GoogleマップでWeb旅行! イタリア シチリア島 セリヌンテ・パレルモ・セジェスタ・シラクーサ

空からクルージング「シチリア一周の旅 三千年の時空を超えて」(2019.2初回放送)
空からクルージング特別編「イタリア・シチリア島一周の旅」貴族からの招待状「ベネチア・シチリア編」TBS 世界遺産 見ました。
地中海最大のシチリア島 アフリカが目の前、ギリシャにも近く、土地は豊かで気候は温暖 水上交通の要衝、そのことが多くの民族の奪い合いになる。
古代から多くの民族が征服を繰り返し、ギリシャ・古代ローマ・ビザンチン・アラブ・ノルマンなど、時代ごとに様々な文明の影響を受けてきました。

州の旗にも描かれているシンボル トリナクリアに描かれているのは ギリシャ神話の怪物 メデューサ
その3本の脚が 三角形のシチリア島の3つの頂点を示している。反時計回りに廻る。
シチリア島は 四国の1.4倍くらいのサイズ、1周 1000キロの旅です。

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シチリア島

エーリチェ 逆三角形の左端より スタート

島の北東 断崖の上に天空の街 エーリチェがある。遙か昔 先住民 エリミ族の聖地だった。
その後 フェニキア人、ギリシャ人、ローマ人がやってきて神を祭り、中世にノルマン人が城や教会を築いた。 ヴェネーレ城がある。

マルサーラ

風車があり 周りには塩田。マルサーラでは2500年以上前から 自然の力でを作っている。海の恵みが塩を乾かす。

近くにある モツィア島には フェニキア人のカルタゴがもたらした遺跡がある。聖域を直径 120mの丸い壁が囲んでいる。この壁の外に街があった。聖域の中心に真水の貯水池があり、これを鏡にして星を観察していた。
門の跡 ここから本島まで海の上に 1600mの戦車も通れるような道を作った。
モツィアは400年にわたり繁栄した。紀元前4世紀 ギリシャ人に滅ぼされる。

フェニキア人はギリシャ人に追われて、シチリア島の最西端にあるボエーオ岬に拠点を築いた。
ポエーオ岬は北アフリカのカルタゴに最も近い。

セリヌンテ

セリヌンテはわかっているだけでも8つの神殿がある。紀元前7世紀に築かれた。カルタゴとも うまく付き合い交易によって発展。
遺跡は2つに分かれ アクロポリス は都市国家の中枢 つまり 政治・経済・旧教の中心地 たいていは小高い丘に築かれる。手前に要塞があり メインストリートが延びている。海に近いところに5つの神殿があた。そのうち C神殿が一部修復されている。
東神殿群、最も形を残すE神殿、柱も内部も地震や戦乱で破壊されたが 20世紀よみがえった。
最も巨大なG神殿 長さは113mもある。しかし完成しないまま破壊された。

細長く続いているのは用水路、近くの泉から流れていたデメテル・マロフォロスの聖域(用水路)
セリヌンテに恐れをなした他の都市は カルタゴ助けを求め 滅ぼされ 破壊された。
クーサの石切場に 切り出された石が残っている。

アグリジェント

アグリジェントは紀元前580年頃 ギリシャ人が街を築いた。
一直線に稜線に沿って並ぶ遺跡 神殿の谷 30万の人々が丘の上に住み、東側に ゼウスの妻の ヘラ神殿
かつて20以上の神殿があった。コンコルディア神殿はキリスト教の教会に転用され姿を残した。
さらに西に ヘラクレス神殿
紀元前480年アグリジェントなど ギリシャ軍が カルタゴに圧勝し 繁栄を謳歌する。
しかし74年後 再び攻めてきた カルタゴにアグリジェントは 滅ぼされる。

シラクーザ

コレンティ岬 シチリア最南端の岬 廃墟となった灯台。5~600キロでギリシャだ。

岬の先まで町並みの続く シラクーザは紀元前 8世紀にギリシャの植民地として建設された。
栄華の象徴がオルティジア島に数々の神殿や泉がある。当時シラクーザの人口は100万人とも言われる。
数学者アルキメデスが生まれた。ヒエロン2世が軍事技術の専門家としてアルキメデスを徴用した。
シラクーザは当時豊かで 祭壇ではゼウスに捧げる牛450頭が焼かれ 市民に分配されたという。
古代ギリシャの時代 借景を利用して 15000人収容できる 半円形の劇場 Temple of Apolloを造った。
ヒエロン2世が亡くなり 古代ローマが攻めてきて アルキメデスも戦い 破れ 戦死した。
アルキメデスの像 Statua di Archimede

