GoogleマップでWeb旅行!秘境中国 謎の民&名山紀行

NHK BSPの 秘境中国 謎の民シリーズ 天頂に生きる長江文明を築いたイ族、タンカ絵師の郷、前秦の逃れたベマ族(白馬チベット族)、アルタイの麓、巨大石柱林 張家界、名山紀行 蛾眉山、五台山。

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NHKBS 秘境中国 謎の民

秘境中国 謎の民 天頂に生きる~長江文明を築いた悲劇の民族

初回放送 2017.10
中国四川省、成都から車で10時間 3000m険しい山が連なる大涼山山脈のふもとへ。険しい山道を歩いて村を目指します。絶壁にかけられた 全長53mの天梯(てんてい 長い鉄のハシゴ)を登るとようやく山の中腹。台地上の高原に村が点在する イ族の村は200以上もあり 目指した村はここからさらに奥へ90キロ大涼山 山頂近くの 四季吉村 700人が暮らしています。
ようやく電気が通ったのは 7年前。現在社会と隔絶した生活を送っています。着ているのは寒さを防ぐ羊毛で編んだマント。木と土だけの家。主食はダッタンソバ。
1日の温度差20°以上もあり、歩いて1時間の段々畑でソバを育てる。
山頂でシャーマンピモを中心に白い鶏を生け贄に豊作を祈る儀式を営み 作物の出来を予言します。
種まきの出来ない家の作業を村人が手伝いします。

人々は5千年前に、黄河文明と並ぶ長江文明を築いた古蜀文化(三星堆遺跡 多くの青銅の出土品)を築いた「古蜀国」の末裔であることが分かってきた。三星堆はここから北に450キロ 長江支流の平原です。
イ族とのつながりは 古くからピモに伝わる経文 意味を調べると 青銅の出土品にある模様と一致するものがある。
古蜀国が、隣国の秦 始皇帝に侵攻され、その後も漢の武皇帝、蜀の諸葛孔明、元のフビライなどから攻められ、古蜀人の一部が険しい山中に辿り着き、そこに定住して現在のイ族になった。

羊は大切に育てられ 羊毛は売られ 肉は大切なタンパク源になり 生活に欠かせません。
父親が山の上で牛飼いをやって得たお金で、自分の子供の半数をふもとの俄曲古の学校に行かせているイ族の一家。村まで6時間かかるのですが 歩きなれた子達は3時間で着きます。
村から 北に200km 人口350万人の都会 楽山があり 村の若者 出稼ぎに出ています。
最近は山を切り開き 国道が開通した。

村長の息子は楽山の大学に進学し、村の羊肉を販売し「羊肉を村の特産品に育てて富裕な村にしたい」と相談するが 村長は 必要以上なお金が村に入ると人々が幸せを失うと思っていた。

村人が亡くなると 村の人が皆集まり弔います。死者の魂は天国に 村の護りに ピモがあげる指路経で先祖が住んでいた所に行くと言われます。
指路経では 大涼山威寧濾州資陽→馬牧河(古蜀国)を示していた。これを逆にたどれば イ族の民が落ち延びてきたルート。
イ族は用心深く警戒し 四季吉村にも最近まで櫓が建っていた。各家には銃があった。

村の秋の収穫の感謝祭、一年間育てた羊の毛を刈り、食べたり踊ったりする祭りは、以前は村ごとにひっそりと催されていたが、3年前の中国政府の指示で、イ族全体で大規模に行われるようになり「観光客誘致」するようになった。

中国秘境 謎の民 天空チベット タンカ絵師の郷

四川省の北西、チベット高原東端にあるザムタンは、遊牧民出身の若者たちがチベット仏画・タンカを描く技術を学び、それを継承することを通して民族文化を発揚し、貧困を脱却して、豊かな生活を送るようになる姿を描く

