NHK BSP アフリカ縦断114日の旅、貿易風が彩る水の大地 モザンビーク、カメルーン・コーラップ国立公園、タンザン鉄道のポレポレ列車、マダガスカルのスマイル列車、世界で一番の迷宮都市~モロッコ、グレートネイチャー「大地を引き裂く巨大パワー〜アフリカ〜」を視聴しました。
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ハイビジョン特集 アフリカ縦断114日の旅
NHK BSP 2008.1 初回放送ですが 荷台を改造し座席を取り付けた 16tトラックでのアフリカの旅 Google マップで追いかけました。12カ国 約4ヶ月の旅 あらゆることが出来て行きたいなと 思いますが 体力的にも無理なので テレビで 楽しく見させていただきました。14年前なので 各国の事情 大きく変わったと思いますが 自然と遺跡は変わらないよねと見させていただきました。
因みに費用は、移動・宿泊・食事などを含めて基本料金は50万円程度(飛行機代・オプションツアーは別料金)。宿泊は基本的に 各自で設置したでテントで寝る。サソリが出たこともあった。
食事は自炊が基本で、メンバーを班分けして作っていた。
トイレは 外で用をたしていて、女性は暗くなるのを待っていた。
1)灼熱の砂漠を越えて 〔エジプト・スーダン〕
〔エジプト〕
・カイロ:アフリカ最大の都市 2007.6.5 出発
イギリス人 ツアーリーダー、運転手、参加メンバーは イギリス・カナダ・オーストラリア などから20人内日本人3名。
・バハレイヤ・オアシス:1日目 ホテルの中庭にテント張る
・アルカスル(ダクラオアシス Dakhla Oasis):古くからの交易都市、泥を固めた家で囲むように 迷路のような細い道 入り口が2つだけのオアシス。16~18世紀 多いときで10万人暮らしていた。
・4日目 ルクソール:ナイル川東岸の古代エジプトの都テーベがあった都市。ロバに乗る。
エジプトの民族衣装 長袖のガラベーヤ(ワンピース)過ごしやすいと言うことで、450ポンドを50ポンドに値切って皆さん購入。
カルナック神殿:参道に並ぶスフィンクス、大石柱 当時の王が太陽神に貢ぎ物を捧げる壁画。スカラベ(フンコロガシ)の像を3回廻ると幸せになれるという。近くに 王家の谷もある。
・アスワン(カイロからの走行距離 1,662Km)出国手続きをして 細長いナセル湖を18時間かけ 週一度の運航のフェリーでスーザンへ向かう。途中 右岸に アブ・シンベル神殿 3300年前 征服したラムセス2世が命じて、大きな岩山をくりぬいて築いた。高さ20mのラムセス2世の像が4体見える。
〔スーダン〕
・ワジ・ハルファに2日滞在。ハーブテイの露店が多い。3日間の灼熱の砂漠越えに備え 食料の買い出し。タイヤの空気を抜き 地元のアシスタントドライバーが加わる。
ヌビア砂漠(Nubian Desert)は 東西約700km、南北約300kmあり 砂漠に敷かれた鉄道を道しるべにに走る。砂漠を走ると 激しい揺れ エアコンのない車内に砂埃が入る。スタックするとサンドマットで脱出。わだちの浅いところを見極め 慎重に走る。全員でトラックを押すこともあった。
砂漠の1日に四季があり、日中は灼熱でも 朝夕は過ごしやすく トラックのそばに星空を眺め宿泊。夜中になると10°くらいになる。
かつて大英帝国は植民地時代に地元の反乱軍を鎮めるべく、首都ハルツームより ヌビア砂漠を縦走しワジ・ハルファまで 鉄道を建設し 現在も1日6往復 輸送している。駅があり ここでは冷たい飲み物が買えた。
砂漠に入って330キロ 2泊目のキャンプ、 夜駅で働く人とサッカー。
ようやく舗装道路に。
古代クシュ王国のメロエ遺跡 王の墓のピラミッド 高さ10m位で100個以上あり 正面に礼拝堂があり 壁画に牛やワインがあった。他にムサワッラト遺跡(アブ・シンベル神殿)、ナカ遺跡などある。
クシュ王国はエジプト属国であったが、エジプト弱体時に攻め 100年にわたってエジプトを支配 最盛期アフリカの1/4を支配した。
右側に4日ぶりにナイル川が見えたので 車体を叩いて合図して 停車、1週間ぶりで ナイルの泥水で体を洗う。「アフリカの水を飲んだものは、アフリカへ帰る」といわれてる。
キャンプのテントのそばにサソリ、ムカデ、クモがいて大騒ぎになった。
22日目スーダンの首都 ハルツーム(カイロからの走行距離 3,557Km)に到着。ハルツームは白ナイルと青ナイルの合流地点。
毎週金曜日 スーフィー(イスラム神秘主義)の人がモスクに 1000人以上集まり 唄い踊り 肉体を酷使することで高揚感を得る。
2)緑あふれる大地を行く エチオピア・ケニア
〔エチオピア〕
・国境を越え メマエ に、さらに東に向かう
・ゴンダールは1632年~1769年にかけて、エチオピア帝国の首都であった旧都。標高は約2,000mあり ソロモン朝ゴンダール期に建設された3つの王宮群がある。エチオピアにはイスラム教徒もいるが6割はキリスト教徒。土着の宗教と混じり合いながら ダブラ・ブラハン・セラシエ教会など多くの教会がある。
・北に進み エチオピア高原に入る。4000mの山々がある世界自然遺産 シミエン国立公園 標高2800m 地点で トラックを降り、1泊2日のトラッキングに出発。ここでは防寒着着用し、キャンプ地の3100m地点まで3時間かけ歩く。途中草だけを食べるゲラダヒヒを見る。翌朝 標高3255mの雨期だけに現れる滝は 落差800mもありますが、正式名称はなかった。