その後 古代ローマが 客席に囲まれた 円形闘技場 を築いた。
ローマは 紀元前143年 カルタゴを滅ぼした。

シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡」が世界遺産に登録

アーチ・トレッツァ

アーチ・トレッツァは海に 点々と小島が浮かぶ。
ホメロスの叙事詩 「オデッセア」で オデュッセウスに投げられた大きな石 と伝えられる。

ローマ帝国が滅び ビザンチン帝国、イスラム勢力、ノルマン王朝 それぞれの文明が豊かな傷跡を残していった。

遠くに望む エトナ山 標高3323mはヨーロッパ最大の活火山で今も噴煙を上げることがある。

ノート

1693年にエトナ山噴火で壊滅した街々が、100年の歳月をかけ再建。
ノートのドゥオーモ バロック様式の 大聖堂。

メッシーナ・ペローロ岬

古くから 漁業で栄えてきた メッシーナ

ペローロ岬 シチリア島 最東端。オニア海とティレニア海が交わる メッシーナ海峡に面する。
鉄塔が建っていて 60年代までイタリアから高圧電線をつないでいた。
橋を架ける計画もあったがまだ実現していない。イタリア 本土 まで約3キロしかない。

チェファルー

砂浜のリゾート地。古くは フェニキア人の交易で栄えた。
今の町並みの基礎は ノルマン王朝の時代にできた。
大聖堂 ドゥオーモ・デイ・チェファル 12世紀 北欧のノルマン王により造られ 世界遺産に登録されている。

首都 パレルモ

チャクリは黄金の窪地。9世紀 アラビア人がオレンジやレモンを持ち込み 果樹栽培が始まった。シャーベットをもたらした。

パレルモは首都。人口68万 シチリア最大の都市で イスラムが支配した10世紀頃から急成長した。古代ギリシャの時代 シチリア の中心はシラクーサ。ドイツの文豪ゲーテは世界一美しいイスラムの都市と呼んだ。
ノルマン王宮(現州議会堂)
サン ジョゼッペ ディ テアティーニ教会 この建物が造られたのはイスラムの支配が終わった後。その頃イスラム文化が定着していた。回廊 アーチや柱もイスラム風。
ノルマン人は宗教や文化に寛容だった。

パレルモ大聖堂は12世紀末 イスラム教徒のモスクをシチリア‐ノルマン様式の教会に改築。14世紀から15世紀にかけて鐘楼が建てられ、その後バロック様式の装飾が施された。

モンレアーレ大聖堂はノルマン人の王国が最盛期の12世紀に建てられた。大きな聖堂内が、豪華絢爛な黄金のモザイクでびっしりと覆う。モザイクの壁面には旧約聖書と新約聖書の物語が刻まれている。
木製の梁にはイスラム様式の影響を受けた精密な装飾が施されている。正面には巨大なイエス キリスト。
回廊の柱は1つおきに金のモザイクで幾何学模様に描かれ 228本の柱・柱頭の彫刻も同じものは1つもない。

TakenによるPixabayからの画像

この大聖堂をて建てた後 ノルマン王国は衰退に向かい その後 ドイツ、フランス、スペインと支配者は変わっていく。寛容な時代は終わった。シチリアの独立の運動はことごとく封じられた。

ジェズ教会 Chiesa del Gesù 大理石の柱や壁に細かな細工や彫刻が施されている。バロック様式の傑作の1つ。シチリアがスペインに支配されていた16世紀に建てられた。一般の市民の間では 自由な気風が薄れて行った。

1861年 シチリアはイタリアの一部になった。貧しくマフィアがはびこる島 そんな偏ったイメージがもたれた。シチリアが自治権をもったのは 第2次世界大戦後のこと

セジェスタ

紀元前3世紀頃 建てられ 戦乱にも 地震にも耐えてきた。不思議なことに ギリシャ神殿の柱に必ず刻まれる溝がない。そしてあるはずの神の部屋 神室がない。誰が何のために建てたのか謎である。

