GoogleマップでWeb旅行!アフリカ各地の世界遺産 ★エジプト★モロッコ★自然遺産

エジプト ツタンカーメン王の眠る古代都市テーベ・ギザの3大ピラミッド・ローマ帝国の遺跡・モロッコ・ケープ植物区、モザンビーク、「アフリカ縦断114日の旅 」(こちらにも)を視聴
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北アフリカ

エジプト

・首都 カイロ
ルクソール:ナイル川東岸の古代エジプトの都テーベがあった都市。
カルナック神殿:参道に並ぶスフィンクス、大石柱 当時の王が太陽神に貢ぎ物を捧げる壁画。スカラベ(フンコロガシ)の像を3回廻ると幸せになれるという。近くに 王家の谷もある。

アスワン(出国手続きをして 細長いナセル湖を18時間かけ 週一度の運航のフェリーでスーザンへ向かう。途中 右岸に アブ・シンベル神殿 3300年前 征服したラムセス2世が命じて、大きな岩山をくりぬいて築いた。高さ20mのラムセス2世の像が4体見える。

・テーベのネクロポリス(エジプト) 古代都市テーベ のメムメンの巨像に随行員の落書きがある。

世界遺産「ワディ・アル・ヒタン(クジラの谷)」

世界自然遺産で、ワディ・アル・ヒタンとは「クジラ渓谷」という意味で、約4000万年前の「バシロサウルス類」というクジラの祖先の化石が多数発掘されている。
砂漠の上を歩くと 他に貝やマングローブの化石を見ることができ、太古はここが海であったことがわかります。

世界遺産「メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」

初期王朝時代(BC3000~2650頃) ナルメル王(メネス王)がエジプト全土を統一、都をメンフィスと定める。メンフィスとその墓地遺跡があり 80余りのピラミッドが残されています。
古王国時代(BC2650~2180頃)の「ギザの3大ピラミッド」と称されるのが、クフ王・カフラー王・メンカウラー王のピラミッドの3基です。カフラー王のピラミッド前に半人半獣の ギザの大スフィンクスがある。

世界遺産「古代都市テーベとその墓地遺跡」

テーベ(現ルクソール)は、中王国時代(紀元前2040年頃 – 紀元前18世紀頃)から新王国時代(紀元前1570年頃 – 紀元前1070年頃)のエジプトの首都だった。
太陽神であるアメン神信仰の総本山として栄え、古代エジプトの芸術や宗教を物語る数々の遺跡で名高い。ナイル川東岸には、エジプト最大の神殿であるカルナック神殿や副殿のルクソール神殿があり、二つの神殿は、スフィンクスを両側に配した長い参道でつながれている。
西岸はネクロポリス(死者の町)となっており、ツタンカーメン王の墓の発掘で脚光を浴びた、数十人のファラオが眠る王家の谷やラムセス2世の王妃ネフェルタリの墓で知られる王妃の谷がある。墓の内部には彩色の美しいレリーフが施され 古代エジプトの死生観が間近に感じられる。

世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」

TBS 世界遺産 2023.6.4
ナイル川中流域にあるヌビア地方には川沿いに古代エジプトの遺跡がいくつも並んでいた。しかしアスワンダム建設によって川の水位が上昇、遺跡に水没の危機が迫った。そこで世界各国が協力、貴重な神殿を大工事によって移築した。10か所が登録されているが、ほとんどが移築された。
紀元前4世紀に建造されたイシス神殿は、別の島にあった遺跡を現在の島に移築したもの。。
さらに上流にあるナイル河岸の岩山をくりぬいて造られた アブ・シンベル神殿ラムセス2世によって紀元前1300年ごろに建設されたもので、神殿正面には高さ約22mもあるラムセス2世の座像が4体並び、足元には彼の母や王妃、息子、娘などの小さな立像があります。1960年代に新たなダムの建設が決まり、この遺跡にも水没の危機が迫ったため 遺跡をノコギリでブロックに切り刻んで、64m高い場所で再び組み立てました。
小さなアマダ神殿も 内部の壁に残る精細な壁画を崩すことなく移築するため、神殿をジャッキで持ち上げて レールに乗せてゆっくり運んだ。

