GoogleマップでWeb旅行!四神相応の地 京都:辰年にめぐる 東の青龍&びわ湖疏水船で行く近江

BS朝日 2024年1月11日OA
あなたの知らない京都旅~1200年の物語~ 辰年にめぐる 都の龍SP&BS11 冬の京都2024 龍が棲まう千年の都 を見ました。
相国寺天井にある「蟠龍図」、建仁寺「双龍図」方丈襖絵「雲龍図」、青蓮院門跡からみた鴨川、平安神宮には多くの龍がありました。泉涌寺・八坂神社・貴船神社にも龍がある。

京都に旅に行けたらいいなとメモにしました。
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辰年にめぐる 都の龍SP

京都では様々な場所で「龍」と出会うことができる
・東福寺にほど近い「瀧尾神社」拝殿に全長約8メートルの木彫りの龍が鎮座。「夜な夜な神社を抜け出し恐れられた」という言い伝えがある。
・日本海の宮津湾にある「天橋立」 股のぞきで見ると 天に舞い上がる龍のように見えることから “飛龍観”と呼ばれる
・宇治にある黄檗宗(おうばくしゅう)大本山「萬福寺」、1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創された。大雄寶殿、境内全体が龍に見立てられていて 2つの目は井戸、参道は背中のウロコ、通路の屋根が腹。

中村雅俊が辰年に相応しい特別な10頭の龍の逸話や伝説を探る with 歴史作家 丘眞奈美さん
日本列島も龍の形をしているといわれる。

①相国寺 日本最古の龍

有名な 金閣寺銀閣寺大本山 相国寺の山外塔頭で、相国寺の僧侶達が代々住職を務めている。
塔頭(たっちゅう)とは 本山の寺院の住職や高僧の死後 その徳を慕って 結んだ庵 境内外にある小寺院を指す。
相国寺は十四世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満により創建されました。
日本最古の法堂(はっとう)は、豊臣秀吉の三男秀頼により再建された。本尊は釈迦如来。高さ約11mの天井に 直径約9mの円に描かれた「蟠龍図」 龍がとぐろを巻いて天に昇る姿を描いている。狩野光信作。手を叩くと音が反響して「鳴き龍」が体験できる。

法堂は僧侶が法を説くための場所なので仏法の守り神「龍」が天井に描かれ 「法の雨を降らす」と言われる。また 龍は水の神ともいわれ 火災から法堂を守る役割も果たしている。
五山の制度は臨済宗の格式や序列を定めたもので、室町幕府が臨済宗の禅寺を格付けした制度
別格=南禅寺、第1位=天龍寺、第2位=相国寺、第3位=建仁寺、第4位=東福寺、第5位=万寿寺

②建仁寺現代の龍・③建仁寺 武士の魂が宿る龍

建仁寺(けんにんじ) は京都最古の禅寺であり、臨済宗建仁寺派の大本山。鎌倉幕府第2代将軍 源頼家の寄進を受けて、 宋で禅を学んだ栄西が、開山した。俵屋宗達の最高傑作と伝わる「風神雷神図屏風」(国宝)がある。
法堂の天井いっぱいに「双龍図」 縦11.4m 横15.7mあって 阿吽の口をした2匹の龍が描かれる。阿形の龍は手に玉をつかむ。2002年の建仁寺創建800年を記念して 小泉淳作画伯が2年の歳月をかけて描かれた大作。
方丈に 安土・桃山時代の巨匠 海北友松によって約400年前に描かれた方丈襖絵「雲龍図」。海北友松は信長に滅ぼされた戦国大名浅井長政の重臣の子で 龍の荒々しい目になっている。来客に対し自らの権威を示した。