近くの マルタ島

ハル・サフリエニの地下墳墓
マルタ ヴァレッタシティゲート

貴族からの招待状「ベネチア・シチリア編」

NHK BSP 初回放送日: 2021年12月11日
ベネチアの貴族は香辛料の取り引きで巨万の富を築いた。富の象徴といえる館を運河沿いに建てた。

ベネチア アリバベーネ家 パパドポリ宮殿は 5つ星 ホテルに貸与

カナル・グランデ(大運河)に面したひときわ大きい パパドポリ宮殿は 500年以上続く アリバベーネ家 26代当主が9歳で引き継いだ。元々宮殿は祖母の家族が所有していたが 結婚の時持参金代わりに贈られた。妻はイタリア王家につながる サヴォイア家の出身。5階建てで 大小100の部屋がある。
2階の応接間は かつて貴族が集い夜ごと舞踏会を開いていた部屋です。豪華なシャンデリア 隣の隠し部屋で楽器演奏。プライペート空間は最上階に。娘4人と長男、それぞれ仕事を持ち生活のため働いています。。夫人もイベント会社を経営。アリバベーネ伯爵はベネチアングラスのデザイナーとして活躍している。
10年前 高級ホテルが修復し保守する約束で 5つ星 ホテル アマン ヴェニスが誕生した。

ベネチア ダ・モスト家 上の階アパート 高潮対応

ベネチアで最も古くから続く 家の1つ ダ・モスト家の先祖は1500年前 豊かな漁場を求めベネチアにやってきた。
当主は歴史学者でテレビで歴史番組のプレゼンターを務めています。
暮らしているのは街の中心にあるバリオーニ宮殿、ベネチアが黄金時代を迎えた時代に建てられ、今は両親と家族と2.3階に暮らし、その上の階は15軒のアパートになっていて 昔からの知り合いにだけ貸しています。祖父が宮殿を購入して住むようになりました。プラーベートチャペルがあります。
ダ・モスト家は代々海の冒険家を輩出してきた。ベネチアは近年 高潮に見舞われ 夫人も環境科学者で対応に当たっています。
ベネチアでは 貴族が大評議会を通じ街を支配してきた。ペストが猛威を振るったときベネチアに入る前に40日間 船員は荷物とともに隔離されました。多いときは3000人にも上った。ペストによって東方との交易ルートを失いました。

ベネチア アルブリッツィ家 分割所有 建築家で歴史ある建物のリフォーム

ベネチアで500年以上続く名門貴族の出の建築家、家族が受け継いできたアルブリッツィ宮殿
この宮殿の最上階を父から引き継ぐ。父の代から 複数で分割所有するようになりました。
ベネチアの歴史を生かしながら現代的なモダンな部屋にリフォームする仕事をしています。
貴族の称号は使っていません。

シチリア ガンジ家 マグロ漁で財築く

パレルモはシチリアの西部にあり 海の恵みを求め 古くはギリシャ人、ローマ人、アラブ人などが移り住んできた。11世紀には北方からノルマン人がマグロ漁の施設を守るために 要塞を築きました。今では 貴族が所有しています。カリーンさんと大姪に当たるグロリアさんです。
マグロは19世紀になると缶詰に加工されヨーロッパ各地に輸出され莫大な利益を生んだ。
シチリア貴族の多くは別の国や地域から移り住んできた いわばよそ者です。14世紀にシチリアを支配してきたスペイン国王から広大な土地と貴族の称号を与えられた。18世紀になると 莫大な収益を得て優雅な宮殿を建て 調度品を購入し 王族のような暮らしをした。
パレルモのガンジ宮殿です。シチリアのバロック様式の傑作といわれる。
エリザベス女王を迎えた。かの有名なヴィスコンティの映画「山猫」の撮影が行われ アランドロンも出演した。
時代の流れで多くの宮殿が ホテルや美術館に変わっていく中 自らの資産を使って宮殿を修復しました。子供がいなく兄弟の孫 グロリアさんに託そうとしています。