UnsplashAussieActiveが撮影した写真

世界遺産「聖カトリーナ修道院地域」

聖カトリーナ(カタリナ)修道院 は今でも使われる世界最古のキリスト教修道院のひとつです。モーゼが神から十戒を授かったとされるシナイ山にある。
305年頃聖カトリーナが斬首される。6世紀、東ローマ皇帝ユスティニアヌスによって シナイ山の「燃える柴」の地に修道院が建築される。8世紀に付近でカトリーナの遺体が発見されると 修道院は聖カトリーナの名を冠するようになる。

世界遺産「カイロ歴史地区」

首都カイロは アラブ世界で最も人口の多い都市、7世紀にイスラム勢力がこの地にフスタートという軍事基地を築いたことが起源で、世界遺産 カイロ歴史地区は、イスラム地区とオールド・カイロの2つのエリアがあります。600を超えるモスクや、1000以上のミナレットを擁するため 「千の塔の都」と呼ばれています。
イスラム地区はムハンマド アリー モスクアズハル・モスク(イスラム世界最古の大学)などのイスラム教の建物が、オールド・カイロはエジプト独自のコプト派キリスト教の教会などを見ることができます。エジプト考古学博物館も見所。

世界ふれあい街歩き エジプト 二都物語 〜カイロ&アレクサンドリア〜

アレクサンドリアは地中海沿いにあるエジプト第2の港町でナイル川の三角州 西端にある。アレキサンダー大王が築き、クレオパトラとカエサルとアントニウスのロマンスの舞台になった。4世紀 ローマの属州でローマ劇場、ローマ浴場が残っている。現在も国際色が豊かな都市で、教会や宮殿、古い欧風の邸宅が残っており、ヨーロッパ的な雰囲気が漂っています。ビーチは世界中から訪れた観光客で賑わっています。

チュニジア

・エルジェムの円形闘技場 (世界遺産) ローマ帝国の南の端 アフリカに作った。

・カルタゴ:ローマ帝国が ポエニ戦争で 最終的に勝利し 属州とした。交易の要衝で、漁業が盛んで ローマの食料庫と言われた。海底に古代都市跡が確認された。

アルジェリア

・ティムゴードは「アフリカのポンペイ」と言われる ミニローマで上下水道・共同浴場・劇場がある。

リビア

・レプティス・マグナ: 古代ローマ時代 地中海の重要な交易地。アフリカ初のローマ皇帝セプティミウス・セウェルスを輩出した都市。

モロッコ

世界一番紀行 世界で一番の迷宮都市~モロッコ フェズ

NHK BSP 2009.11 初回放送 世界遺産 「フェズ旧市街」
アフリカ北部の モロッコにある世界遺産の街 フェズを 夏木マリさんが音声レコーダーを共に旅した。
すり鉢状の盆地で 東西2.2km、南北1.2kmの旧市街に、細い路地の数が13000、袋小路は1000あまり。世界一複雑な街で 必ず道に迷うといわれる。城壁で囲まれた 旧市街 にブー・ジュルード門をくぐり入る。外国の女性が1人で歩くことは珍しい。車は入れず ロバで運搬手段。通りの両側には商店が軒を連ねる。道の上にも 住居があり薄暗い。狭い店内 店主の出入りに どの店も下がっている棒を使用する。路地に入ると木の葉のように分かれて 引き返すことも度々。カラウィーン・モスクにようやくたどり着いた。イスラム教徒だけしか立ち入れず かつて女子禁制だった。モスク内に世界最古の大学がある。

イスラム都市の法則
・大通りの幅 3.2m以上で ロバなどでの運搬がすれ違えるよう。
・路地 お互いの入り口は 互い違いにして 風通しのため開放しても プライバシーを保つ
・窓は高い位置に置く。細い隙間のような窓は女性が顔を見られずに済むために。
コーランに 「…許しを求めて その家人に挨拶を送るまで他人の家に入ってはならない」とある。
・通りを歩いて中が見えてもすぐ目をそらす。
・家の内部には 吹き抜けの中庭 リアド に モザイクタイルで美しい装飾を施した豪華な空間が広がっている。フェズでは美しいものは決して外にひけらかせない。邪視を起こさせないようにしている。そのため路地は狭くなっていった。