秘境中国 謎の民 「神秘の森に生きる」

初回放送日: 2021年5月29日
中国の秘境、雲南省に広がる高黎貢山(こうれいこうざん)。標高2500mの世界遺産の森に生きるルーモ人の暮らす 金満村。古代の武器・弩弓(どきゅう)で野生動物を狩り、シャーマンが魔除けの儀式を司る。1つの杯を命を共にする二人で飲む同心酒という風習。限られた土地を段々畑にして 移動に時間をかけトウモロコシを育て 自給自足で暮らしてきた。家は木造住宅で1000以上の板を組み合わせ 曾祖父の代から長年に渡って手を加え住んできた。
祖先は800年前、宋王朝の少数部隊として参加 釣魚城(ちょうぎょじょう)で弩弓を用い モンゴルの4代皇帝を倒して世界の歴史を変えた。5代皇帝 フビライ・ハンは宋王朝を滅ぼす。ルーモ人は流浪の旅の果てに辺境の金満村にたどり着いた。
しかし今、中国政府の「2020年までに貧困地域の農村をすべて貧困から脱却させる」政策によって 貧困な農村を都市近郊に村ごと移転させる計画 対象は1千万人。町まで険しい山道を20km 怒江大峡谷の谷底にある町 洛本卓の集合住宅に移住させるため 立ち退きを命じられた。
自給自足の生活から 近代的な生活に金銭面でも戸惑うルーモ人。墓までも立ち退きで すべて伝統が消滅の危機に。

秘境中国 謎の民 「哀歌 山の民、山の神」

初回放送日: 2019年12月
四川省と甘粛省の境に広がる 美しい山々に囲まれた秘境の山奥で 固有の文字を持たないベマ族民族の悲しい歴史を歌に託し今に伝えてきた。

満島真之介さんが 170人のベマ族が暮らしている 甘粛省のプスケ村を訪ねる。村の入り口にはニワトリの像があり、村人は赤や青 黄色 緑の色鮮やかな民族衣装を着て、頭には鳥の羽の刺さった帽子で迎えてくれた。広場には 鬼のようなお面が飾ってあった。伝統のお面を作れる 1人だけの パンダイショー さんが マージョーというお面をモチーフに作った。頭が牛で顔が馬 一つのお面に二つの動物を表現している。
昔からベマ族は山の恵みを頼って生きてきて 山や木や水にはそれぞれに神がいると信じている。
春節(旧暦の正月)にベマ族の村で鬼払いの儀式が行われる。一軒一軒尋ねて鬼を追い払い 酒と食事を振る舞う。大切に保管されている300年以上前に作られたツォゲを見せてもらった。

四川省 甘粛省の方々に暮らす人々が一堂に会する 春節の「ベマ族民族祭」
ベマ族の人口はおよそ2万人、30程の村から1万人が集結。民族衣装を身にまとい 男も女も白い帽子をかぶり白い羽を刺している。新年を迎えた喜びを 歌と踊りで表す。
ドラと太鼓が打ち鳴らされ マージョー のお面を付けた 山の神と 交信できる最も位の高い祈祷師 グーグーが登場。

四川省 最北部のカティ村。この辺りには野生のジャイアントパンダが生息している。
新年の祈祷を 祈祷師達とグーグーさんが行う。結婚式や葬式も取り仕切り病気治癒、害虫駆除、夢解説など行い 古来より祈祷師はベマ族には欠かせない。ベマ族は自分たちの文字を持たないが、祈祷師だけはチベット語の経典を読み使う。

ニワトリを生贄として山神の好物としてささげられる。家の入り口にはニワトリの血で魔除けの文字を書き この一年この家に災いがないように祈る。グーグーさんたちが夕方まで続いた儀式を終えると山を降りていった。
カティ村では 山のふもとに移住し かつて300人以上はいた住民は今では4人だけ。
伝統的な木造家屋では一階に家畜が住み 二階に人が住み 三階は倉庫。外壁は土壁で夏涼しく冬暖かい。残っている 老夫婦の暮らしには囲炉裏は欠かせない。

山の麓にあるウーバーセ村カティ村の人たちが移り住んだところで グーグーさんもその一人。自宅で大切に保管している 経典、山の木から紙を作り竹で文字を書いてある。代々伝わるものでいつ作られたかは定かではない。家には数多くの経典があったが文化大革命でほとんど焼失した。息子を祈祷師として教育している。