シチリア アッリアータ宮殿 はバラチーナ家から ピエトラリャータ家に

パレルモのアッリアータ・ディ・ピエトラリャータ宮殿はパレルモの司法の最高責任者の住居として建てられた。
バラチーナ公とピエトラリャータ公女夫妻が住む。アッリアータ宮殿は 妻の家族が引き継いだもの。
シチリアでは 女性が貴族を相続でき、2つの名を持つ事もある。
アッリアータ宮殿の窓が小さな丸いガラスを並べたデザインになっているのは、当時大きな一枚ガラスを作る技術がなかったからで、当時 世界最大のシャンデリアが飾られた。彫刻でなく絵を描いた装飾。

シチリア アニエッロ家 アグリツーリズム マフィアの暗躍

シチリアの貴族出身 イギリスで著名な女性弁護士 シモネッタさん、妹がアニエッロ家を継いでいる。
祖先はトスカーナからやってきて土地を買い 貴族の称号を手の入れた。購入した農場は教会が所有していたもので学校も併設していた。父は教師を雇い学校を再開させた。
貴族は絶対的な力を持っていて 警察 裁判官的なこともしていた。19世紀 シチリアは貧しい地域で 貴族や地主が富を独占していて 飢えに苦しんでいて 100万人以上アメリカに移民として渡った。貴族達は街に移り 農村は貴族が雇った自警団が村を守っていた。その自警団がギャングになり マフィアになっていった。
叔父が大きな硫黄鉱山を所有し 当時いとこが誘拐されたことがあった。戦後叔父は屋敷を市に売却した。マフィアは貴族の建物を 不合法に取り壊しコンクリートのアパートに変えていった。
今は妹が有機農業で農家民泊 アグリツーリズムを行っている。

シチリア 貴族の紋章を活用 ワインビジネス成功 タスカ家

タスカ伯爵家 広大なぶどう畑を有し 数々の賞を受賞 貴族の称号と紋章を活用し高品質のワインビジネスに成功。
タスカ伯爵家 本家では 20年前から貴族の暮らしを体験してもらおうというコンセプト(4部屋のスイートルーム 1週間でおよそ450万円)
タスカ邸にはヴェルディやワーグナーが滞在し ワーグナーが宿泊のお礼に作ってくれた曲がある。

TBS 世界遺産「シラクーサとパンタリカの古代遺跡 〜 古代遺跡をめぐる!シチリア島の旅」

イタリア、地中海に浮かぶシチリア島 南東部にある シラクーサ。穏やかな入江に面したシラクーサは島最古の港町である。旧市街のある先端部分は 小さな島で シチリア本島とは2本の橋でつながっている。この小さな島がシラクーサ発祥の地でおよそ2800年前 海を渡ってきたギリシア人がつくった。
ここは天然の良港で 海岸沿いに真水の湧く泉 アレトゥーザの泉があった。水は今も尽きることはありません。
アポロンの神殿が残っています。町はシチリア本島に拡がり、そこには1万5000人収容できる 巨大なギリシャ劇場があり加工しやすい石灰岩の台地を くりぬいて作られた。観客席の後ろに29キロ先から地下水路で運ばれた泉が残っている。劇場の地下や横に石切場が残っています。
やがてギリシア本国のアテネを凌ぐ 30万人が住む大都市になった。地中海のほぼ真ん中という地の利があって 海洋貿易の重要拠点として繁栄した。シラクーサは、古代ギリシアで最も美しい都市と称えられるようになった。
ギリシャ神殿を使い作った キリスト教のシラクーサの大聖堂

内陸の パンタリカ には、さらに古い3000年以上も前の遺跡。
12Kmにも及ぶ 渓谷の絶壁に掘られた5000もの四角い穴は 先住民シクリが残した墓地。シチリアの語源にもなったシクリは、死者を安らかに大地に還すために、人を寄せ付けない断崖に葬った。
先住民の王宮の跡も残る。出土した青銅器のナイフ、安全ピンから高度の技術を持っていたことがうかがえるが、ギリシャ人が定住すると衰退していった。

渓谷に沿い川を下ると シラクーサ。野外劇場の そばにある円形闘技場は 古代ローマ人がシチリアを支配し 作られた。廃墟の古い教会の地下には 迷宮のような墓地が広がっている。元々は、ギリシア人が作った地下水路を 古代ローマ人が墓地に変えた。

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