・ラリベラに向かう予定が 雨で 赤土がぬかるんで予定変更
・タナ湖:青ナイルの水源地で、湖畔にキャンプ。 1.5mもある大トカゲ。
古代エジプトで文書に使われたパピルスの村へ、は屋根や壁や紐に使われ、編んで小舟に、端は焚き木に。コーヒー豆をパピルスで煎り ごちそうになる。
・ラリベラの岩窟教会群は 標高2600mの場所にある世界遺産で、ザグウェ朝 7代国王ラリベラの命により、12世紀末~13世紀にかけて建造されました。国王ラリベラは、聖地であるエルサレムはイスラム教徒の手に渡っていたため、ラリベラを「第二のエルサレム」にするため 複数の教会を造営。
一枚岩でできている岩窟教会が11ある。ギョルギス教会は、縦横12m、十字架の形に掘られ、高さも12mあります
・40日目 首都のアディスアベバ(カイロからの走行距離 6,199Km)標高2400mに到着。4日間滞在することに 久しぶりの都会でした。朝 町の広場でトレーニングに励む大勢の人、陸上選手が世界で活躍すれば 一生豊かな生活が送れます。
・首都から640キロ南の街。 40以上の民族の暮らすコンソに
2段スカートをはいたコンソ族が目立ちます。コンソ族は30万人いて 周辺に暮らします。
その1つの村 (コンソ特別郡)は山頂にあり 6000人が暮らす。案内してもらい 村に入ると迷路のようで 家々にはコーヒーの葉が集められている。コーヒーの葉とヒマワリの種を一緒につき 岩塩を加え 香料を混ぜ ホラというお茶を飲み1日中働けるそうだ。村のあちこちに1年中食用になるミダの木。キノコのような形をした家々と段々畑が世界遺産「コンソの文化的景観」に登録されている。
隣の村にコンソ族の20代目の王様がいるというので 王宮を訪ねて 謁見できた。
・モヤレ:街中に国境線〔エチオピア〕
〔ケニア〕
・モヤレ:強盗団を警戒して 警官が運転席と座席に 3時間160km 乗り込む。
・サバンナ地帯に入り牛を放牧する レンディーレ族。
石ころがタイヤに挟まり大きな時間ロスに、予備の燃料タンクが外れ 大きな街で修理することに。
3日後 ようやく舗装道路に。
赤道直下を通る、20m北と南の地点で 磁石の動きを見せてくれる人がいた。5ドルで赤道通過証明書購入。
・52日目 首都 ナイロビ(カイロからの走行距離 7,989Km)、東アフリカの中心地でイギリスの東アフリカ経営の拠点が置かれた。4日 滞在。洗濯をしたり テントを直す職人のいる。
メンバーが5人増え25人に
崖沿いの道進む。トルコ・紅海から東アフリカまで 幅30~60kmのグレートリフトバレー(大地溝帯)が走り、大きな裂け目が出来て 落差100 mを超える急な崖が随所にある。旅はこの大地溝帯に沿って進む。
世界遺産「グレート・リフト・バレーのケニア湖水システム」
・ナイバシャ レイク・ナイバシャ・ヒッポ・キャンプ & ワイルドライフ自然保護区
サファリ 7種類 650頭。キリンなどの草食動物だけなので 歩いて廻れる。
・ナクル湖岸のレイク・ナクル国立公園:ライオンなど肉食動物がいるので車で移動。フラミンゴの大群が飛来する。

3)野生の楽園とキリマンジャロ ケニア・ウガンダ・タンザニア
〔ケニア〕
・バリンゴ湖(ナイロビから250Km)は野鳥の楽園。カバ実は人間の倍のスピード時速40kmで走れる。
ボートで湖に ヒマラヤセミ・サンショクウミワシなど400種以上生息。
2時間の豪雨、道はぬかるみ 立ち往生しているバスが複数。乗客が石ころをぬかるみに運び 無事脱出。
・国境の町マラバ:バナナ農園が拡がり プランテインバナナを主食にしているというので 調理用バナナを煮て潰したマトケは甘くない焼き芋だった。
〔ウガンダ〕
・ビクトリア湖はケニア、ウガンダ、タンザニアに囲まれたアフリカ最大の湖。
白ナイル川の激流下り ひっくり返ったときの練習をして 31Kmを4時間かけて ラフテイングした。
・カリンズ森林保護区 クイーンエリザベス国立公園 熱帯雨林地帯 390万㎢日本の10倍の面積で大西洋岸まで拡がる。ジャングルに入ると 寄生植物のクロハタオリ、チンパンジーの巣が
・ピンクの制服の小学校 生徒が1400人 一緒に唄う。教室不足なのでペンキ塗りで工事を手伝う。
〔ケニア〕
・国境から 1時間のところでキャンプすることに、スワヒリ語で食料の買い出し 火起こしに挑戦。
ナイロビを経由
〔タンザニア〕
70日目 アルーシャ サファリツアーの出発点 多くの旅行会社
・ンゴロンゴロ自然保護区 大きな穴という意味で火山活動で出来た深さ600mのクレーター。東西19km 南北16km。独自の生態系で25000頭の動物。ヌー、ゾウ。
中に住む垂直に高く跳ぶマサイ族は 木の枝と牛の糞を混ぜた土の家に住み 防虫効果があるという。
・二手に分かれ 3人は キリマンジャロへ、高山病に備え ゆっくりゆっくり 5895mの頂上に
・その間 アフリカ東海岸へ ダル・エス・サラーム から船で ザンジバル島へ
ストーン・タウン はキリスト教の教会 イスラム教のモスク ヒンズー教が混在。世界遺産「ザンジバル島のストーン・タウン」に登録されている。「旧奴隷市場」もある。
古くから東アジアへの交易の中継地だった。