④青蓮院門跡 剣に巻き付く龍・⑤都を守る壮大な龍

青蓮院(しょうれんいん)門跡 は天台宗の京都五ヶ室門跡の一つ。宗祖伝教大師以来の比叡山上の住坊「青蓮坊」が発祥。その京都での里坊として天台座主行玄が平安後期に院の御所に準じて建立。「青蓮院」と称した。平成26年 京都東山山頂に大護摩堂「青龍殿」国宝 青不動(不動明王二童子像)を祀る建物を建立、併せて木造の大舞台を新築しました。
御本尊の「不動明王二童子像」が持つ三鈷剣に 龍が巻き付いている。これは 不動明王の変化身で竜王の一種である「倶利伽羅龍」で、あらゆる悪を退散させ 人々を煩悩から断ち切る。

将軍塚桓武天皇が家臣の和気清麻呂に山上で「この場所こそが都にふさわしい」と進言され 平安建都に着手した。そして、都の安泰を祈願し将軍の土像に甲冑を着せ、弓と刀を持たせてこの塚に埋めさせた。また南北朝時代、南朝方の新田義貞と北朝方の足利尊氏がここで激戦を繰り広げた。
青龍殿の大舞台の面積は清水の舞台の4.6倍で、舞台からは都の全体を望むことができる。
京都は「四神相応の地」東に清き流れがあるのを 蒼(青)龍賀茂川、南が広く開けた湿地帯であるのを 朱雀巨掠池、西に大きな道が続くのを 白虎山陽道・山陰道 、北に高くそびえる山があるのを 玄武舟岡山 とされる。

⑥~⑨平安神宮 境内に隠れた龍

平安神宮が作られたのは 明治28年 平安遷都1100年を期京都市民の募金で作られた。平安京の朝堂院を8分の5の規模で再現している。
「平安神宮」には4頭の龍があった。境内は四神相応を意識して作られ 東に蒼龍(青龍)の手水台、西に白虎の手水台があった。大極殿に登る「龍尾壇」と呼ばれる階段。東には蒼龍(青龍)楼、西には白虎楼がある。
七代目 小川治兵衛らが作庭した中神苑にて、龍が臥している姿を飛び石で表現した「臥龍橋」五条大橋と三条大橋の橋脚を使用している。龍の背に乗り池に映る空の雲間を舞うかのような気分を味わえる。

⑩善峯寺 天然記念物の龍

平安中期に源算上人により創建され 徳川5代将軍・綱吉の母・桂昌院ゆかりのお寺。釈迦岳山腹に建ち、3万坪もの広大な境内。天然記念物「遊龍の松」 長さ約37m、樹齢600年以上の1本の松で龍の尻尾と頭を表現する。
三門の金剛力士は、運慶作で源頼朝寄進と伝えられています。

相国寺の龍から生まれた銘菓

京菓子の老舗「俵屋吉富 」にて、龍にまつわる今年100周年を迎えた和菓子「雲龍」、「雲龍図 下り龍」に感銘を受け 餡で雲に乗る龍の勇ましい姿を表現しているそう。

妙心寺 法堂「八方睨みの龍」&東福寺「蒼龍図」

妙心寺は 南北朝時代の1337年に花園法皇が離宮を禅寺に改め創建された。明智光秀や豊臣家の帰依を受けて発展しました。 広大な敷地に 大法丈・三門など 重要文化財が立ち並びます。
重要文化財の 法堂(はっとう)に直径約12mの一円相に描かれた雲龍図がある。天から降りてくる下り龍、反対側から見れば 昇り竜。龍の目が中心に描かれているので どの角度から見ても目が合うように感じられ 「八方睨みの龍」と呼ばれる。狩野探幽が55歳の時に8年をかけて描いた。16歳で幕府のお抱え絵師となった探幽は「元離宮二条城」の障壁画を25歳の若さで指揮したといわれる。

東福寺 は鎌倉時代に九條道家が九條家の菩提寺創建を願って、仏殿を建立したことから始まった臨済宗東福寺派の大本山。京都五山の第四位の禅寺で、大きな伽藍を所有していることで知られています。
「蒼龍図」 は昭和9年 堂本印象 が わずか17日間で仕上げたといわれている。 体長55mあって 鋭い角 玉を持ち 雲間を抜ける姿は 迫力満点です。

