NHK BSP 2023年5月6日 「 ローマ街道 タイムトラベル アッピア街道 イタリア横断580キロ」
およそ2300年前に作られた ローマ街道と呼ばれる道。当時ローマ帝国はヨーロッパから中東アフリカまで広大な地域を支配、ローマ街道は網の目のように広がって 総延長 およそ8万キロ。「すべて道はローマに通ず。」と言われ 始まりは アッピア街道でした。そこを速水もこみちが旅した。
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ローマ帝国の高速道路 アッピア街道
フォロ・ロマーノ: 紀元前6世紀から紀元3世紀にかけ 古代ローマの政治・経済の中心地だったところで、今からおよそ2300年前 ここで アッピア街道の建設が決められた。計画の中心となったのが、名門貴族出身の 超大物政治家 アッピウス・クラウディウス・カエクスでした。紀元前312年に建設が始まった最初のローマ街道、そのため アッピア街道の名がついた。ちなみに彼は ローマ水道の立案者でもある。
アッピア街道はローマを出発 イタリア半島を横断し アドリア海に面する港町ブリンディシまで 総延長580キロほど、今回はイタリア政府が出している公式ルートを旅した。
●カペーナ門:アッピア街道の起点です。かつてはローマを囲む城壁を従えた立派な門でした。南東に向かいます。1.5キロほど行くと 最初のマイルストーンがありました。当時の1000歩分の距離(約1.5キロ)毎に設置されていた。日本の1里塚のようなものと考えられ 旅の道標でしたが ほとんど残っていない。
さらに進むと 当時の姿がそのまま残り アッピア街道州立公園になっていて およそ17キロに渡ってトレッキングコースが整備されている。古代からの石畳や遺跡が立ち並びます。
道幅は2大の馬車がすれ違えるよう4mあったと言われる。さらに3mの歩道があって、現在自動車が走ってる場所もある。流れてきた火山の溶岩石を使っていた。ピラミット型のお墓があったが今は崩れてしまっていた。実はローマに近いアッピア街道沿いにいろいろな形のお墓が建てることが人気だった。奴隷でも解放されてここにお墓を建てた人もいた。
公園のトレッキングコースが終わると20世紀に作られた新アッピア街道と合流、終点まで並行して走ります。
マクドナルドのお店を建てるときに アッピア街道の遺跡が見つかって そのまま地下遺跡として保存されていて自由に見学できる。ここは原型をよくとどめていて 中央が少し盛り上がり水はけが考えられていた。軍用道路で高速に走ることを考えた 道路網を作っていた。
10キロほど離れた所に 紀元52年に完成した全長69キロのクラウディア水道橋がある。
●アルバーノ・ラッツアーレ:車で移動 。途中のアルバノ湖のほとりのホテルに宿泊。古来リゾート地でクレオパトラも来て 絶賛していたと伝えられる。窓から見えるカーヴォ山の溶断石でアッピア街道は築かれた。
ローマから 約25キロの街。ローマ軍の駐屯地が置かれ発展した。パルティカ軍事博物館がある。街の中央をアッピア街道が走る。ローマ時代の手洗い場やマイルストーンが残っている。地下の巨大な貯水槽を石灰岩を掘って防水加工して使っていた。
●フォンディ:地中海沿いに向かう ローマから 約120キロの街。アッピア街道が2キロほどのトレッキングコースとして整備されていた。修復した跡が残る。周辺には放牧された牛が見える。ナポレオンが築いた要塞が残る。
●カプア:当初ここが終点だった。映画グラディエーターの コロッセオが残る。当時ここでの戦いが最大の娯楽だった。地下から グラディエーターや動物を 登場させる大がかりな装置があった。
●ヴェノーザ:ローマから 約400キロの南イタリアの山あいの街。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスにも認められた詩人オラッツィオ の生まれた街。彼の有名な言葉「一度放たれた言葉は二度と戻らない」
生家を2匹の犬が案内してくれた。
●グラヴィーナ・イン・プーリア:ローマから 約450キロ。アッピア街道の開通で栄えた街。おすすめのスイーツ「修道女のおっぱい」は紀元前 シチリア島の伝説に由来する。スポンジケーキの中にクリームがたっぷり。
●ターラント:ギリシャの植民地として誕生した街で、古代ギリシャ人の建てた柱の残る教会がある。
●ブリンディシ:終点の アドリア海に面する港町でイタリア海軍の基地が残る。
シルクロードのイタリアの入り口だった。ここからローマははるか離れていた。