泳いだり、シュノーケリングでイルカと泳ぐ。
・81日目 8月24日 合流
4)大自然に飛び込む マラウイ~南アフリカ
〔タンザニア〕 国道にキリンや象、西に進む。
〔マラウイ〕
マラウイ湖:薪を拾い 湖岸でキャンプ。豚一頭3000円で購入 4時間かけ丸焼きに
〔ザンビア〕
・90日目 首都 ルサカ、南アフリカの投資でビルが建つ。
NGO 青年海外協力隊できている人に会う。彼女は健康管理を行っており 足踏みミシンの使い方を教えたりしている。
・ザンベジ川は ザンビア北西部からインド洋に注ぐ アフリカ第4位の大河、河畔でキャンプ。釣りを楽しむ。
〔ザンビア/ジンバブエ〕
ビクトリアの滝:1855年 探検家デビッド・リビングストンが、母国イギリスの女王にちなんで「ビクトリア」と命名。滝幅約1700m、落差約108mで水煙が舞い虹がかかる。
地元の人は「雷鳴のとどろく水煙」と呼び信仰の対象になっている。
100m近くの深い峡谷を渡るハイワイヤー、空中ブランコのゴージスウィングを楽しむ。
パオパブの大木 樹齢200年、樹高43m 周囲23m。実や葉っぱ 種は食料として利用され、樹皮は紐など日用品に。
〔ボツワナ〕
・95日目 カラハリ砂漠:ボツワナの国土の7割が砂漠で占められ ダイヤモンドや銅を産出。
・オカバンゴ湿原 隣国 アンゴラの山岳地帯から川の水が集まりできた湿地帯。丸木舟に乗って中州にテントを張り 地元の人と唄や踊り
〔ナミビア〕
・古代遺跡 トワイフェルフォンテイン は2000点以上の岩石線画群からなる遺跡で世界遺産。
壁画は狩猟民が野生動物を多く描がいた。
・ナミビア海岸 オットセイの生息地 コロニーに10万頭が暮らす。天敵セグロジャッカルが狙う。
・スワコプムント ナミビア第2の都市 19世紀後半から20世紀初頭 ドイツの植民地の港町だったので ヨーロッパ風の建物が多い。
・ナミブ砂漠は九州より広く 美しい砂の丘が重なる。「ナミブ砂海」として世界遺産に
大きな木の板で砂丘を滑り落ちるライダウンボーディング。サンドボードもできる 砂のスキー場。
軽飛行機でスカイダイビング楽しむ。
南北に細長いナミブ砂漠進む。
黒い砂のムーンラウンドスケープ(月面世界)
白い砂の砂漠には ここだけに育つ ウェルウィッチア(奇想天外)、葉が大きく大気中の僅かの水分を吸収し、根も10m近く伸ばし水をくみ上げる。寿命500年~1000年。2000年生きているもののある。
さらに南の ソーサスフライ 柔らかい赤い砂の斜面 ソススフレイが続く。もとも高いところ 300mもある。
・フィッシュ・リバー・キャニオン 大地をえぐる500mの谷が160Kmに渡って続く。グランドキャニオンに次ぐ規模です。
〔南アフリカ〕
112日目 南アフリカに入り 花が咲き誇ります。
9月の始め南半球は春、若芽が出てきます。ヨーロッパに似た紀行でぶどうが栽培され ワインの生産量増えています。ワイナリーに寄る。
114日目 2007.9.26 喜望峰到着 (カイロからの走行距離 20,358Km)
ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を経てインド航路を発見したことを記念して、Cape of Good Hopeと名づけられたといわれる。
喜望峰の周囲は自然保護区になって緑の回廊が続きます。
貿易風が彩る水の大地 モザンビーク
NHK BSP 初回放送: 2020年2月
驚き!地球!グレートネイチャー 「貿易風が彩る水の大地〜アフリカ・モザンビーク〜」
モザンビークはアフリカ大陸から約3.5㎞離れた島で、 10世紀頃から アラブの品々とアフリカで産出される金を交換するインド洋貿易の拠点として栄え、大航海時代にバスコ・ダ・ガマが上陸して以来、ポルトガル人が続々と入植。東西のさまざまな文化が融合し、共存する場所として知られています。
ポルトガルのサン・セバスティアン要塞がある。
モザンビーク南部の ポメネ:インド洋から貿易風が吹きつけ 海岸からあがる幾つもの水柱。岩場の下は波に削られ空洞になっていて 荒波で噴水がいくつも上がった。
海岸線をおよそ140km北上 沖合い35kmに現れる砂だけのバザルト島。大きさは東京ドーム およそ2000個分、最も高いところは100m。貿易風が砂を運び 長い間かけ島になった。
石英の純白の砂が積もっており 青い海とコントラストは、ずっと見ていたくなる美しさです。
この石英は ザンベジ川からやってきました。 上流部にあるのは ヴィクトリアの滝 この川の周辺には花崗岩などの大地が拡がっています。ザンベジ川の激しい流れは岩石を砕き 輝石・黒雲母・石英が運ばれます。重い鉱石は徐々に川底に沈み、比較的軽い石英は下流まで流され磨かれ 輝く白い砂になってインド洋の河口に流れ着きます。 貿易風が巨大な渦を作り石英をバザルト島に運んだ。
上空からみると モザンビークの紺碧の海に描かれた 石英の白い文様、50kmも続いている。
モザンビークの海には サンゴが広がり 250種類もあり、 550種の魚が住む 宝石のような海でした。
内陸の ゴロンゴーザ国立公園 多くの野生動物が暮らす 豊かな緑の森と5800種の生き物たち、水が供給される特別な地域だと言います。