かつては尊敬を集めてきた祈祷師だが今では経済的な理由で なり手がほとんどいない。息子は料理を習って自宅を改装し お店を開店した。店の切り盛りの他 運転手もしている。だから経典を学ぶ時間がない。
ベマ族は山で農業をしながら、牛やヤギを放牧し自給自足の暮らしをしていた。グーグーさんも放牧している牛は20頭!二週間に一度 塩分が不足している牛に塩を与えに片道6時間の山道を行く。息子は初めて登るのがすぐに疲れて動けなくなった。はだか麦を煎った粉が軽く 保存もでき携行していた。
美しい山河は 我らはお借りする… 

木製の杵と臼を使いジャガイモをつくと餅のようになる。ベマ族の大好きな「ツーバー」ジャガイモの餅をキャベツ漬物で味付けしたのスープに入れて 薬味はネギ、ニンニク、山椒、唐辛子で食べる。

中国では ベマ=白馬 史記は司馬遷が表したもので、そこに白馬の二文字が登場する。
「奥なる地に 十なる部族がおり白馬が最大。それらは皆 氐(てい)族 である。その土地は険しく隔絶されている。麻の畑を有し 馬 羊 漆 蜂蜜 を特産とする。木の板の屋根と土壁の家屋で暮らしている。氐族は次第に兵力を拡大、4世紀には長安を都にし前秦を作った。漢族それに匈奴 鮮鬼 羯 邛らの民族と しのぎを削った。」

前秦 三代目の王 苻健=フケン が中国の北半分を統一。中国の統一を目指し 南部の東晋に100万の大軍で 淝水(ひすい)の戦い に、しかしフケンの軍は大敗し、歴史の表舞台から姿を消した。その後兵士の一部は険しい山から連なる土地へ落ち伸び 山奥で隠れ住むようになった。

甘粛省ルオ村を訪ねる。日本のしゃちほこの位置にニワトリ。放し飼いのニワトリは大きくたくましい。羊毛で ベマ族の民族衣装には欠かせない帽子をつくっていた。竹のすのこに 羊毛を拡げ熱湯をかけ のり巻きのようにして 毛の脂や汚れを落とす。フェルトの厚みが均等になったら 24個のヒダを作り 最後にニワトリの刺繍をして仕上げる。

その昔 ベマ族と漢族との間で激しい戦いがあり 兵士の一人が捉えられた。ある日彼は敵が総攻撃を仕掛けるのを知り、敵陣から脱走し 三日三晩追っ手から逃げ回り 疲れ果てて眠り込んでしまった。明け方追っ手が間近に迫っていた時 ニワトリの鳴き声で兵士は飛び起き 村に戻りベマ族を救った。ベマ族はニワトリに感謝し、その羽を帽子に刺した。

ベマ族の古い歴史が残るカティ村でも 遥か昔 ベマ族は漢族との争いから逃れて この山奥に移り住んだ という言い伝えを聞いていた。
我らは受難の民 異なる時代に異なる場所から逃れてきた…

プスケ村。去年の春節に撮った写真には、鮮やかな民族衣装に身を包み、お面をかぶった村人達の姿、背後には最近 取り壊された木造家屋が映っている。役場から危険だと言われ 木造が壊され コンクリート作りに建て直されている。

バンさんは父親もお面作り手だった、先祖代々伝わってきた技術を途絶えさせてはいけない、ベマ族の伝統文化が途絶えてしまう。今都会で医学の勉強をする 長男のヨージュンさんは大学が休みで村へ帰ってきた。この機会にお面を作ることにした。山を一時間歩きふさわしい木を見つけ、父から譲りゆけた斧で切り倒す。
さあ木を切るぞ 峠を越え 坂を越え…
バンさんは山で切った木を彫り始めた。伝えるのは彫刻の技術と自然との向き合い方。10日間かけて”ツォゲ”のお面を仕上げた。

願わくば邪悪な鬼を川の流れとともに村の奥深くへと追い払いたまえ 
鏡を使ってお面に光をあて ツォゲ のお面に命が吹き込まれた。

山のふもと 建設中の高速道路ベマ族の居住地を取り囲む。今年、ある企業がカティ村の となり村にある全ての古民家を買い取り 取り壊し模した宿泊施設を立てるという。

カティ村にも開発の話が持ちかけられたが、全ての古民家を取り壊すという条件だったので断った。もし取り壊したら、若い人達はどうやって自分達の伝統建築を知るというのだ!
グーグーさんは隣村で作業をしている人たちに ベマ族の土壁の作り方を指導して欲しいと頼まれた。
みんなが力を合わせて土壁を打つ、君が打つ 私が打つ、どちらが上手か競争だ…