金物をたたく職人 研ぎ屋で働く人に聞くと「表の顔は男」気がつくと働いているのは男達ばかり。
最も厳しいと言われる 革なめし工場があった。通常女性は立ち入らない、激しいニオイと厳しい暑さの中 500人が自営として働く。仕事は親から受け継ぐ。
男達は見知らぬ女性と握手はしない。イスラムでは女性と握手するのは良くないこと。婚約証明書がなければデートできない。神様は1度見るのは問題ないけど 2度見てはいけない。嫌らしい目で女性を見ないよう気をつけている。ムハンマドの教えです。
フェズは保守的な街で女性は出歩かない。外出の時は髪や素肌を見せない服をまとう。人間を心の弱い生き物とする イスラム法が男の欲望を刺激しないように戒めてきた。
女性はカメラで顔を撮られることも嫌う。女性は母となり子供を産み育てる聖なる存在で守らなければいけない。男性は外 女性は家の中と決まっている。

世界遺産 時を刻む★モロッコ ふたつの顔を持つ街★通り

NHK BSP 2013.2 初回放送
2012年に登録されたモロッコ首都ラバトは、新市街・旧市街がともに世界遺産「ラバト:近代都市と歴史的都市が共存する首都」に登録された。
4kmに渡る12世紀につくられた城壁がそのまま残り、中に近代的なビルが建って60万人が暮らしている。旧市街(メディナ)は スペインを追われたアラブ人が築いた。メディナのメインストリート スイカ通りは平日でも混雑死 幅3mの両側には混然と店がひしめきあう。 食べ物屋さんも多く イワシのフライのサンドイッチ 1つ50円で人気。お菓子屋に止まるミツバチ、おいしさのパロメータといわれる。毎日がお祭りのようです。
通りを渡ると新市街で 1912年にモロッコがフランスの保護領となると、その首都がフェズからラバトに移されました。フランス人による都市計画によって再開発された。1956年にモロッコが独立した後も首都はラバトに置かれています。
フランスからモロッコの独立を勝ち取った元国王・ムハンマド5世の霊廟がある。
1直線に伸びる ムハンマド5世通りは、パームツリーが整然と並び、道路添いの建物の高さもデザインも統一されており 世界遺産に登録される要因でした。政治地区と行政地区が1直線に並んでいます。
道路の中央分は歩くための場所で 両側に緑地帯が設けられ通りと庭を1つにしたものです。建物のアーチは高さが全て統一されています。通の両側はさながら 近代ヨーロッパ建築の展示場です
旧市街のコンシェル通り 両側にはお店が所狭しと並ぶ。売られているのはモロッコの工芸品や民芸品。そのほとんどが手作りです。奥は職人の工房です。革製品・織物・ランプなど。
美容せっけん、真っ黒なアルガンという植物のオイルがフランスでは モロッコの黄金といわれるほど人気だそうです。アルガンの木はこの辺にしか生えなく ヤギが木に登って葉を食べていた。アルガンオイルつくりは農家で昔から細々と行われてきたが、女性教授が協同組合を作り 女性の地位向上のため アルガンオイルつくりを近代化して 種を割って実を取り出す作業に女性達を雇っている。
国もアルガンオイルつくりを支援して、生産拠点に町をつくり 何もなかったところに ガス・水道・電気が引かれて人が集まった。
旧市内にある 15~16世紀につくられたウダイヤのカスバ地区 細い曲がった坂道のまわりに ぎっしり建てられた 白と青の家並み。通りと家の区別がないつくりで 観光客が顔を見せることもある。

世界ふれあい街歩き 選 カサブランカ(モロッコ)

NHK BSP 2014年2月 初回放送
モロッコカサブランカは、北アフリカの玄関口としてヨーロッパとの貿易で栄えてきた港町です。
カサブランカはポルトガル語で「白い家」で、長い路面電車が走る。
イスラム王朝による支配を経て、中世以降にはポルトガルに、20世紀初頭にはフランスによって統治された。今では人口400万を超える国際都市に発展しました。
新市街に立ち並ぶモダンで白い建物は フランス統治下で 旧市街に 合わせ新市街の建物も白く造ったといわれる。市場では 新鮮な魚介類や 果物 肉や花 スパイス などあらゆるものが売られています。
旧市街には果物やペパーミントを売る屋台がずらり。お酒の禁止されてるイスラム教徒はミントティを飲む。
モロッコは「陽の沈む国」の意味があるそうで 夕方の街中に「犠牲祭」(イスラム教徒がヒツジを屠り、その肉を貧しい人たちと分け合う)が近いので羊が集められていた。
ミナレットの高さは200mもある ハッサン2世モスクは 1986年から8年かけて建てられた、当時の国王の名が付けられたモロッコ最大のモスク。モロッコでは珍しく、異教徒でも内部の見学ができる。建物の内部には2万5000人を収容できるという。内部のタイルや美しい幾何学の彫り模様も素晴らしい。
夕陽もきれいだった。