東にはナミブ砂漠・カラハリ砂漠がある場所ですが、貿易風が 1863mのゴロンゴーザ山 にぶつかり 年間2000ミリの多量の雨を降らし、高さ130m 9段の滝もでき、ウルマ湖を潤し 豊かな大地に]なっています。
カメルーン・コーラップ国立公園
NHK BSP 2022/01/31 ハイビジョン特集 「地球と出会う 〜カメルーン・コーラップ国立公園〜」
カメルーン共和国にある 最古の原生林 コーラップ国立公園 Korup National Parkを2007 年に 元F1レーサーの片山右京さんが訪ねた。
赤道直下にある「コーラップ国立公園」は氷河期の頃から存在する森。150mの吊り橋は森への入り口。高さ50mを超える巨樹が林立する森は、1㎢に4000種類の植物が存在する。
巨大な板のような木の根、巨樹を絞め殺してしまうツタなど。
アフリカ タンザン鉄道(タンザニア・ザンビア)のポレポレ列車
行くぞ!最果て!秘境×鉄道「アフリカ・ポレポレ列車」 NHK BSP 2018.10 初回放送
アフリカ タンザン鉄道はタンザニア東部のダルエスサラームとザンビア中部のカピリムポシを結ぶ鉄道。銅などの鉱物を運ぶために 中国の援助で 1970年 10月着工,75年 10月完成。全長1860kmを、2泊3日かけて移動 。旅人 古原靖久。
時速40キロののんびり列車で、ポレポレはのんびりゆっくりの意味。
ザンビア中部のカピリムポシ PM2:00 14両編成で 出発。乗客は800人程。週2本だけの運行。途中107の駅。料金は100kmあたりおよそ200円。5分で 荒野に。
2時間で ムクシ マンガンの鉱山があり 終点まで鉄道で運び 中国へ。
つるはしで 6時から17時まで 露天掘りをする女性。10キロの鉱石をバケツに入れ頭に乗せ運ぶ。1山400円 2日で3山ほど。この女性の自宅へ 歩いて1時間半 5キロの山道 途中で焚き木を拾う。
母と5人の子を育てていた。歩いて15分湧き水の水くみに たくさんの子供に囲まれ 頭にバケツを乗せ運ぶ。シマ(水を加えたもろこしの粉を練ってつくる。まんじゅうの皮みたい)とキャベツとトマトの炒め物、ゆで卵、豆をごちそうになる。
ムクシの駅 いつ来るか判らない電車を待つ多くの人。ホームのない駅。1等の寝台車に 音楽と扇風機付き、雄大な夕陽がきれい。食堂車へ チキンとライス。
ムピカ 到着予定 夜11時が深夜2時半 気温は7度寒い 南半球は冬。乗り降りする人が大勢。
近くの市場で チプミ(乾燥イモムシ)をお湯で戻し野菜炒めに、味はイカ。
郊外100キロに 大自然の中で天然のカピシャ温泉があります。お湯の中に文字の書いている土器のかけらが落ちており 近くに古代人の住んでいた洞穴がある。謎の壁画が40カ所も残されている。
深夜 12:30 定刻通りに ムピカ出発。寝台車で1泊。ポレポレ列車は真っ暗な荒野を走り続け 朝6時日の出です。ここまでの走行距離は およそ750キロ、後100キロで国境です。
ムピカを出て12時間 タンザニアのトゥンドゥマが見えてきた。屋根が藁からトタンに変わってきた。橋の下のトンネルを抜けた。いつの間にか国境を越えていた。車内で出入国の手続きをして降りる。
国境の街 トゥンドゥマ 人口10万人 様々なものや 人の集まる物流の拠点です。
国境は 橋で 街の中は自由に行き来できます。シャンプーをしてもらい、ツクツクに乗り 牛皮で太鼓を作り 、陽気な多くの地元の人と太鼓演奏・ダンス楽しむ。プレゼントされた太鼓を持って駅に 7時間遅れだそうだ。ひたすら待って8時間遅れで電車到着。午後8時半 10時間待ってようやく動いた。750キロ先のマタンブウェ目指す。
翌朝 夜の間に乗ってきた人達で満席。山の中で電車故障。3時間後機関車が到着して出発。
サザンハイランドと呼ばれる高原地帯に入り、トンネルが連続。停車駅で サトウキビを買って食べる。
今夜も列車に1泊、翌朝 高原地帯抜け 荒野を走り キサキ駅を通過。列車は野生動物の保護区の中を通る。
保護区の中にあるマタンブウェに22時間遅れで到着。ホームはなく 駅舎は小さなもの、 目の前がナイヤーアー国立公園で 保護区をガイドと車で廻った。世界遺産のセルー動物保護区で車からアフリカゾウの親子やキリン、ライオンを見る。
朝8時駅に 次の目的地は 終点の港町 ダル・エス・サラーム 、ここからは5.6時間です。駅は 時刻表がなく列車は午前中としか判りません。夕方 5時45分、1つ手前の 15キロ離れたキサキに向かう。6時30分駅へ着くと、人は集まっていたが列車がくるのは明日の昼頃らしい。明日の午後 飛行機に乗らなければいけなかったので、急遽 観光用小型飛行機で ダル・エス・サラームに向かう。
たどり着けなかった ダル・エス・サラームはインド洋に面した伝統ある 貿易港です。飛行機に乗った頃 列車は20時間遅れで到着したそうです。
行くぞ!最果て!秘境×鉄道 マダガスカル スマイル列車
NHK BSP 2020.1 初回放送
インド洋の島国マダガスカル 鉄道を旅するのは やすくんこと 古原靖久。
旅のスタートはマダガスカルの首都 アンタナナリボ。
マダガスカルは1960年まで フランスの植民地でした。 とても立派な ヨーロッパ風のアンタナナリボ駅で 確かめると 旅客列車が走るマナカラは ここから600キロ南で、車で14時間 途中 棚田の景色が広り、1泊してようやく到着。やっと見つけた鉄道の線路、ゆがんで波打って 破損してるところも、大丈夫かな?
