GoogleマップでWeb旅行! 韓国・フィリピン・ベトナム・タイ・インド

NHK BSP ・TBSの世界遺産の番組を見た備忘メモです。東南アジアをまとめました。
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街道をゆく 「湖西のみち・韓(から)のくに紀行」

NHK BSP 初回放送 1997年10月
原作・司馬遼太郎
日本民族のルーツを求めて、近江 琵琶湖畔の湖西の道 から韓国へと渡りました。琵琶湖西岸の小さな港町北小松 は古代に朝鮮半島との関わりがありました。朝鮮半島から伝わった石組みの技術が残っている。近江最古の白鬚神社。白鬚は新羅のことという説がある。

司馬遼太郎は、古代の朝鮮を体感しようと、韓国の農村を巡る旅に出た
ソウル:兵隊の時 京城とよばれたその地のレールの上を通過した。
タプコル公園:韓国独立運動の発祥の地、日本が植民地化した時代 創氏改名政策を行っていた。

釜山の近郊の金海(キメ) 6世紀中頃まで栄え 日本に多くの文化を伝えた 伽耶(カラ)国があった。その面影を残す駕洛楼 天平の時代のようだった。
始祖の首露(スロ)王の墓所 首露王陵を訪ね、拝礼する多くの人々を見て、李朝という儒教国家が続いているような錯覚を覚えた。

新羅の都があった慶州(キョンジュ) 300もの古墳のうち 第38代王の掛陵訪ねる。

「日本人の館」という村名がある。 倭館邑秀吉の朝鮮出兵時 日本軍の兵站基地がここに設けられたことに由来する。倭館は洛東江(ナクトン川)の西岸にあり 交通の要衝でした。
倭館が 1951年朝鮮戦争で焼かれ 東岸に移った。西岸のウエグアンは今なお軍事拠点になっている。

大邱近郊の友鹿洞(ウロクトン)という 日本の農村のような村には、秀吉の朝鮮出兵時に 沙也可(さやか)という日本人の武将が 朝鮮側にたって 日本人と戦った人の子孫が農業を続け 住んでいた。年に一度の祭礼に 儒教の学者達を招いている。

百済の旧都・扶余では、天智天皇の時代 唐と新羅の連合軍侵略された百済の救援に向かった日本軍は白村江で戦いに大敗した。

滅亡した百済から日本に亡命した王族 鬼室集斯の墓が 近江の山村に 鬼室神社となり あった。多くの百済人の亡命を受け入れた。

行くぞ!最果て!秘境×鉄道 「インドネシア・ほのぼの列車」

ジャワ島にあるバンドゥンから旅がスタート。旅をする音尾琢真。バイクの多さに驚き、オランダの植民地だった1928年に建てられたバンドゥン駅に到着。乗車するのはアメリカ製のディーゼル機関車で、席は自由席のみ。

ササクサアト駅で途中下車 草の中の細い道をインドネシア一の全長 300m 高さ80mのチクバン橋へ。チクバン橋の線路の上を歩きながら自宅へ帰る人と遭遇。1906年に作られ 点検と補修は欠かせないと作業員は命綱なしで作業。駅に戻った音尾は再び機関車に乗り込んだ。

列車は数少ないトンネルを抜け、インドネシア一の高さの鉄橋を通過した。橋を過ぎると標高はぐっと下がり、棚田が広がっていた。ジャワ島では米の二期作が盛んだ。
プルアカルタ駅でジャカルタ行きの列車が来るまで古い車両を見て回った。そこは列車墓場と呼ばれ、SNSに多くの写真が投稿されている。

再び列車に乗り込む。次の駅に近づくと イスラム教の礼拝への呼びかけ「アザーン」がスピーカーから聞こえてきた。
ジャマイカのパサールスニン駅で降車し市内で一泊した。

翌日 埼京線などで活躍したJR東日本の中古車両が再塗装し使われていた。
途中の駅前で牛の放牧が行われ、窓外には田園風景が広がっていた。
ランカスビトゥン駅でディーゼル機関車の列車に乗り ジャワ島、スマトラ島に挟まれたスンダ海峡を眺めた。
ジャワ島の西の最果て、メラックに到着。