山の気温が下がり始め、夏場に肥えた牛が高値で売れる頃だが 姿が見えない、6時間かけ息子と山道を歩き頂上に着いたがやはり牛の姿はない。 伝統文化は何より尊い財産だが、新しい時代の波を受け入れないと生き残れない。

満島さんが バンさんと斧で木を倒すと古い歌を唄い出す。
山の懐に抱かれ生きる我ら山の民。日はまた昇り沈みゆく 我らは山の民。この地で未来を探すのだ…
「ベマ族は受難の民、これは苦しい時に歌う哀歌なんだ。昔父親たちが、起きるときにいつも歌っていた。幼い頃から聞いていると自然に覚えていった」

Photo by Robynne Hu on Unsplash

残念ながら Googleマップで見つけられなかった。
前に見た番組で 九寨溝から南に50キロ 白馬チベット族の村 勿角郷 があり ニワトリの羽の帽子が出ていました。(こちら)

秘境中国 謎の民 山頂に響く 魂の歌

初回放送日: 2020年2月1日
貴州省の省都 貴陽から 南西におよそ200キロ 紫雲。標高2000m級の山々 石灰岩の台地を雨水が浸食した不思議な風景。ここ紫雲県を中心に 大峡谷に暮らす 20万人が暮らす ミャオ族
険しい山あいの小さな集落。家の壁は竹を編んで作られている。ミャオ族の女性の独特の髪型 頭上で結い上げている。水色などの 色鮮やかな衣装は 草木や鉱物をすりつぶした染料を用いている。若者は皆 出稼ぎで寧夏などに出ている。
石灰岩で痩せた土地で稲作に厳しい土地でも 棚田で稲を育てる。ミャオ族はお互いに手伝い合い 田植えを終えた。
近くを 流れる格凸河 切り立った 絶壁が続く。大穿洞 高さ116mの鍾乳洞。南から渡ってきた300万羽のツバメが産卵。この100m超の絶壁を命綱なしで登り 土のようなツバメの糞を集め 肥料として無償で村人に届ける黄さん達。この絶壁登りを 秘境を求めた観光客に披露したり、薬草を採ったり、ツバメの巣を採ったりする。
シャーマンが誕生した子供に命名したり、葬式を仕切る。長老が亡くなり 村に若者が戻ってきた。現世に思いを残さないよう 女性達はタオルで顔を隠し 近隣の村から2000人も集まる。太鼓を鳴らし先祖の魂を呼び戻し 遺骸を山頂に運び 断崖にうがたれた洞穴内に死者を安置する(洞窟葬)。
シャーマンの不思議な歌に よく出てくる 亜魯夜郎国につながり 最近の研究で、彼らのルーツは2千年前に栄えた幻の古代王国 夜郎国であることが分かってきた。西南シルクロードの交易で繁栄を極めた。司馬遷の『史記』に古夜郎国の国王が「漢の版図はわが国よりも広いのか」と 2100年前、漢の使者に対して尋ねた。ここから「夜郎自大」という成語が生まれた。漢の武帝に滅ぼされ、この山岳地帯へと逃げ込んだ。

天上の大草原に生きる

初回放送日: 2022年11月5日
中国北西部 甘粛省の省都 蘭州から西北に140km、4000m級の山が連なる祁連(きれん)山脈の山頂近く 東京都の2倍 40万haある 天祝大草原で暮らす土族(トゥ族)は 世界でも珍しい真っ白なヤクを放牧し 仲間と共に仕事をして共に食べ 毛を刈る。白いヤクの毛は高値で取り引きされる。1時間で気温が20度も下がることがあり うちは土で出来ており 空洞の壁で 乾燥させたヤクのふんを燃やし 暖をとっていた。
また 標高4000mで駆け回れる 岔口驛馬(ちゃこうえきば)を放牧する。多隆村では 品評会があり 馬が売買される。走馬客といわれる人が 服の下で値段交渉して購入し 馬を調教して 遊牧民にさらに高く売る。
走馬客は村の訓練所では 馬の視界を狭くしたり クラを乗せて調教する。競馬祭で入賞して高く売るつもりです。10代続く走馬客は 歴史ある鞍を持っていて 金具は青銅で独特の模様がある。