インド洋に面した港町マナカラは 熱帯のため高温多湿、朝の5時半 でかい駅に行くと 大勢の人。列車が走る日は ひともうけしようと たくさんの商売人が集まるんですって。
かわいい顔をした機関車で走るFCE鉄道 マダガスカルで 唯一 旅客運行をしている 国営の鉄道です。
古く見えるのは ヨーロッパから安い中古を購入し長年 使っているからで、列車はディーゼル機関車 貨物車 客車で編成されています。
こちらは客車の3等車160キ ロ先の終点まで乗っても 500円という安さが魅力で 乗客で あふれかえってます。やすくんは観光客が多く乗る1等車へ。運賃は4倍の2, 000円です。
7時半。 45分遅れでマナカラ駅を出発。
みんなに見送られて 列車は次第に郊外へ。 飛行機の滑走路と線路がクロス。マナカラは広く平らな土地が少ないため しかたなく この場所に滑走路を造ったんだそうです。
マナカラからフィアナランツァ(Fianarantsoa)まで 163キロを結ぶ FCE鉄道。フランス植民地時代の1936年に営業運転を開始 現在は週に2本 運行、ヤシの木の生える海辺の町から 高原地帯まで 高低差1, 100メートルをゆっくり登っていきます。 また車に追い抜かれ 列車の時速は20キロ以下なんですって。
乗車から2時間。列車は道路から離れ 山奥へ。ここで停車、ズミ 1つ60円で購入。これは カスタードアップルで アプリコットのヨーグルトみたいな味がして めちゃくちゃうまい!
村人の農産物の販売のため 駅でもないところに停車。ヤシや ニワトリを売っている。
平均月収3, 500円ほどという この国の人たちにとって 貴重な商売の場になっているんです。
機関車の給油のための停車 通りかかった橋からの景色を楽しむと、乗り込むまで待っててくれる。
出発から3時間、ここから先は 標高200メートルの高さまで 少しずつ 勾配を登っていきます。
マダガスカルの主食は米。日本と同じような田園風景が 広がっている。
12時半過ぎ 大きな駅 マハバコ に到着。ここは 電気が通ってる村?
列車に大量の米が積み込まれていました。
始発駅から60キロ。列車は 標高200メートルの平地を走ります。大きな川があり 人が いっぱいいる。 砂金を採っているそうだ。
最寄りのマナパトラーナ駅で降りることに。でも急な大雨。 地元の高校生が案内してくれた マナパトラーナ唯一のホテルは ベッドとテーブルのみで 宿泊料は 1泊500円ほど シャワーは なんと野外。バケツに たまった雨水を使うようです。明かりは ほんとに かすかで、電力不足が深刻で停電が頻発するというマダガスカル。これでも この町では明るい方なんですって。
翌日 砂金とりに やすくんも 挑戦!20分が経過 …。
お~!ゲットしました これで 1万アリアリ 300円 かなりラッキーですよ!
列車は週に2本のみの運行。 次に列車が来るのは3日後、駅で相談すると ドレジンがあって 汽車を レンタルできるそうだ。到着するまで駅長が駅舎を案内してくれることになりました。 駅の2階は社宅、 一家5人で暮らしています。奥さんの趣味のピンクの部屋で メルヘンでした。
この路線 機関車は1台だけ。ダンプカーみたいなの ドレジン到着。貸し切り料金は12時間で6万円。高額ですが 沿線の村人たちは大人数で乗り合って利用しているんですって。運転席は なんと横向き。
ドレジンは もともとレールや枕木を点検するための車両。
貸し切りだから 自由に止められるので トロンゴイナに向かう。やすくんが ドレジンを止めるたびに 保線作業員が線路をチェック。1829年の 200年近く前の線路が今も現役です。
マナパトラーナから 2時間。トロンゴイナに到着。 何か いい服 着てるね。
アイスクリームなどの風味付けに使われるバニラ。 マダガスカルは 世界シェア8割を誇る バニラ生産大国で、近年 バニラの価格が高騰し 史上空前のバニラバブルが起きています。バニラ畑を見せてもらうことに。 45度の傾斜にある畑、この地域 3年前に 収穫できたことをきっかけに年収は3倍に増え 今では村の8割がバニラ栽培に従事しているといいます。
枝にしか見えない 実の中にある小さな粒。これがバニラビーンズです。
乗せて欲しいといってきたハジャさんの住む マディオラーノは トロンゴイナから7キロ。幹線道路ま 山道で8時間もかかる陸の孤島。ここから先の勾配は3.6% 過酷な急勾配を登っていきます。
暗闇の中 村人たちが 線路を道路のように歩いています。。
ハジャさんが お礼にと おうちに泊めてくれることになりました。豪邸! 発電機があります。
更に 晩御飯まで ごちそうになることに。米とおかずは魚と野菜を煮込んだもの。
この町に次の普通列車が来るのは3日後。こちらで2泊させて頂けることになりました。
現在39歳のハジャさん。 きょうだいや親戚とともに 同じ敷地で30人暮らしています。建物は全部で8棟。家族みんなで農業を営むかたわら 村の農作物を都会に売りに行く仕事など行っています。もともと水道がなかった この村にハジャさんは 山から水道を引き 村人が自由に使える水道をお店の前に設置したのです。そのハジャさんの お店の中では食料品や日用雑貨が売られています。
ハジャさんのお店は問屋の役割も果たしています。農家から農作物を買い 町に売りに行くのです。
買い取った大量のバナナやショウガを駅に運び 貨物車に載せる作業が始まります。
旅客列車は週に2本だけですが 貨物を運ぶため 機関車は毎日 運行します。