冬の京都2024~龍が棲まう千年の都

BS11 2024.2.7 池坊専宗氏が巡る京都 “龍”と“水”にまつわる特別な旅
平安遷都から1230年となる今年の干支は、つまり“龍”。『四神相応の地』として平安京が置かれた京都では、青龍が都の東側と、河川の守り神と考えられ、いにしえから火災や水難防止の願いを込めて神社に祭られたり、寺院の天井などに描かれたりしてきた。

・東福寺 (⬆にあり) 
約2000本のもみじが植えられ、特に通天橋からの眺めは絶景です。
室町時代の東福寺の僧侶の日記には「池坊専慶という六角堂の僧侶が、武士の依頼を受けて花を挿して大評判になった」と記されている。
法堂の天井画「蒼龍図」畳150枚分の天井に描かれた龍の体長は約54メートル、顔の長さだけでも約4メートルの大迫力。
塔頭寺院 龍吟庵(国宝)は 本坊の裏手にあり 現存する最古の方丈(1丈四方(四畳半)の建物)とされる。重森三玲が作庭した「竜の庭」は寺号にちなんで海の中から黒雲をまきおこして昇天する龍を石組みで描いた。

泉涌寺(せんにゅうじ) 天皇家とゆかりが深い、大門から坂を降りて本堂に向かう 珍しい 降り参道
仏殿 の天井にも狩野探幽作の龍図があるが、今回のお目当ては舎利殿の天井に描かれた狩野山雪作 龍図。手を叩くと残響音がすることから“鳴龍”としても知られる。
 
八坂神社 古くから「祇園さん」と呼ばれ 疫病退散を祈願する祇園信仰の総本社。創祀は、斉明天皇2年(656)とされている。
本殿(国宝)の 真下に公開されていない 龍穴と呼ぶ 泉 深さが50丈ともいわれ、古くから“聖なる場所”と伝えられる パワースポット。御神水(力水)が湧き出る場所がいくつかあり、持ち帰る人も多い。この御神水は祇園祭に欠かせないもので 869年に都で蔓延した疫病を鎮めるために、宮中の祭祀の場である 神泉苑 が、水で浄めた八坂神社の神輿を迎え入れた「祇園御霊会」が始まりと言われている。

貴船神社 京都の東を守護する青龍にたとえられる鴨川の源流地 貴船山にある。1300年以上の歴史を持つ、全国でも指折りの古社。夏は貴船の川床へ涼を求め多くの人が訪れる。
社殿前の石垣から御神水が湧き出ている本宮 水神を祀り 水占いみくじ 御神水に占いの用紙を浮かべると文字が浮かび上がってきます。
奥宮の本殿は 龍穴(りゅうけつ) と呼ばれる巨大な穴の上に建てられている。修復時には脇に移して行う。この穴は誰の目にも触れてはいけない神聖なもので布で覆う。江戸時代、穴に大工がノミを落としてしまった。すると突風が起ってノミが空中に舞い上がった。そして大工は間もなく亡くなったという。
泉涌寺の塔頭 雲龍院 室町時代 後光厳天皇によって創建された。皇室と密接な関わりを持ち、皇室の位牌を祀る荘厳な霊明殿や
本堂「龍華殿」入口の 衝立の龍 が迎える。平成22年10月に奉納された 堂野夢酔(どうのむすい)の14面の襖絵「双龍風雷図」風神雷神と双龍を迫力ある水墨画で描いた。
2017年に新たに見どころとして加わったのが、龍淵(りゅうえん)のさやけし いう水琴窟
蓮華の間 しきしの景色 には4つの障子窓があり、覗くとそれぞれ椿・灯籠・紅葉・松が楽しめる。
大きな池があって 忠臣蔵で知られる大石内蔵助が龍のすみかである『龍淵』と名付けたことにちなんでいる。