カサブランカからバスで南西に2時間 アルジャディーダへ。16世紀にポルトガル人がインド航路開拓のために築いた城塞都市で 旧市街の街並みは、世界遺産に登録されています。美しいゴシック建築で造られた地下室は籠城戦の際に、穀物や武器の倉庫でしたが 非常用水を貯める場所になった。「美しい貯水槽」は 住民の生活用水としても使われ 幻想的な空間となっています。

世界ふしぎ発見!異邦人が創りしモロッコ僕らはみんな時の旅人

TBS 2023.3.4
アフリカ大陸の北西の端に位置し、日本のおよそ1.2倍の国土の6割のサハラ砂漠に覆われた熱砂と広野の国 モロッコ
シェフシャウエン(シャウエン):モロッコ 北部の 山あいに広がる青い街で、壁や扉を青く彩り まるでおとぎの国のようです。ジュラバという 古くから伝わる帽子のついた 伝統衣装 夏は木綿、冬はウールでできており、多くの人が1年中着用していて 魔法使いのようです。
■テトゥアン:ヨーロッパとアフリカの間にあるわずか14kmの ジブラルタル海峡から約40km南に位置する街。白い家々が並ぶ町並みは、15世紀にレコンキスタによってスペインから避難してきたイスラム教徒とユダヤ教徒によって再建された。テトゥアン旧市街世界遺産になっている。
■フェス(フェズ):迷宮都市で(詳細は↑)
■マラケシュ:先住民 ベルベル人が築いた城壁が残る中世都市で世界遺産になっている。。赤土の日干し煉瓦で造られた家が多かったので 街全体が赤かった。現在は景観保護のため コンクリートの建物も赤く塗られ、サーモンピンクの街並みになっている。迷路のように入り組んだ路地には活気あふれるスーク(市場)があり、伝統的な布地、陶器、工芸品が売られています。ベルベル人は最近まで文字を持たなかったので、色合い 柄の異なる 文様で 表現していた。
オート・アトラス山脈 の南北で大きく異なる。北側は 世界遺産 アイト=ベン=ハドゥなど 日干し煉瓦で造られた要塞都市が残るが 大方は崩れている。
■山脈の南側のサハラ砂漠 には13万8000本のナツメヤシが植えられた オアシス パルムレ・ド・スクラがある。先住民がオート・アトラス山脈から 日があたらないよう作った 地下水路が60本くらいあって砂漠を潤していた。各地から追われてきた人を受け入れてきた。モロッコに生育するアルガンツリーの種から採取される アルガンオイル 生命力・保湿成分が豊富に含まれている貴重な美容液。サボテンオイルはより貴重です。

東アフリカ

スーダン

ワジ・ハルファ
ヌビア砂漠Nubian Desert)は 東西約700km、南北約300kmあり 砂漠に敷かれた鉄道を道しるべに走る。

かつて大英帝国は植民地時代に地元の反乱軍を鎮めるべく、首都ハルツームより ヌビア砂漠を縦走しワジ・ハルファまで 鉄道を建設し 現在も1日6往復 輸送している。

古代クシュ王国メロエ遺跡 王の墓のピラミッド 高さ10m位で100個以上あり 正面に礼拝堂があり 壁画に牛やワインがあった。他にムサワッラト遺跡(アブ・シンベル神殿)ナカ遺跡などある。世界遺産「メロエ島の考古学遺跡群」
クシュ王国はエジプト属国であったが、エジプト弱体時に攻め 100年にわたってエジプトを支配 最盛期アフリカの1/4を支配した。

・首都 ハルツームは 白ナイルと青ナイルの合流地点。

スーダン 紅海 サンガネーブ

紅海 サンガネーブ岩礁にある 世界遺産「サンガネーブ海洋国立公園とドンゴナーブ湾=ムカッワー島海洋国立公園」 Sanganebin kansallispuisto 珊瑚礁がリング状につながり 多様な生物が暮らす。

エチオピア

ゴンダールは1632年~1769年にかけて、エチオピア帝国の首都であった旧都。標高は約2,000mあり ソロモン朝ゴンダール期に建設された3つの王宮群がある。エチオピアにはイスラム教徒もいるが6割はキリスト教徒。土着の宗教と混じり合いながら ダブラ・ブラハン・セラシエ教会など多くの教会がある。