ようやく列車の走る日 2時間遅れで 列車が到着しても動きません。機関車の4つあるエンジン 1つは故障中。更に もう1つ動かなくなって急勾配を登ることができなくなってしまった。午後11時 修理道具や部品を積んだドレジンが駆けつけてくれました。
朝5時。列車が 10度前後に冷え込む中 出発です。列車は総重量を軽くするため 1両目の客車を外しました。 お客さんは連結部分にも あふれていました。ドレジンと連結して動力を上げ急勾配を登ることになりました。
列車は急勾配を登りきり 標高1, 100メートルの 高原へ。
8時半 サンバビー駅に到着。マダガスカルで最大の面積を誇るお茶畑。 およそ3平方キロもあります。
日本への帰国が迫っている やすくん ドレジンをレンタルし終点のフィアナランツォアへ向かいます。
フィアナランツォアは都会でした。
世界一番紀行 世界で一番の迷宮都市~モロッコ フェズ
NHK BSP 2009.11 初回放送
アフリカ北部の モロッコにあるフェズ 世界遺産の街を 夏木マリさんが音声レコーダーを共に旅した。
すり鉢状の盆地 東西2.2km、南北1.2kmの旧市街に、細い路地の数が13000、袋小路は1000あまり。世界一複雑な街で 必ず道に迷うといわれる。城壁で囲まれた 旧市街 にブー・ジュルード門をくぐり入る。外国の女性が1人で歩くことは珍しい。車は入れず ロバで運搬手段。通りの両側には商店が軒を連ねる。道の上にも 住居があり薄暗い。狭い店内 店主の出入りに どの店も下がっている棒を使用する。路地に入ると木の葉のように分かれて 引き返すことも度々。カラウィーン・モスクにようやくたどり着いた。イスラム教徒だけしか立ち入れない。女子禁制だった。かつて大学もあった。
イスラム都市の法則
・大通りの幅 3.2m以上で ロバなどでの運搬がすれ違えるよう。
・路地 お互いの入り口は 互い違いにして 風通しのため開放しても プライバシーを保つ
・窓は高い位置に置く。細い隙間のような窓は女性が顔を見られずに済むために。
コーランに 「…許しを求めて その家人に挨拶を送るまで他人の家に入ってはならない」とある。
・通りを歩いて中が見えてもすぐ目をそらす。
・家の内部には 吹き抜けの中庭 リアド に モザイクタイルで美しい装飾を施した豪華な空間が広がっている。フェズでは美しいものは決して外にひけらかせない。邪視を起こさせないようにしている。そのため路地は狭くなっていった。
金物をたたく職人 研ぎ屋で働く人に聞くと「表の顔は男」気がつくと働いているのは男達ばかり。
最も厳しいと言われる 革なめし工場があった。通常女性は立ち入らない、激しいニオイと厳しい暑さの中 500人が自営として働く。仕事は親から受け継ぐ。
男達は見知らぬ女性と握手はしない。イスラムでは女性と握手するのは良くないこと。婚約証明書がなければデートできない。神様は1度見るのは問題ないけど 2度見てはいけない。嫌らしい目で女性を見ないよう気をつけている。ムハンマドの教えです。
フェズは保守的な街で女性は出歩かない。外出の時は髪や素肌を見せない服をまとう。人間を心の弱い生き物とする イスラム法が男の欲望を刺激しないように戒めてきた。
女性はカメラで顔を撮られることも嫌う。女性は母となり子供を産み育てる聖なる存在で守らなければいけない。男性は外 女性は家の中と決まっている。
履き物の店先でサンダルを作っていたドリス。話をすると 父も祖父も同じ仕事をしており、いつも昼食時は近くの自宅に戻ると聞いて 普通の家を見たいとお願いした。ドリスの家は扉を開けると広く、母が昼食を作っていた。妹と嫁いだ姉がいた。男達が昼戻ってきて 皆で1日で一番のごちそうを食べる。妹は結婚せず服飾デザイナーを目指し 自宅の2階で仕事していた。夏木さんも協力しドレスを頼んだ。
ドリスは結婚したいが 親との同居で難しいという。
不動産屋に聞くと 旧市内から 新市内に移ろうとする人が多いという。
フェズの名門一家に会う。最初の王の流れを汲む。両親と8人の子供 3人はまだ結婚していない。お祈りの時間 メッカの方を向いて祈る。娘達は賑やかに結婚について語る。女性達の憩いの場は屋上。
世界遺産 時を刻む★モロッコ ふたつの顔を持つ街★通り
NHK BSP 2013.2 初回放送
2012年に登録されたモロッコの首都ラバトは、新市街・旧市街がともに世界遺産「ラバト:近代都市と歴史的都市が共存する首都」に登録された。
4kmに渡る12世紀につくられた城壁がそのまま残り、中に近代的なビルが建って60万人が暮らしている。
旧市街(メディナ)は スペインを追われたアラブ人が築いた。メディナのメインストリート スイカ通りは平日でも混雑死 幅3mの両側には混然と店がひしめきあう。 食べ物屋さんも多く イワシのフライのサンドイッチ 1つ50円で人気でした。お菓子屋の菓子に止まるミツバチ、おいしさのパロメータになっているそうです。サトウキビを1本まま ジューサーにかけ ライムをくわえた サトウキビジュースも1杯およそ50円で1日100パイ以上売れるそうです。毎日がお祭りのようです。
通りを渡ると新市街で 1912年にモロッコがフランスの保護領となると、その首都がフェズからラバトに移されました。フランス人による都市計画によって再開発された。1956年にモロッコが独立した後も首都はラバトに置かれています。ラバトは都市計画をはじめて成功させた見本になっています。
フランスからモロッコの独立を勝ち取った元国王・ムハンマド5世の霊廟がある。