スマトラ島のパレンバンにあるクルタパティ駅で セレロ号と名付けられた6両編成の列車に乗った。
親指のような形をした セレロ丘を遠望。

丘の最寄り駅で下車。スマトラ種のコーヒー豆を栽培する人と出会い 淹れたてのコーヒーをごちそうになった。
翌日 ラハット駅からセレロ号に乗り込み、110km先のルブクリンガウ駅へ。
車で 500人ほどの住民が暮らす村 ナパール・プティに。
モーター式トロッコ特急 モレックは 料金は1人1000円とお高め。窓ガラスがない席ではジャングルで繁茂した木々が容赦なく当たってくる。モレックには助手が同乗し、線路上に木が落ちていたら降り除ける。レールが朽ち果て折れて 脱線が起きた。モレックはごく小さく数人で列車を持ち上げ線路に戻すことができた。
橋を前にモレックから全員降り 歩いて橋を渡たり モレックはゆっくりと進んだ。
唯一の途中駅、ロンゲンに到着。モーター式特急について説明を受け トラクターの日本製のエンジンが使われていることを知った。また、個人タクシーのように運転士の持ち物で、自ら作ったり、注文して作ってもらったりするという。
別のモレックに乗り換え出発。道中、突然の大雨に見舞われ、線路は水浸しとなった。対向車が来たら人を乗せたモレックが優先で 荷の材木を下ろし道を譲ってくれた。夜の帳が下りるなか、崖沿いの坂道をゆっくりと走行し、予定より4時間遅れで終点のレボン・タンダイに到着。

レボン・タンダイの村は180世帯約500人が暮らしている。金鉱石の加工場を訪れ、金鉱山の採掘が行われていることを知った。水車は金を取り出すために稼働している。レボン・タンダイに行く方法はモーター式特急のみで、住民たちが修繕しながら運行を続けている。

アフガニスタン

世界遺産 バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群はアフガニスタンの中央高地、ヒンドゥークシュの高い山々に囲まれてある。シルクロードにおける仏教の重要拠点で、1世紀からバクトリア王国によって断崖に石窟仏教寺院が造られはじめた。ギリシャやローマ、サーサーン朝など多様な文化の影響を受けてガンダーラ仏教芸術へ発展していった。断崖に穿たれた立像仏としては世界最大といわれた2体(高さ55mと38m)が2001年にタリバンに破壊された。

世界遺産 ジャームのミナレットと考古遺跡群

ジャームのミナレットはアフガニスタン中部のゴール州、標高1900mの人里離れたところに建つ尖塔。険しい不毛の山々の間を流れるハリルド川沿いにあり、高さ65m、八角形の土台の直径約9m、全体は4層構造で、煉瓦で造られている。12世紀のゴール王朝時代に建てられた。塔は幾何学模様の装飾で覆われ、最上部には青いタイルの銘が埋め込まれている。

世界ふれあい街歩き選「王朝の面影 アユタヤ〜タイ〜」

バンコクから列車で約2時間およそ80km北に位置する古都 アユタヤ。14世紀中頃から400年あまり、タイの都として栄えたアユタヤには、王朝時代の名残があふれている。
大河チャオプラヤー川と2つの支流が合流する地勢を活かして水運交易で発展し、日本人町も誕生するなど、日本にも深いつながりがありました。
世界遺産の遺跡が集まる旧市街。
ワット・プラ・シーサンペット寺院
1491年に建立された王室守護寺院。アユタヤ朝中期に建立された3基の仏塔のみが残っています。それぞれにボロムトライロッカナート王とその王子らの遺骨が納められていたと言われています。
日本人村 日本人町の跡地、日本庭園がある。
ワット・マハータート
14世紀に建立された大寺院ですが、ビルマ軍との戦いで破壊され廃墟に。中でも菩提樹の根に覆われた仏頭は有名です。
ワット・ラーチャブラナ
15世紀、8代目の王が王位継承争いで死んだ二人の兄たちのために建立した寺院です。1958年の修復の際、多くの宝物類が発掘され、現在はチャオ・サン・プラヤー国立博物館に展示されています。

何百年と続く闘鶏(シャモ)の伝統を守り継ぐ男性。
アユタヤ朝21代王ナレースワンの墓に願掛けをして、願いが叶うとトリの像を供える家族。
観光客を乗せる象に 残ったスイカをあげる青果店の店主。

グルメ 焼いた手長エビ、水飴を絹糸のようにて包んだクレープ、舟ラーメン

幸運を呼ぶ魚の飾り物 プラータピアンを作るおしどり夫婦。

「より道」は、タイ屈指の太鼓の村 エカラート

中井精也のてつたび スペシャル 「ゆる〜っと縦断・ベトナム編」

NHK BSP 放送 2022年9月7日
鉄道写真家 中井精也が ベトナムの鉄道を 中国と国境を接する北の町 ラオカイ から、南はホーチミンまで、およそ2000キロを縦断した。
国境の町 ラオカイ対岸の中国は 川を挟んで100mしか離れていない 。
赤と青に塗られた七両編成の列車で出発。はじめは 硬座 木製のベンチでエアコン無しの車両に乗る。大河 ソンホン川(ホン川・紅河)に沿って 穀倉地帯を走る。
60km程南下した バオハ駅で 手作りの 緑豆の餡を米粉に薬草ガイを混ぜ練って丸め バナナの皮に包み蒸したスイーツを購入、実際に作っているところを見せてもらった。
8時間待って 夜行列車でハノイに向かう。今度は軟座でリクライニングもあり エアコンもついていた。