・北に進み エチオピア高原に入る。4000mの山々がある世界自然遺産シミエン国立公園

タナ湖:青ナイルの水源地。
古代エジプトで文書に使われたパピルスの村へ、は屋根や壁や紐に使われ、編んで小舟に、端は焚き木に。

ラリベラの岩窟教会群は 標高2600mの場所にある世界遺産で、ザグウェ朝 7代国王ラリベラの命により、12世紀末~13世紀にかけて建造されました。国王ラリベラは、聖地であるエルサレムはイスラム教徒の手に渡っていたため、ラリベラを「第二のエルサレム」にするため 複数の教会を造営。
一枚岩でできている岩窟教会が11ある。ギョルギス教会は、縦横12m、十字架の形に掘られ、高さも12mある。
・首都のアディスアベバ

コンソ キノコのような形をした家々と段々畑が世界遺産「コンソの文化的景観」に登録されている。2段スカートをはいてることの多いコンソ族 は30万人いる。その1つの村 (コンソ特別郡)は山頂にあり 6000人が暮らす。

モヤレ:街中に エチオピア・ケニアの国境線がある

ケニア

サバンナ地帯に入り牛を放牧する レンディーレ族。
首都 ナイロビ 東アフリカの中心地でイギリスの東アフリカ経営の拠点が置かれた。

トルコ・紅海から東アフリカまで 幅30~60kmのグレートリフトバレー(大地溝帯)が走り、大きな裂け目が出来て 落差100 mを超える急な崖が随所にある。大地溝帯に沿って進む。

世界遺産「グレート・リフト・バレーのケニア湖水システム」
ナイバシャ  レイク・ナイバシャ・ヒッポ・キャンプ & ワイルドライフ自然保護区
キリンなどの草食動物だけなので 歩いて廻れる。

・ナクル湖岸のレイク・ナクル国立公園:ライオンなど肉食動物がいるので車で移動。フラミンゴの大群が飛来する。
バリンゴ湖 は野鳥の楽園。カバは人間の倍のスピード時速40kmで走れる。ボートで湖に ヒマラヤセミ・サンショクウミワシなど400種以上生息。
・国境の町マラバ

Photo by Harshil Gudka on Unsplash

ウガンダ

ビクトリア湖はケニア、ウガンダ、タンザニアに囲まれたアフリカ最大の湖。白ナイル川の激流下りが楽しめる。

カリンズ森林保護区 クイーンエリザベス国立公園 熱帯雨林地帯 390万㎢日本の10倍の面積で大西洋岸まで拡がる。ジャングルに入ると 寄生植物のクロハタオリ、チンパンジーの巣が

タンザニア

アルーシャ サファリツアーの出発点

ンゴロンゴロ自然保護区 大きな穴という意味で火山活動で出来た深さ600mのクレーター。東西19km 南北16km。独自の生態系で25000頭の動物。ヌー、ゾウ。中に住む垂直に高く跳ぶマサイ族は 防虫効果がある木の枝と牛の糞を混ぜた土の家に住む。

キリマンジャロ 標高5895mの アフリカ大陸の最高峰。

ダル・エス・サラーム から船で ザンジバル島
ストーン・タウン はキリスト教の教会 イスラム教のモスク ヒンズー教が混在。世界遺産「ザンジバル島のストーン・タウン」に登録されている。「旧奴隷市場」もある。
古くから東アジアへの交易の中継地だった。

世界ふれあい街歩き 「インド洋の楽園 タンザニア・ザンジバル」

NHK BSP 2020年1月 初回放送
東アフリカ・タンザニアザンジバル島。石造りの歴史的建物が残る街ストーンタウン世界遺産になっている。
街のなりたち
2000年ほど前から、インド洋に吹く季節風を利用してアラブやインドの商人たちがダウ船で行き来していたといわれる。17世紀末からは中東オマーンがこの島を支配。街中にはインドやアラブの影響を受けた木の扉や建物が今でも残っている。
その後、ヨーロッパの列強も交易に参加。19世紀末にはイギリスの保護領になった。1963年にザンジバルは独立し、翌年にはタンザニア連合共和国の一部となった。今でも人種はさまざまでアフリカ系、インド系、アラブ系が共存している。

街の北側にある港から歩き始め、通りに出ると露店のカフェで朝のコーヒーを楽しむ人達 いたるところでコーヒーが飲める。子だくさんのナツメヤシ屋さん。
ロックバンド クイーンズフレディ・マーキュリーが子どものころに暮らした家が残っており、インド系だった。
入り組んだ路地の段差はバラザと呼ばれ、ゆったりする場所として 人々が遊んだりおしゃべりしていた。