1直線に伸びる ムハンマド5世通りは、パームツリーが整然と並び、道路添いの建物の高さもデザインも統一されており 世界遺産に登録される要因でした。政治地区と行政地区が1直線に並んでいます。
道路の中央分は歩くための場所で 両側に緑地帯が設けられ通りと庭を1つにしたものです。建物のアーチは高さが全て統一されています。通の両側はさながら 近代ヨーロッパ建築の展示場です
旧市街のコンシェル通り 両側にはお店が所狭しと並ぶ。売られているのはモロッコの工芸品や民芸品。そのほとんどが手作りです。奥は職人の工房です。革製品・織物・ランプなど。
美容せっけん、真っ黒なアルガンのせっけんが人気です。アルガンという植物のオイルがフランスでは モロッコの黄金といわれるほど人気だそうです。アルガンの木はこの辺にしか生えなく ヤギが木に登ってはを食べていた。アルガンオイルつくりは農家で昔から細々と行われてきたが、女性教授が協同組合を作り 女性の地位向上のため アルガンオイルつくりを近代化して 種を割って実を取り出す作業に女性達を雇っている。
国もアルガンオイルつくりを支援して、生産拠点に町をつくり 何もなかったところに ガス・水道・電気が引かれて人が集まった。アルガンオイルが新たな産業になると見込んだ。学校や病院もつくられた。組合の取り組みで 読み書きできなかった大人の女性が学ぶことができた。
評判のレストランでおすすめはタジン料理、とんがった形のふたの鍋で スパイスをきかせ オリーブ油と使い 肉や野菜を蒸し煮します。レストランを経営する女性 母親がポーランド系のモロッコ人で新市街の大聖堂近くの古くからのヨーロッパのような高級住宅街に住んでいました。
旧市内にある 15~16世紀につくられたウダイヤのカスバ地区 細い曲がった坂道のまわりに ぎっしり建てられた 白と青の家並み。通りと家の区別がないつくりで 観光客が顔を見せることもある。
首都ラバトにあるウダイヤのカスバ。青と白の壁が可愛い!まるでシャウエンの町並みみたい。1年前のモロッコに赴任したての頃、この中にあるお家で1ヶ月弱ホームステイをさせてもらってました。今振り返ると贅沢な経験だったな〜👏 pic.twitter.com/AvghGgnSt1
— サトユカ🇲🇦🇯🇵 (@styk_maroc) January 26, 2020
通り★世界遺産
■シリア 「パルミラ 」:2000年前の繁栄を伝える大通り。
■マレーシア 「マラッカ海峡の歴史的都市群」3つの宗教がお互いを認めあい 共存している通り。クアラルンプールの南にある港町マラッカ(ムラカ)と、ペナン島の中心地であるジョージタウンで形成されます
■スペイン カナリア諸島「サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ」この通りでは民族の違いを超えた愛が育った。スペインが大航海時代に築いた街並みがそのまま残されている。
都市計画★世界遺産
■ イギリス 「ソルテア(サルタイラー) 」産業革命が起こり 労働環境が悪化した時 労働者の健康を考慮してつくられた工業都市の先駆けでモデルになった。通りは碁盤の目に区画整理され 清潔さが重視され 病院も作られた。
■フランス「アル=ケ=スナンの王立製塩所」単に製塩所だけでなく都市として設計された。製塩所関連施設の周囲に病院、聖堂などを円形に配置し外側の円周に住まいがつくられた。フランス革命が起き 半円形で終わったが、その後の工業都市のモデルとなった。
■ブラジル「ブラジリア」人工的に作られた計画都市で、標高1,100mの高原に作られたブラジリアは上空から見ると飛行機の形をしており、機能的に配置されている。大聖堂など斬新な建物がデザインされている。
驚き!地球!グレートネイチャー「大地を引き裂く巨大パワー〜アフリカ〜」
NHK BSP 2021年2月25日 初回放送
ケニアの首都ナイロビ(標高1795m)の南方120kmのマガデイ地区(標高200mほど) に坂道を下がり 歩くこと30分、300mもある断崖絶壁の壮大な岩のカーテンがあり 湖まで続く。
エガートン大学の博士によると、今居る下の位置はあの崖と同じ高さだった。地球の奥深くから巨大なエネルギーが湧き上がり上がり 地面が押し上がり 大きな亀裂が生まれた。その力は左右に広がっていき大地を陥没させながら引き裂いていきます。こうして垂直な壁は左右に分かれ、それに挟まれた大きな溝ができた。
この地殻変動は、アフリカ東部に 長大な裂け目を生み出した。太地を引き裂くこれらはアフリカ大地溝帯と呼ばれ南北7000mに渡る。
エジプトのエルタ・アレ山(標高613m) の噴火口です。 直径15mの火口に粘性の低い 溶岩がたまっている 溶岩湖 。地下から湧き出るマグマが大地溝帯を作ったエネルギーの正体でした。溶岩湖は世界で7個だけの貴重なもの。夜になると 赤く煮えたぎる溶岩 地下から湧き上がるすさまじいエネルギーを吐き出しています。大地溝帯 こうしたエネルギーが7000Kmに渡って 湧き上がっているのです。
アフリカの東側の火山地帯。エルタ・アレ火山の他にも キリマンジャロなどの大地の裂け目に沿って100を超える火山が密集している。
実はアフリカの地下には巨大なエネルギーの供給源がある。地球の内部には、核 マントル 地殻という3つの層からできている。マントルはおよそ2900kmもの厚みがある岩石の層で、マントルの中の温度の高い部分はホットプルームと呼ばれ 地殻に向かって上昇するット特性を持っている。ホットプルームによってマグマが地表に迫り 火山を生み出すとともに 大地を引き裂いているのです。