岔口驛馬は 1400年前 シルクロードの時代から続いている。
近年の電波塔の工事で 遺跡が発掘され 副葬品に 従者が馬にまたがる人形、青銅や金の馬具、50頭の象の刺繍のあるシルクでくるまれた棺。石碑から 遊牧民が築いた王国 吐谷渾(とよくこん)の最後の王の三男と判明。天祝吐谷渾の東の端に位置し その西640kmに都の都蘭が置かれ 唐と西域をつなぐシルクロード交易の拠点でした。吐谷渾は度々唐と衝突 青海そうと呼ばれた 岔口驛馬が活躍した。
幸せをもたらす 白いヤクの青銅像が見つかっている。吐谷渾は吐蕃に滅ぼされた。
都の都蘭にいた王族は 天祝の土族になっていた。
走馬客に伝わる 同じ側の前足と後ろ足上げ 安定して乗れる 側対歩も受け継がれてきた。
しかし、今 伝統の暮らしは中国の国策で 自然保護のため放牧禁止になり 立ち退きを迫られる。
ヤクの放牧は出来なくなってしまった。いろいろ課題があるが 村で飼育所をつくり 高価な白いヤクを都市部の富裕層に販売しようと考えている。

中国秘境 四川美人谷

NHK BSP 2018年4月 初回放送
中国四川省 巴朗山 標高4200mの峠越えの道 チベット高原の奥にギャルモロン 女の王の谷 があり 山々の神を信仰する少数民族の「美人谷」と称す集落が広がっている。
「唐」の歴史書に「女王の国」があり女達が治めたとある。
四川省西部に広がる甘孜(ガンズ)チベット族自治州。その東部に位置する少数民族ギャロン・チベット族が切り拓いた丹巴(ダンバ)です。
峡谷には彼らが築いた石造りの4階建ての伝統家屋と高いもので50mもある 四角い・中には13角形の石造りのが500以上も建ち並ぶ。
7~800年前建てられた塔と家は繋がっていて 敵が来たとき門を閉じ、壁の穴から矢を射た。
谷を見下ろすところに ひときわ目立つ2つの塔が建っている。そこは「女王」という地名がついていて
歴史書には「東女国」と名付けたその国は女達だけが治めていた。およそ4万世帯が暮らし 兵力は1万を超えた。女性を重用し 男性は軽く扱われた。女王の住む城は9階建て。
美人谷は女王の末裔が暮らす。
今も母系社会の伝統が残る谷の女性の暮らしに密着。一万個の石を積み上げ 四川地震で壊れた家を再建する若妻!彼女は よその家の建築に労力を提供し、自分の家の建築を手伝ってもらい 夫婦の父達の協力で4階建ての家が完成した。
その中で「白い石」を大事にすることに注目し、俳優・満島真之介は「白い石の信仰」の謎を追い雪の峠を越え霊媒師に話を聞いた。彼らの先祖は、北に住み 雪を固め氷を弾として先住民を打ち負かしていた羌族だった。同じ祖先を持っていたが 4千年の間に分かれていった。
夏王朝 禹は羌族の地から誕生、殷の時代羌族は生け贄にされ、周の時代羌族は后として後宮に入った。
村で民宿を営む女性は「女王の国」をコンセプトした リゾートホテルの建設を実現する。