びわ湖疏水船で行く 平安神宮・圓満院・近江神宮

BS11 2024.4.22 京都浪漫 悠久の物語
第144回 びわ湖疏水船で行く 春の旅~平安神宮・圓満院・近江神宮~

平安神宮

平安神宮が作られたのは 明治28年 平安遷都千百年記念祭第4回内国勧業博覧会を記念して創建された。祭神は桓武天皇孝明天皇。平安京の朝堂院を8分の5の規模で再現している。柱が朱に塗られ、宮廷風の雅やかさを感じさせる。大鳥居は高さ24.4m 柱の直径 約3.6mの鉄筋 コンクリート製で 昭和4年に 昭和天皇即位の大礼を記念し 京都市民の募金で作られた。
神苑は7代目小川治兵衛の作庭で、西神苑は白虎池、中神苑は蒼竜池、東神苑は栖鳳池と、それぞれの池を中心に紅しだれ桜や花菖蒲など四季の花が楽しめる。
境内に広がる神苑は 七代目 小川治兵衛らが作庭した中神苑にて、龍が臥している姿を飛び石で表現した「臥龍橋」五条大橋と三条大橋の橋脚を使用している。龍の背に乗り池に映る空の雲間を舞うかのような気分を味わえる。
明治維新による東京遷都のため沈みきった京都に活力を呼び戻すため 琵琶湖疏水の建設し 水力で新しい工場を興し 舟で物資の行き来を盛んにしようと計画しました。
神苑の一角に置かれた日本最古の電車の車両は 琵琶湖疏水の水力発電で京都駅から博覧会場まで観客を運んだもの。

びわ湖疏水船

琵琶湖疏水は琵琶湖の水を京都に引くために明治時代に造られた。当時は物資を運ぶ船が行き交っていましたが、舟運は昭和26年に自動車や鉄道など交通機関の発達により途絶えていた。数年にわたる準備期間を経て、平成30年より 琵琶湖疏水船が運行を始め 平安神宮近くの 蹴上乗下船場から乗船。
滋賀県大津市の 三井寺乗下船場、さらに琵琶湖の大津港乗下船場まで結んでいる。

圓満院

びわ湖疏水船の「三井寺乗下船場」のほど近くにある門跡寺院・圓満院は 987年に、村上天皇の第三皇子 悟円親王により創立された天台宗の門跡寺院です。三井三門跡の一つであり、開基当時は平等院と呼ばれていました。藤原道長が宇治に建てた別荘を 子 頼道が 平等院としたため 名前を譲り 圓満院と命名され、歴代皇族の入室する門跡寺院となりました。
天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に産湯に用いられたという霊泉があり 三井寺と呼ばれる。
国の重要文化財に指定されている宸殿(しんでん)は 1619年に徳川幕府第二代将軍 徳川秀忠の息女である和子後水尾天皇の后として入内する際に建てられ、その後1647年に京都御所から現在の場所へと移築されました。後水尾天皇が座した 玉座の間 の天井は 特別な造りの格(ごう)天井となっています。
宸殿の南側には 三井の名庭 と呼ばれる庭園が広がり、四季折々の美しい風景が眺められます。
大津絵美術館があって、 江戸初期に 東海道五十三次の大津の宿場で 旅人等に縁起物として神仏画を描き売ったのが 大津絵の始まりです。

近江神宮

大化の改新で知られる 中大兄皇子は白村江の戦いの後 都を飛鳥から近江 大津 へと遷都します。そして翌 668年 天智天皇として即位しました。大津に都があったのはわずか5年間でした。
近江神宮は 天智天皇の近江大津宮の跡地に 昭和15年に皇紀2600年を記念して建立されました。
社殿は近江造と呼ばれる新しい様式で、近代神社建築を代表するものとして国の登録文化財に指定されています。天智天皇が日本で初めて漏刻(水時計)をつくったことから時計の始祖として知られ、境内には時計館宝物館があります。毎年6月10日の時の記念日には「漏刻祭」が行われます。
また、小倉百人一首巻頭歌が天智天皇のものであることからかるたの殿堂とされ、お正月に行われる「かるた祭」や競技かるたの日本一を競う「競技かるた名人位・クイーン位決定戦」が行われています。近年はコミック・映画「ちはやふる」でも取り上げられて 有名になっています。