ホットプルームが地球上にあるのは 主に2カ所。ここアフリカ大陸の真下と 太平洋の下です。
このエネルギーは大地溝帯を産みだしただけでなく これまでに アフリカの地形に様々な影響を与えてきた。
世界三大瀑布のビクトリアの滝も作り出したという。幅1708m 落差は最大で108m。平坦な大地を流れてきた川が 突如巨大な裂け目に落ち込んでいきます。ビクトリアの滝の誕生には1億8000万年前のホットプルームの活動が大きく関わっています。その痕跡が滝の下流に続くジグザク状の渓谷に残される。かつてここで大規模な地殻変動が起こり 大噴火が起こり 大量の溶岩で覆われた やがて冷えて固まると次々に亀裂が発生し ギザギザの渓谷はその時の痕跡で 川が流れ込んで ビクトリアの滝が生まれた。
真っ赤な色をしたタンザニアのナトロン湖。沖に出ると白い渦巻き状のものが浮かんでいた。湖の表面は赤い結晶で覆われていた。顕微鏡で見ると 赤いのはバクテリアでした。白いものは炭酸ソーダでバクテリアのエサになっていた。炭酸ソーダを熱水が引き上げていた。
エチオピアにある大地(ダロール火山)は彩り鮮やか、熱水が沸きだしている。博士によると 硫黄・鉄分などの成分が埋まっていて 大地を不思議な色にしている。近くには 硫黄酸化物や二酸化炭素を含んだ 赤い池もある。
大地溝帯は今もホットプルームのエネルギーで拡がり続けている。一番新しい裂け目があるのは 大地溝帯の南端 モザンビーク。車で進むこと5時間 断崖絶壁があった。このあたりの大地が裂けたのは およそ1000万年前 小さい割れ目が 幅500mを越える巨大な渓谷に姿を変え、年間数ミリのペースで裂け続けているといいます。
ぐるっと地中海4000キロ 「衝突と融合の海を行く」後編
NHK BSP 初回放送 2015年1月
野村佑香さんが 美しさで世界の人々を魅了する地中海を旅する。この海は、イスラム教の国家とキリスト教の国家が衝突し融合する歴史の舞台でもあった。
■スペイン タリファ ジブラルタル海峡 わずか14キロメートルの距離 40分の船旅 1日3便
■モロッコ タンジェ
船から ビル群が見え 人口70万人が暮らす。
高い城壁で囲まれた「メディナ」と呼ばれる旧市街。アラビア語の世界で 地中海地方らしい白壁の建物が並ぶ。路地が入り組み 商店や工房が並ぶ。
モロッコの代表的な服装「ジュラバ」はフード付きのロングワンピースで、男性用と女性用があり、体にぴったりに作られ 砂が入るのを防ぐ。ジュラバを2日半で織る工房があった。
木工職人はイスラム教の経典コーランを彫る。偶像崇拝禁止なので経典の文字を家や柱の装飾とした。
1300年前に活躍したウマイヤ朝の将軍 ターリク・イブン・ズィヤードがイスラム文化をイベリア半島に持ち込んだ。このターリク将軍を待ち受け画面にしていた。
■シェラファト タンジェから140km程内陸部にある。険しい山々に囲まれ 山あいに築かれた村で ターリクが建てたターリク・イブン・ズイヤード・モスク を訪れた。
ここで ベルベル人のターリク将軍は 作戦を練り 711年 ターリクはジブラルタル海峡を7000人の兵を連れ渡った。
モスクで 知り合った ザイドという男の子の家に 土で出来た厚い壁 夏涼しく 冬暖かい。
ミントティーや とりたてのオリーブオイルをごちそうになる。家族総出でオリーブを収穫。ベルベル人はスペインに オリーブも伝えていた。クスクスという料理、デュラム小麦粉を蒸して そぼろ状にして、別に煮た肉や野菜をのせる。ザイドの母親が作ってくれたが 女性は来客と共に食事しなかった。
■アル・ホセイマ … 人口7万の漁村で 網を繕う職人に会った。5000人の漁師がいて ここはイワシがよくとれる。防波堤の向こうに深さ200mのところがあり 漁をしている。高校生の娘がイワシのオリーブ焼きを作ってくれた。
チェニジア
■ガル・エル・ミルハ …5000人ほどが暮らす 小さな港町ですが、要塞があり 首都のチェニスを護ってきました。オスマン帝国が地中海の覇権を握り、レコンキスタの戦いで キリスト教国家がイベリア半島を再征服 イスラム国家はコルセーロと呼ばれる 海で戦った男たちで対抗したが 衰退していく。1869年に財政が破綻しイギリス・フランス・イタリアの管理下に。1881年にフランス保護領に。1956年、チュニジアはフランスからの独立。コルセーロの末えいが独立運動にも加わり その時の船上料理をごちそうになる。
■チェニス … チェニジアの首都で人口108万人が暮らす。 古くから北アフリカの貿易港として栄えた。ガルエルミルハから漁師に4時間かけ送ってもらう。途中イルカの群れに出会う。
ここもヨーロッパからの恐怖にさらされてきた。1階がアーケードになっている。古いヨーロッパの造りで 大きなフランス門といわれる 旧市内への入り口。フランスの植民地時代の象徴です。フランスから独立を果たし 1987年ヘンアリ大統領による長い独裁政治の時代が始まった。23年経った 2010年人々はジャスミン革命を起こします。ようやく自由と平和を手に入れたのです。旧市内に賑わいが戻る。小学校に入学前の子供に文字や簡単な算数を教えている クッテーブ。
ハビブ・ブルギバ通り 植民地時代に作られ 革命に立ち上がった場所、ようやく手にした自由を謳歌出来るようになった。街と地中海が一望できるところまで来て 旅を終えた。