NHKBS シリーズ 中国・天涯の地「アルタイの麓 自然の詩」

アルタイ地方は かつて このあたりで金・銀がたくさんとれたことから 遊牧民の言葉で アルタイ「金と共に」と呼ばれてきた。
中国、ロシア、カザフスタン、モンゴルにまたがるアルタイ山脈 の南側に トゥバ族カザフ族が住んでいます。
冬の間 標高4000mの山々に降り積もった雪が溶け川となって流れる。
このミネラル法な水で育った木々は実に青々としています。シベリアカラマツなど針葉樹の原生林です。
羊の遊牧を営むトゥバ族は 遊牧や狩猟を行い暮してきた。丸太を隙間なく積み上げ家を作ります。家畜を寒さから守るため隙間にを詰める。
川に古い橋が架かっていた。
このあたりで一番大きい トゥバ族のホム村 標高1300mにある。500年ほど前 西シベリアからやってきた遊牧民や、東からのモンゴルの兵隊がここに定住。それがトゥバ族の先祖とも言われる。
アルタイ山脈の夏 色とりどりの花が咲く。ハチミツを集める人がいます。

アックンガイテ草原(太陽の照らす場所の意味)にカザフ族が暮らす。
冬が半年近くこの地 気温が温かくなると緑が増え さまざまな動物が集まってくる。
ここで 大昔から遊牧してきたカザフ族、馬を大切にします。
は交通の手段・お祭りの競走馬としても活躍。
フタコブラクダも大草原で飼い カザフ族は ラクダの乳をしぼり 収入源に。
冬は氷点下30度にもなる アルタイ地方の草原地帯。夏は短くも太陽の光を一杯に浴び 葉を拡げ花を咲かせる。
草原の立派なお墓 カザフ族はイスラム教徒で 世の末に復活を待つ先祖達が眠っています。
古いタイプは土を固めて創りました。2000年前以上の墓石がある。
草原の川の畔に ユルト 移動式の住居がある。ユルトは木の骨組みに刺繍をした布を使用。
乾燥保存していた乾燥牛肉を薪で煮て麺にのせ 仲間と昼食です。

カザフスタンの国境まで 50キロ、カナス村 トゥバ族の村「神秘的で美しい」標高1300m大きな河が森の緑を育む。
冬は氷点下35度にもなる 極寒の地。凡そ20万年前氷河によってできた地形。
冬 湯気のようなものが上がっていく不思議な光景、晴れた日冷たい空気が 温度の高い水面に触れおこる。ホム村 にも雪が積もり 人は1日中 家で過ごすが 馬たちは外にいる。

トゥバ族の冬の移動は馬ぞりかスキー。シロマツの木を削り先を曲げ 伝統的なスキーを作り 子供に伝えた。

秘境中国 謎の民 「木馬氷上を馳せる」アルタイ山脈に暮らす遊牧民

NHK BSP 2020年6月 初回放送
前の シリーズ 中国・天涯の地「アルタイの麓 自然の詩」と同じ場所でした。

トゥバ族は馬と共に暮らす人々で、夏の間移動テントで暮らす。馬や牛の放牧で草原を動き回る。
カナス湖およそ20万年前氷河が溶け 湖となった。カナスはモンゴル語で 「王者の水」という意味。
「王者の水」が草原の馬を育てる。実は中国歴代の皇帝が幻の馬と憧れ 手に入れたいと望んだ馬。
中国にとってあるときは敵 あるときは馬の取り引きの相手だった。
唐の時代の歴史を綴った書物「新唐書」に北方の民族トゥバ族が登場する。
木の馬に乗り 氷の上を馳(は)せる人々」世界で最も古くからスキーをしたという説があるトゥバ族は アルタイ山脈に暮らす遊牧民で、遊牧国家・突厥の一員だった。

平原の所々に電波が届くところがあって 連絡し合う。新婚の食事の準備、久しぶりに帰郷してもどこで放牧しているか判らず1週間過ごす女の子、3日目に祖母の死を知った男など。

中国名山紀行

五台山、峨嵋山、九華山、普陀山は中国 四大仏教名山です。

五台山 山西省

北京の南西300キロメートルにある仏教の聖地 中国山西省の「五台山」、世界遺産に指定されています。
東、南、西、北、中の5つの山峰に囲まれるが、峰頂が平坦で広く台状であるため、五台山と名づけられた。5つの頂きに囲まれた台懐鎮には124の寺院 1000人以上の修行僧がいる。
青廟(漢族仏教)と黄廟(チベット仏教)が山に共存して、経を読み、法を説く道場である
五台山風景名勝区のシンボルとも言える 白い仏舎利塔 「大白塔」 の立つ 寺院「塔院寺」、修行僧が五体投地を行っている。
南禅寺は現存する世界最古の木構造建築の一つ。仏光寺は東方最古の真珠と称されている。
竹林寺 日本からも平安時代に円仁という有名な僧侶が訪れています。
五台山風景区には山々が重なり合い、樹木が生い茂り、夏になると花が咲き乱れるが、山頂の氷は千年も融けない。景色が素晴らしく、気候も爽やかなため、古来より避暑地となっている。

