の中心地」になっている。オークニー諸島には5000年前、1万人住んでいた。
●リング・オブ・ブロッガー(世界遺産)
イギリスで最古級 役4500年前、直径104mの円に沿って 立つ巨大なストーンサークル。現存する最も高い石は4.2m。石の数は60のうち 現在は27が立ち続けています。周囲を深さ3m 幅9mほどの壕に囲まれています。硬い岩盤を古代人たちがくり抜いて作ったことが伺える。何らかの儀式使われた神聖な場所だったと考えられる。
●ストーンズ・オブ・ステネス(世界遺産)
対岸にある 紀元前3100年頃に造られた立石群で もともとは、12本の石が 直径30mの轘上に立っていたとされますが、今は4本になっています。最も高いものは5.7m 厚さ30cm 。近くの 薄く割れる微粒砂岩を運んできた。中央にも背の低い石が2つあり、ここも 儀式使われたと考えられる。
●メイズハウ(世界遺産)
5000年前に築かれた直径35mの丘のような遺跡はお墓でした。11mの通路の奥に広い空間があり 高さ4mの壁が残る。4隅に立石があり 囲むように薄い板状の石が積み上げられている。その間に3つの小さな石室があり ここに死者を埋葬した。通路は南西に延びていて 冬至には石室に夕日が差し込むようなっていた。
●スカラ・ブレイ(世界遺産)
海岸沿いにある遺跡 19世紀激しい嵐によって 砂地の下から姿を現した。5000年前に築かれた村には現在8軒の家が残る。家々はすべて同じ石造りで 細い通路でつながっている。人々は集落をつくり定住していた。家の中には石造りのベッドや棚もあり、中心にはいろりがあった。石でつくられた加工品も出土している。
●ナップ・オブ・ハワーは オークニー諸島の最も北 パパ・ウェストレイ島にある オークニー諸島で最も古い住居跡です。2つの建物が隣り合った石造りの家。
●ネス・オブ・ブロッガー
メインランド島の 2つのストーンサークル間にある細長い陸地にネス・オブ・ブロッガーという巨大な遺跡が発見された。いくつもの建物が集まる巨大な施設で 多くの人が集う集会場所だったと考えられる。遠く離れた地域との交流の跡もみられ 巨石文化の中心地だった。
イギリス南部のストーンヘンジ
イギリス南部にある 世界遺産「ストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群」
有名な巨石文化の遺跡。紀元前3000年くらいから建設が始まった。
アイルランドの ニューグレンジ
アイルランドの世界遺産「ボイン渓谷の遺跡群」も巨石文化があり 巨大なお墓 ニューグレンジが世界遺産になっています。
世界遺産 時を刻む 選「トルコ 天才が創り出した神秘 匠」
■ 世界遺産「カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン大修道院跡及び聖マーティン教会」
カンタベリー大聖堂は、英国国教会の総本山であり、イギリス最初のゴシック様式の大聖堂です。12~13世紀のステンドグラスや壁画、アーチ状の回廊の添乗の彫刻などがあります。12世紀に政教分離にて、ヘンリー2世に暗殺された司教「トマス・ベケット」を祀っており、巡礼者の聖地となっています。