ちょっとより道 市内から30分の農園
リップスティックは実をすりつぶすと真っ赤になり、化粧やスパイスとして利用される。
紅茶やお菓子などに使われる シナモンは、樹皮を削ったもので数ヶ月で再生する。乾燥すると自然にロール状になる。 ココナツを採りに木に登り、案内人がすべて飲んでしまった。巨大なジャックフルーツも案内人が見せてもらったり。ザンジバルの自然の豊かさを堪能しました。
カラフルな布地が並ぶお店、これはカンガというザンジバル女性伝統衣装(腰巻)。カンガには愛や人生などに関する文が書かれていて、プレゼントする相手へのメッセージなのだそうです。
グルメ
1位 ピラウ…ザンジバルの人たちのソウルフード。大鍋に クミンやカルダモンなどのスパイスと玉ねぎをいため そこに下ゆでした牛肉を煮汁ごと入れ 最後にお米を入れ 熱を加える。香りの高い炊き込みご飯といった感じ。
2位…バナナのココナツ煮
3位…マンゴースープ
夕暮れ時、ビーチでフィットネスクラブのトレーニングする人達。タイヤを踏み台にアクロバティックを練習 将来金を稼げるそうだ。日課の泳ぎをする人。インド洋に陽が落ちていく。

マラウイ

マラウイ湖

南部アフリカ

ザンビア

首都 ルサカ、南アフリカの投資でビルが建つ。
・ザンベジ川は ザンビア北西部からインド洋に注ぐ アフリカ第4位の大河

ジンバブエ

ザンビア/ジンバブエの国境にある
ビクトリアの滝:1855年 探検家デビッド・リビングストンが、母国イギリスの女王にちなんで「ビクトリア」と命名。滝幅約1700m、落差約108mで水煙が舞い虹がかかる。地元の人は「雷鳴のとどろく水煙」と呼び信仰の対象になっている。
パオパブの大木 樹齢200年、樹高43m 周囲23m。実や葉っぱ 種は食料として利用され、樹皮は紐など日用品に。
グレート・ジンバブエ遺跡(世界遺産) 13~15世紀にグレート・ジンバブエ王朝が築いた 大規模な石造建築遺跡。

ボツワナ

2023.7.22 TBS 『日立 世界ふしぎ発見』を視聴
カラハリ砂漠:ボツワナの国土の7割が砂漠で占められ ダイヤモンドや銅を産出。
・オカバンゴ湿原 隣国 アンゴラの山岳地帯から川の水が集まりできた湿地帯。地球最大級の大湿地帯オカバンゴ・デルタ湿地には水を求めさまざまな生きものたちが大集結し ’水のサファリ’に
マカディカディ塩湖は中央部に位置する世界最大級の塩湖で 関東平野ほどの広さがある。雨季には青い海になる。
その中にあるクブ島、太古の花崗岩の重なったところに聖なる儀式で雨乞いを行っていた場所があった。巨大なバオバブが群生していて 100m以上 石積みの壁があった。ここから東へ800キロ離れたグレート・ジンバブエ遺跡があって13~15世紀の大きな岩や石を巧みに利用して栄えていた。その人々が訪れていた。また およそ20万年前 人類(ホモ・サピエンス)が誕生した地 がここ マカディカディ塩湖付近といわれる。

ナミビア

・古代遺跡 トワイフェルフォンテイン は2000点以上の岩石線画群からなる遺跡で世界遺産。
壁画は狩猟民が野生動物を多く描いた。

ナミビア海岸 オットセイの生息地 コロニーに10万頭が暮らす。天敵セグロジャッカルが狙う。

スワコプムント ナミビア第2の都市 19世紀後半から20世紀初頭 ドイツの植民地の港町だったので ヨーロッパ風の建物が多い。

ナミブ砂漠は九州より広く 美しい砂の丘が重なる。「ナミブ砂海」として世界遺産
大きな木の板で砂丘を滑り落ちるライダウンボーディングサンドボードもできる 砂のスキー場。
黒い砂のムーンラウンドスケープ(月面世界)
白い砂の砂漠には ここだけに育つ ウェルウィッチア(奇想天外)、葉が大きく大気中の僅かの水分を吸収し、根も10m近く伸ばし水をくみ上げる。寿命500年~1000年。2000年生きているもののある。
さらに南の ソーサスフライ 柔らかい赤い砂の斜面 ソススフレイが続く。高いところで 300mもある。