峨嵋山 四川省

四川省成都の西南に聳える峨眉山は古来、道教や仏教の聖地とされ、中国三大霊山や中国四大仏教名山に数えられてきました。その峨眉山から数十km離れた楽山大仏ともに世界遺産の複合遺産に登録されています。
標高3099mの峨眉山は明の時代から「中国第一の山」と称えられてきて 30以上の寺院がある。

伏虎寺報国寺(仏教&道教&儒教の寺)、水が豊富で 西遊記にちなんで名付けられた水簾堂などある。
古くから聖地であったため豊かな自然が残され、3200種の植物や絶滅危惧種を含む動物が数多く生息する自然の宝庫となっています。

泰山 山東省

山東省の泰安市にある標高は1,545mの 泰山世界遺産に指定され、道教の聖地五岳の中でももっとも尊い山とされ、信仰の山といわれます。
秦の始皇帝や漢の武帝など2000年にわたって歴代の皇帝にあがめられ、また歴代の皇帝が国家統一を天に報告する 封禅の儀 を行った。

岱廟(たいびょう)には今も12人の皇帝の足跡が残されている。皇帝たちはここに 思い思いの記念碑を残した。漢の武帝は10本の檜を植え、5本残っているといわれる。乾隆皇帝はその檜を偲んで碑を建てた。
天貺殿(てんきょうでん)泰山の神を祀る 宋の時代の建築で 山に向かう前 皇帝たちはここで祈りを捧げた。巨大な壁画があり
山頂までおよそ9キロの道のり 登山口の一天門をくぐり 2時間ほどで中天門、天候が変わりやすく雨や霧も多い参道です。しばらく緩やかな道が続く。茶屋で一休み ここから先は馬も登れない難所といわれる十八盤(1633段の石段があり 傾斜が徐々にきつくなり 最後の473段は急峻)を登り切ると 南天門があり、傍らに天街があり ここで翌朝の日の出を待つ。
途中の碧霞祠 に碧霞元君 (へきかげんくん)の像が祀られてる寺院がある。既婚女性の健康を護る神様といわれる。山頂の 玉皇頂(ぎょくこうちょう)に ここまで石段の数 7000段を越える。山頂からの眺めは神々しく、多くの先人達の墨跡を目にする。
泰山のご来光は美しい。

絶景巨大石柱林~中国・張家界を鳥観する~

NHK BSP 2017年4月8日 初放送
中国 湖南省 張家界市は青森県とほぼ同じ広さで、人口は約170万人。3000を超える石柱が屹立する張家界が世界自然遺産に登録されて以来 年間6000万人が訪れる。また少数民族の街で全人口の8割に近い。

張家界中心部から全長7455m 世界有数の長さを誇るロープウェイを30分 標高1518mの天門山が姿を見せる。高さ130m、幅60mの天門洞へと続く階段は999段で、入り口から見下ろすと思わず腰が引ける。かつての天門山は標高1000m以上の切り立った崖に周囲を覆われた1つの台地が 263年の大地震で大きな穴が空いたとされる。三国時代 呉の皇帝が穴を天門洞と命名したという。自然保護区があるので100mの崖を降り清掃している。地上1000mの高さには断崖絶壁にせり出した鬼谷桟道が作られて多くの人が歩く。
天門山の北方にある武陵源は標高1000m、広さ264平方キロメートル、黄石寨は巨大な石柱が林立 石柱の高さは200mを超え 3000本を超える。
遊歩道の先の双門迎賓 ドローンで見ると 乳白色の石柱にはやや赤みがかかり 岩石が縦横に積み重なっている。
大地から5本の指が出ているような五指峰。倒壊した橋の残存した橋脚のような天橋遺墩