首都 ハノイには750万人が暮らす。渡ってきた ソンホン川のロンビエン橋は1902年フランスが建設した1700メートルの鉄橋。ベトナム戦争時には、アメリカ軍から何度も爆撃を受け破壊されるが、その度に修復され 使われてきた 現在自動車は通れず、鉄道線路と歩道をバイクが行き交う。
線路の両側に 民家が迫る。国花のハスの花を売る女性。ベトナムでは鉄道の上を歩ける。鉄道移転の計画がある。

UnsplashLong Búnが撮影した写真

南北統一鉄道フエに向かう 夜行列車 1000kmあり 14時間かかる。ホーチミンへの夜行列車は 1晩に4本も出ている。3段ベット寝台車の一番下。乗り合わせた人に声をかけ 写真を撮らせてもらう。
車内販売で トウモロコシ、ゆで卵、肉まん、麺 購入。走る夜行列車を撮るためタインフォーア駅で下車。タクシーで移動 走る夜行列車を撮影し 次の列車に乗る。

旧市街が世界遺産に登録されている古都フエ。ベトナム最後の王朝であるグエン朝の都が置かれた場所で、中国・北京の紫禁城をモデルに造られました。宮廷文化を今に伝える建物が多く残り、中国様式やヨーロッパのバロック式、ベトナムの伝統的な建築様式が融合した独自の美しさが魅力です。
王宮越しに列車を撮る。螺鈿細工の工房の 高いベランダから 列車と王宮の写真を撮らせてもらう。

フエからダナン までは絶景ポイントが続く。30分後海が見えてきた。白い砂浜のリゾートビーチ。
ダナンに到着。
通ってきた エメラルド・ブルーのオーシャン・ビューが広がるハイヴァン峠に、山の中腹をS字を描いて列車が走る。ハイヴァン峠にある砦、太平洋戦争で日本軍が、ベトナム戦争では南ベトナム政府軍が見張り台に使っていた。そこからは 密林の中にメガネ橋が見えてきた。

寄り道して 高級避暑地を走るダラット高原鉄道。フランスの植民地時代に作られた避暑地です。おしゃれな ヨーロッパ風の列車です。ダラット駅を出て チャイマット駅へ。
高原に観賞用の菊栽培ビニールハウスが並ぶ。夜になると ライトがついて 黄金色のハウス、町が燃えているようでした。

南北統一鉄道に戻り ニャンチャン駅に 向かう。
郊外に行くと のどかな田園風景、ハスの池がありました。畔の家で育てていました。ハスの種 花托の中にあり 食べてみました。水田地帯 案山子があり 昔の日本のようでした。ご飯をごちそうになる。
ニャンチャンから列車に乗り込み ロンカイン駅で途中下車。
果物の生産が盛んな土地で トゲトゲで 重さ50キロもある 巨大なジャックフルーツを栽培する農家に。その実は 幹や太い枝に直接なる 不思議な風景でした。

終着のホーチミン(通称サイゴン)に到着。笑顔があふれ どこか懐かしい風景にも出会えた ハートウォーミングな旅でした。

ハロン湾 (不思議な世界遺産)

インド

TBS 2022年9月11日放送 世界遺産 七つの不思議
「ラニ・キ・ヴァヴ グジャラート・パタンの女王の階段井戸」
地表 30m掘り下げた 世界遺産の階段井戸は7階建てであり、ヒンズーの神々と天女が 砂岩に刻まれている。

世界遺産「マハーバリプラムの建造物群」

インド南部のベンガル湾を望むマハーバリプラムは、4~9世紀にパッラヴァ朝の首都が置かれ、東西貿易の拠点として栄えた町。
海岸や岩山には当時造られた多くのヒンドゥー教寺院や彫刻が残されており、1985年に世界遺産に登録された。なかでも有名なのは8世紀初頭に切石を積んで建てられた海岸寺院は ベンガル湾を望む海岸に佇み、シヴァ神を2度称えるために造られた大小2つの祠堂がシンボルである。
10m程の5つの像は1つの岩石でできている。

世界遺産「タージ・マハル」

タージ・マハルは、約350年前 インドを支配していたムガール帝国皇帝シャー・ジャハーンが、王妃ムムターズ・マハルの死を悼み17年をかけて建てた霊廟。
まぶしい白い大理石でできた霊廟には、天上の楽園に咲き乱れる花を連想させる花の紋様が、翡翠、水晶、トルコ石、サファイア、などの貴石で施されている。 建物の前にある長さ約300mの池に映る姿もタージ・マハルの魅力の1つ。月下におかれると一層その美しさが増す。

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