・フィッシュ・リバー・キャニオン 大地をえぐる500mの谷が160Kmに渡って続く。グランドキャニオンに次ぐ規模。

南アフリカ

喜望峰:ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を経てインド航路を発見したことを記念して、Cape of Good Hopeと名づけられたといわれる。喜望峰の周囲は自然保護区になって緑の回廊が続く。

世界遺産 ケープ植物区保護地域群

2022年2月27日OA TBS 世界遺産 ケープ植物区保護地域群 〜 一斉に開花!幻の花園と奇岩の秘密
世界の植物は、共通する特徴から6つの植物区に分けることができる。
その中で最も小さな南アフリカのケープ植物区は6000種もの固有種が確認されている。
その中にある13の保護地域が世界遺産となっている。

世界遺産 テーブルマウンテン 近郊の「カーステンボッシュ国立植物園」は北の大断崖と 海に遮られ 1470種の固有種がある。極楽鳥花キングプロテアピンクッションといった日本の花屋さんでも一般的に売られている花は、実はケープ植物区原産のものが多い。

ケープタウンから北へ200キロのセダーバーグ原生地域 (シデールベルフ・ワイルダーネス・エリア ) も保護地域の一つ。標高1000メートルの砂岩の大地、隆起する時に亀裂が入り 浸食によって 奇岩が並ぶ。岩場や水辺など環境に合わせて様々な固有種が存在し 非常に狭い範囲にしか見られない植物が1800種も存在するという。25メートルの直立する岩の塔も浸食でできた。

ケープタウンの北400㎞にあるナマクワランドに 一時期だけ現れる幻の花園です。8月の終わり、春を迎えて一斉に開花 咲いている期間は ほんの数週間だけ。ほとんど雨の降らない乾燥エリアでも、冬の雨の水分を保持して乾燥に強い多肉植物が棲息する。

花の蜜を吸う代わりに受粉を行う虫たち。6cmの軸の底で蜜を出すと、それを吸うために6センチの長い口先を持つロングタンフライ

また山火事が頻発する「ケープ植物区」で生き残るため、火の熱を利用する植物。固く閉ざした殻が熱せられて開き、中からタネが飛び出すメカニズムになっているという。

イシマンガリソ自然公園 〜 200kmの大砂丘!インド洋の海岸

TBS 2022年10月16日放送
イシマンガリソは、先住民の言葉で「驚異」。南アフリカの東海岸に南北に200kmも果てしなく続く大砂丘です。

1万年前の巨大な湾が 砂丘が水の出入り口をふさいだことで内陸に広大な湿地が生まれた。大砂丘は長い年月で森に覆われ、湿地には魚や鳥 動物が集まり 生き物の楽園となった。
絶滅したと考えられていたシーラカンスがいました。
浅い湾に点在する奇妙な「ハート」それは伝統漁法の仕掛けです。
昼間水の中で過ごすカバは、夜陸に上がって道路や民家の庭でエサの草を食べていました。

西アフリカ

マリ バンディアガラの断崖(ドゴン人の地)

バンディアガラ山地とニジェール川による標高差500mの断崖が、約200kmにわたって続いており、この断崖の所々や、断崖の裾野に、ドゴン族はおよそ700の村落を作り、25万人ほどが暮らしています。
世界遺産 「バンディアガラの断崖(ファレーズ・ド・バンディアガラ)」に登録されている。

マリ ニジェール川流域で米栽培、世界遺産アスキアの墓

NHK BSP 2023.10 プレミアム8 コメ食う人々 アフリカの大河に原始の稲(2010年)
マリを流れるアフリカ第3の大河 ニジェール川、流域 はアフリカ有数の米どころ。
首都 バマコ は180万人が暮らす。市場ではアジアからの米が多く売られていた。 結婚式では多くの人に 炊き込みご飯のようなものを振る舞う。バスで250キロ東の セグーに。道路に種籾を拡げ乾燥していた。マラカラダムもあり 一面米を生育している。
さらに ニジェール川沿いに東のモプティに。乾期に田を牛で耕し 種をまき 雨期になり ニジェール川の水があふれ 稲が育つ。穂先だけ刈り取って収穫。自宅に持ち帰り乾燥し 棒で叩いて容易に脱穀できる。ウスに入れ杵でついて籾すり、籾殻を吹き飛ばし、玄米にする。近くの村でコメと魚を交換。
4輪駆動車で乾燥地帯を600キロ東に。途中で遊牧しているヤギや牛と出会う。再びニジェール川と出会い ガオに。ここには世界遺産になっている ガオ帝国の「アスキアの墓」が残る。土に稲の茎と牛糞を混ぜ作られた墓です。3500年前から作られた原始の稲「浮き稲」は5メートルもの長い茎を伸ばして水面に稲穂をつける。船でこの稲穂を刈り取るって収穫。