2000年前 漢の時代 劉邦に仕えた軍師の張良は 疑心暗鬼に陥いった劉邦の目を逃れ張家界で仙人となり 張家界という地名が誕生した。張良の墓がある

袁家界には 橋のように架かっている 天下第一橋、高さ150mの乾坤柱 足元が細く上体が太くなっていて懸浮山とも呼ばれ 煙霧の中宙に浮いているようで 映画「アバター」に着想を与えた。
空中田園 三方を崖に囲まれた土地に稲が栽培されている。栽培するのは少数民族のトゥチャ族で2500年前の春秋戦国時代に戦乱を逃れてこの地に移住したという。
トゥチャ族の男性は2年前まで 崖にかかった梯子を利用し村まで行っていた 現在は道が整備されている。
皇帝への献上品で 断崖絶壁の亀裂にしか生えないイワタケを簡素な命綱で取る。

楊家界 清朝末期 山賊が 絶壁をくり抜いてつくった烏龍寨、道幅は狭く四方は崖に囲まれるなど侵入者の迎撃に適した自然の要害だった。奇怪な石柱が山脈のように連なった天然長城
天子山は武陵源の中で最も標高が高く 細い石柱が雨後の筍のように立ち並んでいる。点将台は多くの兵士が将軍の命を待ち 直立しているような姿からその名前がついた。御筆峰は毛筆の筆先が天に向かって伸びているようす。
14世紀 明の大軍に トゥチャ族を率いて戦った向王天子に由来し 密林の神堂湾に追い詰められ 絶壁から身を投げた。

遊歩道で見られる 直角貝の化石は 今から3億8000万年前 一帯は海底だった証で石英の砂が堆積し石英砂岩層ができた。その後の造山運動によって石英砂岩層が徐々に地表に出現。長い年月をかけて流水による切削と風化作用によって山体から一層また一層と大きな砂岩が剥がれ落ち 不思議な形の山の峰が形成された。

張家界大峡谷 巨大な吊り橋 2016年8月完成 430m 歩行者専用吊り橋 床がガラスで作られ 眼下に 深さ300mの大峡谷が5kmに広がる。張家界のグランドキャニオンとも称される。
最も深淵なる谷底に流れ落ちた水は清流となって 大河長江へ注ぐ。

約60人のトゥチャ族が暮らしている廟崗村には築100年を超える伝統家屋が数多く残される。9月には村人総出の稲刈りが最盛期を迎え、昔ながらの手作業で行われた。その場で四角い箱に打ち付け脱穀 収穫を終えた田畑では牛達が草を食んでいた。村では牛に感謝する牛王節が開催される。

10月 ウイングスーツフライング の大会があり ムササビスーツで 1400mの飛翔台から飛び立ち 時速200km以上のスピードで滑空 パラシュートを開いて着地する。

年に数えるほどしか現れない 連峰の尾根を伝って雲が一気に流れる雲流を4ヶ月待って撮影した。天門山は煙霧に包まれ ぽっかり空いた天門洞から濃霧が湧き出し「天門吐霧」と呼ばれる。

「今夜の旅はドラマチック」 水の都は悠久の楽園 中国・杭州

NHK BSP 2020.3 初回放送
水の都として知られる中国・杭州。上海の南に位置する古くからの景勝地です。
中国八大古都の一つでもあり、今も中国東南地域の政治や経済の中心として発展を続けている都市です。2011年に世界遺産「杭州西湖の文化的景観」認定された西湖
三潭印月:西湖に浮かぶ最大の島

世界ふれあい街歩き 海のシルクロードの面影 泉州/ 中国

NHK BSP 2018年11月初回放送
台湾の対岸 福建省の海沿いの街・泉州。かつて「海のシルクロード」の出発点として世界有数の繁栄を誇り、マルコ・ポーロも訪ねた港町でした。東南アジアで活躍した華僑の街で 赤レンガの騎楼(アーチ)がありました。
街なかで車に乗せたヤギの乳を搾って売る女性、伝統の武道具を売る店主、人がすれ違うのもやっとのような細い路地で 東南アジアに錫の容器に入れお茶を売っていた6代目がいました。

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