GoogleマップでWeb旅行!「ヨーロッパ 崖の上に街があった」

NHK BSP 2020.7 OA 神秘のヨーロッパ 絶景紀行「崖の上に街があった」
ヨーロッパには今にも落ちそうな断崖の上にいくつもの街がある。まさに天空の街で どこも絶景スポット。エーゲ海のサントリーニ島、フィヨルドを見下ろす農場、ポルトガルの巨岩の中の家並み、そしてシチリア島の聖地。

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神秘のヨーロッパ 絶景紀行 「崖の上に街があった」

白亜の三日月☆ギリシャのエーゲ海 サントリーニ島

ギリシャエーゲ海にあるサントリーニ島の中心の街 フィラです。険しい山並みが雪をかぶっているように見える、山の尾根に連なる白い家並み。しゃれた家が崖にへばりつき 多くは洞窟を利用し 崖に横穴を掘って奥まで部屋が続いている。港から続くジグザグの580段もある石段。ロバが人や荷物を運びます。
現在、観光地となっているサントリーニ島、半世紀前までは 貧しい島 雨は少なく 崖は険しい。
サントリーニ島は三日月型をしており、その頂上部にはいくつもの街が点在しています。
フィラのすぐ北にある人気リゾート地の イメロヴィグリもそのひとつです。崖の街は階段だらけ、洞窟を利用した家、ホテルなどが造られています。
コロナのせいで 街は死んでしまった。
すぐそばのスカロスの街の跡(Skaros Rock) 13世紀に ここを支配したベネチア人が作った。海賊をすぐに見つけられる。18世紀に大きな地震が来て 人々は去って行った。

過去に何度も地震や火山の噴火が起きましたが、3万年前の噴火と地震によってカルデラが沈んだことで、サントリーニ島は三日月型になり、カルデラの中心であり現在も噴火を続ける ネア・カメニ島と別の島になった。

今も古代ギリシャ文明の ティラ遺跡 が残っています。

島の反対側 洞窟が家になっていて その上でワイン用のブドウが栽培されています。火山灰の土地が適しているのです。崖の中腹にある 聖アンドニオス教会」は1000年も前に洞窟を利用して建てられものでした。

悲劇に消えた街 ☆ ギリシャ ヒオス島 アナヴァトス

隣国トルコまで8kmの「ヒオス島」の街 アナヴァトス は中世に築かれましたが、19世紀にオスマン帝国が襲い、その後の地震で廃虚になりました。 虐殺があった島としても知られている。

フィヨルドの一軒家☆ノルウェー シェオースン

ノルウェー ハルダンゲル・フィヨルド を見下ろす高所にある集落 シェオースン 子山羊の丘の農場 はかつて一族が経営していたが、現在は ここで生まれ育った高齢(89歳)の女性が一人で生活していました。1年の半分を自分の生家で暮しているのです。

干潮の城☆イギリス コーンウォール地方 セント・マイケルズ・マウント島

イギリス南部のコーンウォール地方です。小さなセント・マイケルズ・マウント島は信仰の対象であり、12世紀には修道院が建てられ、多くの巡礼者が訪れる。その後は貴族の館も建設され、その子孫たちが住んでいるそうです。
干潮になると現れる道を歩いて島に渡ることができます。ちなみに、「セント・マイケルズ・マウント」はフランスの世界遺産「モン・サン・ミッシェル」の英語表記であるのは、かつては管理下にあったからといいます。

巨岩のはざま☆ポルトガル モンサント

ポルトガル 首都リスボンの北東、スペインとの国境に近いモンサント斜面はけして 急ではない でも岩がゴロゴロ。巨大な岩の狭間に家が建っている。崖に埋め込まれたようです。壁にも岩、屋根にも岩何万年も前からある花崗岩の巨石です。岩の下にあるレストランの客席は洞窟の中にありました。岩は壁代わりになっています。元々要塞の街として築かれた街だった。

街を切り裂く断崖☆スペイン ロンダ

高さ100mの崖の上にあるのは、スペイン南部のアンダルシア地方の街 ロンダ。街の真ん中にある深い裂け目に 18世期に石で造られた「ヌエボ橋」が架けられた。一方がイスラムが築いた旧市街で、もう一方はキリスト教徒が後に築いた新市街です。スペインで最も伝統がある闘牛場。もう一つの橋「ビエホ橋」アドベンチャースポーツ好きの 市の職員が 崖を降り清掃しているところに出会いました。
レストランから 古代ローマ時代の遺跡が見つかったそうです。当時の ロンダは交通の要衝で 周辺には肥沃な土地が拡がり 周囲を見張るにも もってこいでした。イスラム王朝が支配し築いた城壁沐浴場も残っています。 イスラムが去った後に街は造り変えられ、今の街並みができた。崖の上に建てられ住宅を 見せてもらうと、岩が堅固であるため安全で 見晴らしが良いため快適なのだそうです。