世界遺産 セネガル ゴレ島

アフリカの西端、セネガルの首都ダカールから3.5Kmの沖合に浮かぶ小島。15~19世紀 アフリカで一番大きな奴隷貿易の港でしたここから約2000万人のアフリカ人が奴隷として売られていったという。18世紀に建てられた「奴隷の家」が残っており、150~200人が男・女・若い女性・子供と分けられ、船に乗るまでの間を鎖につながれてここで過ごした。現在は博物館として 島の悲惨な過去を伝えている。

中部アフリカ

ガボン 世界遺産「イヴィンドゥ国立公園」

TBS 2023年9月17日放送 イヴィンドゥ国立公園 〜 日本初撮影!ジャングルの大瀑布とゾウ
アフリカ中部のガボン共和国は国土の90%近くが広大な森林である。
イヴィンドゥ国立公園(Ivindo National Park)は東京都よりも面積が広く 手つかずの熱帯林が広がる。
・中部アフリカで最大といわれるコングウの滝 幅はなんと3km、大小13の滝が集まって1つの巨大な滝となっていた
・ジャングルにぽっかり空いた空間。そこだけ木が生えず湿地となっていて「バイ」と呼ばれる。観察小屋に寝泊まりし、すると絶滅危惧種のニシゴリラやのマルミミゾウが集まってきて 深夜 ゾウの絶叫が響き渡る。
■世界遺産「ロペ・オカンダの生態系と文化的景観」
赤道付近に位置するロペ=オカンダは、ロペ国立公園に指定され 絶滅危惧種の大型哺乳類が住むサバンナと 熱帯雨林といった異なる環境を持っており、そこに生息する植物は1500種以上を数える。
このエリアには様々な民族が暮らしており、昔ながらの生活をするピグミー族は有名です。

TBS「世界遺産」奇妙な生き物の島 マダガスカル

アフリカ大陸の東に浮かぶマダガスカル島は、独自の進化を遂げた奇妙な生き物の宝庫。原始的なサル“キツネザル”の仲間やカメレオン、不思議な樹形のバオバブなど、動植物の約9割が固有種である。

猛毒 青酸を食べるサル
雨の多い東側には「世界遺産 アツィナナナの雨林群」の1つ ラノマファナ国立公園の熱帯雨林に生息する ゴールデン タケ キツネザル。特別なの若い芽は栄養豊富だが 人の致死量もある青酸が含まれているが このキツネザルは 毒素を分解出来る。木に体を擦り付け縄張りを主張する。とても小さい体重50gに満たないキツネザルがいる。
トゲトゲの木を跳ぶサル
マダガスカルの南部の沿岸(アンドハヘラ国立公園 Công viên quốc gia Andohahela)「金棒の木」と呼ばれる 幹がトゲだらけの木が生えていて、その木を住処にしているキツネザルが ヴェローシファカ。原始的なサルなので体温調節がうまくできないので、木の上で太陽に当たり 体をあたたため 活動する。
針の岩山に純白のサル
島の西部の乾燥地帯の川沿いに 石灰岩でできた 100mもある尖塔が林のように 100kmも続く秘境(世界遺産 「アンドレファナの乾燥林群」の一部 ツィンギ・デ・ベマラ厳正自然保護区)がある。その岩の先端近くを寝床にする純白のキツネザルが、フォン デア デッケン シファカ。そこを住処するのは 体を温め 天敵の肉食獣フォッサから身を守るためでした。
絶滅した巨大生物
鳥の卵のかけらが散乱しているかつてのコロニーがある。体重500kgもあった巨大な飛べない鳥 エピオルニス に、体長1.5mのキツネザル メガラダピス 。絶滅したのは 人間の狩猟の対象となったり、多くの棚田が出来 森が消え生息地が奪われた。残った森林が8%程で世界遺産になっている。