Photo by Hasmik Ghazaryan Olson on Unsplash

岩窟の黒いマリア☆フランス ロカマドゥール

フランス南部の丘陵地帯 にある ロカマドゥール崖と一体になったような建物がある。 キリスト教の聖地で 聖母マリア像がある。かつて司教の館だったが、今は誰も住んでいない。下の街には宿やレストラン 土産店が並ぶ。12世紀にカトリックの聖地の1つとして定められ 多くの人々が巡礼として訪れる街です。
216の階段を上ると聖域に入る。聖域には7つの祈場があり 崖の下には礼拝堂 遙か昔から ロカマドゥールの洞窟には 聖母マリア像があったと伝えられますが今はない。12世紀に作られたた 黒いマリア像が街の ノートルダム礼拝堂 に安置されています。遭難しかけた船乗りを救うなど数々の奇跡を起こした。

海に浮かぶ街☆フランス コルシカ島 ボニファシオ

ナポレオンが生まれた コルシカ島の南端、海にぽっかりと赤い屋根の街が浮かんでいる、ボニファシオの旧市街です。左の大きな建物は兵舎だった。旧市街の人口はおよそ800、古い建物を大事に使っている。石灰岩でできた垂直な崖の上にあり、岩は次第に浸食され 建物が崖からはみ出している。天然の良港があるため、周辺の国々がその領有を巡って争ってきた。

世界で最も美しい丘の街 ☆ イタリア オルヴィエート

イタリア中部、ローマの北方 オルヴィエート(オルビエト) 。火山の噴火で露出した岩の上に、紀元前9世紀、先住民族のエトルリア人が街を築きました。今でも地面を少し掘れば遺跡が見つかると言われる。中世には崖を利用した城壁が築かれ、堅固な城壁都市として発展した。

削られる街 ☆ イタリア チヴィタ・デイ・パニョレージョ

オルヴィエートの南方約15kmには 全長300mの橋でしか行けない街がある。
崖の上にあるチヴィタ・デイ・パニョレージョ は。元は5つの門がある交通の要衝でしたが、地震や地滑りによって地面が崩れ、18世紀には「陸の孤島」になりました。地盤の凝灰岩は脆く、今も風化が進んでいる。この街出身の作家は「死にゆく街」と言った。住民は11人、街を離れがたい人だけが残っている。

天空の神々 ☆ イタリア シチリア島 エリチェ

雲の中に街がある。シチリア島 標高751mの崖の上にある エリチェ(エーリチェ) 。先住民が住み着いてからおよそ3000年、時空を超えて生き続ける天空の街褐色の建物がひしめき あちこちで教会のドームが突き出している。現在は200人ほどが暮らしている。
エリチェの街から突き出たところに 遺跡があり 遠い昔 先住民はここに女神を祀った。女神の信仰はその後エリチェにやってきた 様々な民族に受け継がれた。天空のエリチェは豊かな守り神に見えたからともいう。いつしか「ヴィヌス(ヴィーナス)神殿と呼ばれるようになった。
しかし キリスト教の拡がりと共に廃墟となり、12世紀にこの地を支配したノルマン人がここに要塞を築き、その周辺に街ができ、たくさんの教会が建てられた。今も30の教会が残る。 だが、常駐する 神父は一人しかいない。

聖ジョヴァンニ教会(サン・ジュリアーノ教会)の屋根が乳房型でエリチェ風。中世 エリチェには巡礼の人達が来たので 停まる場所を提供した。
エリチェは教会の街とも言われる。聖フランシスコ・サルジオの家 ふだん公開されていない教会、王族の館のようで 18世紀の礼拝堂 天井は複雑な構図の絵が残っている。

また、ヴィヌス神殿 の石を使って14世紀に建てられたマトリーチェ教会(聖母被昇天大聖堂の鐘楼) は19世紀に内部が改築されて 色合いが淡くとても柔らかな印象を与えます。
エリチェの崖の上に暮らす人、エリチェは霧が立ちこめていると 洗濯物が乾かない、不便でもあるが 素晴らしい絶景を楽しんでいる。

アンドラ公国 世界遺産「マドリウ=ペラフィタ=クラロ渓谷」

フランスとスペインとの国境をなすピレネー山脈東部の谷間にある小独立国アンドラ公国。面積468平方キロ 人口約8万人の小さな国です。アンドラ公国の歴史は古く,839年にウルヘル大聖堂の聖別証書にアンドラ人に自治を与えたとされる。現在は 別荘地・租税回避地とリッチなイメージがある。
マドリウ=ペラフィタ=クラロ渓谷は、岩山や氷河、森林、湖といったピレネー山脈の自然の中に、集落や牧草地、山小屋、鉄の精錬所跡などが点在しており、700年以上にわたって山岳地域の人々が営んできた生活の文化的景観が世界遺産になった。